(18)マクシムの生い立ち「俺は、あそこで死にたかった」
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イシュルバート帝国は、かつて聖王庁が任じた選帝侯により、数多の領邦国家から皇帝を選んでいた。皇帝位がツークフォーゲルによる世襲制となったのは、二百年前だ。騎士王ゴットハルトの時代である。
マクシムは映えある皇帝家の十六人きょうだいの末っ子として生まれた。
代々ツークフォーゲル家は戦わずして領土を広げる【婚姻政策】を繰り返してきた。そのならいにより、兄たちは有力諸侯の娘と結婚し、姉たちは西方大陸中に縁付いている。
マクシムの長兄は皇太子、次兄は聖王領を守護するカストーレ選帝大公国君主、三兄は南海の要衝ロンバルディア女公の婿となることが決まっていた。
女帝である母は「次は将軍となる息子が欲しい」と言って、最後の出産にのぞんだ。
目論見通り、男の子が生まれた。女帝は上機嫌だったという。末息子に、武勇の名を馳せた将軍大公マクシミリアンの名をつけた。
しかし、その男児は軍人になるにはいささか線が細すぎた。恵まれた体格を持つ三人の兄たちに比べ、ほっそりとした少年に育ち、女帝は落胆を隠せずにいた。
『どうしてお前はそうなのでしょう』
一番古い記憶は王配である父の葬儀だ。四つのマクシムは、大公が持つ剣の重みに耐えきれなくて尻餅をついたのだ。
兄や姉達に言わせれば、それは当たり前だった。けれど母は我慢がならないようだった。
マクシムは母親に嘆かれ続けた。最初から、最期まで。
それでもマクシムには、可愛がってくれるきょうだい達がいた。姉たちはマクシムを「私たちの坊や」と呼んで甘やかし、兄たちは末弟を教え諭した。
何も恵まれた体格だけが武器ではないと言い出したのは長兄だ。長兄は柔軟な発想を、次兄はその広い知識を、三兄は豊富な人脈を惜しみなく発揮して、マクシムを導いた。
細身を生かした体術――相手の力を逆手にとってかわす東方の柔術など――や、速さや刺突に特化した剣術の師をつけてくれた。異民族風の弓術では、すぐ上の三兄に勝つことができた。
三兄が「そのうちマー坊は羆を倒せるようになるぞ」とおだてれば、次兄は「ただの脳筋に育ったら困る」と東西の軍学者を家庭教師として与えてくれた。
長兄は朗らかに笑って「立派な帝国軍帥として私を支えてくれ」と士官学校に送り出してくれた。マクシムは、きょうだい達の愛情に満たされて育った。
十歳で士官学校に入ると、マクシムはゆるやかに頭角を表した。細身の体格で筋骨隆々の男達と対等に渡りあえるようになったのは、兄たちがマクシムの才に水をやり芽吹かせてくれたからだ。
しかし、女帝はマクシムがどんなに優秀な成績を叩き出しても納得しなかった。
むなしさがなかったといえば嘘になる。将軍大公の名が重く感じても腐らずにいられたのは、きょうだい達がいたからだ。
姉たちはマクシムを手放しで褒めて抱きしめ、兄たちは「あまり甘やかすな」と言いつつ期待を寄せてくれた。
「母上はもうお年だから、融通がきかないんだ」
マクシムが十四歳の頃、長兄と母は政治の方向性でぶつかり合うことが増えた。その頃、次兄と三兄はそれぞれの領地に旅立っていたので、仲介者がいなくなっていたのだ。
十五歳でマクシムは初陣を迎えた。帝国軍の頂点・第一騎兵団に入り、送り出されたのは、キーシュのヴェネト平野である。
キーシュの国土の大半は肥沃な黒土で形成されている。この穀倉地帯を巡り、イシュルバートとファンデールは戦争を繰り返してきた。先代ファンデール国王は、女帝の即位を認めず、キーシュを明け渡せと要求した。血で血を洗う戦争の果て、キーシュは両国不可侵の緩衝国家として独立を認められた。
そこに目をつけたのが、北方の新興国家ナドルヴィアである。この国は年々増え続ける新教徒を抱え、脅威的な軍事力でもって領土拡充を図り、二大国の緩衝地帯に食い込んできたのだ。
これに対し、イシュルバートとファンデールは防衛同盟を結び連合軍で迎え撃って出た。戦端が開かれ、十数年が経つと言うのに戦火は激しさを増すばかりであった。
帝国男児にとってヴェネト平野に赴くのは武の誉だ。かの将軍大公もここで数々の武勲を立てた。
マクシムは【ブルガウ伯爵の息子・マクシム】と身分を偽り出征した。
前線に出て半年が経った頃、マクシムは捕虜として捕らえられてしまった。ナドルヴィアは戦慣れしていない少年兵を狩り立てる悪癖があった。
長い間ありとあらゆる暴力を受け、熱病におかされ苦しみ、生死の境を彷徨った。
大公だとばれてしまう前に、早く死にたいとそれだけを願って息をしていた。
マクシムと少年兵たちを救ったのは、兄と姉だ。兄たちはあらゆる手を尽くし交渉にあたり、姉たちは嫁ぎ先をかき口説いた。
成人した兵士ではなく、まだ幼い少年兵たちをいたぶり、なぶり者にする。その残忍さに、ナドルヴィアを支援している国々も眉を顰めた。聖王庁も非難の声明を出した。
囚われの身になってから半年後、マクシムは解放された。攫われた少年兵数百人のうち、生き残って故郷に帰れたのはマクシムの他に五人しかいなかった。
マクシムの看護にあたったのは、若くして寡婦となった長姉と次姉であった。
弟の心身に刻まれた痛ましい傷に怯まず、昼も夜もなく傍にいた。長兄は執務の合間にかかさず枕元に訪れ「マックス」と呼び続けた。
次兄や三兄たちは、嫁いだ姉たちからの手紙を両手に抱えて駆けつけた。
きょうだいの祈りが通じ、マクシムは意識を取り戻した。凍傷になりかかっていた手足も切断せずに済んだ。
マクシムが起き上がれるようになる頃、やっと母親が姿を現した。
「あらお母さま。今さら何をしにいらしたの?」
と、目元に隈をこさえた長姉が突っかかる。次姉もそれに続く。
「まあ、後ろにいるのは傷を見て気絶した侍医でなくて?」
マクシムはただ母親を眺めていた。母は静かに末息子を見ている。その暗い眼差しに、心臓が嫌な音を立てていた。
「問診を受けなさい」
と母が言って、長椅子に太った身体を折り曲げるようにして座る。姉達は憤慨した。
「マックスは起きたばかりなのよ!」
「大公女殿下、ことはツークフォーゲルの家名に関わることにて」
進み出たのは一番初めにマクシムの処置にあたった軍医だった。その後ろに立つ宮廷医は真っ青な顔色で問診票を抱えている。
「俺は平気です。問診を受けられます」
と、マクシムは三兄の手を借りて起き上がった。次姉がそばかすの浮いた顔をくしゃくしゃにしながら、末弟の背中に柔らかい座布団を置く。
軍医はハキハキと、宮廷医はおずおずとマクシムに質問をする。聴覚や視覚に異常はないか、四肢の感覚はあるか、――熱の上がり下がりはどうか。
マクシムはそれに淡々と答えた。十五分ほど問答を繰り返した後、軍医が顔を上げる。
「まず、軍人としてのお役目を果たすのは無理です」
「当たり前だ」
そこでずっと黙っていた長兄が口を開いた。彼はいつも泰然としているが、その日ばかりは怒気をあらわにしていた。
「軍人になれないからなんだと言うのだ」
「皇太子、先生のお話を遮ぎらないでちょうだい。もっと重要な話がまだです」
母は視線で続きを言うよう促した。軍医がわずかに間を置いて続ける。
「大公閣下は捕われた際に、熱病にかかられた。高熱が続き、黒い痣が現れたのは間違いありませんか?」
「……ほとんど消えたけれど、こちらにまだ薄く残っています」
マクシムは寝巻きの袖をまくり、二の腕の裏を示した。何かの爪痕のような黒い痣が薄く浮いている。軍医は静かに頷き、宮廷医は祈りの一節を唱えだす。
「……大公閣下が罹ったのは、カシャ熱です」
「何ですって」
「まさか」
上のきょうだい達が悲哀の声をあげる。マクシムは三兄と顔を合わせた。知らない病だ。
「あれは、異民族しか罹らないものでしょう」
「姉上、近年の医学では流行病に民族や信仰は関係ないとわかってきています」
金切り声を上げた長姉に対し、どこまでも冷静に次兄が答える。
「俺は、死ぬんですか」
ぽつりとマクシムが尋ねれば、長姉に抱きしめられる。次姉は泣き崩れ、皇太子は顔を覆い、次兄は蒼白である。
「いいえマックス。とんでもない。ああ、神様……この子が何をしたというのですか」
「熱は下がり、咳も出ていない。肺の呼吸音は荒れていません。傷の方もあわせて、静養なされば人並みに動けるようになりましょう」
「僕にはちっとも事情がわからない。死ぬんじゃなきゃ、何が問題だっていうんだ」
痺れを切らして軍医に噛み付いたのは三兄だ。
「カシャ熱は、三十年に一度、ヴェネト平野から南のカフカス海近郊に流行る病だ。稀に、聖王領やファンデールの南でも流行ることがある」
一番早く立ち直ったのは皇太子だ。弟たちを見つめ、説明をし始める。
「因果関係や原因は分かっていないが……。罹って生き残った者は、男女関係なく子どもが出来ないらしい」
その言葉にいち早く反応したのは母親の女帝であった。
「軍人にもなれず、子も作れないなんて! ツークフォーゲルの男子とあろうものが! 恥晒しもいいところだわ! どうしてお前はいつもわたくしを悲しませるの!」
ほとんど絶叫に近い嘆きであった。憤然と立ち上がり、髪を振り乱して花瓶や燭台を床に投げる母親の狂乱ぶりに、姉たちが悲鳴をあげる。すかさず長兄が母親を止めにかかる。
「母上、あまりにお言葉が過ぎます!」
「皇太子、はな――」
暴れていた母が、動きを止める。次いで、太った体をくの字に曲げて苦しみ出した。そのまま彼女は床に倒れ込んでしまう。宮廷医が血相を抱えて駆け寄った。
その夜、母は一度も目を覚ますことのないまま息を引き取った。マクシムは次兄と三兄に支えられながら、その顔を見下ろした。
母のやわらかい表情を見るのは初めてだった。マクシムの前ではいつも厳しい顔つきをしていたから、笑顔も見たことがない。険しさの取れた母の顔を見ているうちに、マクシムの頬に一筋涙が伝った。
「俺は、ヴェネト平野で死んでいた方がよかったのですね」
「マックス」
「兄上や姉上が尽力くださったのに、申し訳ありません。でも、俺は」
母親を呼びながら死んでいった、仲間たちの顔が思い浮かぶ。
マクシムではなく、彼らが生きて故郷に帰れば母親たちは泣いて喜んだろう。
そうすれば、母は出来損ないの息子に絶望したまま死ぬこともなかっただろう。
「俺は、あそこで死にたかった」
末弟の痛切な声に、きょうだい達は言葉を失った。その日、マクシムは十六歳になった。




