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(17)大公の秘密「俺には、一生縁のないことですから」

( 17 )


 橡樹(マロニエ)の葉が色づき始める頃、マクシムは王都に帰還した。その足で宮殿に訪れ、やっとエレーヌが休養の為に宮殿を辞していることを知った。


「伯爵、ご存じありませんでしたの?」


 侯爵夫人は、大袈裟に驚いて見せた。大回廊にいる貴婦人達が好奇心のままに集まってきたところで、マクシムは自分の失態に気づいた。


「……今日、王都に戻ったものですから」

「まあ、それなら仕方ありませんわね」と侯爵夫人。

「今月の初めの夜会で、王妹殿下はお倒れになったのよ」と伯爵夫人。

「公務も一切取りやめ。ご病気がひどいのですって」と伯爵令嬢。


 親切に見せかけて、彼女達がこの状況を楽しんでいるのは明白であった。他の貴族達も似たような表情でこちらを伺っている。マクシムは早々と貴婦人達の輪から抜け出した。


 大回廊のあちこちでは、貴族達がおしゃべりに興じている。声をひそめていないので、マクシムの耳にいやでも入ってきた。 


 ――ここだけの話ですけれど、宮殿から追いやられたともっぱらの噂よ。

 ――ええ、王妃さまに違いありませんわ。ほら、ご自分は評判が悪いから。

 ――いやあね。お腹の子が男とは限らないのに、あつかましい。

 ――それに、また新しい宝石を買ってらしたわ。


 王族専用区域に通じる回廊を進みながらマクシムは、エレーヌの顔を思い浮かべた。

 最後に会ったのは、今年の春だ。エレーヌは珍しく白粉をはたき、紅を引いていた。


『お化粧の練習をしているんです』


 と笑っていた。一気に大人びたエレーヌの姿に、心臓が騒いだ。それを悟られぬようにする方に気をとられて、ちゃんとエレーヌのことを見ていなかった。


(あれは、顔色が悪いのを誤魔化してたんじゃないか?)


 全く気づけなかった。マクシムは悔しさで拳を握り込んだ。

 エレーヌは、北部の流民との交流をきっかけに、積極的な慈善活動に身を投じるようになった。

 彼女の活動拠点は、修道院だけでなく廃兵院や盲学校など多岐に渡り、時には自ら患者の包帯を変えたり、貧民街の炊き出しの場に立ったりする。


 彼女の一番の功績は、庶民の主食に【じゃがいもの団子(クネル)】を考案したことだろう。イシュルバートのクネーデルから着想を得た食べ物だ。使用する小麦は最低限で、工夫すれば小麦なしでも作れてしまう。


 王妹の考えた【じゃがいもの団子(クネル)】は、腹持ちも良く栄養価が高く、家庭でも簡単に作れると瞬く間に評判になった。小麦の高騰でパンが買えなくなっている者にとっては、まさに命をつなぐ糧である。


 感銘を受けた市民たちは、彼女を慈愛の王妹と讃えて、社交界でも好意的にとらえられている。その一方で、王妃の反感は強まっていた。

 王妹は身を慎んでいるのに、王妃は贅沢をしているというように見えるらしい。それを、否定しきれないマクシムである。


「エレーヌは今年に入ってから、授業時間を倍にしたの。それも、エルド語だけでなく、作法やクラヴサン、文学の授業全て。しかも、廃兵院や孤児院にも欠かさず通いながら。どう考えても詰め込みすぎだわ」

「何かに追い立てられるような打ち込み方だった。これを機に休ませようと思っている」


 国王夫妻は、談話室でマクシムにそう説明した。マクシムは用心深く尋ねた。


「では、ご病気が重いわけではない?」

「ああ。侍医の診たても過労だ。モントルイユからは毎日手紙が来ている。元気そうだ」

「……そうですか。なら良かった」


 と返しながら、マクシムは胸がざわついた。王都から離れていても、マクシムは彼女と手紙を交わしていた。しかし、 エレーヌから離宮で療養するとは教えてもらえなかった。


「マックスは相変わらずエレーヌ贔屓ね」


 と、軽い調子で王妃が言う。その探るような眼差しに、マクシムはぎくりとした。


「恐れながら、妹のように大事に思っておりますので」

「……なら良いけれど」


 悩ましげに吐息する王妃の耳と胸元には、大粒のブルーダイヤモンドが輝いている。

 マクシムは珈琲カップをソーサーに置いて、なるべく自然に尋ねた。


「……姉上、その宝石は?」

「陛下がくださったの。わたくしね、宝石を眺めているとつわりが収まるのよ。リアーヌのときもそうだったわ」


 と言って、姉は少女のように笑った。国王は気まずそうにカップを見下ろしている。

 今の王室にブルーダイヤモンドの装飾品を揃える余裕はない。それは、外国人のマクシムでも分かることだ。マクシムは再び珈琲に口をつけながら姉の様子を伺った。


 十代の頃と変わらず、輝くような美貌だが、窶れている。すでに臨月を迎えているから、体力を落としてはいけない時期だ。

 姉は悪い人間ではない。愛情深く、善良な女性だ。天性の明るさは誰をも魅了する。

 しかし、一つだけ欠点がある。亡き母譲りの金銭感覚のなさだ。

 マクシムの父母は仲の良い夫婦だったが、折り合いのつかないことが一つあった。

 それは、女帝の金銭感覚とその管理能力である。母は帝位を継ぐ大公女として育てられ、敬虔な聖教会信者であった。


 聖教では数の理を知るのは神のみと教えているし、経済を回す商人は意地汚い職業だと説いている。母は「女性がいちいち金周りを気にすることははしたない」と考えていた。

 王配である父は、妻の意向を第一と心得ていたが、財政に関しては一歩も引かなかった。

 父は東方から数学者や商人を呼び、会計院の官吏たちに一から算術を学ばせたのである。そして、帝国領において聖書の次に算術を重んじるよう働きかけた。

 死の直前、父は息子たちにマクシムに必ず数学を教えるよう言い残した。その遺言どおり、マクシムは兄たちから数学を教わり算術を解いてきた。だからひと通りの会計能力は身についている。

 けれど、姉は違う。父は大公女たちにも数学の知識を与えようとしたが、母の猛反対に遭って断念したからだ。


 娘達には、よき子を産んで夫を支える愛情深さがあればよい。数の理や金勘定の知識があると、賢しらな女になってしまう。姉は母の望んだ通りに育っただけだ。


「お兄さま陛下への手紙にも書いたけれど、わたくしも経済を回さないとね」

「王妃、そろそろ部屋に下がった方がいい」


 と、国王が妻の手を握って言った。王妃は膨らんだ腹を撫でて、あまやかに吐息する。


「ええそうね。やっぱり起きていると辛いみたい」

「お大事になさってください。良いお子を」


 マクシムの言葉に、王妃は困ったように微笑んだ。


「そして何より男の子を、でしょう? お母さまの決まり文句」


 マクシムは頬を叩かれたような心地になった。自分は、無意識にあの母と同じ言葉で姉を追い詰めたのだ。蒼白になった弟の腕を励ますように叩き、王妃は部屋を下がった。

 国王は侍従にも退出するよう命じて、マクシムの向かいに座り直す。


「あれを買うために、宮殿中の銀食器を売り払った。財務総監にこっぴどく叱られたよ」


 と、国王は苦く笑った。マクシムが口を開こうとすると、ゆるりと手で制す。


「……義兄上陛下からも直裁な手紙を頂いた。私は、本当に愚かだ。自国の民が飢えて、血の繋がった妹に借金の肩代わりまでさせたくせに、自分の妻一人諭せない」


 イシュルバートの皇帝は、このままでは取り返しのつかないことになると忠告してきたらしい。王子を産まない限り、外国人の王妃は立場が不安定なまま。(いたづら)に反感を買うようなことは控えろと。

 長兄の警告は正しい。きっと、マクシムもイシュルバートにいたら「姉は何をやっているんだ」と憤慨して、手紙で注意するぐらいのことはしたかもしれない。しかし。


「私は、マリーが愛しい。無事に身二つになってくれるなら、健やかに笑ってくれるなら、宝石やドレスを心ゆくまで与えたい。……私は、愛することを知るたびに愚かになる」


 マクシムの目の前で、国王は深い葛藤に苦しんでいる。片手で顔を覆い、震えた声で感情を吐露する。彼を責めることは、マクシムにはできない。

 この国が財政や継承に問題を抱えていなければ。国王は思うまま王妃に贈り物を与えたし、王妹も自由気ままな立場で安穏と暮らせただろう。後ろ指をさされ、あげつらわれることもなかった。


「……少し、羨ましいです」


 それが、マクシムの本音だった。確かに、褒められたものではないかもしれない。

 それでも、国王が義姉に注ぐ愛情は、マクシムには眩しく感じられる。


「俺には、一生縁のないことですから」


 義弟の言葉に、国王が怪訝そうな顔をする。マクシムは淡々と義兄に説明した。


「俺は子どもができない身体なので、誰とも結婚しません。恋もしないでしょう」


 絶句する義兄に、マクシムは事実だけを告げた。

 十五歳の時、キーシュ戦線で敵国の捕虜になったこと。そこで流行病にかかったこと。それが原因で子どもができない身体になったこと。

 マクシムは、自身に深いトラウマを刻みつけた記憶を辿りながら驚いた。あの頃は、他人に話せるようになるとは思いもよらなかったのだ。

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