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(15)継承問題「ママとパパは、あかちゃんの方がだいじなの」

( 15 )


 エレーヌがマクシムと出会ってから、二年と数ヶ月が過ぎた。エレーヌは今年の秋で、十五歳になる。


「夏薔薇も残り少なくなって参りましたね」


 と言って目を細めるのは、エレーヌの主治医である。


「ええ。――先生、お姉さまはもうすぐ臨月に入られるけれど、大丈夫かしら」

「宮廷医師団がついております。必ず、玉のような王子がお生まれになりますよ」


 主治医は白髭を揺らしながら答え、エレーヌの脈を取った。エレーヌは曖昧に笑った。

 ファンデールは北部の冷害や、長引くキーシュ戦争による財政難に加え、継承問題を抱えている。この国では男系継承しか認められていないので、現時点で兄に後継者はいない。それゆえ、義姉の懐妊が発覚してから、宮殿中がざわめいている。

 今度こそ王太子となる男児をと義姉は気負っているし、兄も口には出さないがそれを願っている。


「……王妹殿下は、この時期が一番調子がよろしいですね」

「そうね。冬になると、すぐ熱を出してしまうから」


 昔から、エレーヌは寒さに弱い。秋の終わりには必ず熱を出し、ひどい時は咳が止まらなくなる。亡き母もそうだったというから、これは体質なのだろう。


「くれぐれも、調子が良いからと言って、公務やお勉強で無理をなさらないでください。来年になったら、いよいよ嫁がれるのですから」

「……そうね」


 十六歳の誕生日に、エレーヌは制海権を所持する宣誓式に臨む。その後冬の間に結婚式を済ませ、春の雪解けが訪れたら、ドーラ海峡を渡るのだ。


「エルドラードの陛下は、海が荒れる前にこちらへいらっしゃるとのことよ」


 ファンデールの海の玄関口たるトーラス港には、エルドラード王の私費により絢爛華麗な館が造られている。そこで、エレーヌはエルドラード王と結婚するのだ。


「……その時は、どうぞ王に身をおまかせください。神はお二人を祝福するでしょう」


 主治医は静かに言った。そう、この結婚については、聖王直々に認可が降りている。神が認めた縁だ。もう、誰にも覆せない。エレーヌは拳を軽く握りしめて、微笑んだ。


「わかりました。先生のおっしゃる通りにいたします」


 ふと、セシルやニコルとの会話を思い出す。

 マクシムがファンデールに来てから、モントルイユに訪れるときは、必ずマクシムが隣にいた。彼女たちが誤解するのも無理はない。


(わたしには、海の向こうに婚約者がいるのよ)


 あの時返せなかった言葉を、エレーヌはそっと胸の内で囁いた。

 マノンに主治医の見送りを任せ、エレーヌは化粧部屋の姿見の前にぼんやりと立った。考え事をするときは、ついつい鏡を見てしまう。


 年を重ねるにつれ、エレーヌの顔貌はどんどん母に似てきた。だから、鏡を見ていると、亡くなった母が向かい側にいるような錯覚に陥るのだ。

 もうエレーヌは社交界では大人として扱われる年齢だ。背中に流していた白金(プラチナ)の髪は、今ではマノンの手により丁寧に纏め上げられ、滅多に下ろすことはなくなった。

 淡藍の綿紗(モスリン)ドレスに包まれた身体は、娘らしくゆるやかな曲線を描いている。

 素顔を晒すこともなくなった。薄く白粉をはたいて、淡い紅を引くようになった。少し顔色が悪く見えたので、エレーヌは頬紅をほんのり載せることにした。

 化粧台に腰掛けて頬紅をつけていると、叩扉音(ノック)が響く。返事をすると、マノンが入ってくる。鏡越しに乳姉妹を見て、エレーヌは目を見開いた。


「……マノン、どうしたの?」

「へ? あ、なんでしょう」

「顔色が真っ青よ。横にならないと」


 エレーヌは立ち上がり、マノンの手を取る。驚くほど冷たかった。マノンは首を振る。


「今月は月のものがひどいのです。今薬を飲んで来ましたから大丈夫ですよ」

「でも……」

「それより姫さま、第一王女(マダム・ロワイヤル)がお見えになってます」

「ええ。……無理をしてはだめよ。クルトさんが飛んでくるわよ」


 と言うと、マノンは笑った。泣き出す寸前の幼子のような笑みだった。


「お茶の準備は侍女に頼んであるのでしょう? 少し下がって休んで」

「……じゃあ、お言葉に甘えます。控え室にいますので何かあったら言ってください」


 エレーヌが頷くと、マノンはお仕着せの裾をつまんで下がっていく。その足取りがどこか危うげで、エレーヌは心配になった。後でマノンも侍医に見てもらおう。

 王妹の居間では、五つの姪がぬいぐるみを抱えて口をとんがらせていた。長椅子(ソファ)の上で、靴を脱いだ足をぷらぷらさせているので、エレーヌは慌てた。


「リアーヌ、どうしたの」

「ごきげんがよろしくないの」


 床に落ちた赤い靴を履かせてやりながら尋ねると、リアーヌは顔をくしゃくしゃにして答えた。


「ママとパパは、あかちゃんの方がだいじなの」

「そんなことないわ」

「あるの」


 頑なに言って、リアーヌはくまのぬいぐるみを強く抱きしめる。

 いま、兄夫婦は大きな岐路に立っている。落ち着いてリアーヌと接することができないのも無理はない。

 エレーヌはリアーヌを膝の上にのせた。ずいぶん重たくなったので驚いた。


「ねえリアーヌ、明日はわたしとお仕事に行きましょうか」

「ねえしゃまと? おでかけするの?」

「うんそうよ」


 リアーヌの顔がぱあっと明るくなる。エレーヌは姪のまあるい額にキスをした。


「くまさんにお留守番をお願いするのよ」

「ええ? くましゃんもいっしょ」

「だーめ。王女はお仕事に行く時ぬいぐるみは持って行かないの」


 厳しいかもしれないが、エレーヌが嫁いだら、ファンデール王女はリアーヌただ一人となる。エレーヌが担っている公務は、やがてリアーヌのものとなるのだ。将来のために、一緒に公務をやっておいた方が良いだろう。


(リアーヌは、どんな女の子に育つのかしら)


 エレーヌはリアーヌを抱きしめる腕に力を込めた。リアーヌのためにも、ファンデールの問題を少しでも軽くして嫁ぎたい。

 エレーヌは押し潰されそうな不安をひた隠し、目前のやるべきことに意識を向けた。

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