(13)ジャンヌ「迷ったら、信じてほしい。全力で応えるから」
(13)
ひゅっと風を切るような音とともに、地面に何かが叩きのめされる振動が伝わる。
「はなせ! はなせよ!」
少年の金切り声が響いて、エレーヌは閉じていた瞼を開いた。目の前まで迫っていたはずの少年は消え、鎌は空を描いて誰もいない野原に転がっていく。
マクシムが腕を使って少年の関節を封じて、体重をかけて地面に伏せさせたのである。
「いたい、やめろよ! 折れるだろうが!」
「王族への傷害罪は、七日間の拷問のうえ磔だ。水責め、火責め、あらゆる拷問が待っている。それに比べたら、腕一本どうってことないだろう」
マクシムの横顔から感情は消えていた。彼は少年の細い腕を掴み上げて捻じ曲げようとする。エレーヌは慌ててそれを止めた。
「や、やめて、やめて! マクシムさま!」
「……この者は武器をふるった。こういう性根のやつは野放しにすると危険だ」
「わたし、わたしは無事で」
「それは俺がいたから!」
マクシムに憤りをぶつけられ、エレーヌは身体を震わせた。彼の言う通りだ。マクシムがいなかったら確実にエレーヌは血を流し、死んでいた可能性が高い。
でも、ここでマクシムが少年を傷つけたら鎮まりかけていた殺気が燃え上がってしまう。
「旦那、この通りだ。その子は、ジャンヌは、そんなナリでも女の子なんでさ。折るなら、おらの腕にしてくれ」
一党の中で最も年老いた男が、真っ先に武器を捨て地面に這いつくばった。彼は枯れ木のような腕を両方とも掲げて許しを乞う。
「姫さまの、いうとおりにいたします。約束もいたします。なあ、みんな」
「あたしらが言い聞かすから、おねがいだよ」
流民たちが次々と武器を捨てる。マクシムは少女を組み伏せながら、凍てついた口調でクルトに命じた。
「……クルト、武器を回収しろ」
「はっ」
「この者を解放するのは、そなた達の武装解除を確認してからだ。エレーヌ」
「は、い」
「ユディトのそばに」
エレーヌは言われた通りにした。喉がからからで、声がうまく出せない。
マクシムは最後の一人の武器をクルトが回収してから、少女を解放した。少女は無言で流民たちの中に戻っていく。
騎乗したクルトを先駆けに、一行は二列になってシェルファ僧院を目指すことになった。腰の抜けたマノンは、流民たちが並び始める頃には気合いで復活した。そして、馭者を馬車に放り込んで、自ら馭者台に座った。
出発する前、マノンは濡らしたハンカチでエレーヌの汚れた顔や髪を丁寧に拭いながら言った。
「……大公閣下とよくお話しください。きっと、あたしと同じご意見のはずです」
マクシムはユディトに乗って殿を務めることになった。そこに、エレーヌも同乗するのだ。エレーヌは頷くしかなかった。
「俺と従者は、キーシュ戦の経験がある。若者だからと侮ると、後悔することになるぞ」
マクシムは流民たちに深々と脅しをきかせて、最後尾に戻ってきた。そして、騎乗したままエレーヌを軽々と抱え上げて自分の前に横座りにさせた。
「しっかり掴まって」
エレーヌは震えながらマクシムの腕を掴んだ。マクシムからは普段の穏やかで優しい雰囲気は消え去り、触れれば切れるような冷徹さしか感じられない。
武器を持った流民の中に分け入ることより、マクシムの怒りを向けられる方が恐ろしく、悲しかった。
大きな混乱もなく、行列が進む。マクシムもエレーヌも無言だった。そのうち、シェルファ僧院の尖塔が見え始める。そこでやっとマクシムが口を開いた。
「……ここはファンデールだから、外国人の俺が口出すのはおかしいかもしれないけど」
淡々とした声が降ってくる。エレーヌは強く唇を噛み締めた。
「ああいった流民は、王都にたどり着くまで大なり小なり略奪行為を働いている。殺人だって犯している可能性もある。それでも保護するの?」
「それは……」
「王族が姿を現したことで、更に憎悪を焚きつけて虐殺が起きることだって……」
マクシムの言葉が途切れた。ひっく、と小さなしゃくり声が上がる。大粒の涙が雨のようにユディトの鬣に落ちる。
「ご、め……なさい……、ごめん、なさい」
きちんとマクシムの話を聞かなくてはならないのに、エレーヌは子どものように怯えて泣いてしまう。どうにか涙を止めようとしても、止まらない。
「エレーヌ」
「マクシムさまの、いう通りです。わたし、考えなし……」
「エレーヌッ」
がくがく震える少女を、マクシムは咄嗟に抱きしめた。エレーヌの華奢な身体は冷え切っており、どれだけ彼女が恐怖と戦っていたのかをマクシムに伝えた。そして、エレーヌが、まだ十二歳の少女だという事実も。
「ごめん、ごめん。エレーヌ」
ユディトが緩やかに歩みを止め、主人を非難するように鳴いた。振動が収まると、エレーヌはマクシムの背に腕を回して、声をあげて泣いた。
「君は立派だったよ。ああやって争いを収めるのは、大人だって難しい。どれだけ勇気を振り絞ったか……、怖かったよね。本当にごめん」
「マクシム、さま……っ」
「俺は、自分に怒ってたんだ。護衛を買って出て、結局エレーヌを危険に晒して。あやうく、怪我をさせるところだった」
「こ、わかっ……」
「ごめん。本当に、ごめんね」
泣きじゃくるエレーヌの背中を、マクシムがあやすように優しく叩く。エレーヌがひとしきり泣いたあと、マクシムは少女の両手を包んで、祈るように額に押し当てた。
「俺はエレーヌの勇気を、素晴らしいと思う。でも、もう二度と危険な場所に飛び込むことはしないでくれ。周囲に任せるという判断をするのも、君の大事な役目なんだ」
エレーヌは頷いた。あの時は、エレーヌ一人が出ていくことが最善だと思った。けれど、もしかしたらもっと良い方法が他にあったのかもしれない。
「迷ったら、信じてほしい。全力で応えるから」
「はい。わかりました」
「……本当のことを言うとね」
エレーヌの涙を指の腹で優しく拭って、マクシムは柔らかく囁いた。
「あの流民たちは、武器の構え方も、取り囲み方も隙だらけだった。空き家を荒らしたことはあったかもしれないけど、人を襲ったことはないと思うよ」
だから、マクシムとクルトで十分制圧できると考えたのだと続けた。
「出かける前にでも説明すればよかったね。ごめん。次からは頼って欲しいな」
「マクシムさまは、そんなにお強いんですか?」
鼻を真っ赤にしながら、エレーヌは尋ねた。マクシムが答える前に、ユディトが笑うように鼻を鳴らす。
「え? どうしたの、ユディト」
「……結局エレーヌが事を納めたのに、かっこつけるなんてださいわね。……ってところかな。ユディトは、勇気ある女性の味方だから」
エレーヌは瞬きをしてユディトを見下ろした。そっと鬣を撫でると、歌うような鳴き声が返ってくる。どうやら、ユディトはエレーヌをいたく気に入ってくれたらしい。
「まあ、腕の見せ所なんてない方がいいに決まってるけれど」
とマクシムが拗ねたように言って、エレーヌを見つめる。エレーヌの目元は、泣き腫らして赤くなっていた。
「国王陛下に話をする時、俺もついていくよ。あまり役に立たないかもしれないけれど」
「そんなことないです」
農業に長けたマクシムの知識があれば、北部の冷害に対して具体的に画策できる。
(わたしにも、何かできるはず)
故郷にいるうちに、出来ることを一つずつ見つけていこう。そして、失敗しても良いから行動に移そう。
(……何もやらないうちから、できないと決めつけるのはおかしいもの)
虚しさに負けたくない。将来の不安をまんじりともせず抱え込んで蹲るぐらいだったら、一歩ずつ何かしたい。エレーヌはあらためて自分を奮い立たせた。




