(11)エレーヌの生い立ち「お熱は出てませんか?」
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「良いのですか。全て頂いてしまって」
「はい。葉と茎に毒があるので花壇のものは食べないようにして下さい。調理の方法はこちらに書いてあります。近々、モントルイユの土壌調査に来ますね」
「ありがとうございます。その際には是非お立ち寄りください」
マクシムから羊皮紙を受け取り、院長は涙ぐんで頭を下げた。荷馬車で運んできたじゃがいもは、他の野菜も含めて孤児院の食糧庫に積み上げられた。またの訪問を約束し、エレーヌとマクシムは孤児院を後にする。
エレーヌが天を仰ぐと、空は淡い黄昏色に染まりはじめていた。
本来であれば、モントルイユで最も大きな修道院を訪ね、伯母のご機嫌伺いをする予定だったのだが、孤児院に長居をしすぎてしまった。これ以上モントルイユの滞在を引き伸ばせば、王都に戻るのが深夜になってしまう。
エレーヌは非礼を詫びる手紙をしたためて、叔母の従僕に渡した。
「伯母さまには、改めてご挨拶に伺うとお伝えして」
「かしこまりました。いつも通り馬車を準備いたしましたので、お使いください」
従僕が用意したのは、紋章のない二頭立ての馬車だ。顔見知りの馭者がお辞儀をする。マノンはエレーヌの傍に立ち、そっと覗き込んだ。
「お疲れでしょう」
「少しだけ」
エレーヌは素直に頷いた。朝早くから王都を出て、馬に乗ったまま休みなくモントルイユまで来たのは初めてだった。
加えて、子どもたちともたくさん遊んだので、身体中が疲労を訴えている。エレーヌはアレスの首筋を優しく撫でる。アレスはちょっと不満げな顔つきでエレーヌを見ていた。走り足りないのだ。
「アレス、マクシムさまとユディトの言うことを聞いてね」
「俺が乗っても構わない?」
エレーヌは自分の隣を見上げた。マクシムは優しく微笑んでいる。
「アレス、どうかな」
アレスはつぶらな瞳でマクシムを見た。そしてぱかぱかとマクシムの方へ歩いていく。
一方ユディトは、クルトを睥睨して「さっさと乗れ」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「さ、姫さま」
大丈夫かなあと思っていると、マノンがエレーヌの背を押した。少女二人が座席に腰を下ろした後、クルトが扉を閉める。馬車が緩やかに走り出す。
座席には柔らかなクッションが詰められていた。エレーヌの向かい側に座ったマノンは、そっと主君の額に手を当てた。
「お熱は出てませんか?」
エレーヌは子どもの頃からしょっちゅう熱を出していた。だから、少しでも無理をするとマノンは必ずこうして熱を確認する。エレーヌはくすぐったい気持ちで破顔した。
「わたしは大丈夫よ。いつもよりご飯も食べられたし」
「確かに、ずいぶん召し上がってましたね」
エレーヌの平熱を確かめると、マノンは小さく口元を緩ませた。姉代わりの乳姉妹に、エレーヌはにっこり笑いかけた。
「マノン、蕪と玉ねぎのスープの味はどうだった?」
「……まあまあでしたね」
マノンの声は一本調子だが、耳が真っ赤に染まっているのは夕焼けのせいだけではないだろう。エレーヌは窓の外で談笑しているマクシムを眺めながらぽつりと言った。
「わたし、もう少し料理ができるようになりたいな」
「ええっ?」
「じゃがいも。見た目が悪いなら、違う形にすればいいのかしらって思ったの」
「まあ、確かに見た目で損している、という点は否定しませんが」
「女の子達から包丁の握り方を教えてもらったの。次は野菜を一緒に切ってくれるって」
いつの間に、とマノンが絶句する。エレーヌはふふっと笑った。実は、遊びの時間におままごとと称して孤児院の女の子たちから色々と教わったのだ。
「仕方ありませんねえ。次はあたしもご一緒します」
「ありがとう、マノン」
マノンが一緒なら、心強い。ひと安心すると、急に強い眠気が襲ってきた。マノンが隣に移動して、ふかふかの膝掛けを広げる。
「王都までまだかかります。どうぞ眠ってください」
エレーヌはその言葉に甘えて、マノンの膝に頭をのせた。そのうち、マノンの子守唄が聞こえてくる。
(……離宮から宮殿に上がる時も、こうやってマノンに膝枕をしてもらったな……)
そんなことを考えているうちに、エレーヌの意識は夢の中へと落ちていった。
母がモントルイユで亡くなったのは、エレーヌの十歳の誕生日だった。
亡骸は、父方の伯母が院長を務めるトロワジェーム修道院の墓地に葬られた。兄は国王という立場上、モントルイユの葬式に参列できなかった。エレーヌは伯母と二人で参列者を迎えた。
参列者が帰ると、伯母はエレーヌに真実を告げた。エレーヌは十歳で、物の分別がわかる年頃だ。
宮殿で他人から聞かせられるよりは、と伯母は考えたのである。
『あなたのお父さま――あたくしの弟は、女癖がとても悪かったの。亡くなったのも痴情のもつれ。あなたのお母さまが病気になったのも、そのせい』
だから、母は父と同じ墓だけには入りたくないと伯母に頼んでいたという。エレーヌは父の顔も覚えていなかったが、両親の不仲について初めて知ったので衝撃を受けた。
母はシェルファローズの分家の出身で、王族である。その母がこのモントルイユを最期の地に選んだのも、そういう経緯があったからなのだ。
『政略結婚なんて、そんなものよ』
伯母は墓石の前に百合の花束を手向けて、エレーヌに向き直った。
『あなたもそのうち分かるわ、エリザベート。この国の女は何も持てない。夫か、父か、兄に与えられるのを待つだけ』
嫁げと言われれば夫に仕え、祈れと言われれば神に仕える。ファンデールの女は、そういう生き方しかできない。
エルドラード王の婚約について知ったのも、この時だ。それは、母の死や両親の不仲ほどの衝撃をエレーヌに与えなかった。
(まるで、物みたい)
エレーヌは、国と国で取引される商品なのだ。そう思うと、途方もない虚しさがエレーヌを襲った。とてつもなく大きな存在が、何もお前にできることなどないのだとエレーヌの心をくじく。
今際の際、母はエレーヌにこう言い残した。
――わたしの小さなエレーヌなら、きっとこの美しい国にふさわしい女性になるわ。
母の教えは、無力感を抱きながらも生きていく心持ちの作法だったのだ。
与えられた身分には責任が伴い、国や民のために努力を怠らず生活すること。この国にふさわしい王女になることで、エレーヌの虚しさは救われるのである。




