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(1)貸本屋の少年「ごめん。驚かすつもりはなかったのだけれど」

( 1 )


 ファンデール王都ルヴェルの貸本屋で、エレーヌは背表紙と睨めっこをしていた。エレーヌは、かれこれ十五分は東西の詩集がずらりと並んだ区画を行きつ戻りつしている。

 いつもであれば傍に乳姉妹がいるのだが、今日は一人きりだ。すぐそこの角で、深い水たまりに車輪がはまり、馬車が脱輪してしまったからである。従僕が修理屋を呼び、乳姉妹はその作業を監督している。戦力外通告を出されたエレーヌは、一人で本と向かい合う時間を得たのである。

 西方大陸の中でこの国は、常に文化の魁として花開き、王都は芸術、ファッション、詩歌――ありとあらゆる流行の発信地として栄えてきた。貸本屋の質や量も抜きん出ていて、本の海に浸るには最適の場所だ。エレーヌは探し求めていた本を見つけて足を止めた。


(レニラード神国の『ロクサナの夕べ』が戻ってきてる!)


 早速借りようと腕を伸ばすが、届かない。目的の本はエレーヌの頭上よりうんと高いところに収まっている。エレーヌはつま先で立つのを諦め、小さく飛び跳ねてみた。


(……だめだわ。脚立を借りてみよう)


 エレーヌがため息をついた時だった。背後からすっと長い腕が伸ばされ、目的の棚に届き、本を一冊抜き取る。


「これ?」

「あ……」


 差し出されたのは『ロクサナの夕べ』の隣にあった『カルタータの四行詩(ソネット)』だ。顔を上げると、黒髪の少年が静かにこちらを窺っている。エレーヌより五つか六つ年上だろうか。彼の繊細な顔立ちと端正な挙措に、エレーヌは息を呑んでしまう。

 振り向いたままエレーヌが固まっていると、少年が深緑の瞳を瞬かせて一歩引いた。


「ごめん。驚かすつもりはなかったのだけれど」


 と苦笑されて、慌てて首を振る。早まる鼓動を感じながら、エレーヌは『カルタータの四行詩』を受け取った。


「あの……」


 エレーヌが話そうとすると、少年は促すように小首を傾げる。その仕草はエレーヌに、彼の冷艶さを和らげ、穏やかな気性を伝えてくれた。エレーヌは、そっと言葉を紡ぐ。


「この本のとなりの……『ロクサナの夕べ』を、読んでみたくて」


 やっとの思いで言うと、少年が深緑の瞳を輝かせた。大人びた様子がさっと取り払われ、年相応の笑みが浮かぶ。


「レニラード神国の詩が好きなの? 俺もだよ」

「あなたも?」


 少年は頷いて、やすやすと本棚から『ロクサナの夕べ』を抜き取った。そして、そっとエレーヌに手渡してくれる。


「君はすごいね。俺がレニラード語で読めるようになったのは十五歳の頃だよ」


 と感心されて、エレーヌは頬が染まるのを感じた。


「ぼんやりと眺めるだけです。意味はなんとなくしか分かっていません」

「でも、面白いんだろう?」


 肯くと、少年が優しく見つめてくる。その眼差しを真正面から受け止められなくて、エレーヌは真っ赤になって俯いた。


「お嬢さま、いらっしゃいますか?」


 店の入り口の方から、乳姉妹の声が聞こえた。エレーヌは慌てて「今行くわ」と返事をして、二冊の本を胸に抱き寄せる。そして、勇気を振り絞って少年を見上げた。


「取ってくださり、ありがとうございます」

「どういたしまして。それ、戻しておくよ」


 差し出された手のひらの大きさが、なんだか眩しく感じられた。エレーヌは首を振る。


「これも読みたくなってしまったので借りていきます。では、ごきげんよう」


 見知らぬ少年と言葉を交わしたと乳姉妹に知られたらまずい。エレーヌは裾をつまんで片足を引き、彼の前から立ち去った。なぜだか、頬が熱くてたまらなかった。


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