悪役令嬢の娘は、母を嵌めた公爵夫妻に復讐しようと思いますの。
私を女で一つで育ててくれた母が死んだ。
葬儀が終わってしばらく。借家だったこの小さな家からも、私は出ていかなければならない。私たちの持ち物は全て小さなキャビネットに収まっていた。私は自分の服をトランクに詰めていく。母の品というと驚くほど少なく、質素な服が数枚と、両の手で軽々と持てるほどの木箱だけだった。少ないものでも全ては持っていけない。いくつか形見として見繕って、あとは売れそうなものは質屋に持っていこう。母以外に身寄りのない私には、行く当てもないのだ。売れるものは売り、少しでも生活費の足しにしなければならない。
木箱を開けると入っているのは子供の私にでも分かる安物ばかりで、到底売れそうなものは入っていなかった。その中に古いノートがあることに気がついた。開いてみるとそれはスクラップ帳のようで、古い新聞の切り抜きが数枚貼り付けられていた。
【悪役令嬢エリザベッタ・ロビンソン、公爵家オルレアンに断罪され、身分剥奪】
「エリザベッタって……母さんの名前」
記事の内容は以下の通りであった。
公爵家の長男のアレックスは、とある女中と恋に落ちる。それをよく思わなかった彼の婚約者エリザベッタは女中の殺害を計画。しかしアレックスはそれに気がつき、女中を守った。
エリザベッタは裁判にかけられ、貴族の身分を剥奪されてロビンソン家を追放された。
【オルレアン公爵、意中の女中とゴールイン……】
【オルレアン公爵夫人のシンデレラストーリー……】
【オルレアン公爵家に双子誕生……】
【オルレアン公爵、武勲賞をもらう】
【オルレアン公爵の優雅な一日】
数枚しかなかったそれは、全てがオルレアン公爵家に関するものであった。
「母さんが……人殺し?」
思わず笑いがこぼれる。母は誰よりも人がよく、人のために動き、人のために泣けるような優しい人だった。金もない私が母の葬儀をしてあげられたのも、母を慕う近所の人たちがお金を出してくれたからだ。
その母が人殺し?そんなわけがない。
そしてオルレアン公爵。私はその名に聞き覚えがあった。
「シャーロット。私が死んだら、オルレアン公爵家を尋ねなさい。きっと貴方を無下にはできないわ」
かつて母は、病床でそのように語った。その時は母のうわごとだと思っていた。
しかしこの記事のエリザベッタが、母のことであるなら話は別だ。
母はこの公爵と女中に嵌められたのだ。そして貴族の身分を取られた。そしてこんな寂れた下町で寂しく死んでいったのだ。このスクラップはきっと母の怨嗟の記録。
許せない。私はトランクにスクラップブックを詰め、家を出た。
行き先は決まった。
オルレアン公爵家。私は母の代わりに貴方たちに復讐する。
オルレアン公爵家は私の住んでる街からずっと遠くにあった。何本も馬車を乗り継ぎ、時には船に乗り、時には歩き、数週間かけてたどり着く頃には財布の中身はすっからかんであった。
たどり着いたオルレアンの屋敷は、見たこともないくらい立派で端が見えないほど大きな煉瓦造りの柵に囲まれていた。
呼び鈴を鳴らすと、老いぼれた執事が一人やってきて、「今は女中は募集していない」と羽虫を払うように手を振った。
「私はエリザベッタ・ロビンソンの娘です。奥様か、旦那様にお目通りを」
執事は目を瞬くと、私をじいっと見つめてから急いで屋敷に入って行った。
そしてしばらくして戻ってきたかと思うと深々と頭を下げ、私のカバンを受け取ってうやうやしく中へと案内をした。
私としては驚きだった。先程のは先制パンチのつもりだった。お前たちが嵌めた女の娘が来たという。しかしどうだろう。まるで執事の対応は、大事な客人でも扱うようであった。
美しい花々の咲く庭を抜け、大きな玄関のドアをくぐる。中は天井の高い吹き抜けになっており、白を基調とした美しい調度品たちが出迎えてくれた。
「旦那様と奥様は、こちらでお待ちです」
螺旋階段をあがった先で執事は扉をノックした。「どうぞ」という震えた声が響き、執事に続いて中に入ると、そこにはうすく化粧をした上品な女性が立っていた。その奥では白髪の交じった男性が腕を組んで座っている。
女性は私を見るなり、目に涙を潤ませた。
「ああ、エリザベッタ様……」
女性は駆け寄り私を抱きしめた。
甘い香水の匂いがする。反射的に身を捩った私を女性はハッとしたように離した。
「ごめんなさい。貴方がとてもエリザベッタ様に似ていたから……どうぞ座って、お菓子もあるのよ」
戸惑いつつ、促されるまま席についた。貪るように菓子を食べる。この三日間。金もそこをついてほとんどなにも食べていなかった。女性は何も言わず、私が菓子を食べる様子を見つめている。紅茶を飲み干すころ、今までずっと黙っていた男が口を開いた。
「どうしてこの家に来た、母さんはなんで一緒に来なかった」
私は息を整え、心を落ち着かせる。
「母は死にました。ここを頼れと私に言い残して。だから来ました」
女性は口元で手を押さえ、顔を俯かせる。男はその背をさすっていた。
「旦那はどうした」
「私が小さい頃に死にました」
父のことはほとんど覚えていない。かろうじて記憶のあるのはぼんやりとした顔と抱き上げられたときに嬉しさ、そしてその横で笑う母の顔。
女性が顔をあげ、男と顔を見合わせる。女性の方は涙を流し、男の方は「バカベッタ」と頭を抱えた。
馬鹿らしい。わざらしく泣いて。私は全部知ってるんだぞ。腹にわく沸々とした感情を抑え、私はゆっくりと息をした。
「それで、君の名前は」
「私は、貴方たちが陥れたエリザベッタの娘。シャーロットと言います。」
「陥れた?」
「ええ、母が人殺しなんかするわけないです。貴方たちに嵌められて、追放されたんですよね。だから私、貴方たちに復讐にきたんです」
懐に潜ませていたナイフを取り出して、私は男に切り掛かる。きっとこの男こそオルレアン公爵、そしてその横にいるのは母から婚約者の地位を奪った女中だ。
女性は悲鳴を上げたが、男は怯むことなく座ったまま足だけで私の腕を蹴り上げ、手から離れたナイフをいとも簡単に取り上げた。
バランスを崩した私はそのまま顔面から机にダイブする。
「びやぅ!」
「奥様!今の悲鳴は……」
「すまない。客人がバランスをくずして転倒してな」
「ええ、驚いてしまって……申し訳ないけど救急箱を持ってもらえる?」
駆け込んできた執事たちを追い払い、二人は机の上で固まったままの私にため息をついた。
「君、年いくつ」
「……13」
「君の母さんがそのくらいの時はもう少し聡明だったぞ」
ドアの前で救急箱を受け取って、女性は執事を追い払うと、涙目になっている私を宥めるように、鼻と腕に、優しく軟骨を塗った。
「君の母さんからは俺たちのことはなんと聞いて来たんだ」
「何も、ただ自分が死んだら頼れと。私を無下にはできないから……それは私に罪悪感があるからですよね?略奪愛だから」
「そんな言葉よく知っているなぁ……。まぁ、概ね事実だ。母さんは俺たちを恨んでいたか?」
「そうよ……!多分!きっとそう!」
怨嗟のスクラップブック。きっと貴方たちへの恨みを忘れないために大事に取っていたの。
「そう母さんが言ってたのか?」
「言って……ないけど……多分そう」
二人は顔を見合わせると、困ったように笑った。
「ねぇ、あのね、シャーロット。私の名前もね、シャーロットっていうの」
「え?」
戸惑う私にシャーロットは微笑みかける。
「恨んでる相手の名前を愛娘につけるかしら?」
押し黙る私に、オルレアン公爵はごほんと咳払いをした。
「確かに、私たちはお前の母親を嵌めた。とも言えるかもな。裁判所でした発言も全て嘘。証拠も捏造だ」
掴みかかろうと身を乗り出す私を、オルレアン公爵は片手で制す。
「でもね。シャーロット。それはエリザベッタ様が望んだことなのよ?」
「母が望む?何故よ!」
「彼女は自分の身分を捨てたかったんだ」
「身分を捨てる?誰が好んでお貴族様の地位を捨てるていうの?」
平民の暮らしなど悲惨だ。お湯のようなスープと固いパンを食べ、機能性だけの質素な服を着て、朝から晩まで働く。そして夏は暑く、冬は凍える小さな部屋で一生を終える。
その暮らしをお貴族がわざわざ望むなんてあり得ない。
「私とエリザベッタの婚約が決まったのは5歳の時だ。でもね、大人になるにつれ、私たちには別々に好きな人ができたんだよ」
「好きな人……」
「ああ、私はシャーロット、エリザベッタは庭師の……君の父親に恋をしたんだ」
「じゃあ別に、貴族をやめなくても普通に結婚すればよかったじゃない」
「そういうわけにはいかないさ。親の決めた縁談は絶対なんだ。本人たちでどうこうできるものじゃない。そこでエリザベッタが提案したんだよ。彼女がシャーロットを殺そうとしたように見せかけて、この婚約を破綻させようとね」
「もちろん……みんな反対したわよ。でもエリザベッタ様は言い出したら聞かないから。あっという間に準備して、私たちができたことといえば、裁判で情状酌量の旨を訴えるくらい。援助を申し出る前に彼女は荷物をまとめて街を出て行ってしまった」
「新聞が大々的に取り上げてくれたものだから……いやきっと彼女がそうしたから公爵家もシャーロットを無下にはできず、世論の後押しを得て、俺たちも身分差を超えてこうして夫婦となることになった」
互いに手を握り合い、公爵夫妻は幸せそうに微笑みあっている。
「君の父上は身分を理由にエリザベッタの求愛を断っていたものだから、最後はもう呆れ半分で折れていたよ。身分まで捨ててほとんど押しかけ女房さ」
「貴方のお父様を、エリザベッタ様は本当に愛していたのよ。それが早くに亡くなっていたとはね……」
「バカベッタめ……旦那が死んだ段階で頼ってこいってんだ」
私の知らない母を二人は愛おしそうに語ってくれた。母が本当は貴族でこの二人に嵌められていたのであれば、彼女の人生はきっと悲惨なものなのだ。この旅の道中。ずっとそう考えてきた。美しかった母、美味しいものも食べられず、温かくもない薄い布でできたベッドの上で細くなって死んでいった母。そんな人の人生が幸せな訳がない。そう思っていた。
母は、愛されていた。そして愛していた。親友を、父を、私を。あの新聞の切り抜きは恨みの証拠でもなんでもない。二人のことを祝福するスクラップブックだったのだ。
なんだかとってもバカみたい。私は遠路はるばる何しにしているんだろうか。
どっと体の力が抜け、「はは」と乾いた笑いが出る。ボロボロと涙がこぼれ、気がつくと私は声を上げて泣いていた。母が、死んでからずっと、ずっと泣くのを我慢していた。泣いたってもう慰めてくれる人は誰もいないと知っていたから。わんわんと泣く私をシャーロットはぎゅっと抱きしめて一緒に泣いてくれた。オルレアン公爵は私の頭を撫でてくれた。
私が泣き止むまで、ずっと。
私はオルレアン家の養女となることになった。夫妻の息子。二人のお兄様は、最初は嫌な顔をしていたけど、次第に打ち解け仲良くなった。
今でもたまに、母の形見のあのスクラップブックを眺めることがある。これはきっと母の宝物。何かオルレアン家に関することで新しい記事が出たら、新しいページに貼り付けよう。そうしたら母に伝わるような気がするのだ。貴方の娘は、貴方の親友たちのもとで元気でやっていると。でも、そんな記念すべき1ページ目を貼ることになるのは、数年後。お兄様たちが私を巡って骨肉の争いをするとかなんとか……そんなとんでも記事であることを、今の私は知る由もなかった。でも、まぁ。その話は別の機会に……。
おしまい。
つづくこともあるかも




