二十三話
その時、心の声が聞こえた。
『エレノア!』
私は顔をあげるとカシュを見た。アシェル殿下の体を使い、歪な笑みを浮かべている。
いつもの優しい微笑みではないそれは、私の胸を押しつぶしそうになる。
けれど、確かに今、アシェル殿下の心の声が聞こえた。
『エレノア。ごめん。でも大丈夫だよ。僕だって負けない。今にこの体を取り戻すから、だから、だから泣かないで』
「アシェル……殿下?」
『そうだよ! 僕は負けないよ。エレノア、絶対にこの体を取り戻す』
その声に、私は、こぶしを握り締めて、へたり込んでいた心を奮い立たせる。
アシェル殿下が頑張っている。ならば私だって頑張らなければいけない。
カシュなんかに負けてはいけない。
『エレノア、体を乗っ取られて気づいたけれど、こいつの声をよく聞いて。なんだか、おかしい気がするんだ』
私は頷いた。頑張らなければ。
アシェル殿下を私は絶対に取り戻すのだ。
歌手の心の声に集中してみると、確かにおかしい。幼く、それでいて、カシュの心の声が何故か震えているように感じた。
私が視線をエル様へと向けると、エル様はため息をつきながらカシュを見て言った。
「哀れないきものなのだ……」
『エレノアの香りを求めているのだろう。確かに、惹かれる香りだからな。純粋で、真っすぐな……おそらく、誰かと重ねているのだろう』
カシュの方からは悲鳴のようになった心の声が聞こえてくる。
『あぁぁぁぁっ! あの匂いがあるというのに、どうしてだ! 人間になっただろう! 人の形だ! 人間は人間に恋をするのだろう! 我は、我はもう一度あの匂いを手に入れたい……手の中で弾けて消えてしまった、あの匂いを』
手の中で、弾けて、消えた?
カシュの心の声が聞こえた次の瞬間、私の目の前は炎に包まれた。
炎が立ち上るのはおそらく人々が暮らしていたであろう場所と森であり、そしてその炎は熱風を纏って吹き荒れていた。
一体何が起こっているのかと周囲を見渡した時、炎を崇めるような集団が森の入り口に手祈りを捧げているのが見えた。
黒い装束を身にまとい、あまたにはギョロリトした目玉のような飾りをつけている。
「我らが主よ、どうか我らに道をお示しくださいぃぃぃぃ」
異様な空気が漂う場面に、私は一体なんだろうかと思って視線を追うと、森から一人の少女が歩いてくるのが見えた。
私はハッとした。
栗色の髪の毛の、それは夢の中でごめんなさいを伝えてくれと言われた少女だった。
少女の服は泥にまみれ、そして、黒装束の者達を憎々し気に睨みつけると、声をあげた。
「カシュ……ほら、貴方を神と崇める愚かな人間よ。うふふふ。ほら、ねぇ見える? 貴方の事を神だと思っているんですって」
『皆死んだ。皆死んだ。皆死んだ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
少女の声は悲鳴のようであった。
「貴方がいなければ、カシュ、貴方がいるからこんな奴らが村を焼いた。皆死んだ。皆よ。私の恋人も」
『あぁぁぁぁぁぁっぁぁあっぁぁぁぁっぁぁぁ』
「死んだ? そうか。なら、お前はまた我の傍にいられるな」
「は?」
「良かったな。また一緒だ」
『あぁぁ。この心地の良い匂いとまだ……あれ? 匂いが……?』
カシュを抱いていた少女の瞳からは涙がぼたぼたと溢れ、それからカシュの事を見つめていた瞳は憎しみの色で染まっていく。
「お前を私が拾ったから、お前が異教徒の神だとあがめられるからだ! お前が生まれてきたから! 私の家族は死んだ! 私の恋人は死んだ! 返せ! 返せ! 返せぇぇぇぇ! お前のせいだ! お前のせいだ! お前のせいだあぁぁぁぁぁ」
『匂いが……弾けて……消えた』
カシュの心の呟きと同時に、少女はカシュを地面へと叩きつけた。そして、その瞬間にカシュの体から黒い四肢が伸び、体が膨張していく。
少女から呟かれた言葉が呪いとなってカシュの体に染みついていく。
少女は体から力が抜けたのか、その場に座り込み、そして、気を失うようにして倒れてしまった。
カシュの体を黒装束の者達は囲みそして祈りを捧げるように何かを呟き始めた。そしてカシュは眠りに落ちたのか大きく見開いていた瞼を閉じて、神輿に乗せられ、どこかへと運ばれていくのが見えた。
「我らが主は、生贄によって体が大きく成長した。神殿に運び、生贄をさらに捧げなければ」
「この娘はどうする?」
「主様を一時は世話した娘だ。主様に免じて命は残してやろう」
そんな会話が聞こえてくる。
視線を少女へと向けると、小さな心の声が聞こえた。
『ごめん……貴方のせいじゃないのに。憎んで、ごめんなさい』
悲しい声だった。
『カシュ』
『ごめんね』
まるで心の声が浮かんでは消えて、私は不思議な感覚に中にいた。
そして目の前には少女がいた。
『私の声、聞こえる? お願い。カシュにごめんなさいって伝えて。どうか、どうかお願い』
少女は小さな光になって私の目の前に輝く。それを私は指先で触れて、気づいた。
後悔と懺悔を含んだ、心の声。
カシュに伝えたかった心の声がずっと残り、漂い、そしてカシュには届かないままここにあるのだ。
私が小さく頷くと、それは消えた。
そして私の目の前には花弁が舞い私を守る盾となっているのが見えた。
エレノアちゃんとアシェル君のこと大好きです(●´ω`●)
とうとう12月31日が来ましたねぇ。あっという間に、明日には新しい一年が始まります。
今年は激動の一年でした。
書籍化にあたり、書店に自分の本が並ぶという体験をさせていただきました。読者の皆様がいたからこそ、こうして本を出すことが出来ました。
心からお礼申し上げます。
『魔法使いアルル』
『心の声が聞こえる悪役令嬢は、今日も子犬殿下に翻弄される』
また、その他にも電子書籍も出しております。
小説を書き、それを皆様にお届けできたこの一年。とても楽しかったです。