二十話
今は泣いている場合ではない。
何をやっているのエレノア。私は悪役令嬢エレノアでしょう?! 泣いてばかりなんて、ノア様が苦しい時に、アシェル殿下の守る国が脅かされている時に、何もできないままで本当にいいと思っているの!?
自分を叱咤し、私は耳を澄ませた。
魔術具の通信機能を使って、おそらくダミアン様とオーフェン様に私の危機は伝わっているはずだ。
そしてアシェル殿下ならばカシュを捕まえるために万全の体制を整えてこちらへと向かってくるはず。
私が信じ、横に立とうと思ったアシェル殿下ならば絶対にそうするはずだ。
ならば私の役目はカシュとノア様を引き離す方法を考え、そして、ここに二人を引き留めることだ。
私はぐっと涙を堪えると、カシュに言った。
「……ノア様を返してくださいませ。それに、匂いとは先ほどから何のことですか!?」
エル様も言っていた。
私からは匂いがするのだと。闇を引き付ける匂い。けれど前回の時にはカシュはそれを言わなかった。
そして先ほどのチェルシー様への言葉は一体何だったのだろうか。
私はカシュを睨みつけた。
「あぁぁ。生意気だなぁ。だが、この香り。はぁぁぁ。心が晴れるようだ。なぁチェルシー。一体これをどうやって隠していたんだぁ? お前から香っていたあれは、どうやった? 我を騙すとは怖いもの知らずだなぁ」
その言葉にチェルシー様は大きくため息をつくと、私に言った。
「エレノア様ったら、ばれるのが早いわよ。私が何のために、貴方から匂いを奪ったと思っているの?」
『悪役令嬢の必須アイテム。闇を魅了する匂い。せっかく手に入れたのに。ここでバレるなんて……まぁ、ここまでくればいっか』
「奪った?」
「そうよ。ほら、これ。でも、もうだいぶ薄れてしまったわねぇ~」
『本来ならここからが本番で、体を奪われたノア様と一緒に城に潜入し、他のキャラを侍女に扮して悪役令嬢が心を奪っていくはずなのに、どうして上手くいかないのかしらねぇ~。本当にエレノア様はゲームクラッシャーだわ』
アプリゲームでは本来はここから物語が進行していくのかと思いながら、私が心の声が聞こえることで気が付いてしまい、物語の進行を狂わせてしまったらしい。
『他の攻略対象者の好感度、私全然奪えてないけど……まぁ今回はそれが目的じゃないからいっか』
その言葉に、私はどういう意味だろうかと疑問を抱く。チェルシー様は攻略対象者の心を奪う事が目的ではない? ならば何が目的なのだろうか。
チェルシー様は自分の腕を私へと見せてくる。そこにはバラの痣がだいぶ薄れて残っていた。
一体何の目的があって私の匂いなるものを奪ったのかも分からない。
チェルシー様は肩をすくめると、カシュに悪びれた様子もなく言った。
「私は貴方様が愛おしいの。カシュ様。だから貴方様に好かれたかったの」
『うふふふ。可愛いカシュ様~』
その言葉をカシュは鼻で笑った。
「偽物は不必要だ。我に必要なのは、この女だ」
いったい自分からどんな匂いがするのだろうかと私は思う。チェルシー様を見ると、顔を歪めてそれからまた笑みを浮かべた。
「それでも、私は貴方と一緒にいたいと思うわ。うふふふふ」
カシュは興味をなくしたかのように視線をチェルシー様から私へと移すと、私のことをじっとのぞき込む。
私は負けじと見つめ返して言った。
「匂いというけれど、その匂いがなんだというのですか? それに、ノア様を返してください! ノア様は私の大事な友人です!」
私のせいでノア様はカシュに乗っ取られたのだ。だから、私が絶対に取り戻さなければならない。
「我はこの世界の全てが気に入らない。太陽も、光も、匂いも。だが、お前は違う。お前の匂いは、何故か惹かれる。一緒にいると、心地がいい。あと、この男はお前を手に入れるためには必要不可欠だ。元の体では、お前に触れればお前が腐り落ちるからな」
またノイズのような音が私の耳に響いて聞こえた。
私はこのノイズがカシュから聞こえてくることに気が付いた。
もっと集中すれば何かが聞こえそうな気がした。
耳は集中しながらも、私は言葉を続けた。
「体が必要? ならばノア様ではなく人形に入ったらいいではないですか! 生きている人間に入る必要などないでしょう?」
その言葉にカシュは大きな声で笑った。あまにも大きな声で笑うものだから私は驚いてしまう。
「ぬいぐるみにでも入ってお前に抱かれておけとでも? まぁそれも楽しそうではあるが……せっかく人間の体に入ったならば、お前と恋に落ちるのも一興だろう?」
「え?」
恋に落ちる?
私は突然の言葉に驚いていると腰をぐっと惹かれて抱きしめられる。
「ほら、人間の体ならばお前の事をこんなにも抱きしめられる。お前だってこのノアという男のこと。それほどまでに体を取り戻そうとするのだから、まんざらでもなかったのだろう?」
「まんざら? 何を言っているのですか。ノア様は友人です!」
「友人になれるのだから恋人にもなれるだろう? 人間は男と女で恋愛をするのだろう? ならば、我も」
『……かつてあの女が望んだように』
ノイズがはっきりと聞こえた。
私はもう少し集中すればカシュの心の声まで聞こえてきそうなところまで来ていた。
どうしてこんなに聞こえにくいのかは分からなかったけれど、確かに聞こえた。
『我は人間へ近づける。っは。我が人間にはなれない? いや、我だってなれる。この女の匂いには惹かれるのだから……あぁ、懐かしい。あの女の匂いだ』
頭の中には人間になろうとするカシュの考えや、それと同時に一人の女性が頭をよぎっていく。
誰なのかは分からない。
とぎれとぎれで映像が頭の中に流れ込んでくるようであった。ただ、それはかなり薄れて、ノイズが混じっていた。
ただ、カシュの頭の中はその女性との思い出が溢れていた。
今のような異形ではなく、まだカシュは小さかった。
『カシュ』
何度も、何度も森の中で女性がカシュを呼ぶ。けれどその思い出は炎で包まれ、そして何も見えなくなった。
なんと悲しい生き物なのだろうか。
「お前は我の物だ」
『こいつがいれば、あいつの気持ちが分かるかもしれない……あいつは愛しい男が出来たと我から去った……あぁっぁぁぁぁ。懐かしい匂いだ。あぁぁぁぁ』
略奪ハーレム乙女ゲーム。
私は頭の中で、アップデート後の物語を想像してしまう。
カシュは、恐らく悪役令嬢が望むように男を手に入れるために物語で力を貸したのかもしれない。
愛しい女の匂いがするからと、悪役令嬢エレノアはそんなカシュの心を操る姿を私は想像してしまう。
闇と呼ばれ、人々に忌避される存在が、こんなに哀れな存在だと誰が知っているのだろうか。
それを知ることが出来たのは、悪役令嬢エレノアと私だけ。
心の声が、思い出が見えたから。
「……私は、貴方が求める人ではないわ」
「なんだと?」
『この女、何を言っている』
その時であった。突然図書室内に青白い魔法陣の光がいたるところで光り始め、そしてカシュの足元が光った。
アシェル殿下の心の声が私には響いて聞こえた。
『エレノア! 今行く! 僕を信じて!』
「なんだ!? くそが」
『こざかしい人間め! 突然どうして我の事がばれたのだ!』
図書館の壁や床全てに魔法陣が浮かび上がり、カシュはぐるるとうなり声をあげると声を荒げた。
「忌々しい! 我の邪魔をする気か!」
『あぁぁ。憎々しい。体がある代わりにこの城へ容易に侵入できたが、体があるからこそ力をうまく使えん!』
「もちろん。邪魔をするに決まっている! エレノアは僕の婚約者だ!」
突然の事で、私もカシュも目を丸くした。
空間に浮かびあがった魔法陣の中から木刀を振りかざしたアシェル殿下が現れると、カシュを殴りつけた。
皆様大掃除はしましたか?
うちは、まだ終わっておりませんね!
さてさて、年末が近づいてまいりました。
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