十二話
騎士達はその行方を追うために馬に跨り追っていく。
アシェル殿下は指示を出した後に私の方へと駆けてきた。
「エレノア大丈夫かい? あれ? ハリーは?」
『大丈夫? ハリーは……?』
「は、ハリー様は、吹き飛ばされてしまって」
「殿下……私ならば、ここに……」
『眼鏡……眼鏡……』
よろよろと植木に飛ばされたハリー様は眼鏡を頭の上へと乗せてこちらにふらふらと帰ってくる。
足取りはよたよたとしており、どうやら背中を打ったのか擦っている。
前から思っていたけれど、ハリー様はあまり戦闘となると戦力にはなりえない様子である。それなのに、私を守ろうと前へと出てくれたのだから、とても勇気のある人だ。
私の為に怪我をさせてしまったことが申し訳なくて、私はハリー様に歩み寄った。
「ハリー様、大丈夫ですか? すみません……私、何もできず……」
そう伝えると、ハリー様は眼鏡は頭の上だというのに、目元でくいっとしてみせてからうっすらと微笑みを浮かべた。
「大丈夫です。殿下の最愛の方をお守りしたかったのですが、守り切れず申し訳ありません」
『眼鏡……眼鏡』
「そんなことありません。守ってくださいました。ありがとうございます」
「眼鏡が見当たらないので、見えないのですが……ご無事な様子で安心しました」
『眼鏡……眼鏡』
私は頭の上に眼鏡を乗せながら心の中で眼鏡を探すハリー様に、緊張の糸が切れ、ふっと吹き出すように笑ってしまった。
それにアシェル殿下もつられて笑い、私達はしばらくの間、先ほどの恐怖を忘れて笑った。
「あの、笑っているところ申し訳ありませんが、僕の眼鏡ご存じありませんか?」
その言葉に、私とアシェル殿下はまた笑ってしまった。
◇◇◇
翼をはためかせ、かなりのスピードのまま空を飛び続ける。
竜の力を得たからだろう。細腕だというのにチェルシーはしっかりとカシュのことを掴んでおり、そして王城からかなり離れた場所まで来たチェルシーは、小高い丘の上へとカシュをゆっくりと下ろした。
カシュは口から涎を垂らし、そしてぐぇぐぇと嗚咽をこぼしながら体を起こした。
「なんだあれは……」
「人間の国も対策を講じてきたようですね」
「くそぉ……はぁ、まずは肉体だ。肉体さえあれば、あのような光跳ね返せるものを」
チェルシーはそういうカシュの背中を優しく撫でながら、ちらりと自分の腕へと視線を移した。
そこには黒い薔薇の痣が浮かび上がり、チェルシーはにっこりと笑みを深めた。
「そうですねぇ、全てが、始まったばかりですから……」
その時、カシュが鼻を鳴らした。
「なんだ……? この香りは……」
カシュの言葉にチェルシーは笑みを深めるとその姿を抱きしめた。
「お前だ。お前から、良い香りがする。そうだ、これだ。求めていた香りは……はぁ。いい香りだ。お前だったのか……」
「まぁ、私から良い香りが?」
「あぁ。嗅いでいるだけで心が晴れる。はぁ。初めての感覚だ」
そう言ってカシュは大きな瞳を閉じると眠りに落ちた。
チェルシーはその体を優しく撫でながらにやりと笑みを浮かべた。
「よかった。ちゃーんと、奪えたみたい。これでしばらくは大丈夫ね」
楽し気にチェルシーは笑うと、背筋をぐっと伸ばして大きく息を吐いた。
「さぁ、ここから頑張らないといけないわねぇ~。まずはストーリー通りに、ノア様の体をもらいに行かないといけないわね」
うふふっと笑い声を漏らしたチェルシー様は楽しそうに空を見上げた。
憎らしくなるほどの青天を見上げたチェルシーはその眩しさから、目を反らすようにカシュの隣に身を丸くした。
◇◇◇
王城内部に前回の反省を生かし、他の国々からの攻撃があった時に備えて王城の各塔に魔術を配備したと、後にアシェル殿下から話を聞いた。
詳しくは教えられないけれどと前置きされてから、こちらに攻撃をしかけてくる意思をもった者の不法な侵入を防ぐための装置ということであった。
私は魔術というものに詳しくはなかったけれど、魔術と錬金術は他国と渡り合っていく上で人間にとっては必要なものであると書籍に書かれていたことは知っている。
私達はハリー様の眼鏡事件で大笑いした後、場所を移動した。
アシェル殿下とハリー様は今回の事を重要事項ととらえ国王陛下と話をするために私とは分かれた。
私は部屋の中で待機するように伝えられ、待っていると、外から呼ばれた気がして窓を開けテラスへと出た。
風が冷たい。
風になびく髪を耳にかけ、顔をあげると、テラスの淵にエル様が座ってこちらを見つめていた。
「エル様」
「あれが来たか」
『無事でよかった……それにしても、おかしい。何故あれはエレノアに気付かなかった?』
その言葉に、私はどういう意味だろうかとエル様に歩み寄ると、エル様がスンと小さく鼻を鳴らした。
なんだろうかと思っていると、エル様が私の髪の毛に触れ、そして一房取るとそれに鼻を近づけた。
「えっと、あの、何か匂いますか?」
臭いのだろうかと思わずすぐにお風呂を準備してもらった方がいいだろうかと考えていると、エル様は驚いたように顔をあげた。
「違う。匂いがしない。どうしてだ」
『おかしい。あれほどの香りがどうして?』
一体何のことだろうかと思っていると、部屋がノックされて、そこへアシェル殿下が現れた。
そして、私とエル様を見た瞬間にすごい足の速さでこちらまで歩いてきた。
「精霊様。エレノアの所にどうして来られたのですか?」
『エレノア。近いよー。いや、うん。精霊様だから、さ、分かるけど……やっぱりこう、ちょっと近すぎる、と、思う』
その言葉に私は小首をかしげながらも、確かに距離が近かったかと一歩離れると、アシェル殿下に手を引かれ、腕の中へと抱き込まれた。
エル様はその様子など気にしていない様子で首をかしげると、鼻をまたスンスンとならして、私の手を取った。
「ここ、どうした」
『これは?』
そこにはチェルシー様につけられた黒い薔薇の痣があった場所であった。
エル様は私の手を取ってじっとそれを見つめると、顔をあげた。
「ここ、何かあっただろう」
その言葉に私はちらりとアシェル殿下を見上げてから頷いた。
「はい。実はチェルシー様に、よくわからないのですが薔薇の痣のようなものをつけられたのです。ですが、先ほどチェルシー様に腕を握られたかと思うと、痣がチェルシー様へと移ったのです」
エル様は眉間にしわを寄せた後に首をひねる。
「どういうことだ。あの臭い女の意図は分かりかねるが、一時的にだろうがエレノアから香っていた良い匂いが消えている」
『薔薇の痣、恐らく魔術か何かだろう。それによってエレノアの香りが抜き取られている』
その言葉に私は驚き、手首をもう一度見た。
「匂いを、奪われたという事ですか?」
エル様は頷きながらも、納得がいかないような表情を浮かべる。
アシェル殿下も口を開いた。
「あの、エレノアに何か害があるわけでは、ありませんよね?」
『大丈夫だよね? 何も、悪いこと、ないよね?』
不安な様子のアシェル殿下に、エル様は頷き返した。
「あぁ。匂いが消えただけだからな。少しすれば元に戻るだろう」
『理由は分からんが、あれに狙われる可能性もあるからな。ない方が今は良い』
私はその言葉に、チェルシー様は分かっていて私から匂いを抜き取ったのだろうかと考える。
「とにかくエレノア。あれに気をつけよ。アシェル王子。エレノアを頼んだぞ」
『しっかりと守れ』
「はい。もちろんです」
『王城内は対策をしてある。絶対にエレノアは守って見せる』
私はアシェル殿下は次の一手まで考えていてすごいなと思いつつ、自分もまけないようにしなければと気合を入れる。
エル様はそんな私とアシェル殿下を見て、優しく微笑んだ。
「エレノアの唯一は、嫉妬深いな。まぁ、それくらいの方がいい。ではな」
『精霊にも嫉妬するとは。ふふふ。エレノアも愛されているな』
私はその言葉に顔が熱くなる。
エル様はその後手をひらひらと振りながら姿を消した。
「エレノア?」
『どうしたの? 顔、真っ赤だよ?』
「な、何でもありません」
嫉妬されることが嬉しいと思っているなんて、そんなこと私は、言えなかった。
私とアシェル殿下は部屋へと戻り、侍女にお茶を入れてもらいソファへと腰掛けた。
扉の外に侍女と執事が立ち扉だけ少し開けて私達は二人きりとなった。
「アシェル殿下、その、どうされたのですか? 国王陛下と話をしに行かれたのでは?」
私がそう尋ねると、アシェル殿下は頷いた後、扉の外に控えていたハリー様を呼び、机の上に資料を並べていく。
『ぼん、きゅ、ぼん。機密事項』
一体なんだろうかと資料へと目を移すと、そこにはこれまで王城が取り組んできた他国との対応策や、これから行う妖精への対抗策などそうしたことがまとめられていた。
私はそれを見て、サラン王国はこうやって何度も試行錯誤を繰り返しながら国を栄えさせてきたのだろうなと、人の努力に感銘を受けた。
そして自分もまたこれからその一端を担うのだと思うと気が引き締まる思いがした。
「国王陛下と少し話をした後、エレノアの話も聞きたいとのことだった。だから呼びに来たのだけれど、先にチェルシー嬢につけられた薔薇の痣について確認させて。あと、現在の状況についてもエレノアにも知っておいてもらおうと思ってさ」
たしかに国王陛下と面会をするのであれば、しっかりと情報は頭の中に入れておいた方がいいであろう。
「本当は、エレノアには黙っておきたいこともあったんだ。でも、チェルシー嬢とあの闇の存在が明らかになった今、ちゃんと対策をとらなければならない」
その言葉に、アシェル殿下は優しいなと思う。けれど、いずれ自分もアシェル殿下と並んで王族となるのだ。その覚悟を私は決めている。
「大丈夫です。私はアシェル殿下の妻になるのですから、その荷を一緒に背負わせてください」
そう伝えると、アシェル殿下は一瞬驚いたような顔を浮かべた後に、頷いた。
「……ありがとう」
『……エレノアは、王族の責務を嫌がることなく、一緒に背負ってくれるんだね。ありがとう。それが、どれほど嬉しいことか、エレノアには伝わるかなぁ……』
その後、私はアシェル殿下から資料にそって、闇を信仰する教団についてや、現在チェルシー様、闇の追尾を極秘裏に行っていることなどの話を聞いていった。
私は先ほどエル様に言われた言葉を伝え、痣についての話になると、魔術師様を交えてそれについては話をしようとアシェル殿下に提案されたのであった。
ちゃんと読んでくれる人がいるのか、たまに不安になるのです。でもね、おそらく一人はいるだろうって信じられるから、今読んでくれている貴方様に感謝しているのですよ(●´ω`●)