二話
おはようございます! 今日も一日、ぼちぼち行きましょう。
それからの一週間、私は事あるごとにお母様から呼び出された。お父様はそれを当り前だと思っているんだろう。
口を出すことはない。
繰り返される躾に、一週間しかないからこれほどまでに執拗にしてくるのだろうなと頭ではわかっていても、痛みから早く王城へと帰りたいと思わずにはいられなかった。
そして、やっと一週間が経ち、帰る日がきて、私はほっと胸をなでおろした。
笑顔で、まるで良い両親のように見送るその姿に、人間の醜さを感じた。
ローンチェスト家にいると、自分が本当に小さな人間で、なんの力もないことを教えられる。
帰り際、私の見送りに両親は現れた。これも言ってみればパフォーマンスだ。良き父と母を演じるこの人達の。
使用人達にまで見えを張るように演じ続けているのだから、大したものである。
「エレノア。寂しくなるわ」
『さっさと行きなさいよ。はぁぁ。もっと鞭うってやればよかったかしら? それにしてもアシェル殿下もこんな娘を選ぶんだから結局、見た目重視ってことよね』
「気を付けて行きなさい。ローンチェスト家の娘だということを、忘れるんじゃないぞ」
『アシェル殿下は王城で首を長くして待っているだろうなぁ。はは。男は美人には弱い。男の性だなぁ』
私は一礼して馬車に乗りこもうと思っていた。
けれど、足を止めて、考える。
私はいつまでこの両親の、良い娘でいなければならないのだろうか。
たしかにこれまで養ってもらって生きてきた。けれど、愛を向けられたことも、助けてもらったこともない。
心の中でいつも私に対して嫌悪感を顕わにしてきた両親である。
そんな人たちを、ましてやアシェル殿下すら侮っているこの人達に私はこれまで同様に従って生きていかなければならないのだろうか。
その時、アシェル殿下の笑顔が頭の中をよぎった。
私は振り返ると、両親に真っすぐと見つめた。
華やかな貴族社会を公爵家という地位にいるが故にちやほやされながら生きてきた両親。
仕事は出来るが女にだらしないお父様。
女主人としての仕事はするが男にだらしないお母様。
お似合いの二人である。
けれど私は、この二人にお似合いの娘にはなりたくなかった。
良き父と母を演じていても、その綻びは必ず見えて私に辛らつに言葉を浴びせることもあった。
躾という名の鞭打ちだって、お母様とお父様の気分はらしだと気づいている。
そして、見え透いた嘘など、使用人達ですら気づいている。
私はアシェル殿下に出会って、もっと強くならなければならないと思った。
だからこそ、私は両親に向かって真っすぐに視線を向けて言った。
「お父様、お母様、私はもう幼い娘ではございません。お父様とお母様の見え透いた嘘も見抜けないバカな子どもだとは思わないでくださいませ」
初めての反抗である。今まで両親の機嫌を伺って生きてきた。けれど、そんな弱い自分のままでは駄目なのである。
両親が驚いた顔をした後、心の中が怒りで染まり、罵詈雑言を言い始める。
『なななな、なんですって! 誰が育ててあげたと思っているのかしら! 生意気を言って! バカな娘! 貴方なんて公爵令嬢でなければ殿下に目など向けてもらえないくせに!』
『なんだと!? 母はともかく父にまでそのようなことを! ふざけおって、躾が足りんかったか!』
私はゆっくりと呼吸をし、そして逃げることなくはっきりと言った。
「お父様、そういえば一番目の人、ご懐妊したそうですね。これからどうされるつもりか、しっかりとなさってくださいませ」
『な!? 何故お前が妾の妊娠を知っている!?』
お父様がぎょっとしたように目を丸くし、お母様がその言葉に首をかしげる。
私は続けてお母様にも言った。
「お母様、そういえばあの方は離れに移動されたのですね。よかったですわ。毎晩私の部屋の前で変な声をかけてくるものですから、気味が悪かったのです」
『あの方? え? もしかして、離れに住まわせている私の愛しい恋人のこと?! はぁぁぁ? あの男、エレノアに手を出すつもりだったわけぇえっぇ!?』
お父様もお母様も口元がわなわなと震えている。
私は笑顔で言った。
「侮らないでくださいませ。お父様の秘密も、お母様の秘密も、私、たくさん知っていますの。ですから、今後アシェル殿下を侮るような考え、お捨てになってくださいませね? そうしないと私、どこかで口を滑らせてしまいそうです」
「お、お前、どういうことだ!? 何を知っていると言うんだ!?」
『意味が分からん! 何故バレた!?』
「あ、あら、秘密だなんて。お母様に秘密なんてありませんよ?」
『は、はったりよ。でも……どうして私の恋人のことをしっているの!?』
私は美しく見えるように、堂々と微笑みを浮かべた。
それに、両親が一歩たじろぐのを感じる。
「お父様、お母様、これからも公爵家の主として相応しい行動をお願いいたしますね」
そう言って、私は馬車の中へと乗り込んだ。
馬車が動き出して、私はばくばくと煩くなる心臓をぐっと手で押さえた。
「はぁっ。言っちゃったわ……」
これまでずっとため込んできたことが、アシェル殿下を侮られたことが悔しくて、爆発してしまった。
感情的になってしまった自分を反省しながらも、両親の言いなりになることはやめようと改めて決別することを決めた。
私は、これまでずっとどこかで両親の事に従わないといけないと思っていた。それは、反抗すれば躾という名目で押さえつけられたり、貴族の令嬢はこういう教育が当たり前なのだと言われたりしてきたからだ。
けれど、私はこのままではいけないと気づいた。
押さえつけられて、言いなりになっているままでは、私はアシェル殿下の横に立つに相応しくいられない気がした。
今は公爵令嬢だからアシェル殿下の横に立てる。けれど、それをいつか、エレノアだからアシェル殿下の横にいられると、思ってもらえるようにしたい。
私という個人を認めてもらいたい。
誰にというわけではないけれど、私自身がそう感じたから、私は、これから自分を変えていこうと思った。
遠くなっていく実家を窓から見つめ、私はずきずきと痛む足を手で擦った。
早く王城に帰りたい。
足は痛むけれど、気持ち的には晴れやかであった。
揺れる馬車の中、私はアシェル殿下に会ったら何を話そうか考えていた。
実家で両親と過ごした時間は苦痛でしかなかったけれど、それをアシェル殿下に伝えるわけにはいかないから、少しでも実家で良かった点を、アシェル殿下には伝えよう。
お菓子と紅茶だけは美味しかったな、それを伝えようかと思った時、馬車が王城へと着き、ゆっくりと止まった。
頭の中で、この後一度部屋に帰ったらアシェル殿下の予定を聞いて会いに行こうと思った。
そう考えていたので、アシェル殿下が馬車の扉を開けた先にいて、私は驚いた。
「エレノア。お帰りなさい」
『ふふふ。やったね! エレノアのお迎えに来れた! 頑張って仕事も終わらせてるから大丈夫だよ!』
扉を開けた先にいるアシェル殿下が、まぶしく見えた。
実家とは違い、居心地の良い空気が自分を手招いてくれているような感覚がある。
「アシェル殿下! 迎えに来てくれたのですか?」。
「エレノアに会いたくて来てしまいました」
『いや、ちゃんと仕事はすませてきたよ? でも、一週間ぶりだから、早く会いたくてさ』
その言葉に、私は、あぁ、私の居場所はやっぱりここがいいなぁと思った。
まるで沼にはまっているかのようなどろどろとした環境にいたせいで、アシェル殿下との時間がより一層尊く感じる。
「エレノア。風が冷たくなってきましたし、中に入ってから話しましょう」
アシェル殿下がさっと手を出しエスコートをしてくれる。
私はアシェル殿下の手を取って歩き出そうとしたのだけれど、馬車から下りる時、足が痛み、少しだけ顔を歪めてしまった。
『え? ……エレノア? もしかして、足、怪我した?』
鋭いアシェル殿下の気づきに、私は気づかれるわけにはいかないと、平気なふりをして言った。
「すみません。同じ姿勢だったので、少ししびれてしまったようです。では、参りましょうか」
笑顔を携えてそう伝えたのだけれど、私は次の瞬間、アシェル殿下に横に抱きかかえられていた。
「へ?」
「エレノア。行きましょうか」
『隠しても無駄だよぉ。むぅ。僕にはわかるんだからね! もう! 一体何があったのかちゃんと話してもらうからね!』
ちょっと怒っているような声だったけれど、それでも私の事を心配してくれていると言うのが伝わってきて、私は、目頭が熱くなるのを感じた。
あぁ。だめだなぁ。
アシェル殿下と出会ってから、私は弱くなった気がする。
「エレノア?」
『え? もしかしてすごく痛い!? えぇぇぇ!? 大丈夫!?』
優しいなぁと、そう思う。
これまで誰にも気づいてもらうことのなかった私の事を、アシェル殿下はすぐに気が付いてくれる。
「大丈夫です。あの、自分で歩けます」
「エレノア。今は私のいうことを聞いてください」
『なんていう顔しているのさ……もう。エレノア。自分の事に無頓着すぎるよ!』
これまで、私の事に気が付いてくれる人なんていなかった。
悲しかった時も。
辛かった時も。
ただ一人で息を殺して部屋の中で泣くしか出来なかった。
人前では、人形のように過ごすことしか出来なかった。
「……私、アシェル殿下の婚約者になれて、本当に幸せです……」
もし私が、ローンチェスト家の公爵令嬢でなければアシェル殿下の横には立てなかった。
それはつまり、私がアシェル殿下の横に立てるのは、公爵令嬢だからという理由。
先ほどのお母様の言葉が頭をよぎり、私は胸がずんと重たくなるのを感じた。
『自分の立場をわきまえなさい。貴方は、我が家の娘だから婚約者になれたのです。それを忘れてはいけないわ』
分かっている。
私は運が良かったのだ。
悪役だけれど公爵令嬢に生まれたことで、私はアシェル殿下の横に立つ資格を得たのだから。
公爵令嬢でなければ、アシェル殿下の横に立つことは叶わなかった。それをいつか、エレノアだからアシェル殿下の横に立つに相応しいと思ってもらえるように、頑張らなければならない。
私は、アシェル殿下の胸に頭をこてんともたげた。
温かな心臓の音が聞こえて、落ち着く。
『エレノアぁぁ? 可愛い。え? 何? 甘えてくれるの? かーわーいーいー!』
可愛いのはアシェル殿下の方です。
私はこの可愛らしい人が本当に好きだなぁと、そう思った。
冬になるとレモンティー飲みたくなります。アップルティーも好きです('ω')