五十九話 妖精のキスは特別
鋼と鋭い爪がぶつかり合う音が響いて聞こえた。
アシェル殿下は目の前に突然現れた仄暗い瞳を宿した獣人の長い爪を剣で受け止め、それを押し返す。
気が付けば騎士達は獣人と応戦しており、会場内に血の匂いが広がり始めていた。
「エレノア!」
強い風が吹き、私の体は宙に浮き、そして次の瞬間チェルシー様の方へと引き寄せられる。体が何かに引っ張られているようで、私は恐怖心から声すらあげられなかった。
怖い。
怖さから悲鳴も出せずに身をこわばらせていると、眼前にチェルシー様の息が感じられてゆっくりと目を開いた。
濁った目がそこにはあった。
闇に呑まれたようなその瞳に私が怯んだ時、チェルシー様が笑った。
「あははっ。悪役令嬢のくせに、何その顔」
「チェ、チェルシー様?」
「本当は、闇に呑まれるのは貴方のはずなのに、なんでかなぁー? 何で、ヒロインのわた、わた、わたしがぁぉぁぁぁぁぁ」
首を絞められ、息がつまる。
チェルシー様の爪が首に食い込んで、ギリギリと音を立てているように感じた。
「エレノア!!」
アシェル殿下の声が聞こえた。
けれど、その声に私は返事など出来ずに、このまま死ぬのだろうかと思った時だった。
『妖精のキスは特別よ』
そんな声を思い出した。そして、その瞬間、以前妖精ユグドラシルにキスされた額が熱くなった。
目の前に光が溢れ、扉が現れた。
「え?」
「きやぁぁぁぉぁぉぉ!!!」
チェルシー様の悲鳴が響き、私はその手から解放された。
そして、扉が開くとそこから妖精の戦士が現れるとユグドラシルが先陣をきり、チェルシーから溢れでる闇を切り裂いた。
「妖精のキスは特別だっていったでしょ?」
『ふふっ!驚いているわね!!』
ユグドラシルのいたずらげな笑顔に、私が呆然としていると、いつの間にかアシェル殿下が私の近くへと来ており、私を受け止めると、担ぎ上げた。
「アシェル殿下!?」
「片腕でごめんね! でも、緊急事態だから、大人しく担がれていて!!! もう君が拐われるなんて二度とごめんだから!」
アシェル殿下も所々に傷をおっており、本来ならば自身の安全を優先すべきだ。
なのに、私を助けに操られる獣人達を薙ぎ倒してきてくれた。
どこからか獣人を操る笛の音色が響き渡る。
ユグドラシルが声をあげた。
「獣人の笛だなんてそんなものがまだあったなんてねぇ!」
『助けに来たはいいけど、獣人はやっかいだわ!』
私の耳に、あの男の心の声が響いて聞こえた。
『ははっ! まさか妖精まで現れるとは! 捕まえて売れば富を築けるが、今はエレノアが優先だ! さぁ、獣人達よ! 死ぬまで戦え!』
春ですね。春なんですよ。でもね、もうクーラーをつけたい(●´ω`●)