三話 信じてしまいそうです
アシェル殿下。可愛い子です。
男性を自分が可愛いと思える瞬間が、私に訪れるとは思っても見なかった。
私は胸の高鳴りに驚きながらも、ちらちらとアシェル殿下へと視線を向けた。
私たちは、はたから見れば完璧にダンスを踊り、優雅に微笑みを交わしているように見えたであろう。
けれど私は笑いを堪えるのに必死で、アシェル殿下は顔に張り付けた微笑とは裏腹に、嵐のように感情が揺れ動いていた。
『むぅ。力の加減が難しい。しっかり支えたいけど、腰とか手とか細すぎて折れそうで……むぅ。折れないか?』
『どうやってこれから仲良くなっていこうかなぁー。仲良くなれるといいなぁ』
『ダンス上手いなぁ。完璧っていう噂は本当なのかな? まぁ、これから仲良くなれば分かるかー』
『それにしても、今日は本当に緊張するなぁ。皆当たり前だけど見てるしさー。あー。面倒なこともたくさんあるし、王子も楽じゃないよねー』
ダンスを踊っている最中に何を考えているのだろうかと笑いを堪えながらも、私はアシェル殿下と一緒にいることがとても心地良く感じていた。
こんな感情になれる相手と出会えたのは、初めてである。
ファーストダンスが終わると、たくさんの拍手が向けられる。
皆顔に笑顔を張り付けて、心の中では様々な感情が飛び交っている。
『ぼん、きゅ、ぼーん』
『やはり、殿下の婚約者はエレノア嬢で決まりか』
『殿下、素敵。あぁぁ、エレノア様がうらやましいわ。でも私だって負けないわ!』
私たちは優雅に一礼し、そしてアシェル殿下は他の令嬢達と今度は踊り始めた。
そんなアシェル殿下は、どの令嬢と踊る時にも心の中はさまざまなことを考えており、面白い人なのだとくすりと笑ってしまった。
そして、一通り令嬢と踊り終わったアシェル殿下から、私は中庭へと散策に出かけないかと誘われ、今、月を眺めながら王城内にある夜の庭園を散歩している。
夜の風は少し冷たいけれど、心地良く感じた。
アシェル殿下は、物語に出てくる王子様のように私をしっかりとエスコートしてくれる。
微笑を携え、手を取り歩く。それは、乙女ならば誰もが夢見るようなシーンである。
私は自分がこんなにも穏やかな気持ちで男性と一緒に歩ける日がくるなどとは思ってもみなかった。
アシェル殿下の声は、澄んだ泉のようだなと思う。
『月が綺麗だなぁ。あぁこんな夜はさ、鼻歌でも歌いたくなるよね』
『ふふんふーんふふふふーんふふん』
アシェル殿下は心の中で鼻歌を歌っており、私はそれを聞きながら道を歩く。
とても可愛らしい鼻歌だった。
はっきり言って、こんなことを王子様が考えているなんて誰が思うだろう。私自身、仕事は出来る方だと聞いていたから、驚きの連続である。
『あ、いい曲思いついた。これは名曲では?! ふふ。エレノア嬢と一緒だからかなぁ。今日は楽しい』
夜風が火照った頬にあたり、私は胸がどきどきとした。
「エレノア嬢。寒くはありませんか?」
『大丈夫かな? 僕は大丈夫だけれど。ガゼボまで行けば、肩掛けも用意しているんだけれど』
不意にそう尋ねられ、私は顔を上げると首を横に振った。
「いいえ。大丈夫です」
「そうですか」
『良かった。でもガゼボに着いたら、温かな飲み物にしたほうがよさそうだな。頬が赤いけど、風邪じゃないよね? え? 大丈夫かなぁ。心配だなぁ』
「少し、緊張しているだけなので、ご心配なさらず」
私が慌ててそう言うと、殿下はくすりと笑った。
「ふふ。私も少し緊張しています」
『かっわいぃ。え? 緊張しているの? 僕と一緒なの? わぁぁぁ。可愛いー!』
心の中で、可愛いのは殿下の方です!と私は叫び声を上げた。
二人でガゼボに用意されたソファへと腰掛ける。恐らく、元々ここに来る予定でアシェル殿下が準備を手配してくれていたのであろう。
さりげなく肩掛けも手渡され、私はそれを掛ける。
侍女達は現れるとさっと温かな紅茶を準備し、下がっていった。
「今日は素敵な夜ですね」
『あぁ、緊張してきた。しまった、何を話せばいいんだったかなぁ。うーん。エレノア嬢が楽しめるように頑張らなきゃなー』
私は微笑を浮かべて答える。
「月が綺麗ですね。こうして一緒に庭を散歩できるなんて、光栄なことです」
「そう言ってもらえてうれしいですよ。こちらこそ、光栄ですしね」
『優しいなぁ。うん。エレノア嬢は噂とは違って、結構笑う方なんだな。散歩している間も微笑んでいたし。噂では全然笑わないって聞いていたのに、よかったぁ。笑ってくれて』
私はその一言を聞いて、自分の頬へと手を伸ばす。
笑っていただろうかと思い、気を付けようかと思ったが、視線を感じて顔を上げると、アシェル殿下はこちらに微笑を向けていた。
「エレノア嬢とこうやって過ごせて、良かったです」
心の声が聞こえなかった。
私は自分の心臓が跳ねる音を、代わりに、聞いたのだった。
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