26話
木の上で、それを見つめていたエルは、膝の上に乗るユグドラシルの頭を小突く。
「今回は、あまりに危険なことをしたな。全てが上手くいったから良かったものの」
するとユグドラシルはエルの膝の上にごろんと横になると呟く。
「はぁ。だってしょうがないじゃない。エレノアちゃん、ずーっとノアのこと……自分のせいじゃないのに、気にしててさ……それにノアだって。だから、あぁするしかなかったのー」
ゴロゴロと膝の上を転がるユグドラシル。
エルは小さくため息をつく。
「頑張ったな」
「えぇ。すごーくね。世界を相手にして時間を超えるのは本当に大変。もう二度としないわ。まぁ、出来ないけれど」
ぴょんと飛び起きると、笑顔で皆に手を振り、幸せそうにするエレノアとアシェルを見つめる。
「ふふふん。幸せになって嬉しい。私、エレノアちゃんだーいすき」
嬉しそうな姿に、エルも微笑む。
神殿の外には、会場に入れなかった貴族の面々が集まっており、外に出てきたエレノアとアシェルに祝福の拍手を送る。
その時、空に大きな影が映り、エルとユグドラシルはそれを見上げた。
「演出がすごいわねぇ」
「今現在、唯一の竜の国の生き残りだ。そりゃあ、そうだろう。盛大に見せびらかせておかなければならないとアシェルが言っていたぞ」
「人間て、面倒くさいわね」
竜の姿に会場の皆からまた拍手が起こる。そして、竜は地面へと降りたつとエレノアとアシェルの目の前にノアと共に跪く。
二人は竜に乗ると、サラン王国の空へと飛び立つ。
国民には、サラン王国が竜を保護し、その竜がアシェル殿下へと忠誠を誓ったことが伝えらた。
青い空に、アシェルとエレノアを乗せた竜とノアが飛び立つ。
人々はそれを拍手で見送り、ユグドラシルとエルも空へと向かって飛ぶ。
「エレノア! アシェル! 空はどう?」
「エレノア。大丈夫か?」
アシェルは瞳を輝かせて声をあげた。
「わぁぁぁ。空って気持ちい!」
すると、エレノアも笑った。
「本当ですね! でも、すごい風!」
楽しそうなそんな二人の様子にユグドラシルもエルも笑う。
二人とも普通の人間のような顔をしているけれど、全然普通ではない。
きっとこの先も、この二人は幸せに暮らすだろう。
ユグドラシルもエルもそう願い、そして世界が二人の結婚を祝福するように輝いてた。
エレノアは輝くような笑顔で言った。
「私、すごく幸せです」
太陽がきらめき、エレノアとアシェルは大空を竜で駆けた。
仲の良い夫婦となったエレノアとアシェルのこの結婚式は、歴史に刻まれていく。
妖精と精霊の祝福を受け、そしてサラン王国に竜の守護神を齎した。
文字にし、歴史的に見れば大層なことのように思えるだろう。
けれど、そんな二人の人生は普通の人と同じように流れていくのだ。
朝起きて、挨拶をし、食事をして、仕事をし、そして愛おしい存在と時を共にする。
流れていく時間は皆平等で、そして、今を生きる自分達の人生と何ら変わりない。
悪役令嬢は幻と消え、エレノアはエレノアとしての人生を歩む。
ただ一点、普通と違うとするのならば、彼女が可愛らしい子犬殿下にその後の人生も翻弄されていったことにあるだろう。
彼女の心のはアシェルと共にあり、そしてその後の人生も彼と共に歩むことで、穏やかで幸せでそれでいてたまに騒動が起こる。
「アシェル殿下。大好きです」
「僕も。大好きだよ。エレノア」
二人の人生に幸あらんことを。
◇◇◇
甘い香りが広がっていく。
どこか懐かしい、何かを思い出せそうで思い出せない、そんなまどろみの中から、アニスとルイスは目覚めると周囲を見回した。
「あれ……」
「ここは? あ、そっか。お昼寝してたんだ」
「大変。またお母様とお父様に怒られちゃう。この前、私達の知らない間に時間がたくさん流れてて……あれから二人すごく過保護なのよね」
「たしかに。でも、何があったのか全然思い出せないんだよなぁ」
美しい妖精の庭の花畑で昼寝をしていた二人は、また怒られると慌てて起き上がった。
パサリっと、何かが落ちる音が響いて聞こえてそちらへと視線を向けると、ユグドラシルがほっとした様子で、落ちた大きな花を見つめていた。
甘い香りが一瞬で消え、どんな香りだったのかも、もう思い出せない。
するとユグドラシルは二人の元へと飛んでくると、優しく頭をポンポンと撫でた。
「この前はありがとうね。貴方達のおかげで、うまくいったわ」
『最後の確認で見てみたけれど、過去も大丈夫そうね。上手く行って良かったわ』
一体何のことだろうかと二人は首を傾げる。
思い出せそうで思い出せない何かが、記憶のどこかにあるのだ。
「何かあった?」
「いや、覚えていないよ」
「ユグドラシル様、何があったのか教えてよ」
「一体僕達、何をしたの?」
じとっとした瞳で二人はユグドラシルを見るが、空中でユグドラシルはくるりと回ってくすくすと笑い声をあげる。
「なーんにもしてないわぁ」
『覚えていないんだから、同じでしょう~』
絶対に何かあった、そう二人は確信してユグドラシルを追いかけた。
走り出した二人は、そう言いながらも問い詰めるつもりはない。
心の中が、どこかすっとすっきりとしているのだ。
何故だかは分からないけれど、二人の心は、澄み渡った春の空と同じように、澄んで広がっていた。
だから、問いたださなくてもこれが正解だったと分かる。
だからこそ、二人は笑ってただ、ユグドラシルを追いかけたのであった。
これで、アシェルとエレノアのお話は終わりとなります。
最後までお付き合いいただきました、読者の皆様、本当にありがとうございました。
コミカライズの方はまだまだ続いていきますので、ぜひこれからはコミカライズの二人も見守っていただけたらと思います。
ありがとうございました。
かのん