3話
扉を開け隣の部屋へと移動すると、アシェル殿下が立ちあがりこちらに向かってきた。
「エレノア、おはよう」
「はい。アシェル殿下。おはようございます」
アシェル殿下の後ろにはいつものようにハリー様がおり、心の中で呟く。
『ぼん、きゅ、ぼーん』
最近、言い方が控えめになった。
やはり私の名前の呼び方を変えるのは難しいようで、もういいですと、好きに読んでくださいと断りを入れた。
ほっとした様子で、どれだけ呼び方が固定されていたのだろうかと多少は思う。
だけれど、何となくその呼ばれ方にも愛着も沸いているので、不思議なものだ。
私の中ではハリー様だから仕方ない、そこに落ち着いた感じだ。
今日はアシェル殿下の公務が終わったらと事前に連絡を受けていたので、私もそれに日程を合わせて調整して待ち合わせしていた。
ちらりと視線を机の上に向ければ、そこには大量の資料が乗っている。
これは、気合を入れなければいけないだろう。
「エレノア、今日は頑張ろう……ふわぁ。大変だね」
『あー……見て見ぬふりをしたいよね』
心の中の声に、私も内心ではうなずきたくなるが、それをぐっと堪える。
「頑張りましょう。でも……すごい……量ですね」
「うん。ハリーが頑張ってまとめてくれたって分かってはいても……量の多さにげんなりしちゃうよ……はぁ」
ため息をこぼすアシェル殿下の横で、ハリー様がにこやかに言った。
「エレノア様、おはようございます。出来る限り分かりやすくまとめたりますのでご覧ください」
『ぼん、きゅ、ぼーーん』
私はうなずきながら、アシェル殿下と共に資料に軽く目を通していく。
これはまとめるだけでも大変だっただろう。ハリー様がいてくれるおかげで、私達は仕事が本当にしやすい。
「ハリー様。いつもありがとうございます」
そう告げると、ハリー様は眼鏡をカチャっとあげてどこか得意げに微笑む。
「いえ、私の仕事ですので」
『ぼん、きゅ、ぼ~ん』
嬉しい時に心の中の声が少し弾むハリー様。
未だにハリー様の心の声には謎が多いけれど、頭の回転が速すぎるからこそ色々と大変なこともあるのだろう。
そんなことおくびにも出さないハリー様もすごい人なのだと思う。
「エレノア。ハリーを甘やかしたらだめだよ。すぐ大量の仕事押し付けてくるんだから」
『いい? ハリーはね、仕事の鬼なんだよ。いつも僕、大変なんだよ。人が苦しそうな顔で仕事をすればするほど恍惚とした笑顔浮かべるやつなんだよ』
心の声をうまく活用してくるアシェル殿下。
そしてそれに勘の鋭いハリー様は気づいているのか、恍惚とした笑みを浮かべると言った。
「殿下、やるべきことというのは、誰かがやらなければ、終わらないのです。一緒に頑張りましょう。さぁ、片づけていきましょう」
『子犬殿下……ファイト!』
その心の声に私は吹き出しそうになるのを堪え、そしてちらりと二人を見る。
仲が良いのだ。
なんだかんだと言いながら、アシェル殿下とハリー様はお互いに居なくてはならない存在。
そんな二人のやり取りがとても見ていて微笑ましかった。
いつまでも二人のやり取りを眺めていたい気持ちはあったけれど、結局やらなければ終わらない。
だけれど私は、喜んでこの大量の一大行事を行う気持ちがある。
大量の資料の一文を読み、私は顔がにやけそうになった。
【結婚式に向けての、進行と今後のスケジュール】
そう。机の上に積み上げられた資料は全て、私とアシェル殿下との結婚式の準備に関するものなのだ。
これまでも少しずつ結婚式の準備は進めてはいた。
だけれどいよいよ本格的に動き出す時が来たのである。
「ふふふ。楽しみです」
「楽しみだね。僕も、エレノアとの結婚式楽しみだな」
私達は笑い合い、一瞬和やかな雰囲気が流れる。
すると、それを打ち消すように、ハリー様が眼鏡をカチャカチャと鳴らした。
「楽しみですが、楽しみにするために、やらなければならないことを終わらせましょう」
『為せば成る。成さねば成らぬ。何事も!』
ハリー様の心の声も、進化している。
キラリとハリー様の瞳が輝き、私達はハリー様の監視下の元資料を頭の中に叩き込んでいったのであった。
結婚式は私の人生にとって一大イベントなのだけれど、私達の結婚式というものは個人だけのものではない。
国内ばかりでなく他国にまでその知らせは轟くものであり、私達がある意味、いろんな方から値踏みされる場でもある。
今回が私達にとっての初めての共同作業である。
たくさんの人を動かすものであるから入念に計画が立てられていく。
全体像をまずは把握した後に、そこから細かな部分をどんどんと詰めていく。
それと同時に衣装についてや、挨拶回りなど、多岐に渡ってやることはある。
いざ始まってみると、終わりが全く見えない。
大変であり、これもある、これもあると数えれば頭が痛くなってくるけれど、それでも頑張れるのはアシェル殿下との結婚式が本当に楽しみだからである。
ちらりと隣にいるアシェル殿下へと視線を向ければ、優しい笑み返してくれる。
それがなんとも心地よくて気が抜けると、すぐさまハリー様に咳払いされて気合を入れなおされる。
「エレノア様。気合です。しっかり、やっていきましょう」
『ぼん! きゅ! ぼん!』
心の声で強弱をつけられてそう言われ、私は小さくうなずいたのであった。
それから数時間、私達は話し合いを繰り返し、決められることは決めていく。ただ、どうしても決定できないという所は出てくるので、そうした所には付箋を付けておく。
昼食の時間がやってくる頃には、ぐったりとしてしまっていた。
そんな私達とは裏腹に、ハリー様はすこぶる元気そうな様子だ。
私達が大変そうな姿を楽しんでいる節さえある。
私達は休憩のために、昼食はバスケットに用意してもらったサンドイッチを庭で食べる予定である。
ハリー様は部屋にて、今確認が澄んだ物を仕分けし、物事をまとめておくということであった。
あれほど話し合いが長引き、やらなければならないことが多いというのに、元気である。
「あの、ハリー様は休憩しなくて大丈夫ですか?」
私がそう尋ねると、輝く笑顔で返事が返って来た。
「お二人にやってもらわなければいけないことがたくさんありますので! 私、楽しいので大丈夫です」
『ぼん! きゅ! ぼーん!』
アシェル殿下が、私の肩をポンっと叩いて言った。
「こうなったハリーは止められないよ。僕達はしっかり休憩して、頑張ろう」
『怖い。ハリー。怖いよ……』
「はい……分かりました!」
昼休憩が終わった後のことを考えると、寒気がしたのであった。






