9話
戴冠式は厳かに行われ、会場内は祝いの雰囲気となり、美しい音楽が流れ始めた。
それに合わせて、ダンスホールに人々が手を取りあって進み始める。
戴冠式をお祝いして、会場に訪れた人々がダンスを踊る時がきた。
私とアシェル殿下も手を取りあうと、ダンスホールへと進んでいった。
アシェル殿下が恭しく頭を下げ、私もそれに一礼を返すとお互いの手を取りあう。
「エレノア」
「アシェル殿下」
名前を呼び合い、私達は音楽に身を任せると踊り始めた。
この日の為に、私とアシェル殿下はロマーノ王国のダンスを練習し、そして今日が公の場で初のお披露目となる。
国が変われば音楽ももちろん変わるものだ。
ロマーノ王国では、厳かな雰囲気の曲が重厚感を持って演奏される。それに合わせて私達はゆっくりとステップを踏んでいく。
「まぁ。あれはどなた?」
「サラン王国の方よ。素敵ね」
そんな声もちらほらと聞こえる中、様々な人達の心の声も聞こえてくる。
『戴冠式が終わったか。これでロマーノ王国も落ち着くな。国王陛下が崩御した時はどうなるかと思ったが、王太后様がここまでよく守って下さった』
『さてさて、戴冠式の次は妃選びだろうか。レガーノ殿の妃には誰がなるのか』
『姫君は不気味だなぁ。人形をこんなところにももって現れるなど、おかしいではないか』
ロマーノ王国の国の事情も感じ取られるような心の声が多く、私はダンスを踊りながら自国とは違う雰囲気を感じていた。
「エレノア。大丈夫ですか?」
『無理しないでね』
いつ聞いても、アシェル殿下の声は心地いい。
「大丈夫です。アシェル殿下、楽しいですね」
「えぇ。楽しいですね。自国だとどうしても私とエレノアに視線が集中しますが、ここでは違う。それもまた、たまにはいいですね」
『周囲の視線をそこまで感じずにいられるのって心が軽くなるや』
アシェル殿下の言うことがよくわかる。
こうやって他人の視線をあまり感じない舞踏会というのも珍しい。だからこそお互いのことだけを考えて踊る時間が、嬉しく思えた。
音楽に体をゆだねて踊ると、一曲があっという間に終わってしまった。
私とアシェル殿下はさぁ次の曲を踊ろうと、思っていたのだけれどそこで人々のざわめきが起こる。
視線をざわめきへと向けると、こちらへとレガーノ様が歩いてくるのが見えた。
私とアシェル殿下は、公の場なのでと挨拶をしたのちに、戴冠の祝辞を送る。するとレガーノ様はくくくと笑い声をあげ、それから言った。
「さてさて、もう堅苦しいのはまぁいいだろう。アシェル。エレノア嬢を借りるぞ」
「……レガーノ殿。公の場ですよ? それに、エレノアは物ではありません。貸し借りできるものではないかと」
『あ、こいつ僕に嫌がらせするつもりだな。だめだよ! エレノアは僕の婚約者だよ!』
アシェル殿下の心の声に私は和んでいると、レガーノ様に手を取られる。
それと同時に曲が流れ始めて、レガーノ様は私の腰に手を回し、言った。
「一曲くらいいいだろう。他の令嬢は面倒なんだ。じゃあな」
『自国の令嬢だとすぐに結婚へと話を進められそうになるからな。だが一曲くらいは踊っておかなければならんだろう』
私は一曲くらいは仕方がないかと小さく息をつき、アシェル殿下に大丈夫だと言うようにうなずいて見せた。
アシェル殿下は小さく息をつくとホールから下がりこちらを見つめている。
『エレノアが嫌だと思ったら割って入るからね』
私はその言葉にうなずきつつ、出来ればあと二曲くらいアシェル殿下と踊りたかったのになぁと思っていると、レガーノ様と視線が重なる。
「っは。俺がいるのに、誰を見ている」
『俺に色目を使わないとは珍しい』
しっかりとホールドされ、私は曲に合わせて踊り始めるけれど、アシェル殿下のこちらを気遣うような踊りとは全く違う。
力強く私のことを操るように、レガーノ様は踊り始め、自分勝手なその踊りに少しむっとしながらダンスの主導権を渡すのが何だか癪で、そのダンスに対抗するようにステップを踏む。
「張り合う気か? か弱そうに見えて、気が強いのだな」
『ほほう。意外だな』
私はダンスを踊りながらじっとレガーノ様を見つめる。
「メローナもそのくらい気が強ければいいのだがな」
『このくらいの気概が……メローナにもあればいいのだが……はぁぁぁ。可愛いメローナ。いつか……俺にも懐いてくれればいいのだがな』
「……では、そうメローナ様に直接お伝えしてみてはいかがですか? レガーノ様に大切に思われていることを知れば、メローナ様も変わるのではないかと思いますが」
私の言葉に、レガーノ様は驚いたようにこちらを見る。
「知ったような口をきくのだな」
『メローナと話しすらまともに出来ないのだがな……』
「昨日の様子を見て、思ったまでですわ。レガーノ様、メローナ様のことを大切にされているの伝わってきました。ですが、メローナ様にはそれが伝わっていないような気がしたのです」
「ほう」
『俺がメローナのことを思っていると気づいた? 嘘だろう。他の者にそのように見られたことなどなかったぞ』
しまった。踏み込み過ぎたかと思ってると、レガーノ様が私の腰をぐっと引き寄せる。
「っふ。なるほどアシェルが惚れるのがよくわかる。これはいい女だ」
『こちらの気持ちを理解してもらえるというのは心地いいな。本気で欲しくなる』
曲が終わると同時に、私はレガーノ様と距離を取ると一礼をする。
そしてアシェル殿下の元へと戻ろうとすると、レガーノ様に手を取られる。
「俺の所に来るか?」
『大事にするぞ』
そんな私の元へアシェル殿下が来ると、笑顔で言った。
「レガーノ殿。戯れはそこまでに。さぁエレノア。行こうか」
「あ、はい」
心の声が聞こえない。
私はどうしたのだろうかと思っていると、アシェル殿下に手を引かれ、舞踏会のホールを後にするのであった。
「いいなぁ。あれは欲しくなる」
そんなことをレガーノ様が呟いたなど、私は知りもしなかった。
アシェル殿下に手を引かれ、私はどこへ向かうのだろうかと思っていると、休憩用の中庭へとアシェル殿下は連れて言ってくれているようであった。
そして、人気の少ない場所までくると、アシェル殿下は私のことを引き寄せ、抱きしめた。
「え? え?」
突然のことに、心臓が早くなる。
どうしたのだろうかと思っていると、アシェル殿下が、私の額にキスを落とす。
「ひゃっ。あ、アシェル殿下?」
「……エレノアが可愛すぎるから」
「え?」
アシェル殿下は私のことをぎゅっと抱きしめ、私の肩口に顔を埋めると言った。
「ごめん。やきもちだ……レガーノは、男らしくて、欲しいと思えばなんでも取りに来る。あーくそっ。ごめん……少し焦ってしまった」
「アシェル殿下……ふふふ。ふふ。ふふふ。嬉しいです」
私はアシェル殿下をぎゅっと抱きしめ返すと、アシェル殿下が顔をあげ、それからこちらを見つめてきた。
「余裕がなくて恥ずかしい。でも、エレノアは素敵な女性だから……」
「そう思っていただけて嬉しいですが、私にはアシェル殿下だけです。私は、あなた以外を好きにはなりませんから」
この人が好き。
いつもは堂々としていて男らしいのに、私の前では可愛らしい子犬のようになるこの人が。私は大好きなのだ。
しょぼんとしたような様子でこちらを見つめてくるそんなところも、とても可愛くていとおしい。
私は、アシェル殿下の服を引っ張ると、アシェル殿下の頬にキスを送る。
「大好きですから、心配なさらないでくださいませ」
アシェル殿下が顔を真っ赤にして、それからぐぐぐっと何かを言いたそうにする。
「だから、可愛すぎるんだよ! もう! あー! もう! 可愛い。僕も……大好きだよ」
アシェル殿下に腰を引かれ、私はアシェル殿下と唇が重なる。
恥ずかしくて、すぐに下を向こうとしてしまう私に、アシェル殿下はもう一度口づけをすると、愛おしそうな瞳を私に向ける。
愛されているのが伝わってきて、胸の中が幸せな気持ちになる。
美しい庭の中、私とアシェル殿は穏やかな時間の中で、幸せという物を感じたのであった。






