二十話
ヴィクター様は私の前へとやってくると、不安げに大きくため息をつくと口を開いた。
「ココレットは……大丈夫だろうか?」
『あの弱虫が……予言の乙女など、嘘だと思いたい……』
妹の身を案じているのが伝わってきて、私はうなずくと不安を少しでも軽くできるようにと口を開いた。
「はい。ココレット様が頑張ってくれているおかげで、おおよそ対策をどのようにしていくかまとまってきています。その、ヴィクター様、顔が真っ青ですが、大丈夫ですか?」
ヴィクター様は私の手を掴むと言った。
「どうか、ココレットを頼む。あの子は、心も筋肉も弱い」
『もっと鍛えさせておくべきであった』
どうして最終的には筋肉の話になるのだろうかと思った時であった。
「エレノア? いる?」
アシェル殿下が私を追いかけてきたようで扉を開けて顔をのぞかせた。そして私の手がヴィクター様につかまれている様子に、笑顔のまま固まる。
そして笑みを浮かべたままだけれど、すっと私とヴィクター様との間に割って入った。
笑みを消すと、落ち着いた口調であくまでも冷静に告げた。
「ヴィクター殿。令嬢の手を軽々しく握るものではありません。しかもこのような場所で。もう少し考えていただきたい」
『理由があろうと、こんな密室で、他者に見られていらぬ噂を立てられて困るのはエレノアだ。相手のことを考えてどうして行動しないんだ』
その言葉に、私も軽率だったなと思うと、ヴィクター様はショックを受けたように顔を歪めて、それから唇を噛むのが見えた。
顔に出すぎではないだろうかと思うと、ヴィクター様は言った。
「申し訳ない。つい、妹が心配なあまり軽率な行動を取ってしまった。申し訳ない」
『憧れのアシェル殿に、注意された! っくぅ。筋肉修業が足りなかった。完璧な王子であるアシェル殿の足元にも俺は及ばないのか』
「わかってくれればいいのです。ここからは忙しくなります。ヴィクター殿は古竜の対応へ参加するのでしょう? 私もおおよその割り振りが終わればそちらへ参加する予定です。サラン王国の周辺には噴火する火山はないようだったので」
『ヴィクター殿がどのような人物なのか、未だにつかめないなぁ。むぅ。エレノア。大丈夫? 彼は、君に好意を寄せて、言い寄っていたわけではないんだよね?』
その言葉に私は小さくうなずいて見せた。
どちらかというとヴィクター様が言い寄りたい相手はアシェル殿下の方だと言ってもいいのだろうかと悩む。
ヴィクター様の恋心に、私が介入してはいけないだろう。
アシェル殿下を渡す気はないけれど、それでも人の恋心をどうこう出来るものでもしていいものでもない。
その人の気持ちはその人だけのものだ。
私だって、アシェル殿下のことが好きだから、ヴィクター様の好きな人と喋りたいとか、一緒にいたいという気持ちはよくわかる。
ヴィクター様はアシェル殿下の言葉に瞳を輝かせた。
「つまり、共闘できるということか! はははっ! 嬉しい限りだ。アシェル殿。どうぞよろしく頼む!」
『共闘! 筋肉のぶつけあい!』
ただ、筋肉については共感は出来なかった。
「あと、その、アシェル殿。よければこの戦いが終わった後、一緒に、出掛けたりしたいのだが……」
『アシェル殿と会える機会など中々ない! この機会を逃したくはない』
「え?」
『分からない。え? ヴィクター殿は一体何を考えているの? え? わかんないよ!』
心の中で大混乱するアシェル殿下にヴィクター様は一歩詰めると、少し鼻息荒く言った。
「長らく会えなかった友と、是非語らい合いたいのだ!」
『アシェル殿! この燃え滾る俺の想いを聞いてほしい!』
私は二人きりは絶対にダメだと思い、アシェル殿下の腕をぎゅっと抱き込むと声をあげた。
「ぜ、ぜひ私もそのような機会があればご一緒したいですわ」
体格で言えばヴィクター様は筋骨隆々であり、アシェル殿下よりも逞しいように思える。
女性二人を軽々と抱きかかえられる程の力の持ち主である。もし二人きりにしてアシェル殿下に何かあってはと、私は心臓が変にドキドキとしてしまう。
ヴィクター様は私のことを鋭く睨みつけてくる。
「男同士の場に?」
『エレノア嬢……何故? 筋肉がもしや……エレノア嬢も好きなのか?』
違います。私はスンと心を平静に保とうと表情をどうにか抑える。
「男も女もありませんわ。ヴィクター様とこうやって直接お話しできるのも少しの期間ですし、ぜひご一緒したいと思っただけです」
「エレノア?」
『ちょっと待って。え? え? ヴィクター殿と、話しがしたいってこと? え?』
ちょっと焦ったようにアシェル殿下は目を丸くすると、私とヴィクター様とを行ったり来たりして見つめた後に、眉を下げた。
「待って。だめです。エレノア。うん。だめです」
『わかんないけど、うん、分かんないけど、だめだよ?』
私は恋敵としてヴィクター様とアシェル殿下を二人きりにすることはできないと思っていると予想外の声が聞こえてきた。
『む? ……っふ。もしやエレノア嬢。俺のこの筋肉に惚れたか?』
「え?」
私は頭の中がこんがらがってしまう。
何故かヴィクター様はにやにやと嬉しそうに頬を染め始めた。
『罪な筋肉だ。ふふふ。さすがはアシェル殿の婚約者。いや、婚約者か……エレノア嬢と俺は結ばれぬ運命。俺のこの美しき筋肉に惚れてしまうなんて……なんて罪作りな俺の筋肉』
よくわからない勘違いがヴィクター様の中で生まれ始めており、私はそれ故にヴィクター様を見つめていたのだけれど、アシェル殿下に突然目をふさがれてしまう。
「ちょっと待って。エレノア。ごめん。二人で話をしよう」
『意味が分からないし、ヴィクター殿と見つめ合うのは、むぅ。納得できない』
私は会わって首を振ろうとした時、ヴィクター様が口を開いた。
「っふ。アシェル殿。令嬢が逞しい男に惹かれるのは道理。仕方がないことだ」
『アシェル殿の婚約者でなければ結ばれる運命もあっただろうが、仕方あるまい。まぁ……エレノア嬢に惚れられるとは、俺としては嬉しいが』
その言葉に、私は驚きながらも慌てて反論する。
「違います! たたたたたた逞しい男性に惹かれるのが道理!? えっと、違います。あの、話、私は、アシェル殿下が好きであって、逞しい男性が好きなわけではありませんわ!」
「ふふふ。そのように恥ずかしがらなくてもいい。では、せっかくだ! 見せて差し上げようこの筋肉を!」
『アシェル殿下にもこの仕上がった筋肉を是非見ていただきたかったのだ! エレノア嬢。君の恋心に思いは返せないが筋肉で返そう!』
次の瞬間、ヴィクター様が上着を脱ぎ一瞬でシャツを脱ぎ、上半身が露になる。
鍛え抜かれた盛り上がった筋肉がシャツの下から姿を見せ、私はその衝撃で目を丸くして固まってしまった。
アシェル殿下もあまりに突然なことと、俊敏な上着とシャツの脱ぎ方に驚いてたけれど、私のことをぎゅっと抱き込むと、ヴィクター様を隠した。
「憧れのアシェル殿に恥ずかしい筋肉を見せるわけにはいかないと、一心不乱に鍛え上げたこの筋肉! エレノア嬢! アシェル殿! とくとご覧あれ!」
『っふ。罪な筋肉だ』
「……洋服を早々に着たまえ」
アシェル殿下の冷ややかな声が部屋に響いた。
その声の冷気の帯びた雰囲気に、テンションの上がっていたヴィクター様は身を固めるとアシェル殿下の方へとゆっくりと視線を向ける。
「えっと、アシェル、殿?」
『怒っている!? 何故? おおお怖い怖い! そのように凛々しい顔も出来るのか! さすがは完璧王子!』
私はどのような表情なのかと疑問に思ったけれど、アシェル殿下に胸に顔を押し当てる状況になっているので見えなかった。
「はぁ……失礼する。今後令嬢の前で洋服を脱ぐなどと言う愚行を続けるのであれば、国交間にも亀裂が入ると認識してくれ。君のその行動は女性の名誉を傷つける行動であると認識を改めるべきだ」
アシェル殿下からは心の声は聞こえず、相当に怒っているのだということが伝わってきたのであった。
筋肉!!!!
マッスルマッスルー!!!!






