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クラリッサ・ベインズ嬢の災難



「ああ、あなただ――ずっとお捜し申し上げておりました」


 見知らぬ男から突然そんなことを言われたら大変に気味が悪いものだが、それが老練な職人の超絶技巧による細工の賜物ではないかと思われるほどに美しく、女性のみならず男性でもうっとりするような麗しい美貌の持ち主だったら話は別だろう。気味の悪さよりも驚愕、驚嘆が先に来て、ぽかんとして見つめ返してしまう。

 園遊会の賑やかしさから離れ、木陰の四阿(ガゼボ)でちょっと休憩していたクラリッサも例に漏れず、ゆったりとした足取りで近づいて来るその美男を茫然と眺めていた。


 その綺羅綺羅しい美形は、振り向いた姿勢のまま言葉を失っていたクラリッサのすぐ足許に跪き、感極まったように紅潮した頬と、僅かに潤んで煌めく宝石のような青い瞳で見つめてくる。


「ようやくお会い出来た。崇敬なる我が姫君」


 その美貌に相応しい美声でうっとりと告げると、戸惑いと困惑でいっぱいになっているクラリッサの足許に手を伸ばし、ドレスの裾を押し戴くように両手で掴むと、そこへ恭しく口づけてきた。

 驚いて固まっていた喉から「ひっ」と絞り出すような悲鳴を零し、慌ててドレスの裾を美形の手から引き離す。抵抗なくその手の内から離れて行ったが、彼は残念そうな声を小さく漏らした。


「いったい、突然になんだというのです!? あなたは誰!?」


 咎める非難の声は、僅かに上擦って裏返る。とても間抜けな声だが、急に出したのだから仕方がない。

 咳払いをひとつ、改めて美形を睨みつけた。


「いくら私が貧乏貴族の娘だからって、春を売るような真似は致しません。遊び相手なら他の方を当たってくださいまし!」


 そんなことを怒鳴りつけながらも、嘘をつけ、と心の中で別の自分が言ってくる。

 生活の為に裕福な結婚相手を見繕いに来た自分と、身を売る女達の何処に違いがあるというのだろうか。どっちもどっちだ。

 そうして覚悟を決めてこの園遊会に顔を出したというのに、モヤモヤとしたものを抱えているうちに気分が沈んでいき、これではよくないから気持ちを切り替えなければ、と人々の輪から外れてみたら、これだ。


 それにしても、本当に美しい顔立ちの男だ。男かとも疑わしいくらいに整っていて、羨望を通り越して恨めしい。髪も瞳も地味な茶色で、目立った特徴もない平々凡々なクラリッサに、その何処までも艶やかな光沢を放つ金色の髪か、長い睫毛に縁取られた宝石のような青い瞳か、陶器のような肌か、どれでもいいから少し分けてもらいたいくらいだ。


 怒鳴りつけられた美形は、謝罪してくるでもなく、逆に不機嫌になるようなこともなく、輝くような笑みを浮かべて熱っぽくクラリッサを見つめてくる。うっとりと潤んだ瞳はまさに『喜色』を湛えていた。

 なんだこれは――気味の悪さを感じたクラリッサは僅かに後退るが、ベンチに腰を下ろしているのでどうにもならない。


「ああ、申し訳ございません、姫君。お会い出来たあまりの嬉しさに、つい我を忘れてしまいました。お許しください」


 滔々と述べられる謝辞に、許すどころか逆に胡乱な気分になってくる。


「ご歓談の最中に、失礼致します」


 喜色満面の煌めく笑顔を向けてくる美形――いや、もう変態でいい。造形がやたらと美しいこの変態に対し、とにかく不愉快さと警戒心を剥き出しにして、いつどうやって逃げ出そうかと考えているところに、何処かから声がかかる。

 ご歓談などという楽しげなものか、と腹が立ちながら声がした方を振り向くと、軍服を身に纏った男が一礼して立っていた。

 これまた面識のない男の登場に、クラリッサはますます警戒心を高めていく。


「ヘクトール」


 跪いたままの美形の変態が、軍服男に声をかける。彼はヘクトールという名らしい。

 軍服男はその場で慇懃に礼を取ると、慣れた身のこなしでさっと腰を折り、麗しい変態の耳許へ何事かを囁いた。恐らく助言かなにかだろう。

 変態は軍服男の言葉に納得したように頷き、軍服男もそれに頷き返すと、こちらへ向き直る。クラリッサはびくりとして僅かにたじろぎつつ、しまった、今のうちに逃げておけばよかった、と後悔が過った。


「突然のことに、驚かれていらっしゃるかとお見受け致します、お嬢様。まずはそのことにお詫びを」


 軍服男は落ち着いた声音で、とても丁寧に話し始める。その紳士的な様子に、クラリッサは極々僅かながら警戒と緊張を緩めて頷いた。


「我が主は、お嬢様にお会いしたい一心で日々を過ごされておりまして、そのお嬢様ご本人を目の前にされ、とても興奮してしまわれたのです」


 そういうことはままあることだろう、と同意を求められているような気がして、クラリッサは小さく頷く。確かにそういった経験の一度や二度は身に覚えがある。

 軍服男はクラリッサが理解を示したことに安堵したようで、静かに頷き返した。


「今、我が主には、少し性急過ぎであることをご忠告申し上げました。その事実に納得され、少し落ち着かれたようですので、叶うことならば、主からの話を聞いて頂くことは可能でしょうか? ほんの少しの間だけで構いませんので」


 とても丁寧な口調で提案がなされる。

 そんなに(へりくだ)られるような身分ではないのに、とクラリッサは申し訳なくなった。

 軍部のことには詳しくはないが、彼が身に着けているのは下級士官の制服ではないと思う。上級士官になる為には才能や実力以上に、血筋と家柄も重視される筈だ。

 恐らく彼は、借金を抱えているような貧乏田舎貴族のクラリッサよりも、身分の高い家の子息なのだろうと思われる。

 そのような人物を従えているなんて、この美形の変態はいったい何者なのだろうか。


 軍服男の話を聞いている間に、美貌の変態は本当に落ち着いたらしく、先程までの前のめりになっているような勢いは治まっている。但し、キラキラと輝く潤んだ瞳と、整った唇に載せられている笑みはそのままだが。

 クラリッサは頬が引き攣るのを抑えながら、その笑みを冷ややかに見つめ返した。


「……それで、あなたはどちら様?」


 一部でも記憶を失っていない限り、クラリッサにこの変態との面識はない。いや、絶対にない筈だ。こんなに綺羅綺羅しい美貌、一度でも見かけていたら忘れる筈がない。


 軍服男が驚いたような顔をする。

 なにか言いたげにこちらを見つめられたので、クラリッサは困惑した。


(え、なに? 呆れたような顔をされるなんて……みんな知っているような有名人なの?)


 はっきりとそう言われているわけではないが、その視線が明らかに言っている。何故ご存知ではないのか、と。


 この国の地方に暮らす下級貴族の子女は、十八になると王都に集まり、結婚相手を探すのが通例だった。

 もちろん地元で縁談をまとめることもあるが、大抵は観光も兼ねて王都へと集まって来る。そこで初めて、王都に暮らす上級貴族の子女達とも交流を持ち、新たな友好の道筋を築くのだ。その為の園遊会や舞踏会などが、春から秋にかけて、王都のあちこちで開かれている。

 今日のこの集まりもそのうちのひとつで、半月に一度の王宮主催の盛大なものだ。爵位を持っていることだけが参加条件であるので、とにかく多くの人が集まるし、面識のない者同士が多く、意外と気楽な面がある田舎者向けの集まりでもあった。


 クラリッサも地元の友人達と共に、王都見物を兼ねてつい五日前に来たばかりだ。園遊会には今日で二度目の参加となる。

 目的はもちろん結婚相手を見つける為で、少なからぬ借金を抱える生家の為に、お金持ちの貴族か、貴族社会への出入りも許されるような大商人の子息と懇意になろうと、まあまあ意気込んで来ていたのだ。

 しかし、男性を惹きつける程の美貌や魅力があるわけでもなく、あまり上手く会話を盛り上げることも出来ず、なんとなく人の輪から外れて気落ちしてしまい、気分を切り替える為に休憩をしに来たところだったのだが。


 咎めるような目つきで見てくる軍服男に委縮しかけていると、変態が「ヘクトール」と窘めるように彼の名を呼ぶ。


「名乗りもせず、お近づきになろうとした非礼をお許しください」


 軍服男が引いたことを認めてから、美しき変態は深々と頭を下げる。

 いいえ、とクラリッサは首を振ったが、田舎者であることを露呈させてしまったことが気恥ずかしかった。


「わたしは、テレンス・ドウェイン・アルバーンと申します。叶うならばお見知りおきを」


 俯き加減のクラリッサに、変態はよく通る声ではっきりと名乗った。

 その名前にハッとする。


「――…テレンス……、アルバーン……様?」


 確かめるようにその名前を繰り返すと、ああ、と頬を赤らめて感極まったように嘆息した。


「様などと仰らないでください、我が姫君。ただ、テレンス、と」


 うっとりと告げられる言葉にクラリッサは青褪める。


 呼び捨てになんか出来るわけがない。

 テレンス・アルバーン――エルトリントン公爵。現国王の弟だ。


 貴族階級の末席に名を連ねる者として、名前くらいは当然知っている。王都に初めて出て来た田舎暮らしの貧乏貴族故に、ご本人とは一面識もなく、さすがに顔までは知らなかったが。

 軍服の男が呆れるのも当然だ。田舎者丸出しで本当に恥ずかしい。


 血の気が引いて眩暈を感じているクラリッサに、変態――テレンスは縋るような目を向けてくる。


「姫。この憐れな下僕めに、その麗しいお名前をお教え願えますでしょうか?」

「しっ、しもべ!?」


 ギョッとして鸚鵡返しにするが、当のテレンスは真面目な顔で「はい」と頷いた。冗談のつもりではないらしい。


「……名前は、クラリッサ・ベインズです」


 クラリッサは喘ぐように名乗った。

 その名前をテレンスは確かめるように呟く。


「クラリッサ様……なんと素敵なお名前だろうか。クラリッサ様、ああ、聖堂に響く楽の調べの如く玲瓏として、大輪の花の如く芳しく、凛として気高いあなた様にとてもお似合いの、美しい響きのお名前ですね、クラリッサ様」

「…………は?」


 舌の上で蕩ける極上の甘味でも含んだかのような幸せそうな表情で、大切そうに何度もクラリッサの名前を呟いている。その姿になんとも奇妙な心地がしたと同時に、ゾワリと鳥肌が立った。


 なんだろう――この美男は、やはりなにかが変だ。

 いや、出会った瞬間から変な男だとは思っていたが、明らかになにかがおかしい。


「クラリッサ様」

「はいっ」


 声が僅かに引き攣って裏返る。慌てて口許を押さえると、テレンスは静かに縋るような目を向けてくる。

 今度はいったいなんだ、と思いながら、その熱っぽく潤んだ青い瞳を見つめ返していると、その下の整った唇がゆっくりと開いた。


「どうか、お願いです。その美しいお御足で、わたしのことを足蹴にしてください」





   * * * * * * *



 三日前、クラリッサは重大事件を犯してしまった。

 現国王の実弟であり、王位継承権第二位にある高貴な身分の男の頬へ、渾身の握り拳を打ち込んでしまったのだ。

 自分のしでかしたことに驚愕し、混乱し、最終的には恐慌して、地面に倒れ伏したテレンスに謝罪もせずに逃げ出してしまった。全速力で。

 お付きらしい軍服男が控えていたのだから死んではいないだろうが、今頃あの綺麗な顔が不様に腫れ上がっているのではないかと思うと、どうすればいいのかわからなくなる。


 だが、殴ってしまったこと自体は悪かったとは思わない。

 頬は紅潮し、喘ぐような荒い呼吸の合い間から、明らかに興奮した声音で零された「足蹴にしてください」などという懇願の気色悪さに、身の危険を感じたのだから仕方がない。あの拳は身を守る為の正当防衛だ。


 だいたいにして、こちらの名前も知らなかったような男から、急に「ずっと捜していた」だの「お会いしたかった」だのと言われ、更には「どうか足蹴にしてくれ」とは何事だ。

 もう本当に意味がわからなくて気持ちが悪い。例えどんなに高貴な身分の男だろうとも、息を飲むほどの美形であろうとも、そんなことをしてくる人間はただただ気持ちが悪い。気持ちが悪い以外の感想が出てこないくらいに気持ちが悪い。

 だから、クラリッサは悪くない。たぶん。


 それでもやはり、王族を殴り飛ばしてしまったという事実は、クラリッサの心を畏縮させた。手を上げてしまったのだから不敬罪どころではない。

 どんな罰を受けるのか、その罪科は生家にも及ぶのだろうか、とそればかりが気になって、この三日間はずっと宿舎の自室に引きこもっていた。




「ねえ、体調が悪いの?」


 ずっと食事の席にも出て来ないので、心配した友人達は部屋を訪ねて来てくれたのだが、今夜も舞踏会に出席するらしく、揃って綺麗に着飾っている。そんな様子をクラリッサは被った毛布の下から眩しげに眺めた。


「どうしたのよ、クラリッサ。お金持ちで優しい結婚相手を見つけるって、あんなに意気込んでいたじゃない。時間がなくなってしまうわよ」


 尤もな話だ。それが目的で王都に来たというのに、肝心の顔合わせの場に顔を出せないのでいるのだから、出逢いなど期待出来る筈もない。


「途中で帰ってもいいんだしさ、行こうよ。招待状はあるんだから」


 テーブルの上に揃えられていた招待状のひとつを手にして、毛布の隙間からクラリッサの目の前に差し入れてくる。


「今日の主催者はレクター伯爵だって。敏腕外交官で、他所の国にもよく行かれているでしょ。立食形式で、異国の珍しいお料理が出るって聞いてるよ」

「体調が悪いなら無理して踊らなくてもいいんだし。座ってお喋りしながら、珍しいお菓子でもつまんでいようよ。ね?」


 気鬱でも気分転換になるよ、と誘われ、クラリッサは毛布の中から這い出した。

 慣れた女中達の手によってあっという間に身支度を整えられ、なんとか出発時間に間に合う。友人達もホッとしたような表情で、一緒に馬車に乗り込んだ。


 会場に着くと、招待状と引き換えに目許を覆う形の仮面を渡される。趣旨を確認していなかったが、今夜は仮面舞踏会となっていたようだ。

 綺麗に結い上がっている髪型を潰さないようにお互いに仮面を着け合い、人々の集まる広間へと足を踏み入れた。


 煌めくシャンデリアの下、華やかな音楽に合わせてくるくると楽しげに踊っている人々は、誰もが仮面を着けている。仮面舞踏会であるので当然のことであるのに、それが少し奇妙な感じで、まるで知らない世界に迷い込んでしまったかのようで昂揚した。

 誘われるがままに一人、二人、と踊ってみるが、ここ数日引きこもって碌な食事をしていなかった所為か、眩暈がする。

 三人目の人と踊り終わったあと、適当に軽食の載った皿を手にして外へ出た。


 柔らかく頬を撫でていく夜風が気持ちいい。ホッとしながらバルコニーの欄干に寄りかかり、野菜や燻製が可愛らしく飾られた一口大のビスケットを口に入れる。少し塩気が強い気がしたが、とても美味しかった。

 きっとお酒に合う味つけなんだわ、と思いながら、酒を嗜まないクラリッサは少々残念に感じた。あまり濃い味つけは喉が渇いてしまう。


「こちらをどうぞ」


 飲み物も持って来ればよかった、と考えていると、目の前にグラスが差し出される。

 あら、と思ってグラスの先に顔を向け、息を飲んだ。思わず皿を取り落さなかった自分の理性を褒めてやりたい。

 仮面をしていても誰だかわかる。

 逃げ出そうとして、背中がすぐに欄干にぶつかる。


「クラリッサ様」


 黒地に金の模様が美しい仮面の下で、整った形の唇が名を呼ぶ。


 どうして、と思った。

 いや、招待状があれば参加出来る舞踏会なのだから、招待を受けていればここにいることになんら不思議はない。

 そんなことはわかっているのだが、どうしても他の考えに思考が行ってしまう。クラリッサのことをつけ回しているのではないか、と。


 いつまでもグラスが差し出されたままなので、仕方なく受け取る。指先が震えていたが、落とさないように慎重に掴んだ。

 テレンスは先日と同じようにその場に膝をついた。


「先日はクラリッサ様にご不快を与えてしまい、申し訳ございませんでした」

「いっ、いいえ……。こちらこそ、殴ってしまって、ごめ」

「なにを仰いますか!」


 謝罪の言葉を鋭く遮り、身を乗り出される。クラリッサはまた欄干に背中をぶつけた。


「クラリッサ様のその美しい白い手に打たれるなどと、至福の極みでございました」


 顔を隠す仮面と灯りがない薄暗さの所為で確認は出来ないが、うっとりとした口調から、恍惚とした表情を浮かべているのではないか、と推測出来た。


 すぅーっと、クラリッサの中のなにかが、音を立てて引いていくのを感じた。

 俄かに感じた眩暈を押し隠し、クラリッサはテレンスを見下ろす。


「あの、テレンス様?」


 呼びかけると、仮面の下の唇が酷く残念そうな様子で戦慄く。


「……テレンス」


 敬称をつけずに呼び直すと、悲しげだった口許にパッと笑みが浮かんだ。


「はい、クラリッサ様! あなた様の下僕はここに」


 嬉々とした声音に再び眩暈を感じるが、気を取り直す。


「テレンス……は、私を知っていらっしゃったようですけれど、以前何処かでお会いしたことがあるのでしょうか?」


 名前は知らなかったようなので、きちんと対面したというわけではなさそうだが、顔はわかっていたようだ。あなただ、とはっきりと言っていたのだから。

 クラリッサの問いかけに、テレンスは「はい!」と嬉しげに頷いた。

 しかし、こちらにはまったく覚えがない。


「人違いではございませんか?」


 顔を覚えられるくらいに近い場所にいたのだとしたら、こんな人目を惹く美形、こちらだって印象に残っているだろうし、忘れる筈がないと思う。それなのに、まったく記憶にないのだ。

 いいえ、とテレンスは首を振った。


「アンブローズをお訪ねになられたことがありましょう?」


 避暑地としても人気が高い地名を言われ、クラリッサは頷く。十年前に亡くなった祖母が住んでいたのだ。


「そちらでお会いしたのです」

「え……?」


 当時のことを思い出すように答える様子に、クラリッサは思わず声を詰まらせる。

 テレンスに会ったことなどまったく欠片も記憶にないし、そもそも祖母が亡くなって以降は一度も行っていない。つまりは、十年以上前の記憶ということになる。


「やはり、人違いでは?」


 納得させるようにもう一度言ってみるが、テレンスははっきりと首を振る。

 取り敢えず座って欲しい、と促され、導かれるままに欄干の端に腰を下ろした。


「忘れも致しません。あれは、十三年前の初夏のことです」


 戸惑いながら見つめていると、再び跪いたテレンスは仮面を外し、静かに語り始める。


「当時のわたしは、勉学も剣術も乗馬も、音楽や絵画などの芸術的なことでさえも卒なく熟し、神童とも、百年に一人の天才だとも呼ばれておりました」


 末の王子が驚くほどの秀才だと言われていたことは、幼かったクラリッサも知っている。


「皆から讃えられ、感嘆され、わたしは自分の才を鼻にかけておりましたと同時に、話が合う程度の者が誰もおらず、叱られることもなく、僅かな孤独と落胆を抱え、その所為で酷く荒んだ心を内に抱えていたのです」


 誰からも褒められることしかなく、そのことが逆に拒絶されているような距離を感じ、とにかく寂しくて心が荒れていた。

 その鬱憤を晴らす為に暴れてみたとしても、王子という身分からはっきりと叱るような人間はおらず、それがまた突き放されているような気分になり、ますます孤独感を抱える羽目になった。

 クラリッサと出会ったのは、そんなときだった――と言う。


「わたしはその日もとにかく苛立っておりまして、野の花に八つ当たりをしておりました。惨いことをしてしまったものです」


 下げていた剣で薙ぎ払い、踏み躙り、蹴り上げて、ということを繰り返していた。


「わたしの蛮行を見つけられたクラリッサ様は駆け寄って来られ、その小さな手に持っておいでだった人形で、愚かなわたしのことを殴って止められたのです」


 他人から殴られるなどという行為が初めてだったテレンスは驚いて止まり、怒りに肩を震わせている少女の姿に呆気にとられた。

 幼いクラリッサは、テレンスの行為が如何に酷いことであり、人間として最低だということを喚き立てた。もちろん気に入らなかったテレンスは反論したが、クラリッサの諫言は止まらなかった。


「あのときの、クラリッサ様の目つき……!」


 感極まったかのように言い、テレンスは打ち震える己を抱き締めた。


「今思い出しても、心が震えます」


 身悶えさせながら上擦った声で言うその姿に、クラリッサの中でまたなにかが音を立てて引いていった。


「ああっ! その目つきです!」


 すっかり閉口して見つめていただけなのだが、その視線だけでテレンスの興奮は更に高まっていく。どうすればいいのだろうか。

 助けを求めたい心地になってあたりを見回してみるが、特に人影は見当たらない。みんな元気に踊り狂っているのだろう。

 あのお付きの軍服男は近くにいるのだろうが、姿が見えないところを見ると、今日は出て来るつもりがないらしい。少々困った。


「クラリッサ様」


 どうするべきか、と思案していると、真摯な声で呼びかけられる。

 僅かな微笑みを浮かべて見つめてくる顔は、やはり羨ましいくらいに整っていて美しい。この月明かりくらいしかないような薄暗さの中でもわかる。


「わたしの求婚を受けてはくださいませんか?」


 口を開かなければ真面(まとも)なのに、と美貌に見惚れていたので反応が遅れた。

 え、と小さく声を零すクラリッサのドレスの裾に、またしても口づけられる。


「十八になられ、結婚相手を捜す為にこちらにおいでになられたのでしょう?」


 確かにその通りなのだが、素直に頷いてはいけないような気がする。静かに息を詰めた。


「わたしは、結婚相手としてはとても優秀だと思いますよ。自負ではありますが、他からの評価も大きく違わないと思います」


 それはそうだろう。血筋も家柄も、身分も教養も、資産でさえも最上級だ。背もそれなりに高くて体型はすらりとしていて見栄えがいいし、容貌だってこの上なく整っている。

 だが、逆にクラリッサの身分が低すぎて釣り合わない。なんの特徴もない容貌だって、見劣りするどころではなく不似合いだ。


「わたしは、あなたを幸せに出来ます」


 続くのは自信に満ちた声だ。


「そして、あなただけが、わたしに歓びを与えてくださる」


 強い視線で見つめながらも、縋るような口調で言ってくる。

 またクラリッサの中で、なにかが音を立てて引いていった。同時に、頭の中にもなにか冷たいものが満ち、気持ちをすっかりと大人しくさせてくれた。


 無言で、ドレスの裾を掴んでいる手を払う。

 物言いたげな視線を寄越したテレンスの顎先を、手首に下げていた扇子で持ち上げ、冷たく見下ろした。


「あなた、口先では私に対して下僕だなんだと言っていらっしゃるけれど、全然そんなこと思ってはいらっしゃらないわね?」

「そんな……」

「違わないと思います。だってあなたは、私に虐げられることを望んでいるという態度でいながら、言っていることもやっていることも、私を支配しようとしているそれだもの」


 言葉の端々から感じていた。この男は、クラリッサの意思を尊重しているようでいて、自分の欲望を満たそうとばかりしているのだ。これを支配といわずになんという。

 そんなことに気づかないほどに、テレンスのことを警戒していないわけではない。



 しばらく無言で見つめ合っていたが、テレンスが小さく息をつき、苦笑した。


「気づかれてしまいましたか」


 諦めたような口調で零された言葉に、やっぱり、と頷き返した。

 その片鱗を感じ取っていたから、クラリッサの中に冷えた感情が少しずつ蓄積していっていた。今はもうすっかり冴えている。


「そうです。わたしはあなたに蔑まれたい。虫けらでも眺めるように冷たく見下され、罵られ、打たれ、足蹴にされたい――その欲望を満たす為に、あなたのすべてを支配したい」


「似非被虐主義者」


 吐き捨てるように答えると、テレンスはその美貌に極上の笑みを浮かべた。


「あなたを手に入れる為なら手段を選びません」


 それくらいに、汚物を見るかのような蔑みと不埒者に対する怒りを湛えた強い瞳を、ずっと忘れられなかった。


 何処の誰かわからなかったので、出会ったアンブローズの住人を虱潰しに捜させたりもしたが、いくら経っても見つかることはなかった。他所から来ていたのだから当たり前だ。

 十八になれば王都に来るだろうと、数年前から目を光らせていたのだ。そうして、ようやく見つけることが出来たのだし、これを逃がすわけがない。



「十三年目にしてこうして再びお会いすることが出来たのですから、逃しはしませんよ。決して、ね」


 その宣言に、クラリッサの逃げ道はとっくに(とざ)されていたことを、今更ながらに気づかされた。

 この一方的過ぎる恋慕と情欲は、彼女にとっての僥倖か、災難か――答えが出るのは、今しばらく後のこと。






不運なクラリッサ嬢の受難が、今始まる……!(続かない)


閲覧ありがとうございました。



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[一言] テレンス殿下の二面性に負けないクラリッサ、素敵です! 気が向いたら続きお願いします。
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