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プロトタイプシリーズ

アミュレット騎士隊のニセモノ魔法剣士

作者: 雲野 蜻蛉


 たゆまず波をうちつづけた蒼海も、一面つかのまの朱に染まる頃だというのに、ユーティノス・ウエストの表情はかんばしくない。おおむねはこんな時間から向かっている場所での目的のせいだったが、とどめとなったのは、同道する人物から何気なく発せられたこの質問だった。

「ユティってさ、魔法剣士だよね?」


 いちばんマシな外出用のチュニックに袖をとおしたユティは、心底うんざりした表情をつくってみせた。その問いに真摯に応えるとしたら、こういう返答になる。

「······違います」

 湾口都市ザパネルはさほど大きくはないとはいえ、ミレニアの国の南北をむすぶ海上流通の要所として、ひとつでんとした存在感をもつ。

 街はちょうど夕飯どきの賑わいで人どおりも多く、軒下に灯りだした街灯が陽気な気分をあと押しするように、建物の石壁に彩りをくわえている。陽ははるか大海原の際へと没しつつあり、空は濃い桃色へと鮮やかにうつろっていく。

 彼を仏頂面にさせた質問をほうりこんだのは、かれらの愛すべき騎士隊長にして、尊敬すべき雇い主たる少女、ラシュアリア・アウルフロその人だった。

 ちょうど任務をぶんどってきた直後に案内を命じられた。なので彼女も、紺のシャツに半袖やや長丈の燃えるような赤のチュニック。シャツと同色のタイツにブーツをはいたよそいきの装いをしている。

 一帯をひたしゆく夕の光におとらぬ朱金色の髪が、自分の肩下でキョロキョロとせわしなく揺れている。

「え―っ、だって剣も魔法も使えてるよね? それって魔法剣士ってことじゃないの?」

 ないの? とこられても、そんなことこっちが訊きたい。それについては、たしか彼女にもきちんと話したことはあったはずなのだが、忘れてしまっただろうか。

 まあ憶えていようがいまいが、どちらにしろあまり好ましくない質問ではある。なぜといって、そのての質問にたいするじぶんの対応にさえ飽き飽きとしていたからだ。こたえはつねにひとつ、こういうしかない。

「······だから違いますって」

 ──魔法剣士。この大陸の統一辞書にはこう載っているはずだ。


   魔法剣士


 剣術と魔法をひとつとし、その双方を違和なく駆使して、さらなる奇跡の業へと昇華させることのできる剣士の呼称。および尊称───


 これがただしい意味だ。ずいぶんと簡潔に書かれたものだが、すこしでも剣や魔法をかじったことのある人間なら、それがどれだけの絶技かわかるはずだ。

 まさに一部の、特異な才能をもつ者のみがあつかえる離れ技なのだ。それゆえに、真の意味での魔法剣士じたいが数えるほどしかいないともきく。自分はたんに、魔法「も」使える剣士にすぎない。

 そんなもんでいいなら苦労はしないさ。

「だいたいそれをいったら、そんな連中、今までもいっぱいいたでしょう。隊長だって戦場で売るほどみてきたはずですよね」

「あー、そっか。まぁねえ······」

 なにを思ったか、ラシャは言いにくそうに口をよどませる。何だ? いまさら俺を隊に誘ったことを悔いてでもいるのだろうか。

 ラシャこと、ラシュアリア・アウルフロは、そのめずらしい色をもつ癖のはいった髪をいじると、てへへとごまかすように笑った。

 ふだん槍をふりまわしているときはまったくそうは感じないのだが、こうやって大人しくしていると、さすがに貴族の血とでもいうのか、それなりに見えるものだ。

 茶の瞳をもつ眼は懐っこく、顔だちも整っているし、頬にも唇にもほんのりと薔薇色がさして愛らしい。前髪を眉のあたりで切りそろえ、後ろも襟足のところでそろえて比較的短くしているところなども、その暖かみのある顔を際立たせている。もっとも、さすがに野天で過ごすことを続けるうちに、肌はすこし焼けてしまってはいるが。

 ユティはひととおり自分の雇い主たるこの少女の観察をおえると、フーッと鼻から息を吐いた。さすがに十三歳そこそこの子供をみつめていても、とくに益になることもない。そりゃあ、可愛いといえば可愛いが、せいぜい猫か犬くらいのもので、自分としてはえらべるなら犬を選ぶ。

「······なんかいま、すっごく失礼なこと考えていなかった?」

 こちらの思考を鋭く勘どって、ラシャはぶすっと頬を膨らませた。

「まさか。で、なんなんです? わざわざ俺にあらたまつてそんなことを訊いたりして。なにか不都合でも?」

「いやー、べつにそんなことは。ただ···」

 ラシャはすこし眉根をひそめた。

「このまえミリニアの人達に、『アンタの隊には魔法剣士がいるんだって?』ってきかれたから、そうだよって思いっきり自慢しちゃって」

 今度はユティのほうが眉をひそめる。この隊長、よそでそんな広報活動をしていたのか。評価してくれていたのは嬉しいが、勝手にそんな風聞を広められてもこまる。そもそも、入隊して以降も前も、自分は魔法剣士だなどと名乗ったことは一度もないのだ。まだ故郷にいたころに、学生仲間からそうもち上げられたこともあったが、それでも自ら名乗った記憶はない。

「困りますよ。へんに過大評価されてもなんだし、だいいち恥をかくのは俺なんですよ?」

 わかった、と返すかわりに、ラシャはニヒッと笑った。

 この······たんにからかっただけか。

「で? あのふたりが悪さしてるお店って、まだ遠いのかな」

「······いえ、もうすぐですよ。本通りに出ればすぐわかります」



 中央通りに出ると、そこは人でごった返していた。ちょうど港からのぼる通商路が交差する巨大な十字路となった場所で、様々な恰好をした人々が様々な言語を口にしつつ、あるものは気楽に群れてそぞろあるき、またある者はいそがしく荷などを負いながら、またあるものは子供をひきつれ家路を急ぎながら、存在感を増してきた街燈の灯りの下をゆく。

 だんだんと荒くれ船員や、腕っぷし自慢な工夫たちのすがたが目立ってきた。この先はかれら御用達のエリアがひろがっている。となりを歩くこのちいさなお偉いさんはあきらかに場違いで、かなり浮いてしまっている。

 まったくなぜこんなところを、こんなチグハグなふたりでのこのこ歩いているのだろう。ほんとうに気乗りがしない。行き着いたところで、仲間たちのささやかな癒しの時をぶち壊すだけなのだ。

 うちの野郎どもが花街のある店に入り浸っているらしい。

 どこからそんな情報をかぎつけてくるのか、ラシャが、その現場をおさえて説教するといいだしたのは、まだ四半刻ほどまえのことだ。

 べつにそんないかがわしい所などではなく、ただのメシに、ほんのすこし場に沿うような華があるだけだと説明したのだが、だったらなおさら行くといってきかない。どうにも退屈しているらしい彼女の本音は「自分も行ってみたいから」ということであるようなので、説得を放棄してこうして出てきたわけなのだが。

 それで、とふり返りざまいいかけて、ユティは口を半開きのまま歩みをとめた。

 ──ラシャがいない。

 反射的に目でその行方をおったが、ぞろぞろ歩く人垣のなかにそのちいさな姿をみつけることはできなかった。

 これは······

「チャンスだ」

 護衛の任もなにもかもうっちゃって、ユティはまずこう思った。もちろん心配でないということはない。ないが、この街はこれでおちついているほうだし、あれでも腕達者の部下たちをまとめる頭──とてもそうはみえないだろうが──だ。ここいらでたむろするような酔っぱらいがどうこうできるわけもない。行く先の店の名もつたえてあるし、あとで追いついてくるだろう。

 それよりもいまはさきまわりして、あわれな被害者たちにご注進してやろう。

 記憶をたよりに、そのまま気安い雰囲気のただよう界隈をぬけていくと、まようことなく目当ての店へとたどりついた。

 まったくよい場所に建てたものだ。お世辞にも一等地とはいえないが、安酒と退廃のはびこる場末の酒場ほどには陰気くさくもなく、どこか風抜けのいい活気に満ちている。

 建物はあたりでもかなり大きな部類にはいる二階建てで、それ自体はどっしりとした拵えで、ずいぶんと幅をきかせている。そこに少々やりすぎかとも思えるほどの派手な飾りつけがなされているが、店主にそのテの才があるのか、不思議とまとまっていて不快な感じはしない。上階にも席があるため、通りに面した広いテラスからも、上機嫌の客が杯をあわせる音が響いてくる。

 まえの通りでは、肩も露なブラウスに、丈が短くいやにぴったりとしたパンツからまぶしい脚をのぞかせた娘たちが、盛んに客を呼び込んでいた。

 そのなかに見知った顔を見かけたので尋ねてみると、やはりかれらは店に来ているらしい。すぐそこにせまった女子隊員による失笑という憂き目もしらずに、まったくいい気なものだ。やれやれ仕方がない。

 いまいち馴染めない愛想のよさを発揮する呼びこみ嬢に恐縮しつつ、楽園への門をくぐろうとしたそのとき。

「おや、そこにいるのはユーティノス・ウエストじゃないかい?」

 ふいにかかった背後からの無粋な声に待ったをかけられたのだった。



 驚いてふり向くと、そこにはひとりの騎士らしき少年が立っていた。丈はやや小柄で身体つきもやや細身である。

 赤紫の長袖服、黒のタイツ穿きにブーツという、どこか近習然とした恰好で、腰に流麗な拵えの剣をさげ、頭はふっくらとした黒髪のうえに服と同じ色の帽子を乗せていた。

 少年はいやに自信たっぷりといったふうで、腕を組んでこちらを睥睨している。その後ろには同職とおぼしき若い騎士がまだ三、四人ほどおり、それらの中心には、身なりのよい中年の男ふたりが、護られるようにして立っていた。

 誰だ? なんで俺の名前を? この街にそこまで親しい知人なんていない。

「おいみろよユティがいるぜ。なんだ? 連れか?」

 とっさに思い出すことができず考えこんでいたところに、また声がかかった。みると、ちょうど店内から出てきたらしいご同輩ふたりの姿があった。楊枝なぞくわえて、いかにも満足げといった様子である。

 声をかけてきた短髪にチュニックの男がボナパルト、魔法士ふうのコートをはおったほうはコーネルという。

「いや······初めてだ」

 そのはずだ。すくなくとも、これまで自分が遇ったことのある感じの人間ではない。なんというか、毛色が違う。

「······随分と生意気なクチをきくんだな。それが、一介の傭兵風情が貴族にとる態度か」

 後ろについていた騎士のひとりが咎めるように言った。ユティはその物言いにすこしムッとしたが、上りかけていた段を降りると、脇にそれて一礼した。

「ご無礼いたしました」

 いけない。アミュレ騎士隊にいると、ついついそのへんのことがおざなりになってしまう。これというのも、そもそもラシャの方針が良くないのだ。

 ──ウチでは敬語禁止。

 勝手にユティの名を縮めて呼びはじめた彼女がつぎにだした命令がこれだった。

 愛称で呼ぶのがウチの流儀なんだよ、とラシャはいい張っていたが、たんに長くて呼びにくかったから、というのがその本心であり、いまのところその予想は当たっているようだ。

 そこにかんしてはほかの隊員たちもご同様で、およそ貴族とは思えない気さくな者ばかりだから、同年代ということもあってつい態度が軟化してしまう。

 ユティが言動をあらためたのをみて、紫服の若騎士は機嫌を良くしたようだ。眉間を硬くする残りのふたりを意識することもないのか、ふたたびユティへと視線を向けた。

「まあ、憶えていなくても無理はない。君を見知ったのはかなり前······まだお互い学生の頃だったからね」

「······失礼ながら、私は郷里の士兵学校の出で、貴族の方にお目にかかったことは······」

 少年騎士は小馬鹿にするように鼻で嗤ってかぶりを振った。

「おいおい、忘れたのかい? 最後の年の親睦対抗戦のことを。ウチの大将に随分と凹まされていたじゃないか」

 とたん、ユティの脳裏にあの夏の光景がまざまざと蘇った。闘技場をうめる学友達の怒号、仲間たちの必死の声援、熱い土の匂い、陽に照り返る金髪、そして氷のような視線──

「まあ、記憶から消したくなるのも解らなくはない。ホンモノも知らず、ケロケロと息巻いていたその鼻っぱしらを完膚なきまでに叩き折られたんだからね」

「おい」

 さすがに見過ごせなくなったのか、黙って聞いていたボナパルトがとうとう口を挟んだ。どんどん調子に乗っていく小僧に灸をすえてやろうという気がありありと見てとれる。

「ちょっと独りよがりが過ぎるんじゃないか? 名乗りくらいしたらどうだよ」

「······キミは?」

 少年は、まるで初めて気付いたとでもいうように、ちらりと目の端でふたりをとらえて尋ねた。

「······まあいい。俺はそっちと違ってもったいぶるつもりはないんでな。俺の名は、ボナパルト・コルカド・デ・バングス」

「俺はコーネル・エグマキナ」

 誰か知ってるか? そう言外に問うように、騎士は仲間に肩をすくめてみせた。

「で? 何なんだよ。お前はいったい。コイツになんの用だ」

 焦れたボナパルトが若干声をあらげる。少年騎士は嘲笑じみた面持ちでやっと己れの名を口にした。

「ボクの名は、グリオン・アルベイン。当時は大将の侍従として仕えていた。わが主の名はさすがに聞き覚えがあるだろう。インブリット・グレイスマンだよ」

 インブリット・グレイスマン! 同世代の戦士なら、他国のものでも知らぬ者はいないといわれるあの凄腕美剣士!

「マジか! あの、セレスフィアの氷姫将軍の? ユティ、お前そんな大物と遇ったことあったのかよ!」

 答えるかわりに、ユティは苦いものを噛むようにして口を結んだ。その様子を面白そうにみながら、グリオンと名乗った少年騎士がかわって答えた。

「遇ったもなにも、実際に剣を交えて、たっぷり可愛がってもらったのさ、ねえ?」

「············」

「彼女はその頃からすでに、完成された魔法剣士として群を抜いた存在だった。そして自分とおなじ人間を貪欲に集めていた。だから他国の士兵学校に魔法剣士らしい生徒がいるときいて、上機嫌で出かけていったんだ。わさわざ親睦のためのお遊戯会に参加までしてね。ところがいざ会ってみれば──」

 グリオンはやれやれといわんばかりに首を振った。

「ちょっと持ちあげられてその気になっているだけの紛いものじゃないか。僕が調べたことを報告すると、彼女は随分ガッカリしていたよ。それがかえって怒りとなり、キミはああまで徹底的に打ち据えられたってわけさ」

 ユティはもう抑え切れずに、鋭い眼光でグリオンを睨みつけた。

 そんなことは他人に言われずとも理解できていた。ともに剣士同士、じかに剣を交えれば、他者の傍目に解らぬことまで感じあえるものなのだ。

 確かにあのとき、このちっぽけな自信は粉々にうち砕かれた。ただそれは、当時の自分が無知だったという、ただそれだけの話だ。いまだに心に刺さる棘にはなっているし、彼女に対して思うところは色々とあるが、単純に恨みに思っているというわけではないのだ。そもそも立ち会いの神聖な部分にまで、解説者ヅラで他人にくどくど述べたてられたくはない。

 ユティの怒りの視線を受け、グリオンも、不躾だといわんばかりにややその眼光を鋭くして彼をにらみ返した。

「何だい。ご不満かな? ───まさか僕に噛みつこうってわけじゃあるまいな」

 シン、と場の空気が凍りついたように感じた。ボナパルトもコーネルも、グリオンの連れの騎士達も、その不穏な気配を感じて身を硬くする。

「おい、よせグリオン。任務を考えろ。揉め事をおこすと上から咎められるぞ。それにいつまで客人をお待たせするつもりだ? そんな浪人捨てておけ」

 さすがにまずいと思ったか、騎士のひとりがたしなめるように言った。だがグリオンは、振り返りもせずに冷ややかな笑いを浮かべた。

「問題? 問題ってなにさ? これは私闘じゃない。たんなる躾けさ。上手の者が下手のものにありがたい教えを授けてやる───いってみればこれは人助けだよ。キミも安心したまえ。僕に剣をむける無礼は大目にみてやる」

 グリオンはここで、急にこれまでの嘲るような調子を一変させ、冷たく言い放った。

「万が一、僕に勝ったとしてもね」

 当惑した連れの騎士はチラと、中心にいた貴人とおぼしきふたりの男に視線でうかがいをたてたが、その男たちも面白い、といった含み笑いを見せ、ちょっと顎でしゃくってそれをうながした。

 そりゃ、交易の中継地ではあるし、この街で歓楽街はこのあたりだけだ。目的が接待だというのならそういうこともあるのだろう。だがよりにもよって、忌まわしい過去を知る野郎とバッタリ出くわさなくてもいいだろう。

 ほんとうに相性の悪い相手というのは、こういう奴のことを言うのかもしれない。

 ユティは心底むなくそ悪くなった。



 ちょうどそこに空き地がある、そこでやろうか。そういう彼の誘いに、ユティは無言のまま従うことで意思を示した。

 つれのふたりは止めようかどうしようか迷う気配をみせていたが、けっきょく何も言わず、立会人と化して背後にひかえた。

 右手に通行人、左手にふき抜けで海がみえる広場に、ふたりは距離をえて向きあった。海風に飛ばされぬよう、帽子を仲間に放ってよこした後、グリオンは腰にすえた剣を静かに抜きはなつ。

「僕もあの方と同じでね、ニセモノは大嫌いなのさ。キミも戦場ですこしは見てきたのだろう? ちょっとばかり魔法をかじったからって、やれ魔法剣士でござい、魔法戦士でございといってのける連中の増長ぶりを。正直ヘドが出るよ」

「······アンタには解らないでしょう。それもこれも、すこしでも生き残るためにやっていることだ」

「大変だな、弱い奴は」

「大変ですよ、誰もお守りしてくれないんでね」

 潮風がひと筋吹き抜ける。すこし冷えてきた。向きあったふたりがフッと微動だにしなくなった。

 だし抜けに突風が襲った。その瞬間弾かれたように前にでる。傍観者たちが砂塵に目をおおう中、ふたりの剣がかち合い火花を上げた。

 そのまま息つく間もなく一合がまた次の一合へ流れ、まるで時を惜しむかのように一秒と離れることなく、二つの剣は力を比べあった。

 打ち合ってみてわかった。このグリオンとかいう少年の剣。力強さこそ違えど、昔打ち合ったインブリットの剣とよく似ている。まず同じ流派であろう。セレスフィアの貴族ご用達のものなのかも知れない。あまりにも似かよったその剣筋の一撃一撃がユティの癇にさわった。

「ふんッ!」

 いくら鋭かろうと単純な力ではこちらに分がある。鍔迫り合いからユティが気合いを入れて押すと、グリオンはたまらず一歩退がった。と、ここでするりと逃れると剣をおろし、自身のプライドがそうさせるのか、こみ上げる怒りを必死に抑えるように口元を歪めて嗤った。

「へえェ······ちょっとは剣も使えるんだ? まあ、そうでなくちゃ僕もはり合いがないけどね」

 ユティもフッと息を吐いて、あらためて身構えた。

「さぁて······と。そろそろ身体も温まってきたことだし······」

 グリオンはにやりとまた嗤うと、剣の鍔を口もとによせて構えた。

「見せてやるよ。ホンモノを」

なにやら口早に唱える。すると剣の刀身がにわかに揺らいだ。いや、そうではない。

 ──風が···

 そう、風だ。剣を中心にして渦を巻くように、突発的にわいた風が刀身を包みこんでいるのだ。それをみて観衆がドッと沸いた。

 その光景は、ユティの心中をとてつもない勢いでかき乱した。

 こんな、勝手に昔なじみヅラをする腹のたつ野郎が······たまたま遇うだけでもおかしいような奴が、このうえ魔法剣士だって? どうかしているだろう! そんなのは!

「馬鹿な、ありえない! こんな現実!」

「──あれが魔法剣か······初めて見たぜ。やっぱ難しいのか?」

 ボナパルトが目をみひらいて尋ねると、コーネルは眉根をよせて前を向いたまま答えた。

「ああ。彼らいわく、一意専心の剣がもたらす奇蹟だってさ」

 グリオンがふたたび身構えた時には、風はさらに強く、その周囲の空気もとり込むように大きな渦となって唸りをあげていた。

「さあ行くよ? お得意の魔法でなんとかしてごらんよ!」

 落ち着け······だから何だ。はじめてじゃないだろ、ユーティノス。

 ユティは懸命に呼吸をおちつけて、グリオンのかかげる剣をじっと見上げた。

 こうして向きあっていると、初めてその剣をみたときの感動と恐怖が蘇ってくる。あのときの彼女の剣の、なんと美しく恐ろしかったことか。

 あのころ、学生時代の自分ごときではとうてい太刀打ちなど出来なかった。それから世に出ていままで、多いとはいえないものの、それなりに戦場に臨んできた。だが、実際に真の魔法剣をあやつる剣士には出合ったことも、ましてやそれを向けられることなど皆無だった。それほどに貴重な人材なのだと今になってやっとわかる。

 だからこそだ。それをまさかこんなガキに見せつけられようとは。この癇にさわる野郎に対する怒りがさらに増してくるじゃないか。

 今は今だ。昔とは違う!

 腰だめに剣を構えたグリオンが、さらにグッと身を屈めた。

「躾けてやる!」

 刹那、いっきに踏みだしてきた体勢から横薙ぎに払い、即座に大上段から振りおろした。その軌道を追うように突風が吹きすさぶ。

 初擊の風に動きを封じられそうになりながらも、ユティはかろうじて本命の太刀筋をかわした。とたんに猛烈な砂礫が襲う。ゴンッという音とともに、まるで投石器で巨岩を投げつけられでもしたように、命中した地面がごっそりえぐれた。

 なんという破壊力。とてもではないが直に受けることはできまい。だいいち、よしんばその一刀を防いだとしても、とり巻いている風に切り刻まれてしまうだろう。

 これこそが魔法剣の真の恐ろしさなのだった。まだまだ成長過程で華奢な体格、ユティにさえ力負けしてしまうような少年の剣を、巨獣すら両断してしまうような剛剣へと変貌させてしまうのだ。その要領はけっしてあとからつかめるようなものではなく、すべては生まれもったものであるとは、昔インブリットにいわれた言葉だ。

 むろん、彼らが貴族だからその才を授かった、というわけでもないのだろう。世界中をくまなく探せば、平民の子供のなかにも、同じような才をもつ子をみつけ出すことはできるはずで、たまたまそれが自分ではなかったというだけの話なのだ。

 だが、それでも一介の平民が剣をもつことなぞ稀だ。魔法を学ぶ機会などさらに希少である。

 彼らが貴族だから。やはりすべてはそこに起因する。貴族だから、その貴重な才をあますことなく見出だしてもらえ、伸ばす環境を与えてももらえるのだ。

 ······勝てない。そんなものに勝てっこない。やはり俺はニセモノでしかないのだ······

 けっして剣の腕で劣っているわけではない。にもかかわらず、こんな反則のような無慈悲で不公平なものによって屈服させられてしまうのか······

 ユティの胸は、いまや怒りや嫉妬すらとおり越した寂寥感でいっぱいだった。こんなもの、いくら努力したって埋まるものじゃない、俺にどうしろって言うんだ。

 ユティの両腕が、ゆっくりと下がった。彼の異常を感じとったボナパルト達がしきりに叱咤するも、もはやユティの耳には届いていなかった。

 ユティからたち昇っていた殺気がフッと消え失せたのをみてとったグリオンは、ほんのすこし揺らいだ自尊心を回復し、勝ちをみとめて嘲りの笑みを浮かべた。

「どうやら本来の力の差がわかったようだね。なかなか感心だけど、せっかくだ。もうこんな機会もないだろうし、一撃、受けていきなよ。もう二度と貴族様にたてつかぬよう、後学のためにもさ」

 まるで午後の茶にでも誘うような口調でそう言って、また腰だめに剣を構える。相変わらずユティは棒立ちのまま、構えようとすらしない。

「馬鹿野郎! 構えろ! 諦めんなユティ!」

「やめろ! これ以上は許されない! これは決闘じゃないんだろう!」

ふたりの言も、加虐心に火のついた少年貴族には通じない。

「······安心しなよ! 授業料は腕の一本ぐらいで勘弁してやるからさ!」

 そうグリオンが一歩踏みだそうとしたときだった。


「こぉ───────らァ───────ッ!」


 唐突に。

 目一杯すい込んだ空気をまるごと吐き出したような大声があたりに木霊した。

 人々が肝をぬかれて視線をむければ、人垣の最前列に、腰に手をあてた恰好のまま、鼻息あらく広場にいる人間に睨みをきかせている小さな影がひとつ。

「······隊長?」

「うげっ、マズ!」

 ラシャが、周囲の視線を独り占めして仁王立ちしていた。さらに悪いことには、その横に、おなじく隊員のサキアの姿まである。

「結局いつものオチか······」

「んなこと言ってる場合か!」

 もうひとつ、フンと荒い鼻息をつくと、ラシャはズカズカと広場の中央をつっきり、剣をひいたグリオンと、いまだ棒立ちなままのユティの間にわって入った。そのままグリオンの顔を正面から睨みあげて両腕を組む。

「ちょっとキミ! わたしの部下になにしてるの! 見たとこ貴族のようだけど、よってたかって恥ずかしいよ!」


 その時、ほんの些細な、それも瞬く間ではあったが奇妙なことがおこった。もしユティに気持ちの余裕があったなら、前に立ちはだかるラシャの上から意外なものが見られたはずだ。

 グリオン・アルベインが困惑した表情を浮かべていた。まるで思いもかけない人物にぐうぜん遇ってしまった、とでもいうふうな、そんな顔である。さらにもうすこし憶測をはたらかせるならば、できれば避けたかった、というよりは、幸運にも遇えてしまった、という表現が正しい気がする、どこか不穏当さを感じさせる顔だ。

「──」

 その唇が、微かにラシャの名を口ずさんだ気がした。

「よってたかってだなんて人聞きの悪い」

 だか次の瞬間には、グリオンはもとの澄ましこんだ顔に戻っていた。文字どおり、まるで目の前の子供をあやすようなそつのない笑みを口もとに浮かべて、力をゆるめ、手に下げていた剣を納めた。

「御覧のとおり、一対一の稽古をつけていただけですよ、レデイ。少々熱が入りすぎてしまいましたけどね」

 そのまま無言で貴婦人に対するような型どおりの礼をすると、踵を返し、つれの者達にうながして、あっけないほどにすんなりとその場を後にした。

「······どうしたってんだあの野郎は。いやにアッサリ引き下がりやがったな」

 ポカンとした表情で、人騒がせな一団の背を見送りながらボナパルトがつぶやいた。コーネルもかえす答えをもたず、無言のままそれにならった。あの執念深そうな少年にしてはまったくもって不可解な行動だ。だが、今はそれどころではない。

「で? どういうワケでこうなったの?」

 ひと息つくと、今度はくるりと後ろの三人に、いつになくきびしい視線と声音がそそがれた。

「隊則にも無用の私闘は禁じてあるはずだけど?」

「いや、聴いてくれよ」うつむいたまま答えないユティに代わり、無言の間をおそれるようにボナパルトが答えた。

「別にコイツをかばうつもりじゃねえが、今日のことは奴らから難癖つけてきたんだぜ? からまれたのはこっちの方だ」

彼の言に、コーネルも同意とばかりうなずいてみせた。

「だからって喧嘩していいことにはならないでしょ。しかもこんな繁華街で剣まで抜いて」

サキアも眉根をよせて深刻な面持ちでかえした。

「そうだよ、相手は貴族なんだ。身分をかさに斬られてたかもしれないんだよ?」

 ラシャは真剣に心配してくれているようだ。その言葉に、ユティの罪悪感がうずいた。

 そのまま誰もが口をとざし、しばし、ねぐらへとかえる海鳥の声だけが聞こえた。

 沈黙をやぶるように、サキアがかるく溜息をもらして言った。

「······まあいいわ、怪我もないようだし。隊長、このことはあとでゆっくり検討することにしない? すこし目立ちすぎたわ。離れたほうがいいと思う」

 ぐずぐずしていると警軍がやってくるかもしれない。そうなったら立場上面倒なことになる。隊の関わる仕事は、それらの組織とはそりの合わないものもある。

 その言をいれ、ラシャもとりあえずはこの件はあずかることとして、撤収を命じた。

 怒っているのか、ムスッとしたまま先頭をいくラシャと、それに従うユティ。一番後ろにボナパルトとコーネル、サキアが続いた。

 こそこそ小突きあいをしているふたりの後ろ姿をみながら歩いていたサキアが、それで思い出したとばかり唐突にきいた。

「そういえば隊長。いってた店には着けたの?」

 先頭をいくひとりの歩みと、後に続くふたりの男の歩みとが、まったく同じタイミングでピタリと止まった。





 当時のことなら、今だって鮮明に思い出せる。皮肉なことに、つらい記憶のほうが楽しかった記憶よりも憶えがいいくらいだ。つくづく損な性分なのだろう。

 運よく国立の士兵学校にのぼったとはいえ、当時から俺はパッとしない剣士だった。なんとかふり落とされずにやってこられたのは、迷っていたときに勧められた魔法に出会えたからだ。

 どうやらその適性だけはひとよりほんのすこしだけマシだったらしい。ズブの素人が熱操作魔法の上級までを体得できた。

 それだけ、声をかけてくれた師範の眼はたしかだったのだと思う。そのおかげで、鋼生産を中心とした技術興国のティルゾーム、それも学生クラスではめずらしい魔法剣士──実際にはもどきだが──として、学校代表チームにまで選んでもらえたのだから。

 恥ずかしい話だが、俺は有頂天になっていた。仲間から魔法剣士とよばれることにも、何らてらいを感じることさえなくなっていたほどだ。ほんとうに、つくづく舞い上がっていた。

 そしてあの日。その慢心はあの女、インブリット・グレイスマンに出会って、粉々に打ち砕かれた······

 ──後学のためだ。貴様に見せてやる。正真正銘の本物を。

 つややかにのびた金髪をなびかせ、その怜悧な蒼い瞳で俺をみつめて、そう彼女は言った。

 ──真の魔法剣とは、天に選ばれし才を授かった剣士が、己の剣を極めたさきにあるもの! 一意専心の剣が起こす奇蹟! お前のそれは、双方をうすっぺらにはり合わせただけのハリボテだ。

 今でもはっきり思い出せる。完成させた氷雪の魔法剣を振りかざしたインブリットの神々しいばかりの立ち姿。

 剣を合わせた瞬間の、恐ろしく冷たい手ごたえ。

 間近でみたその剣は芯から淡い白で輝き、そこから滔々とあふれる冷気が、日の光に刺すようにまたたいた。まるで刀身そのものが氷になってしまったかのようだった······

 冴え冴えとした音とともに、俺のもつ剣は凍てついたまま真っ二つにたたき折られた。その直後、腹に走った痛みと衝撃。安物の防護鎧はいともたやすくうち砕かれた。俺は悶絶し、地面に崩れた。

「これに懲りたら、もう二度と魔法剣士を騙らぬことだ」

 かろうじて聞きとれた彼女の言葉がそれだった。


 深夜の宿の裏庭。みなが眠りについた暗闇のなか、何千とくり返してきた型をなぞり終えた剣を、ユティは下ろした。柄を握りしめていた右手が痛む。いつもより剣が重いと感じた。





 アミュレット騎士隊はつかえる国をもたない騎士隊である。明確な主はおらず、しいて言うなら、騎士隊の隊長であるラシャの私設組織、ということになるのだろうか。

 本拠もとくに定まってはおらず、なにかしら剣呑な依頼があれぱ、そのつど現場へ隊ごとのり込んでいく。

 ひき受ける仕事は傭兵任務から輸送、護衛など多岐にわたり、雇い先にまったく頓着はない。金さえだせば、国家から個人まで誰でも雇うことができることをウリにしていた。

 そんな彼らを今回たのみとしたのが、大陸東南部の国家、ミリニアだった。



 ガタン。車が揺れて、目的地へ到着したことを告げる。薄暗いなか、ユティはゆっくりととつむっていた瞼を開いた。安手の乗合馬車のなかは混雑しており、両膝をまげ、荷をしっかりとかかえこんた体勢でまる一日を過ごしたほどだ。サッとうしろの幌幕が上がり、まっ白な陽の光が目をくらませた。

 詫びを言いつつ、ほかの乗客と押し合いへし合いしながら幌をくぐると、新鮮な空気が縮こまった肺にスウッと滑りこんでくる。ユティはひとつ、おおきく深呼吸すると、あらためてまわりを見まわした。

 見渡すかぎり、山、また山である。

 砂漠に近く乾燥した土地柄によるものか、草木の丈は総じてひくく、ゴツゴツとした地味の茶色が雄大な景観のほとんどを占めていた。

 鉄鋼業に必須の、水と森林資源に恵まれた故郷ティルゾームの山なみとはたぶんに趣きがちがう。だが、そんな土地でも忍耐づよい地元の農家の手によって、たしか油の原料にもなる緑の実をつけた樹木などが、きれいに列をなして植えられている。




 私闘をやった罰として、と前おきを言ったうえで、ラシャは彼にこう命じたのだった。

「次の次の任務に先だって、偵察をしてきてくれる? そう、その輸送任務の。まえ乗りってヤツね。私達は途中、もうひとつ捕縛任務をこなしたあと、基地で輜重(しちょう)隊をひろって行くから。けっこうけわしい道だってニコルもいってたし、調査は念入りにね。あと、盗伐任務のほうは、ユティは出ないわけだから、当然お給金はナシたよ。わかった?」

 ユティは大人しく命令を拝領し、隊を離れた。

 騎士隊のつぎなる目的地は、ミリニアとウェラヌスキアの国境付近に位置する砦町、スヴォルだ。げんざいミリニアがもっとも神経を尖らせている国境問題をかかえた最前線のひとつである。

 元来この国は、魔導興国と謳われる古の法が支配する国、ウェラヌスキアとの間に、幾多の微妙な問題を抱えているのだが、最近になって、それがどうもキナ臭い様相を呈してきている。

 発端となったのは、おなじく国境を接する第三国のセレスフィアとの関係悪化だった。

 もともと良いとも悪いともいえない二国間におきたささいないき違いがもとで、ミリニアはよけいな気苦労をしょいこむはめとなった。

 さらに最悪だったのは、そのセレスフィアとウェラヌスキアが、伝統的な同盟関係にあるということだ。これまではセレスフィアの顔色をうかがって手を控えてきたウェラヌスキアにとってはまたとない機会が到来した。

 その牽制のために、ミリニアは国境にかなりの兵力をさいて防備をかためている最中だった。ところが、そんな国の算段をたびたび狂わせる厄介事の種は、こういう時をねらってやってくる。

 その種というのが、他国から血生臭い職を得ようと流入してくるならず者たちであった。

 かれらは味方にすればなかなかに重宝するが、どだいひと筋縄でいくような連中ではない。

 かの者らはらは国境の町にいすわり、いちじるしく治安を乱すばかりか、なかには徒党をくんで軍の物資を強奪するものまでいた。もちろん、その裏に敵の間者の暗躍があった例もすくなくはない。

 あたり前の反応として、ミリニア軍としてはそういった連中の相手に正規兵を送りこむことを嫌った。

 そこで登場してくるのが、まだしも管理のしやすいアミュレ騎士隊のような傭兵隊というわけだ。この国は、そういった者達をよび寄せるために賞金までかけてならず者にならず者を狩らせる環境をつくりだしている。

 今回の任務の真意をくみ取るならば、その砦に物資をはこぶついでに、そのまましばらく滞在し、そういった連中に睨みをきかせてくれ、ということになるのだろう。


「うぅ、やっと着いた······」

 隣でおなじくひと心地ついて、尻をさすっている同伴者に、ユティは胡乱な目をむけた。

 本当に、なぜこの組み合わせなのだろう。

 正直、いまは独りになりたい気分だ。そのためにこの下調べの任務はうってつけだと思っていたのだが、どうやら隊長にはお見通しだったらしい。それでは罰にならないと思ったのだろか、討議の席でラシャがしごくまともにこんなことを言った。

「なに言ってるの。独りで行かせられるわけないでしょ。それに分隊するような任務は常に二人一組って決まってるの。ぜったい誰かとはくんでもらうからねっ」



「だからって、なんで隊長かみずから来るんですか······」

 ユティは溜息混じりにつぶやくと、念押しのように、もうひとつ溜息をついた。あからさまにガックリこられてムッとしたのか、道中の馬車の乗り心地への不満がくすぶっていたのか、ラシャはとがめるように彼を一瞥した。

「だって······しょうがないじゃん! みんなが私に行けって言うんだもん」

 どうもユティに負けず劣らす凹んでいるらしいラシャは、うつむいた顔のまえで、両手のひとさし指をくっつけたり離したりしながら、言い訳めいた呟きをもらす。

「みんなが、『お守りもいないことだし、また勝手されると面倒だから、今回はユティについてきな』って言うんだもん」

「お荷物扱いじゃないですか」

「うるさい」

 なんだろう。ていよく隊の連中に子守りを押しつけられたような気がする。

 そもそもラシャが考えなしに行動するときは、たいがい「じっとしていること」への憤懣がたまっているときなのだ。このさい自分に押しつけて、ガス抜きをさせてしまおうという腹なのではなかろうかと勘ぐりたくもなる。ラシャはそれでいいとしても、この俺の心労はどうしてくれるのだ。まったくもって歩にあわない。

「まあ今回のは、民間筋の依頼だから前みたいな重いことにはならないよ。みんなだけでも問題ないでしょ」

 殊勝なことに、ラシャは短時間で気持ちをきりかえ、あらためるようにおおきく息をした。つぎに肩掛けにした簡素な荷をゴソゴソとやって、地図をとり出した。

「さ、ここからが本番だよ。気合いをいれないと、陽が沈む前に町まで着かないから」

「わかってますよ」

 ユティは腰にさげた剣の鯉口をすこし切って具合を確かめてから、荷を背負いなおし、先にたって一歩を踏みだした。





 スヴォルがもっとも注意の必要な国境地帯であるとされるゆえんはふたつある。

 ひとつは立地だ。この砦町は規模こそ大きいものの砂漠のただなかに存在している。

 砂漠、とひとことでいってもけっして一面砂の海というわけではなく、岩石が多量にふくまれる地帯もおおい混合型の砂漠だ。

 そのために山のような巨岩やら深い谷やらもあり、しかも、オアシスとは呼べないものの小さな湧き水や、それらを水源とする川が、何本か細々と流れていたりもする。気温の問題をのぞけば、かくれ潜むにはさして不都合はなかった。酷暑に耐えられる戦獣にとっても、じゅうぶんに生息可能な範囲といえる。

 そしてもうひとつが、そのまえに広がる、通称『片天秤の谷』イガリガ峡谷の存在だ。

 かつて、この奥にひろがる砂漠を干拓地にかえようという大計画があった。このイガリガ峡谷に大円堰をきずき、そこにためた水を砂漠に流しこもうという壮大なものだった。国家的規模でとりくまれたこの一大計画はしかし、結果的には頓挫して終わった。

 もともと天候が荒れやすいこの峡谷での工事は長期化し、その間にも崩落などでたよりとした水源が塞がれるなどの問題もかさなって、予想していたほどの水量を確保できなくなったため、ミリニアはこの計画を放棄した。

 その工事跡に、いつしかお尋ねものや戦獣などが棲みつき、旅人にとって、容易ならざる険路と化してしまったのである。

 片天秤の谷とはつまり、さまざまな意味で、入るには間尺にあわぬ場所、というわけだ。





「あーっ、もう疲れた~」

 峡谷にはいる直前につくられた町の宿に落ち着いたとたん、案の定ラシャはダダをこねはじめた。

「もう今日はいいや。ゴハン行こうよ、ゴハン~」

 ひとあしさきにじぶんの部屋へ荷をほうりこんだあと、ラシャの部屋のチェックをすませたユティも、今回ばかりはその意見に賛成だった。

 まったく、町に二軒しかないという宿がガラ空きでたすかった。さいあく相部屋も覚悟していたのだが、おのおの部屋がとれたので、とりあえず今晩はぐっすり眠ることができそうだ。退屈したチビ権力者にあれやこれやと命令されることもないだろう。

 ユティはのぞきこむようにして窓から外を眺めた。砂風に削られた窓ガラスの奥から、眼下にひろかる緋色の風景がぼんやりと見てとれた。

「まあ、しょうがないですね。じゃあ、トリ屋を探すついでに夕飯すませちまいましょう」

 大陸でひろく使われる伝書鳩便──大陸で数少ない通信手段──の算段をしながら、ふたりはエントランスへとむかった。



 ちいさな町だ。鳩便屋は一軒しかなく、そこいらを歩いていた老爺をつかまえてたずねてみたら、無言のまま杖の先で方角をしめしてくれた。

 埃っぽい、面積だけはひろい道を、ラシャはさきほどの愚痴もどこへやら、機嫌よさげに歩いていく。

 陽はすでに傾き、そのせいか人通りもまばらだった。二階建てが目立つほどにしかない木造の家なみを朱金につつみ、落とす影の長さもじわじわ増している。まだ暮れの時刻には早いような気もするが、高山に囲まれたこんな地域では、それも特別なことではないのかもしれない。

 建物の屋根に大小様々な、なにかしら桶のようなものが据えつけてあるのが目につく。おそらくはああやって雨水をためておくのだろうとユティは見当をつけた。乾燥しているくせに急な激雨もあるこの地域には必須のそなえといえる。

 迷いようもない、おそらくはメインストリートであろう道を進んでいくと、なかなかの店構えをほこる酒場に出っくわした。

 二階建ての外見はたいそうくたびれているが、往時はさぞ儲かっていたものとみえ、その実、造りはまだまだしっかりとしたものだ。戸口の前には居心地よさそうなデッキが、太くどっしりとした柱に守られるにしてあり、誰が使うのか、寝椅子も二脚ほどおかれていていた。

 先頭になってはいったラシャがゲート開きの半扉を開けると、使いこまれて鈍くなったカウベルがここちよい低音でコロカラ鳴った。

 ちようどいまランプをつけたとみえて、手伝いとおぼしき少年が、踏み台から危なっかしく降りた。店内は、戸口を入ってすぐホールがあり、むこうの壁際に趣のある棚が据えつけられ、そこにずらりとならんだボトルの番人でもあるかとように、いかめしい顔つきをした店主が客に無愛想な相づちをうっているという、じつにありがちな造りだ。

 なかの客入りはまずまずたいったところで、はやめに仕事をきりあげた連中が帰りしなに一杯といった感じで、土埃で汚れた格好もそのままに、カウンター席へ三、四人ならんでいる。

 六つほどある大きめの丸テーブルの席には余裕があった。ふたりは窓辺の席をえらんで腰をかけた。

「もっと荒くれた連中がいるかと思いましたけど、思ったより落ちついた感じですね。鉱夫っぽい恰好のものが多いようですが」

「どういうイメージ持ってたのさ。なんかいまでも細々と掘ってるらしいって聞いたよ? どうも知られざる銀脈があって、それが闇ルートで取引されてるんだって。あと、量は少ないけど、ときどき貴重な鉱石が出るとかで」

「へぇ」

 もういちど、ひととおり店内を見回してみてから、ユティは注文してきますといって席を立った。そのまま、こちらを待ち構えているような店主のたつカウンターへと歩いていった。

「飲み物と、なにか腹に詰められるようなものを二人前たのむ」

「ここにはターキーはあっても、そんな具は牛の食う草しかねえぜ、兄ちゃん」

 たいして面白くも、巧くもない店主の冗談に、カウンター席の男たちが、奥歯を噛んだような笑みをもらす。ユティも溜息ひとつで流すと、あらためて注文しなおした。

「わかったよ。じゃあそのターキーもどきを焼いたやつ二人前と、あっちのコに酒以外でマシな飲みもの、俺には水だ」

「ホラよ」

 ドンとカウンターに置かれたのは、グラスにたっぷりと満たされたミルクふたつだった。ユティはひきつった笑みをみせたが、黙ってそれを受けとった、そのまま踵を返そうとして、ふと思いとどまった。

「ああ、そうだ。アンタ達。そう、アンタ達だ。ひとりでいい。顔を貸してくれないか。礼に一杯おごろう」

 テーブルに置かれたミルクをみて、ラシャは一瞬唖然として立ったままのユティを見上げたが、彼の手にも同じものがあるのを見て、なぜだかクフフと笑い、怒ることなくそれを手元にひき寄せた。

 山鳥の料理はそう待つこともなかったが、ユティが連れてきた男の口が軽くなるのには、そこそこの時間と五杯ほどの潤滑油が必要だった。

「それで? この峡谷を安全に抜けられる道はあるの?」

 ようやく舌が滑らかになってきた男に、ラシャは山鳥のソテーを口に運びながら尋ねた。

 ナイフとフォークのあつかいはさすがに達者で切り分けかたも上品だが、そもそも口をモゴモゴさせながら喋っている時点で、あまり行儀がなっているとはいえない。このへんに野良貴族の習性がみてとれるなと、どうでもいいことをユティは思った。

 そうしているうちにも、ラシャはどんどん男から情報をひき出していく。

「ふーん、そんなトコがあるんだね。でも狭い道なんじゃないの? もし天気が荒れたら私流されちゃうかも」

「んなこたぁねえさ。お嬢ちゃんでもじゅうぶんに登れる道だしよ。まあそりゃ、脇道だからな。当然まともな道と比べりゃあ厳しめだが、それでも充分よ」

「ホント? じゃあゾウとかでも通れる?」

「······そのゾウ、とかいうのがなんなのかはわからんが、野牛の群れだって楽勝よ。げんにこのへんの牛飼い達もちょくちょく使ってるんだぜ」

 巧いな。それと悟らせず、輸送隊が通れるか聞きだした。普段お子様扱いされるのを嫌うくせに、こういうときは積極的に幼くみせる。意外にしたたかだ。

 どうも自分にも子供がいるらしいその男は、いやー、やっぱりお嬢ちゃんみたいな女の子は可愛いな。ウチにもガキが三人いるんだが、こいつらが手に負えない悪ガキで、と愚痴だかラシャへの賛辞だかよくわからないことを散々もらしたあと、先にでた仲間を追ってふらふらと店を出ていった。

「とにかく絶対に下の道を行くんじゃねえよ。土地のモン以外はみんな野軍に目ェ付けられるからな」

そんな不穏な言葉をおきみやげにして。




「野軍······そんなものが居ついていようとは。でもそんな情報、出てくるときには聞かなかった」

「棲みついたのはここ最近らしいね。でも確かにメンドウだよね。いっそわかりやすく山賊とかのほうがよかったかも。野生戦獣とかさ」

 食事を終え、鳩便屋で到着したむねをてがみにことづけてから、ふたりは宿へと帰ってきていた。

 ラシャは自分のベッドのうえで枕を抱きしめ、ぼんやりと天井の木目をみあげている。ユティはげんなりとした顔をつくり、備えつけの椅子にふかく身を沈みこませた。

「なんですかそれは。どっちもいない方がいいに決まってるじゃないですか」

 野軍とは、いわゆる本拠をもたない戦闘集団──そういう意味ではアミュレ騎士隊もそうだといえるが──で、ただ日々の糧を得たいがためだけの山賊などとのおおきな違いは、あるひとつの意思や信念によって結ばれているということだろうか。

 これがまことに厄介で、のきなみ野心が強く頑固な連中がおおい。自分達もまた独立勢力たらんとする自負がそうさせているのだろう。主義や利害に一致した場合をのぞけば、ほぼ折り合いをつけることは不可能で、そんななかを無理やりつき進めば衝突は必死だ。

「そんな連中のなかに軍の物資を大量に抱えてとび込むなんて、とんだ送り魔ですよ」

「彼らホクホクだね」

「······冗談抜きでどうするんです? 状況からみても、ウェラヌス側の協力者とまでは言えないまでも、ミリニアの味方ではないですよ、おそらく」

「そうだねー」うーんとひとつ唸ったあと、ラシャはぽーんとたかく枕を放りあげた。勢いがつきすぎたか、枕は天井にあたり、そのお釣りとして、そこそこの埃を無作法をした本人の顔めがけて降らせた。

 ラシャは枕を受けそこない、あわてて起きあがってぺっぺと口にはいった埃を吐きだした。

「もう! だったらいっそお願いしにいこうよ。通してくださいってちゃんと頭下げてさ」

「ハァ?」

 自分でもそうとう無礼な態度をとってしまったとはおもう。だがそれもむべなるかなだ。今このお嬢ちゃんはなんと言ったんだ。

「お願いする? 正気ですか。タダで通してくれるとでも? 捕まって即人質ですよ」

 それならまだ良いほうだ。どちらかといえば清流をきどるアミュレ騎士隊は、その活動のなかで数々の悪党と渡りあってきた。そういう連中はこちらを忌々しく思っているはずであり、そういった連中同士の繋がりである闇のネットワークには、この隊長などは確実に賞金首として上がっているだろう。

 そんなところに売りとばされたらと思うと、考えるだけでも鳥肌がたつ。それに、今イチ口にしたがらない、彼女の実家筋に見受け話がいくこともあるのだ。

「その時はそうねぇ」

 ユティの態度に気を悪くするでもなく、ラシャはふっと唇の端を歪めた。

「いっそ狩っちゃおう」

 彼女以外の者の溜息が、部屋中にたっぷりと満ちたことはいうまでもないだろう。




 翌日。

 意外と快適だったベッドと、まったくもって静かな田舎の夜のおかげで、ぐっすりと眠ることができた。

 ユティがずいぶんと疲れの抜けた身体を伸ばしながら階下へと降りていくと、ホールではラシャが宿の女将てずからの給仕によって、朝飯をモリモリと平らげていた。

「おほはっははねヒュヒィ。ヌグ······はやくゴハン食べて。出かけるよ」

「出かけるって······」

 どこに、と言いかけて、ユティは昨夜の会話を思い出した。

「まさか」

 言葉に詰まり、胡乱な目つきで自分を見つめる彼に、しかしラシャは応えることなく、さも意味ありげに、スクランブルエッグのおおきなやつをフォークでカツンと刺し、ばくりとやった。

「······あーそうですか。いいです。わかったんでもうちょっとゆっくり食ってくださいよ。せっかくの食事は味わっていきたいんで」

 ユティは朝から年相応の食いっぷりをみせつける小娘に感心する女将に、自分のぶんもいそいでくれるよう頼んだ。



 どうやら前日の過激な発言はさすがに冗談だったらしく、ラシャも、たったふたりで討ち入りをかけようなどと本気で考えてはいなかったようだ。ユティにいったん部屋に戻って、少量の荷と剣一本といういで立ちになるよう命じ、自分も同様の姿に着替え、槍一本を肩にかけた恰好となった。

 その上からこの町で買った牛飼い愛用のフードつきマントを羽織ると、なかなかどうして、地元の人間に見えなくもない。

 なるほど。なんとなく彼女の狙いがわかってきた。

 そうしてあらかじめ頼んでおいた弁当を受けとると、ふたりはのこりの荷をあずけたまま宿をでた。

 念のためにわざと自分のマントを地面の砂にまみれさせながら、ラシャは言った。

「とにかくその抜け道ってやつを実際に見ておかないとだもんね。状況が変わってるかもしれないし、野生の戦獣のこともあるしさ」

「······まあ、そうですね。でも」

 そこまでいって言葉につまった。バサバサとマントをはたき、あたりへ豪快に砂をまき散らせていたラシャが、キョトンとユティをみやった。

「──約束してください。なにがあっても偵察だけにとどめるって」

 とくになにかが騒いだというわけではない。ましてや、予感めいたものがあったわけでもない。たんに、近頃うまくいっていない自分の弱気が口を突いただけかもしれない。ただするりとそんな言葉が出ていた。

 意外だ、といった感じでラシャはすこし戸惑ったような表情をした。

「···心配してくれるんだね、ユティも。どっちかっていうとボクと一緒でガンガンいっちゃおう! って感じだと思ってた」

 自分でも驚いていた。いわれるまでもなく、歳のわりに彼女は強いし、もしかすると自分よりもずっと賢い。

 騎士隊の連中はなにかというと彼女を過保護に扱いたがる傾向にあるが、自分は違う。ちがうと思っていた。ポンコツの自分を拾ってくれたことにも感謝しているし、本人には絶対に言えないが、だからこそ尊敬にちかいものも感じている。彼女がついて来いといえば、多少の危地をともにするのもいとわない。

 客観的にみても、この騎士隊の面々は、あれで一騎当千の強者ぞろいといってよいと思うが、その彼らとて、場合によってはたやすく弱者へと転落してしまうのもまた、戦場の常というものではないか。

 そう、騎士隊の誰しもにそういう危険はつきまとっている。

 事がおきてからただ護るだけなんて、そんなのはなにか、違う。

 だが照れ臭さが先んじた。ついついいつもの憎まれ調子がくちをついてでる。

「俺も自分の身は可愛いですからね。あとでサキア達に殺されたくはないんで」





 標高がたかいせいか、どうにも空が蒼い。じっと見ていると目にしみて痛く、とても直視する気にはならない。

 太陽は白くまぶしく輝いてはいるが、その温かさは澄みきった大気を通過するさいにすべて奪われてしまうのか、まったく感じられなかった。ただまぶしいというだけで、おそろしく他人行儀である。

 町からゆるやかに下ったところにそれはあった。

 イガリガ大峡谷。壮大な半円を描くように大地に穿たれた大穴のなかには、まるで巨大なチェス盤のうえに無秩序におかれた駒のようだ。その圧倒的なスケールとも相まって、みればみるほど奇妙奇天烈な光景だった。

 その穴のはるか対岸には、さらにもうひとつの大きな山脈の陰がうすぼんやりと浮かんでいる。宿の者のはなしによると、あの目隠しのようになった山脈のすそはじかに砂漠へと下っていくのだそうだ。

 なるほどこの造りなら──そもそもそんな場所をよって町を拓いたのだから当然といえば当然か──たとえ峡谷の半分を埋没させてしまうような大雨が降ったとしても、町に被害のでる心配はない。もっとも、だからといってそんな場所に平気な顔で住み続けているのだから、あそこの住人の神経も山なみに大物だ。

 もしも例の計画が成就していたとして。ここから蓄えられた水が砂漠へと一気にとき放たれたら。

 そう想像してもみたが、とても自分のそれがおよぶ範囲ではなかった。ヘタをしたら山川と削られるかもしれない。もはやちょっとした規模の災害に匹敵する。

「さ、行こう」

 ひと息すい込んで、ラシャは崖にそってできた遠大な螺旋階段のような下り坂へと足を踏み出した。



 歩いてみると、思いのほか道は歩きやすかった。下りといっても、なにしろスケールが違うのだ。道幅もゆうに隊商よっつがすれ違えるほどもあり、勾配もあってないようなものだった。これならば、牛やラクダも脚を痛めることなく峡谷へと降りていくことができる。

 見晴らしもよく、はるか遠くに翼をもつ戦獣のような影もみえたが、ユティもさして身がまえる必要もなく、とうとう鼻歌の出だしたラシャの後へ続いた。

 しばらくして、ふたりは峡谷の底へとたどり着いた。今度は一転して、仰ぎみるとまるで巨樹のようにもみえる岩山が天を覆わんばかりにそびえ立ち、あたりをほの暗く隠していた。

「さて······ここからが本番だね」

 ラシャはまるで自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、背負っていた小さなリュックからガサゴソと、地図と磁石をとりだして広げた。

「──あの鉱夫の言っていた道ですけど、今さらですが必要なんでしょうか」

「え、なんで?」

 ユティはあたりを見回した。

 視界はどこを見ても岩の壁でふさがれ、その隙間を縫うように道ともいえぬ空間が広がっているのみである。確かな方角を知るすべがないと迷ってしまいそうだ。

「いえ。実際にこうしてみると視界が悪いし、迷いやすそうですけど、それは賊どもも同じなんじゃないでしょうか」

 ラシャも地図から顔をあげ、ぐるりとあたりを見回した。

 なるほど。ユティの言うとおりだ。鳥でもない限り、こちらの同行を探ることなど出来ないようにも思える。隙間を縫っているとはいっても、道は充分すぎるほどの幅をもっているのだ。

 だが、あるいは敵に気取られぬうちにこっそりと抜けられそうな道でも、転じてみればこちらからも相手の様子をさぐる手段は皆無である。あの角を曲がったとたん、ひょっこり賊軍とはち遇わせてしまってはたまらない。

「たしかにそうだけど······とりあえずは情報どおり、抜け道ってヤツを確認しておこうよ。相手がこっちの想像もしていないような備えをしていないとも限んないよ? さすがにラクダ車五台も連ねていくとなると、どうしたって時間のロスは避けられないし。途中道幅が急にせまくなったらドン詰まりになっちゃうしさ」

「······なるほど。それはそうです···よね」

「ん。こっちみたいだね」

 ラシャは磁石を慎重にしまうと、地図を片手にすぐ先の十字路の右曲がりを指で示した。

 しばらく行くと、唐突にぽっかりと洞穴があいている大岩壁が現れた。天井こそ低めだが横にながく、人はもちろん、荷車もゆうに通れる。

「ここ、ですか。それじゃ地下に潜るんですか」

「そう···みたい」

 ユティはあらためて、巨人が愛想笑いを浮かべているようなくらい空洞を見返した。正直にいうと、こんな所に入っていこうとする者の気がしれない。

 世の中には政府や軍の資金で地下に潜り、さまざまな新素材や貴重な薬源などを見出だす連中もいると聞いたことはあるが、たとえ大金を積まれても自分は御免である。

 気をとり直すと、入口の間近までよって、もう一度じっくり観察してみた。

 なるほど、普段道として使われているだけあって造りはしっかりしているようだ。どうやら一枚岩が内側より穿たれてできたらしく、学者連中にみせれば、マグマの噴き出した跡だとでも説明をつけるのだろう。

 そのへんに生えている草をちぎり、撒いてみるとこちらへと舞い戻ってきた。風がとおっている。少なくともどこかべつの入り口と通じてはいるようだ。

「とにかく行ってみよう。ランタンを用意して」



 宿で借りたランタンに灯をともすと、ふたりははぐれぬようできるだけ身を寄せあいながら洞穴へと入っていった。

 入口からすぐの下り坂は折り返しになっており、ここは荷車を慎重に回さなければならないぶん、ちょっと難儀しそうだ。

「ふわぁ」

 おもわずラシャが感嘆の吐息をもらす。無理もない。なかにはとてつもない規模で深遠な地下世界がひろがっていた。

 どうやら洞穴の内部とは、想い描いていたようなのっぺりとした穴道とは趣がことなるらしい。

 あちらこちらにそそり立つ岩の巨柱は、まるで伝説のなかにある夜空をささえる天界柱のように、磐石な土台からなめらかに延び、どこまでもどこまでも暗闇の奥へと溶け込んでいた。

 いってん地上に目を戻せば、そのとおい子孫ともいえる、ちいさな牙のようなとんがりがちょろちょろと生え、なまいきにも歩むふたりの邪魔をしてくる。目のとどくかぎりでは、たとえばうえから落ちてきたような巨岩の類いはいっさいない。

 あまりにも広すぎて無灯では鼻のさきも見えないはずなのだが、それにしてはどうもほんのりと明るい。瞳を凝らせば、ランタンのたすけを借りずともずっと向こうにある断崖まで見通すことができるほどだ。

 気になったので岩壁に寄ってよくみると、その内部から淡い光がもれているようだった。

 なにか特殊な鉱石がみずから光っているのか、それがこの地下すべてにまんべんなくあり、ひっそりと存在するこの世界が暗闇に埋没しないように尽力しているらしい。

「たぶん、陽月石たね」

 不思議そうにみいるユティの隣からのぞき込んだラシャが、その岩をつっつきながらわけ知り顔でいった。

「大昔、地上にあったころ蓄えた光を放っているんだね。コレに入ってるのと同じものなんだよ」

 肩にかけた槍をちょいとかかげてみせる。

 それはそれは。だとしとら、この一帯はすべて宝の山ではないか。ユティはあまりの話に溜め息をもらした。

 これまで何度となく、彼女があの槍を振るっているところをみてきた。あれで槍術を学び、家を出るときに一緒にもってきたという彼女自慢の品だ。

 これがもの凄い逸品で、ひとたびふるえば、古の技術で封じこめられた光の力が空を駆け、魔法剣士もまっさおの威容をみせる。

 つい先日も、彼女の身の丈の三倍はあろうかという戦獣の脳天をぶち抜いていた。

 これを知れば、ミリニアはもちろんのこと、どの国も目の色を変えるだろう。戦の種となるには充分なほどだ。

 ただ、彼女の槍に使われているような技術はいまに絶えて久しい。それらが復興でもしないかぎり、幸か不幸か、この石たちは、これからもこの世界を静かに照らすだけの存在であり続けるのだろう。

 どちらか選ぶまでもなく、そちらのほうが断然に良いにきまっている。すくなくとも、いまの自分たちにはありがたい。この分ならランタンの必要はなさそうだし、貴重な空気を無駄にしないためにも消しておこう。

「みてみてあっち。川が流れてるよ!」

 ラシャのいちだん張りあげた声が洞内におぼろげにこだました。ユティが後につづくと、たしかに、地面にできた溝に、岩壁の光をうけたいく筋もの小川が、チロチロとひかえめな音をたてて流れていた。

「どうやら上で降った雨が地下に染みこんで蓄えられているようですね」

とらえることさえかなわない天井を仰ぎ、ユティはつぶやいた。

 国はここにダムを造ろうとした。

 だがなんのことはない、ここにはすでに天然の畜水場がずっと太古から存在していたというわけだ。あるいは、だからこそ白羽の矢がたったというべきか。どちらにせよ工事が成功していたら、この貴重な景観は失われていただろう。まったく罪なものだ。

「あっち。上にあがれる道があるみたいだよ」

 ラシャが遠くにみえる崖に続くとおもわれる坂を指した。




 あらためて洞穴内なはにもかもスケールが違うのだと実感する。

 いま登っているこの坂にしても、傾斜にはすこし難があるものの、やはり荷車をとおすにはさしたる問題はない。ひょっとしたら大昔の冒険者たちも、この秘密の地下道を利用していたのではないだろうか。そう考えるとなかなか心丈夫だ。

 ユティがそんな話をすると、ラシャも笑ってうなずいた。

「あとは戦獣だね。もしユティの想像どおりなら臆病なのが多いのかもしれないけど、あちらからしたら、襲うには絶好のフィールドだもん。猟場にしてるヤツもいるかもしれない」



『その通り。なかなか賢いお嬢ちゃんだ』



 ふってわいたかのようだった。まったく耳におぼえのない声が、洞窟内にだし抜けに響きわたった。

 その刹那、背筋に悪寒がはしったと同時、ふたりは得物へと手をかけて見構えていた。闇の奥から赤々とした松明の炎が数基、静かなる闇の世界を無粋な光で照らしだした。

 見たところざっと十人ほどが細身の衣をまとって現れた。暗いなかで頼りとなる衣擦れの音などを極力抑えるための工夫だろうか。腰や背には物騒な得物をさげており、準備万端といったふうである。しかもいったいいつ不覚をとったか、背後からも同様の数の人間があらわれた。

「獣は獣でも人間のほうがでてきちゃったよ」

 ラシャが弱気をはらうように笑みをこぼした。ユティは油断なく身がまえながら、必死で周囲に目をくばった。どこか逃げ出せるところはないか。とはいえ、どこまで入り組んでいるかわからぬこの地下を、まさしく闇雲に逃げまわって切り抜けられるだろうか。

「よせよせ、まったくの初見でここを踏破することなんてできゃしねえよ。だいいちそれをいったら俺達に一日の長があるってもんだ。無駄骨だ」

 ふたりの頭をおさえている集団の中央にいた男が、ぞんざいに口を開いた。

 いかにも魔術師然とした風貌である。フードつきの長丈ローブをまとい、右手にはおおきな法玉のはまったゴツい杖を携えており、マントの裾からのぞく左の腰のあたりには細身の剣の柄もみえる。

 まわりのものが暗所での戦いを意識した恰好をとっているのにたいし、彼だけが己の有り様をかたくなに貫いている。

「意外とはやかったな。おかげで待ちぼうける手間がはぶけたぜ」

「どういう意味だ」

 マント男は芝居じみた調子で掌を上にむけた。

「──つまりボク達の行動は筒抜けだったってことだね」

「まあ、そういうことだ」

 おい、と言って、マント男は後に控えるなかからひとりを手招きしてよび寄せた。

 怪訝に思ったユティがようく目を凝らしてみると、松明の明かりのしたに立ったその顔は、ユティから安酒八杯ぶんの勘定をせしめ、ラシャにさんざん世辞をいったあの鉱夫だった。

「これでわかったろ」

 なんてことだ。筒抜けだったどころの話じゃない。ハナから誘導されていた!

「まったくもう! ユティったらどうしてこういう引きだけ強いのかな! もっとマシな人いなかったの?」

「俺のせいですか? 自分だっておべんちゃら言われて見抜けなかったくせに!」

 じりと迫る包囲網のなかで、たがいに背を預けあったふたりが醜い押しつけあいをはじめたのをみて、マント男は愉快そうにハッハと笑った。

「なかなか笑わせてくれるぜ。······まあ、無駄なことはするなよ。ハラが減るだけだ」

「なんで! なんで私達を狙うの!」

「べつに個人的などうこうの話じゃねえのさ。いわゆる浮世の義理ってヤツだ」

「何! それはどういう···」

 マント男はこれ以上の議論は無用とばかり、左手をふってユティの言葉をさえぎった。

「もういいだろ。抵抗せずに捕まるか、抵抗して骨の二、三本折られてから捕まるか選びな」

 ユティはスラリと剣を抜いてかまえた。

「どっちも御免だ。抵抗して脱出させてもらう」

マント男は呆れたように、となりの男と顔を見あわせた。

 ──隊長、聴いてください。俺が炎で奴らの目をくらませます。その間に退路を。

 ──わたった。任せる。

 ユティは間をはかると、後ろにかまえた左手で静かに印を切って一気に魔力を高めようとした、だが、

「おっと待ちな!」

 マント男に杖を突きだされ、またも動きを刺された。男はユティの左腕にある法玉にチラと目を走らせながら、興味深そうに嗤った。

「なるほどなるほど。ただの剣士じゃなかったってわけか。だがその魔法はいただけなぇな。下手うつとこの坑道が崩れかねねえぜ?」

「!」

 読まれた。用心して印をきる瞬間はみせなかったのに。魔力の気配だけで探り当てたのか!

 だとすると相手は相当の手練れだ。おまけに予想以上に魔術に精通している。

「もっとも、この場面で魔法剣を使わないんたとしたら······どうもアンタは三流のようだな」

「なにィ!」

マント男はなおも余裕の笑みをうかべる。

「怒るなよ。事実だろ? ······なんなら試してみようかい?」

「······言われなくても!」

「駄目だよユティッ」

 不穏な気配をいちはやく察したラシャが反射的に彼の裾をつかむ。

 ユティは一瞬、彼女の制止に従ってとどまった。だがいったんのぼってしまった血は、そうすぐに冷えるものではない。芯を突かれた挑発に、彼は完全に逆上していた。

 ふたりのまわりを囲んでいた男達の輪が五、六歩ぶんほど拡がった。

「─────」

 とめだてしていたラシャも、彼を抑えきれないと悟ると、ギュッと唇を噛んでその手をしずかにはなした。

 やむを得ない。せめてユティの邪魔にならないように、すこし離れるしか。

 マント男はみずからの杖を仲間に預けると、かわりに、腰に下げていた剣を無造作に鞘からひき抜いた。そのままヒュンヒュンと弄びながらユティの正面にたつ。

 こいつも剣を······? だがどうみても素人に毛のはえた程度。どこまでも人をなめやがって!

 この瞬間、まったくユティはどうかしていたといっていい。目先の怒りにとらわれたばかりか、目の前にあるものさえ見えなくなってしまっていたのだ。相手を剣の素人だと思い込んで、そのまま一気に押し込まんと、物もいわずに打ってかかった。

 ──たしかに男は、剣士としては素人にひとしかった。だが、だからといって、それが戦士としての未熟さに直結するとはかぎらない。

「!」

 完全にふいうちだった。鋭い光が爆発し、周囲を無遠慮に照らした。それだけではない。耳をつんざくような、空気の爆ぜるようなえもいわれぬ音がともなっていた。その直後、ユティの身体がグラリと揺らいで膝をつく。

 ······は?

一瞬混乱したユティの頭をたて直したのは、後から懸命にさけぶラシャの声だった。

「危ない! 逃げて!」

 その声にかろうじて意識をとり戻したユティは、すんでのところで相手の突いてくる剣をかわした。

 たて続けに閃光が走る。速い。だが今度は覚悟していたユティの眼が、はっきりとそれをとらえた。危なげなくその一撃を剣で払いおとす。ズン、とこれまで味わったことのない鈍い衝撃かはしり、剣を握った両の手にかすかな痺れが残った。剣をもち上げてみると、その刃先にわずかにのこった残滓が、青白い糸のように光って散った。

「これは、電撃······?」

「電撃? じゃ、あの男も魔法剣士だってこと?」

 いや、そうじゃない。そのはずだ。あの光がはしった一瞬、奴はただ剣を掲げていただけだ。隊長の得物みたいに仕掛けがあるようにもみえない。あれはごくありふれた剣のはずだ。ほかにのこる可能性があるとすればやはり······

 不甲斐ない。一撃もらったおかげでいっきに頭が冷えた。

「魔法か」

 男がニヤリと嗤う。

「そういうことだ。まあ、みてくれからでも納得はしてもらえるだろうがな」

 ──違う。問題はそういうことじゃない。

 ユティの総毛がよだった。

 奴があの一瞬の間に魔法を放ったということが問題なのだ。

 アイツの両手はふさがっていたし、口元が動いた様子さえなかった。つまり、印を切ることも言霊を用いることもなく魔法を使役したことになる。

 この世界の常識では考えられないことだった。一般的に魔法をもちいる際は、ユティのように、あらかじめ呼びだす魔法と結びつけたパターンの印を切って発動させるか、言霊の力を自身の魔力に上乗せし、自然の力に介入する。このふたつの方法しか知られてはいない。

 だが、目の前のこの男は、そのいずれの方法をとることもなく、まったくの溜めもなしに魔法を放ってのけた。並々ならぬ強固な集中力と練磨された技術をもってしなければなしえない芸当である。意識を失うまでにはいたらなかったところをみると、いまの電撃もほんの初級クラスのものらしいが、威力だけで見積もれば中の上といってさしつかえない。

 まったく間の悪いところで、とてつもない魔法の使い手と遭遇してしまった。

「これで解ったろう? お前程度なら同じニセモノ同士でも俺のほうがマシってもんだ。さあそろそろ大人しく──」

 認められるわけがなかった。ユティはがむしゃらに印を切る。

「バカが!」

 いっさいの手加減なく男が雹嵐の魔法をはなった。ユティはたまらず剣で受け止める。

 だがそんなもので吹きつける吹雪が防げるはずもなく、みるみるうちにユティの全身を白いものが覆いこんでいく。顔にかかる冷気が閉じた瞼を食いしばった歯を凍てつかせ、息をするのさえままならない。

「くそああああぁぁッ!」

「ユティッ!」

 ラシャの叫びもむなしく、次の瞬間にはもう、男は彼の鼻先まで距離を詰めていた。

 ギィン。

 重くなった両手から剣が弾きとばされた。膝をついたユティの眼前にマント男の切っ先が突きつけられた。

 だが、男がフンと鼻をならしてひと蹴りくれると、その身体はあえなく地面に転がった。

「コイツらは牢に放りこんでおけ。それと客につなぎだ。お望みどおりの獲物がかかったと伝えてやんな」





 どれくらいそうしていたのだろう。うっすらと目を開けたはずが、あたりはそれでもまだ暗い。感覚が混乱する。自分はいま、目を開けたのか閉じたのか。

 だがそれにもなれ、意識がはっきりしてくると、天井かわずかな光をはなっていることに気がついた。

 ハッとして起き上がると、急激な動きに身体がついてこれず、ユティは顔をゆがめて咳こんだ。

「隊長? 隊長はどこだ······?」

「ユティ? よかった、気づいたんだね?」

 すぐ傍にあった気配が動き、逆さまになったラシャの顔が、視界にひょっこりと現れた。最初涙を滲ませていたその顔は、すぐに怒った表情にかわる。

「心配したんだよ、もう! ホント心配したんだからね?」

「······すみません」

 おもわずその頭を撫でようとして、ユティは自分の両腕が手鎖で戒められていることに気づいた。

 手首にがっちりとはまった手錠には、うす気味悪い紫色の光が、なにかしらの印をぼんやりと浮きたたせている。

 全身に痛みはあるが、動きを抑えられているという感じではない。だとすると魔法封じの類いだろう。あのマント男のことだ。とうぜんそれくらいの気は回すか。

 ユティは歯噛みして天井を睨みつけた。

 ──くそっ、なんてザマだ! 俺はいったいなにやってやがる!

 敵への、そして自分への怒りで頭が煮えくり返っていた。だがわかっている。今はこんなことを考えていても何も生まれはしない。

 ユティはむくりと起きあがった。とうぜんだが鎧や剣は剥ぎ取られていた。つぎにラシャに近寄って、若干彼女がうろたえているのにも気が回らず、顔をかたむけさせたり、腕をとったりして調べた。やはり武装は解かれているものの、幸いなことにラシャのほうは無傷であった。

 ユティはホッと息をついて彼女をはなした。

「怪我はないみたいですね······せめてもの救いです」

「う、うん」

 ユティは両脚にぐっと力を入れてたち上がると、あわてて支えようとしてくるラシャの手をやんわりと断り、牢の入口を調べてみた。

 格子はご丁寧に鉄製でどっしりと重く、牛が二、三頭でいっぺんにぶつかっても大丈夫といったふうな代物だった。いくらラシャが小さいといっても、さすがにすり抜けられるほどに隙間はない。もちろん魔法が使えればどうにかなりそうではあったが、それゆえのこの手鎖なのだろう。

 ユティは悔しまぎれに手錠でゴツンと格子を殴りつけてから、どかりと腰をおろして岩壁に背をあずけた。

 不安なのだろう。ラシャがぴたりと身を寄せてくる。

「すいません。俺のせいで隊長の大事な槍を」

「······ホントだよ······責任とってもらうからね」

 違う。本当に言いたいことや、言わなくちゃいけないことはこんなことではない。だがそれを口にしてしまうと、完全にすべてが終わってしまう。彼女もわかっているのだ。そんな軽口をかえしながら、ユティの右腕にあずけた頭を動かそうともしなかった。

 ······最悪の場合、敵の手にわたり惨たらしい最期を迎えるくらいなら、彼女にそんな苦しみを味あわせるくらいなら······

 ──俺がやるしかない。俺かこの手で彼女を───

 心の隙間に忍びよったのは最悪の想像だった。なんということだ。頭がくらくらして、吐き気さえこみあげてくる。ユティはそれを必死に否定した。

「大丈夫だよ。ユティのことはなにがあっても私が護るから······」

 気丈で、だが震える声だった。ユティは思わず右肩にすがるようにより添う人影をみつめた。

 精一杯の強がりを浮かべた笑顔。脳裏で渦巻いていたものいっさいがまるごと撃ち抜かれた。

 冗談じゃない! そんなことさせられるもんか!

 ユティは、膝のうえでかたく握られたたその両手をぐっと自らの掌でつつみこむと、立ちあがって格子へと向かった。

 まだだ、まだ折れるわけにはいかない。



「······そう、いえば、隊長が俺を、雇ってくれたときも、さっきとおなじ言葉を、かけてくれたんでしたっけ」

 手錠についた鎖をからませ、格子をひっぱりながらユティは言った。

 両手を戒めている一本の鎖をいったん外にだし、ラシャにも手伝ってもらってぐるりと一周させると、手錠のでっぱりに輪っかとなったそれをひっかけ、全体重をかけてじりじりと引っぱった。

 格子は横にも軸がとおっているので一本ずつ外すことはできない。総重量はかるく大人ふたり分はあるだらうから、自分がこうしてかかとのみで立ち、両手首だけで鎖にぶら下がっていたとしても、揺らぐことはないかもしれない。

 だがそれでも、格子がはまっているのはあくまで天然の岩壁だ。あるいは格子と自分をあわせた重みにまけて崩れが生じないともかぎらないだろう。

 せめてもの助けになろうと、ラッコの子よろしく、ユティの腹のうえに、やはり全体重を預けているラシャが後ろをふり仰いだ。

「んー? そうだったっけ?」

 どうやら忘れてしまっているらしい。まあ、こういうことはかけた本人よりも、かけられた者のほうがよく憶えているものだものな。

「驚きましたよ。いきなりメシ食ってるところに押しかけてきて口説かれたときには」

「······外聞のわるい言いかたしないでくれる? それにまだあのときは雇うかどうか決めてなかったんだもん。この目で見ないと判断しようがないじゃん」

「まあ······でも助かりました。あのとき、ちょうど前の職を解かれたばかりだったんで」

「前の職? そういえば知らないな。なにやってたの?」

「いまと同じです」

 ユティはふとそのことに気づいて、自身滑稽さに笑みさえもれそうになった。

「子守りです」

 あれは、無念のうちに士兵学校を出てしばらくのこと。剣呑な職を斡旋する業者のもとに通いつめてみつけた、なかなかにマシな部類の仕事だった。

 内容は中流商人一家の護衛。ことにそこのひとり娘の外出時などは頻繁にかりだされたものだ。

 普段ならつかみかかってくるだろう言葉だが、ラシャはさして咎める素振りもみせなかった。

「なんで解かれたの? まさか──そのコに手を出しちゃったんじゃないよね」

「まさか。まだ隊長とそう変わらない歳の娘ですよ。······まあ、二年くらいたってそうもいかなくなったらしくて、それで」

 年頃のひとり娘ともなればいろいろと気が揉めたのだろう。主にそう告げられたとき、さすがに文句はいえなかった。そう答えると、ラシャは、ふぅん、とだけ返した。

「でもユティはティルゾームの士兵学校を出てるんだよね。もっとこう······軍に入るとかできそうだけど」

「············」

 たしかに。その道もないではなかった。ただそれは、自分が目指し、しがみついてきたものとはすこし異なる道だったのだ。


 国立の士兵学校ともなれば、平民では最高学府のひとつといってもよい。そこを出たものにとって最大の栄職は、軍の指揮権をもつ貴族の幕僚として、彼らをささえる任につくことだ。

 ただ、すべての者にその席が用意されているわけではない。その選にとどかなかったものは、格好だけは卒業扱いになるものの、軍に入るにはまったく剣の必要のない中級の事務職につくか、あるいは出世に限界のある一兵卒として、あらためて入軍するしかないのだった。

 そして、自分はその席に選ばれることはなかった。じっさい、もしあのときラシャに声をかけてもらえていなければ、あきらめて募兵所へ行こうかとおもっていたところだったのだ。

「······それはやっぱり、その、ウチの学校とやったっていう対抗戦でのことがあって?」

 若干訊きにくそうに顔をもどしながらも、ラシャは尋ねてきた。

 口を割ったな、ボナパルトめ。そういえば、この隊長もセレスフィアの出身だ。関心をもたないわけがない。

「·····えぇ、まあ」

「相手も魔法剣士だったんだってね。筋肉ゴリゴリのマッチョ野郎だった?」

「いえ·····たしかに体格は良かったですけど、女性でしたし、それに」

 美しかった。

「女の子だったの? へえ、凄い。なんて名前のヒト?」

「······インブリット・グレイスマン···聞いたことありませんか。おなじセレスフィア人のはずですが」

「ぐれいすまん?」

 ラシャは少しだけすこしだけ小首をかしげて考えこむようにした。

「ああ、あのグレイスマン? 氷姫将軍とか呼ばれてるヒト? ふーん、ユティ、あんな有名人と逢ったことあるんだ」

 おや、とユティは意外に思った。こんなことにならずとも、いつか折をみてしてみようとおもっていた質問だっただけに、肩すかしをくった気分だ。

 あまり故郷のことを話したがらないこの隊長が、この名を聞いてどんな反応をみせるのか、なにか垣間見えるのではないかとひそかに期待していた。

 だって彼女はどことなく······

「シッ」

 ふいにラシャがみじかく鋭い警戒の声を発し、ユティから身体を離した。我に返ったユティもすぐに鎖をはずして手元にひき込み、ふたりしてできるだけ牢の奥のほうへと身をよせた。

 ジャリジャリと地面を踏みしめる音とともに、ゆらゆら揺れる明かりが近づいてくる。誰かが牢のまえに立った気配がして、さっとカンテラの光がさした。

 見回りとおぼしき賊のひとりが、奥の暗がりでより添いながら、まぶしそうに手で顔をかばうふたりの姿を認めて、ひとつ鼻でフンと嗤うと、たいして興味もなさそうに、巡回の任に戻っていった。

 男の足音が遠のくと、ふたりはどちらからともなくホッと息をついた。



 さらに数日がたった。ふたり巡回のものの様子をうかがいながら、なんとか鉄格子に緩みをつくれないかと奮闘した。幸運にも、いまのところはこちらの動向がばれている節はない。

 幸運といえば、ふたり一緒の牢に入れらられたこともそうだった。独りではとうてい脱出などできないだろうし、もうひとりを助けにいく猶予も必要になる。

 それに、ラシャひとり隔離されてしまっていたら、とてもではないが気が気ではなく、落ち着いて考えることさえもかなわなかったろう。

 賊連中もラシャにだけは死なれては困るらしく、一日一回は最低限の食事をとらせていた。ユティも彼らの目を盗んで半分わけてもらい、ぎりぎりのところで活力を保っていた。



 何日目かの昼。にわかにアジトが騒がしくなったようだった。せわしなく足音が行ったり来たりし、とても工作をはかる隙がない。まだ鉄格子はほんのわずかに綻びをみせただけだ。

 ユティは焦った。

 駄目だ。このままでは今日のうちにでもラシャがその客とやらにひき渡されてしまうかもしれない。あと少し、あとすこしでいいから時間を······

「ユティ」震える手がユティの左手をそっととった。

ユティは待ったが、つぎに続く言葉はなかった。


 一刻ほど後。ぞろぞろと連れだって地をふむ音が、牢のある階へと下ってきた。

 とうとうこの時が来てしまった。

 ユティは自分の腕にとりすがりながらも、必死に恐怖を押し殺そうとしているラシャをみつめた。

 やるしかない。彼女だけは敵にひき渡すわけにはいかない。もし連中が彼女をひき出そうとしたら、そのときはこの俺の手でこの人を············!

 大勢の足音は牢の手前で止まった。姿は見えないが、耳を澄ますと話し声が聴こえる。ふたりの男が商談をしているらしい。

 ひとつはあのマント男の声。もうひとつは奴が客と呼んでいた者だろう。声からすると男のようたが、まだ若い。いいところこちらとおなじくらいの年齢に感じられた。

 ······で? 間違いないんだな?

 ······もちろんだ。アンタの情報どおりさ。そっちこそ間違いのないように頼むぜ?

 ······いかに傭兵といえども、我が国の協力者に嘘など言わんさ。礼は約束しよう······

 ······だといいんだがね。おたがい持ちつ持たれ  つ、だからな。

 ······フン。

 声が止んでこちらをうかがうような気配がした。と思うと、サッとまばゆい光が走り、ふたりは反射的に目をおおった。

 白い光に視界を奪われつつも、指の隙間から必死にこらした目が、なんとか男の足だけはとらえた。

 顔はとても直視できなかったが、フッと、その人影はたしかに嗤った。





 扉を軽快にノックする音がする。その部屋の主は窓の外にむけていた一色を意識を室内へと戻した。

 野軍内ではリーダー格でとおっている、洞穴でユティを完敗せしめたあのマント男だ。入るよううながすと、ガチャガチャと音をさせて、部下のひとりが入ってきた。

「どうだ? 客人はおとなしく帰ったか」

 マント男が独特のしゃがれた声で問う。

「へえ、それなんですがね」部下の男はやけに歯切れが悪かった。

「お客人、どうもあっしらがお気に召さぬようで、なにやら嗅ぎまわっていきやしたぜ」

 やはりな。マント男は星屑と闇しかみえない窓のむこうを透かしみる。地上に松明の灯りでもみえないかと思ったが、さすがにそこまで不用心ではないらしい。

「確かだな」

「へい」

部下はうなずく。

「仲間が不審な灯のうごくのを見ておりやす。それにこういったモンも」

そういって懐から一枚の紙片をとり出してみせた。

 うけ取ってみると、なにやら四角形や三角形を組みあわせたような複雑な印が、粗っぽい筆致で記されている。どこぞに描かれていたものを写しとってきたらしい。素人にしてはよく描けている。

「柱だの床だのにいつの間にか描いてありやした。なんですかい? これは」

 マント男はすぐには答えず、紙片を二、三度裏返してみたりしていたが、自嘲めいた笑いをもらし、まるで他人事のように言った。

「魔法の呪印さ。こいつを手順よく起動させりゃ、このアジトは大地へと還ることになる。俺たちごとな」

「──じゃあ、やっぱり奴ら······! どうしやしょう。手分けして消させますかい?」

「やめとけ。気づかれて発動される。それよりも準備を急がせるほうがいいだろうよ」

「準備? なんのです?」

 ポカンとする手下に、マント男は愉快そうにわらった。

「なにっておめぇ、トンズラこく準備さ。もうじゅうぶん稼いだろ? ······潮時がきたのさ」

 手下があわてて出ていくと、マント男はもういちど窓のそとに漆黒に目をもどした。その窓ガラスには、漆黒に沈んだ風景のうえに、室内の灯りが照らしだした五分刈り頭の自分の顔が、ぼんやりと重なって映し出されている。

「この眺めはけっこう気に入ってたんだがねぇ。······まあ、しょうがねぇ。ハナから信用していないのはおたがい様だ」

 そう、あらかじめ想定はしていたことだ。問題は······

「どうやって逃げおおせるか、だ」




 いよいよ最後の夜となった。死を前にして、それでも眠れるものなどいようか。ユティは壁に背をあずけてうずくまりながら、薄明かりに照らされた地面を凝視しつづけた。

 いまラシャはそばにいない。あの後どちらからともなく距離をとった。おそらく奥のほうで眠れるはずもない身体を抱えてぼうっとしていることだろう。いまの自分のように。

 それなりに頑張ってきたはずの人生だった。そりゃあまあ、失敗もしたし、ドン底にも落ちたし、みょうな騎士隊に入って大嫌いな貴族と仲間になるといった数奇な縁もあった。

 なかなか皮肉のきいたものにはなったが、ほんのちょっぴり栄光のようなものも味わえたのだから、ツイていなかったわりにはまずまずの人生だったような気もする。

 だが、こんな最期はまったく予想だにしなかった。

 よりにもよって恩ある人を、しかもまだ少女をこの手にかけ、殺されようとは。

 誰に許されようはずもない。もしもあの世とやらがあるとしても、そこでさえラシャに許されることは絶対にないだろう。

 それともいっそ、敵の手に彼女を委ねてしまおうか。

 もしかするとラシャのことだ、途中でうまく逃げだせるかもしれない。そうだ、なにも自ら死んで、みすみす生きるチャンスを捨てることはないだ。

 そんな考えは甘い期待にすぎないとこは充分わかっている。だがそれでも、そうであったなら······

 恐ろしい。おのれの死と同じくらい。恩人を、いや、仲間をこの手で殺すなぞ、たまらなく恐ろしい。

 ジャリ。靴が砂利をふむ音で、やっと誰かがそばに寄ったことを知った。

 最初はラシャかと思ったが違う。物音は牢の外から聴こえてきた。

「───」

「······誰だ」

「誰でもいい。出な」

 低い声が返事をかえした。あのマント男だとわかった。姿はみえない。牢の外壁のあたりいるようだ。

 その言葉を裏付けるように、あれほど焦燥をつのらされた鉄の扉が、わずかな軋みをたてて開いた。

「·········」

 そこまでされてもまったく反応をしめさないユティに、男が小さく笑んだ気配がした。

 こうして暗闇に身をおいていると、聴くだけで色々なことが感じとれるようになるものだ。そのときの男は、ほくそ笑んだ、というよりは、自嘲したようだった。

「好きにしろ。どうせこっちも腹イセだ」

「──どうしたの?」

 いつの間にかラシャがすぐそばに立っていた。

 その顔を見上げたとたん、ユティはハッと目が覚めたように勇気づいていた。わずかな光に浮かびあがる彼女のその顔と瞳には、かすかな、それでもたしかな光明が宿っていた。

 ドサッとなにかがなげこまれた。たしかめてみると、ふたりが捕まったときにまきあげられた荷物一式だった。武器まである。

 これは──といいかけたラシャを手振りで制すと、ユティはそっと牢外の気配をうかがった。ゆっくりと歩みより、壁のふちに身を隠すようにして、首だけそっと出して周囲の様子をたしかめた。

「······いません。誰も」

 どうする。そう問われて考えている時間はわずかだった。ラシャは決意に満ちた瞳をこちらにむけて、一言で言いはなった。

「さあ、立ち上がるときが来たよ、ユティ!」




 マント男は牢の内に、ラシャの槍だのユティの剣だの、ふたりの荷をなげこんでたち去った。あとは勝手にしろということだろう。

 手ばやく身支度をすませて地下の階段を駆けあがるとすぐ、広大な空間があった。

 賊徒たちご自慢の隠密基地が、闇にとけ込むようにしてひろがっていた。天然の素肌などをうまく利して櫓などをたて、さながらドワーフたちの地下宮殿といったふうである。

 だがそこにはもうあまり人は残っていないようだった。足元には様々なものがごちゃごちゃと投げ出されてあり、なにやら慌てて出ていった感がうかがえる。

 どういった理由でかは不明だが、野軍はここを放棄したようだ。のこりの者も、おいていくには忍びないものをまとめた袋や荷をかつぎ出すのに必死で、脱走者のことなど眼中に入らぬようだった。

 ふたりは放置されていた荷車のなかからマントを失敬し、それを頭からかぶると、我先にと逃げていく賊徒の後へと続いた。

 これならこの地下空間を迷わず抜けられる。最短距離で地上へ出られるはずだ。

 ふたりの判断は当たった。賊たちはどこをどう通ったか、さほども行かぬうちに地上へとつづく階段へ彼らを導いた。ふたりは手をとると、一気にその階段をかけ上がり、冷え冷えとした空気のなかへ飛び出した。


 七日ぶりほどだろうか。

 ずいぶんと久しぶりに感じられる外界は、深々とした闇につつまれていた。それでもユティもラシャも、感に堪えられず、しばらくぶりの新鮮な空気を肺いっぱいに思う存分吸いこんだ。

「! ユティ、あれっ」

 ラシャが闇を指して声を発した。その指先を追うと、松明の灯りが遠く、幾本も明滅しながら揺れている。まだ距離はがあるが、灯りの大きさからしてかなりの数がここを目指して進んでくるらしい。

「たぶん軍の部隊ですよ、あれ」松明の動きからユティはあたりをつける。

「まだ包囲されてまではいないようですが」

「そうだね。野軍の敵ではあるんだろうけど······とにかく急ごう!」

 あのときマント男は腹イセだといった。ということは率直に考えるなら、その相手はふたりに逃げられては困る者たちということになる。安易に保護をもとめるのは危険だ。

 自分達が行きついたのはおそらく野軍アジトの裏口だろう。そう判断したラシャは、なんとか追跡者の目をかいくぐって町に戻ることを決めた。

 さいわい今なら夜陰にまぎれることができ、相手の動きは松明の光でまる見えだ。道こそいり組んでいるが、地図の記憶によれば落とし穴のような断崖などもなかったはずで、上手にうねうねと進んで行けば、町まで帰りつくという彼女の狙いはまんざら無茶でもないように思えた。

 もちろん、そこも追跡者たちに抑えられているかもしれない。

 だが牢で弱った身体とすくない荷、なにより水を頼りに砂漠にのりだすよりは、生きて逃げ出せる可能性があるだけマシだろう。行くしかない。

 ふたりはぐるりと左回りを描くようにしてアジトの正面にまわり込むと、こんどはそこからSの字を逆にたどるように蛇行しながら、絶壁にそってひた走った。

 上空は強風が吹いているのか、湧きでた雲が星や月をかくすことはなく、これならばじゅうぶんに夜目がきく。皮肉にも地下牢ぐらしで暗闇に目がなれてしまったらしい。

 部隊が展開する直前におおきく外へと迂回したことで、追跡者の兵とはちあわせすることはほとんどなかった。二度ほどあったそんな機会も、痩せた山のようにそびえたつ岩錐をうまくまわりこみ、やり過ごすことができた。

 この夜の闇が味方してくれているうちに、なんとか町へ。あわよくばそのままこの地を脱出したい。

 はやる気を苦労して抑えながら、それでもだんだん大胆に、ふたりは足を進めた。追手とはいぜん遭遇することはない。これならば上手くいく。




 峡谷から砂漠へといたる道は現在ふたつある。ひとつはいま自分達のいる、直接峡谷へと降りですすむ旧道と呼ばれるルート。もうひとつが新道とよばれる、峡谷をぐるりと迂回していくルートだ。

 イガリガ峡谷は高山に抱かれるようにして存在するが、東側は切りたった崖と連続する山々によって町のある高地とくぎられており、西側だけに比較的おだやかに砂漠へと降りていけるルートがひらかれていた。

「もともと新道は旧道の迂回路としてつくられたわけだから、あってもおかしくはないはずなんだよね、考えてみればさ」

 岩影に身を潜め、あちらの様子をうかがっていたラシャが首をひっ込めた。そして我ながら抜けていたとばかり、ぺろりと舌をだす。

「旧道と新道をつなぐ副道···ですか」

 つまり彼女は、このまま旧道を進むよりも、旧道から新道へと入って進んだほうがより確実だと踏んだのだ。そのひらめきに従って、わざわざルートを変更してきたわけなのだが······。

 その視線の先では、新道へとのびる登り坂のとば口をふさぐようにして立てられたかがり火のなか、赤々と照らされた騎馬の集団が、油断なく闊歩して獲物をまち構えている。

「それはいいですが······やっぱり固められちゃってますよ。それも騎馬で。突破したとしてもすぐ追いつかれる」

「でもこのぶんじゃ、正面の出入り口も封鎖されているはずだよ。それも麓じゃなく、坂の上に陣取られてたらお手上げだし」

 座りこんだユティはガシガシと頭をかいてから、はあっと息をはいた。

「······ですかね。警戒は当然あちらのほうが厳しいか。俺達が逃げるならまずあそこを目指すだろうことは予想がつくし」

「うん、まあね。でも······どうだろう。私はね、あくまでも敵の──そう言っていいよね──第一目標は私達じゃなく、野軍だと思うんだ。──まあどっちにせよ、追跡者はただ出入り口をふさいで誰も通さなければ、それでこの作戦は成功だよ。砂漠側に逃げるぶんには追わなくてもミリニアがカタをつけてくれるわけだし」

 ラシャは額を指で押しあげながら、唇をひき結んだ。

「······ちょっとどうしようもないかな、これは。ゆるぎないほどに相手のほうが優勢だね」

「······それで? 八方塞がりってヤツだとして、どうします? いっそそこいらの兵を襲って身ぐるみ剥ぎますか」

 ラシャはおかしそうに声をひそめて笑いをもらした。

「さっきまで山岳ゲリラの人質だったボク達がね。笑えるけど、そんな少人数で行動してくれる兵はさすがにいないかな」

「ならどうするんですか」

「それは······それを考えるのがキミの仕事でしょ?」

「まる投げですか」

「信じてるよ、ユティ?」

 ユティは溜め息をつくと、そっとあたりを見まわした。

 大多数が野軍狩りにかけまわっているせいか、はたまた道そのものがたいして広くないからか。抜け道をかためる手勢は思ったよりは多くない。

 騎兵は、道のまえに頑張っているものが四騎。周囲を遊徊しているものが二騎。徒歩のものが十二人ほど補佐についているようだ。

 ラシャの言のとおり、坂のうえを抑えたほうが都合がよさそうではあるが、そうしていないのは、おそらくこの上の道にそこまでのスペースがないためだろう。そんなところに兵がひしめいていたなら、あのマント男のような魔法士にはうってつけの的にされてしまう。もっともいまそんなことをすれば、みずから居場所を教えてやるようなものだが。

 なにかほかの方法は······

 ようは敵の意識を一瞬でも自分たちから逸らせればよいわけだ。そう考えたユティが目をつけたのは、この場でもっとも数がすくなく、そのくせ目立つものだった。

 彼は手振りでラシャについてくるように頼むと、そっと抜け道にちかい岩塊の影にすりよった。

 ひそやかに言霊を唱え、ふわっと小さな火球を発する。それをそのまま、目の前を通りかかった馬の尻めがけて放った。火球はその長い尾にふれたかと思うと、じりじりとその毛を焦がしはじめた。

 突然、馬が驚いて後脚で立ち上がった。そしてなにもない背後の宙をさかんに蹴り始める。だしぬけの乗騎の暴走に泡をくった兵士は必死でその鞍にしがみつき押しとどめようとするが効果はない。

 あわてて同輩たちが馬をなだめようと集まってくるなか、ユティは道の前にならぶ馬の尾めがけて次々と火球をはなつ。あたりはふってわいた大混乱にのみこまれ、馬と人が盛大にたてる土煙でもうもうとなった。

 ユティはラシャの手をつかむと、いっさんにその土煙のなかへ飛び込んだ。

 あちこちで棒立ちになったり逆立ちしたりする馬の動きに注意しながら、できるだけすみやかに抜け道までたどり着く。途中、二、三人の兵士とぶつかったりもしたが、場の騒動をおさめようとするのに必死な彼らが、ユティ達を仲間と混同してしまったのは無理もないことだったろう。



 なんとか馬に逆襲されることもなく抜け道の坂を駆けのぼったふたりは、眼前にあった岩陰にとびこんだ。

「はぁはぁ······はは。あードキドキしたぁ。無事抜けられてよかったけど、あの馬たちには可哀そうなことしたね」

「ちょっと毛を焦がしただけですよ。それよりあまりのんびりしてもいられない。騒ぎがおさまれば、どうしたって追ってくるでしょうし」

「そうだね。その前に、なんとしても正面口で居すわっている連中を抜いてしまわないとだね」

 ふたりはもういちど周囲を慎重に確認すると、岩陰からすべり出て、闇の中をひた走った。

 上からみると、あちこちで野軍と追跡者の兵が衝突している様子がよくわかった。ただ、あのマント男の姿だけは、あのなかにはないようだった。

 あれほどの魔法士が地力をふるえばすぐにわかりそうなものなのだが、見えるかぎりそういう派手な動きはいっさいなかった。

 いまユティ達がそうしているように、上から居場所を察知されることを嫌って極力魔法をつかうことを避けているのか、もしくは大胆にも砂漠側へと逃走でもしたのだろうか。

 そうこうするうちにも、なだらかな道のさきに、松明の灯りの群れ集っているのが見えてきた。やはりラシャの予想通り、正面口も固められていたようだ。それも崖上に陣取られている。

「お見事です隊長。でも、はずれててくれたほうがよかった」

「キミはいちいち素直じゃないね。だいいち前向きじゃないんだよ」

 ほっといて下さい。そうこたえてなんとか敵の様子が探れないものかと目をこらしているユティの隣で、彼の荷を下ろさせたラシャがガサゴソとなにかやり始めた。

 ユティがいぶかしんでみると、彼女はそこからあのランタンをとり出し、照明台をかこむガラスの部分に覆いをかけ、そのなかにそっと火を点した。

「相手は野軍の頭領が魔法士だってとうぜん知ってるよね。だったら私達もさ、彼を利用させてもらおうよ」

「───というと?」

 ラシャは立ちあがり、つかつかと道の端までいって、真っ暗な谷底を見下ろした。

「ユティの魔法ってさ、どのくらいの距離がとどくの? 狙いはたしか?」

 なぜそんなことを問われるのかわからぬまま、ユティは答えた。

「距離なら······そうですね。まえに見た感じだと、崖の上から底までの三分の一くらい。その範囲ならまず当たると思います」

「それならいけそうだね。まあ、外しても大丈夫。さっきのアレ、もうすこし派手にやってみよ」

 さっきのアレとはなんだ。ひょっとして哀れな馬たちの尻に火をつけるという、悪ガキの悪戯めいたテのことか。だがそれを派手にやるとは?

「まずユティが魔法をあらかじめ編んでおくでしょ。つぎにこのランタンを思いっきり投げて、間髪いれず魔法を撃つの。当たれば盛大に炎があがって、まるで下から魔法で狙われたように見えるをじゃない?」

 自信満々にこちらに笑みを向けているが、それこそ、そんなこちらの都合どおり上手くいくものだろうか。敵をある程度坂の下に集めようという腹らしいが。

「···ぜんぶ俺まかせですか? 隊長はなにを?」

「私はカバーをとってランタンを渡してあげる」

「······」

「だってしょうがないでしょ! 私の腕力じゃたいして飛距離が稼げないんだもん!」

 やれやれと溜息をついてユティはたちあがると、おなじく崖の淵まで歩いていって、だいたいの距離と方向をたしかめた。

 現在の位置なら、むこうに見える松明の距離から遠すぎず近すぎず、まずまずといったところか。

 問題は魔法ではなくランタンの飛距離だか、まず片手は印を結んで維持するため使えない。そうなると両手でもって、遠心力をつかって回し投げするということはできそうにない。幸いこのランタンはそれほど大型ではないので、右手でわし掴みできないこともないが、はたして右腕いっぽんの投擲で、どれほどの距離がでるものか。

 だがまあ、隊長命令だ。やるしかないさ。

 上手くいけばめっけもの、くらいの気持ちで、ユティは右肩をぐるぐる回し、おおきく深呼吸をした。邪魔にならぬよう背後にひっこんだラシャはそっとカバーをはずし、それでも灯りがもれぬよう自らの身体でランタンを隠しながらうなずいた。

 いざ構えてみると、これはなかなかなに神経をつかう仕事だった。編んだ魔法を左手で維持しつつ、右手でけっして投げるのにむいている形とはいえないランタンを力いっぱい投げ、さらにそれが谷底に落ちるまえに魔法を当てなければならない。

 さすがに片手での投擲では限界がある。

 ユティはしばしの逡巡のすえ、ランタンの頭に縄を結わえつけ、それを握って投擲することを思いついた。こうすれば遠心力を利用して投げることもでき、すばやく飛距離をだすことができる。我ながらいい考えだ。

 印を切ってしっかりとかたちを維持した左手を確認して、ユティは目でラシャに合図をだす。受けとった縄つきランタンをぶら下げると、息をととのえた後、いっさんに身体を回転させ始め、

「ふッ!」

目一杯の遠心力をのせてななめ上の宙にむかって投げあげた。

 集中、集中───今だ!

 暗闇のなかにわずかにみえる小さな光にむけ、ユティは魔法を解きはなつ。印から解放された炎は真っすぐに谷底に消えようとするランタンを追った。すわ失敗かと案じるまもなく、期待していたよりは若干小さめではあったが、魔法はたしかに命中し、遠くからでもわかるほどの爆発音とともに、一瞬、闇のなかに赤いものを灯した。

 やった、ラシャが小さくささやきガッツポーズをしている横で、ユティはいままで感じたことのない不思議な感覚を味わっていた。そのおぼろげで不確かなものをなんとか逃がすまいと、握りしめた左手をいまいちど確かめるようにみつめた。

 なんだろう。ここまでスムーズにできるとは、正直自分でも思っていなかったのだ。これが本当に集中できたときの技の冴えというやつなのだろうか。もし生きて帰れたなら、鍛練のメニューとして考えてみる価値はおおいにありそうだ。

「見て」

 静かだが鋭いラシャの声に、ユティは思考をひき戻された。

 前方の火の玉の塊がにわかにわらわらと動きだし、いくつかに分かれて坂をくだって行くようだ。さすがにすべてが持ち場を放棄することはなかったが、それでも数は半分ちかくも減った。いまが好機だ。

「行くよ」

 飛び出したラシャの後を、荷を背負いなおしたユティが続く。闇のなか、岩陰を目指してはそこに身を隠し、ふたたび走り出す。

 そうしてそのまま、陣取っていた追跡者の兵たちのすこし後ろを、慎重に音をころして通りぬけた。

 ふたりは口にこそ出さなかったが、してやったりという興奮と、生きて帰れたという嬉しさを隠すことができず、たがいの顔を見合って、また笑みをこぼした。





 さすがに町の入り口までは警備がおかれていなかった。それでもひょっこり連中の仲間に出会ってしまうとまずい。それに、いまやこの町の人間も頼りにはならない。なにを吹きこまれているかわかったものではないからだ。

 ふたりは少し相談したうえで、このまま一気に町を出ることにした。そのためには馬がいる。

 ふたりは建物ぞいに慎重に足をはこびながら、厩をめざした。

 宿まで帰ればそこの馬や連中ののってきた馬がまだあるかもしれないが、厩番のひとりくらいはいるだろう。そもそも仲間が宿を駐屯地として押さえているかもしれないので、それは避けるべきだ。そこで町人が共有で管理する公厩へ的をしぼった。

 すでに夜も深々とふけて、町はただひっそりと、風の吹きぬけるままにまかせていた。通りにでる者はなく、灯りといえばはるかうえに輝く満天の星々だけである。

 無人の町をふたり、息をひそめてさまようというのは、いかにも妙な気分だった。これが命懸けの行為でさえなければ、意外に楽しめたかもしれない。だが気をひき締めねばならない。まだまだ死地を脱したわけではないのだ。

 そうこうするうち、ふたりは厩のちかくまでたどり着いた。出し入れの便利を考えてだろう、すこし広くなった道の真ん中に命中に町共有の厩はあった。

 通りをひとつはさんでふたりはそっと様子をうかがった。

 簡単な造りの馬房の隣に、厩番が泊まりこむ番小屋がならんで建てられている。窓辺に明かりはなかった。そもそも夜間に馬を出し入れするなどということは、こんなへんぴな山奥ではまれで、あるとすれば都から昼夜突貫でとばしてきた急使くらいのものだ。町共有の馬を失敬しようなどという輩は、それ以上に皆無なはずだ。

「番はいるみたいだけど、寝てるようだね」

「さすがに馬を引き出すと気づかれると思いますが、どうします」

「かまうことないよ。馬さえあればこっちのものだもん。蹴散らせばいいよ」

 ラシャはもういちど周囲の様子をたしかめて、身を低くしながら建物の影から走り出た。ユティも、後方を警戒しながらそれにならう。

 近くまできても、番小屋のなかはシンと静まりかえり、物音ひとつ聞こえてこない。

 ふたりはそっと木戸を開くと、さすがに何事かと起きあがって身構えだした馬を静かな声でなだめながら鞍をのせ、柱にかけてあった馬具をとると、ハミを噛ませて馬房から引き出した。

 はたしてラシャのようなちいさな身体で、大人よりもおおきな馬に素直に言うことをきかせられるのかと思われがちだが、そこは騎士であり、貴族として幼いころから馬と接してきた彼女のことで、そのあつかいはじつに見事であった。むしろ馬たちからすれば彼女の人気はのきなみ高い。やはり軽くて、しかも手綱さばきに長けているのが良いのだろう。

 だがこの時ばかりはすこし勝手が違った。ラシャが引き出したのは大人しそうな牝馬であったが、隣にいた牡馬がこの馬にご執心だったらしく、にわかに騒ぎはじめた。ラシャがなだめてもいっこうにきかず、とうとうけたたましく嘶きはじめてしまった。なんだなんだという迷惑そうにこたえる声がきこえ、小屋のなかで灯りを点けようとする気配がした。

「わかったよ、もう! キミのカノジョは連れていかないから!」

「隊長、手を!」

 ひき出した馬にまたがったユティの手をとると、ラシャはひらりと彼の後ろに飛び乗った。そのままいっさんに駆けだした矢先、「馬泥棒だー、馬泥棒だー!」という声が背後から上がった。が、ユティはもう委細かまわず、町の出口を目指して馬をつっ走らせた。彼の腰にしがみつきながら背後の様子をうかがったラシャが大声をあげる。

「やっぱり宿のほうに駆けていくよ! 捕りのがした賊がここまで来るかもって想定されてたみたい!」

「もう一頭には鞍を乗せっぱなしですし、確実にばれましたね! こうなったら夜のうちにできるだけ遠くへ!」

 すぐに町の出口が見えてきた。見張りのようなものは立っていないが、馬止めの木戸がしっかり閉じているようだ。

「これを!」

 ユティは後ろに声をかけ、ラシャに手綱をいっとき委ねると、印を切り魔法を放つ。飛びだした炎はしっかりと閉じられた木戸を吹き飛ばし、馬がその炎を残骸ごと蹴散らした。

「やった!」

 まったく馬を止めようとしないユティにかわり、ラシャがまた後方をふり向いて叫ぶ。どんどん遠くなりつつあるその町では、松明がいまやっと動き回りまわり始めたところだ。ふたりはとうとう追跡者の包囲網を脱したのだった。






 ひと晩中駆けに駆けるつもりだった。だが、運が悪いことにここはつづら折りの、それも勾配のついた一本道だ。灯りもないなか月と星だけを頼りに進むには、どうしても限界はあった。行方をくらませられるわかれ道も、このずっと先にやっとひとつあるきりで、そこまでまだ何刻もかかる。

 暗がりでのくだり道強行を嫌がる馬をなんとかなだめられる速度で、ユティはじれながら進んだ。夜分の山中は冷えたが、背中にくっついているラシャの温かみのおかげで、それほど苦にはならなかった。

 どうせこれ以上速度は出せないのだ。ならせめてラシャにはひと眠りしてもらおうと、彼女を自分の前に移そうとしたときだった。

「ユティ! あれ!」

 ふいにラシャが叫んだ。ユティも首をひねってみると、すこし離れた上方の暗がりに、ぽつんとひとつ、松明とおぼしき灯りが見えた。

 どこか人家の明かりだの、野宿の焚き火だのとはあきらかに違う。その火はかなりの速度でななめに道をくだって移動してくる。

「ハッ!」

 ユティはとっさに馬にハッパをかけた。状況からみても、あれはたがうことなく追手だろう。しかもこの山道を臆することなく、それも単騎で駆けくだってくる。相当の腕と執念をもちあわせた厄介な奴だ。

「ハッ、ハアッ!」

 ユティは連続して馬に声をかけ、脚をうながす。

 だが慣れぬ乗り手に不安なのか、馬はいっこうに全速をだそうとはしない。そうこうするうちに、みるみる距離が詰まる。

「だめ! 追いつかれるよ!」

 すぐ背後にくっきりと、馬に乗る追撃者の姿が見えるまでに追いすがられていた。

 右手に松明を掲げ、左手で手綱をさばき、まるで真昼の平野をいくかのごとき勢いだ。青黒いマントをはためかせ、腰に剣をすえた騎士然とした恰好だが、顔は強風にもめくれないよう留められたフードの陰に隠れてよく見えない。

「くそッ、頼む、行ってくれ!」

 追撃者がふいに松明をうえへほうり投げ、腰にした剣をスラリと抜いた。

「いけない! 止めてユティ!」

「!」

 刹那。ユティはとっさに手綱を引いた。突然の指示に馬は驚いて、反動でふたりを振り落とさんばかりに後脚でたちあがって止まった。その上をゴオッと目に映らぬなにかがかすめて飛んだ。

 つぎの瞬間、ふたりの目前の光景が激しく揺らぎ、斜面にあった木々が二、三本、メキメキと音をたてて折れ、崩れた。

「なっ···!」

 必死になだめながら馬首をめぐらしたユティは、背後のさまをみて慄然とした。

 いまのは明らかに風魔法だ。しかも奴は、左手に構えた剣からそれを放った。こんなことができる人間は、自分の知るうちでもひとり、そして、純粋な魔法剣を駆使できる存在は徹底的に限られている。

「······やれやれ、やっと追いついた。ホントに逃げられたんじゃないかと、一瞬ヒヤリとしたよ」

 地面にころがった灯火からまるで浮き出るように、剣をさげたグリオン・アルベインの姿が闇のなかにあらわれた。






「グリオン・アルベイン! お前が追撃者? だって?」

 すると野軍を追い詰めていたのはセレスフィア軍ということか。野軍の親玉はウェラヌスキアではなく、セレスフィアだった?

「誰? ひょっとしていつぞや街でユティにからんでたヤツ?」

「様をつけろ。あいかわらず躾がなってないな、平民が」

 グリオンは忌々しげに吐きすてると、視線をラシャへとうつした。

「これも貴女の教育が悪いからでしょう、レデイ・アウルフロ」

 向けられた眼差しにはあきらかに敵意が宿っている。ラシャは相手の真意をおしはかるように身がまえた。

「残念だね。ユティは出会ったころからずっと失礼なヤツだったよ。ボクもそっちのほうが面白いし、なおす理由が見当たらないけどな」

「おやおや、セレスフィアの『ご令嬢』ともあろうお方が受虐趣味をおもちだとはね」

 妙な具合の言いかたをする。この隊長がどこぞの家の令嬢だからといって、いまさらそれを言ってなんになるのだ。

 ? セレスフィアの······セレスフィアのだと? アウルフロ家の、ではなく·········

 ユティはなにかを悟ったような気がして、ラシャを凝視する。

 そういえばあのインブリットの従者であるヤツは、そもそもかなりの身分の貴族のはずだ。その奴をして礼を失せぬ態度をとらせる者。高位貴族以上の存在──それではまるで······

 となりで目をまるくするユティを心もち寂しそうに横目でうかがって、ラシャは一転、怒りの色を声に滲ませてグリオンに向きなおった。

「ヒトが言いたくないことをサラッとバラさないでくれる? ほんとムカツクおかっぱだな。まだ友達にだって言ってないことなのに」

 グリオンはすこし意外そうな顔をみせたが、それで納得したとでもいうように、決して友好的にはみえない笑みを浮かべた。

「なるほど······しかし最低でもひとりは知っている。ご学友のレデイ・ドライアーネはね」

「!」

 コイツ──調べてやがる。ドライアーネとはサキアの家名だ。ラシャのいちばんの昔馴染みにして、理解者のひとり。

 ラシャは一瞬気圧されたが、すぐに持ちなおして相手を睨み返した。

「で、なにかしたいわけ。こんなところまで追っかけてきたのは、キモチわるい自分の調査の出来をひけらかすため?」

「それはもちろん──」

グリオンは芝居じみた気どった手つきで、右掌をラシャのほうへとさしだした。

「貴女の身柄を本国にお連れするためですよ。我が主、レデイ・インブリット・グレイスマンのためにね」

 インブリット? あのインブリットがラシャを狙っているだって? もはや訳がわからない。思いもかけなかった名の浮上に、ユティの思考はますますの混乱をきたした。

 なぜだ? 自国の、おそらく最上級である貴人を、若手の第一席と称される将軍がねらう理由とはなんなんだ?

「···ええい!」

 ユティは要らぬ詮索をする頭を振りきって、いまにも馬からとび降りそうなラシャを左手で制した。

「そんなことは関係ない! つまりお前は、ウチの隊長を狙っている敵ってことだな!」

 ぴくり、とグリオンの眉が不機嫌に痙攣した。

「だったらどうだというんた。たかが傭兵くずれがいっちょうまえに騎士を気どるのか。今度は助けはないぞ」

「······自分の実力は十分に理解しているさ。だがいまは俺達の側が有利だ。俺達はお前ひとりから逃げ切れればそれでいい」

「······ハン、いちどの手合わせで学べるくらいにはオツムはあったか。·········ま、いいだろう。たしこに貴様の言うとおりさ。そこで提案だ。

 ひとつ、再戦といこうじゃないか。一騎討ちだ。貴様が勝てばおとなしく見逃してやろう。いま僕の部下達は、無様にも追跡の準備をととのえるので手一杯だ。彼らが追いついてくるまでゆうに時間はあるぞ」

 ──受けちゃダメだよ、ユティ。

小声でラシャがささやく。

 ──あんなこと言ってるけど逃がすなんてあるもんか。キミを倒してボクを足止めする気だよ。それに時間はあっちの味方なんだ。アイツは決闘をひき延ばすだけでいい。じきに部下がおし寄せてくるんだからね。

 ──しかし、ああは言いましたが、後ろから魔法剣に狙われては一足とびの逃走は難しいです。隊長は隙をみて奴の馬を奪ってください。そうすれば確実に逃げてみせます。

 ラシャはじっとユティの瞳をのぞきこんだ。

「わかったよ。今度はいつものビョーキじゃないんだね。いいよ、もういちどキミを信じる」

 とても、とてもありがたい言葉だ。ユティの胸の中になにか温かいものがじんわりと広がった。




 ユティはあらためてグリオンと向きあって立った。不思議と気持ちは落ち着いている。それは、あの岩牢のなかで最悪の想像をしつくしたからなのか、それとも勝たなくていい今の状況がそうさせているのか。

 ひとつだけ骨身に沁みてわかっていることは、自分は弱いということだ。そして、だからこそ活路はそこにしかない。

 とにかくいま心がけるべきことは、グリオンに時間稼ぎをさせないことだ。どうやらカッとしやすい彼をあおり、本気でこちらに向かってくるよう仕向けなければならない。そうなれば、ラシャが馬をうばう隙も生まれやすくなるだろう。

 ユティはひとつ深呼吸すると、スラリと剣を抜いた。受けてグリオンも剣を抜き、刃の具合をたしかめるようにその腹をすぅーっと指でなぞリ、左手に持ちかえると、半身の姿勢で腰を落とした。

 ものも言わずにユティが打ってかかった。グリオンが嘲るようにそれをふたつかわし、逆に挑発するように突きを入れる。

「どうした、もう受けないのか! 力で押し切られるのがそんなに嫌か!」

「ほざけ山猿! それを言うのは貴様じゃない!」

 暗闇に塗りつぶされた山中に、激しい剣撃音が木霊する。グリオンが地に放りだした松明によって、それは時に赤くまばゆく、閃光のように紺の空間を明滅して飛びかう。

 本来なら地下での監禁のために、五体ともとても満足な状態とはいえないはずだ。だがユティは、己のなかに、たしかに力を感じた。まるで大自然のなかに突如なげだされた獣の子のように神経は澄みわたり、精神の高揚に面白いように肉体がこたえてくれる。こんな感覚はいままで体験したこともないものだ。

 違和感を感じたのは、いつぞやの立ち合いで彼の力をはかっていたグリオンのほうだった。

 おかしい、このまえのヤツとはキレが違う。

 だが彼は、それを起きぬけに夜道を追走してきたゆえの自身の不調だと決めつけていた。

 ユティの柔軟な剣さばきに疲れを感じはじめたグリオンは、やむなくその剣を受けて、両者は激しく鍔で競った。

「つかまえたぞ。これで魔法剣は使えない!」

グリオンの目が怒りでギラギラと燃えた。

「言うに事をかいて使えないだと? このボクが? 魔法剣を? いい気になってんじゃないぞ、この駄民がぁっ!」

 渾身の力をこめてユティの剣を押しあげると、間髪いれず流麗な蹴りをはなつ。おもわず後ずさったユティが踏んばる間に、剣を胸のまえにかまえ直す。

「魔法剣士に魔法剣を使わせないよう企むなんてのは、フツーの狙いなんたよ、アホが! 俺達がその対策をおこたると思ったか!」

 フーッとおおきく息を吐きだして、グリオンは気持ちを落ちつけた。

「いいだろう。その挑発にのってやるよ。たしかにお前ごとき、部下達を待つまでもないんだ。このまま始末してやる。罪名は───」

グリオンの掲げた剣から渦を巻いて突風がほとばしる。

「貴族への不敬罪だ!」

 グリオンの剣が風をまきあげるのをみて、ユティはじりと一歩退った。

 きた。あとは何とかこちらに集中させて隊長の動きを気取られないようにしないと。

 そのためには派手なほうがいい。ユティもまけじと言霊をそらんじ、魔力を高めていく。

 興奮で目を血走らせながら、グリオンが一撃を放つ。まるで見えない剣戟のように、その刃は壮大な土煙とともに地面を穿ったが、ユティはなんとかそれをかわしていた。

「スラッシュバム!」

 返礼とばかりに、鋭い回転をみせる炎の円刃が複数、グリオンめがけてとぶ。だがグリオンも心得ているとばかりに剣をあわせ、その炎を巻きあげた風の壁でことごとくうち消す。

 とにかく離れて立ち合うこと。こういった相手をまえにした場合、そう考えるのが真っ当だろう。

 あれをじかに剣で受けることはとうていできない。それに魔法剣の性質上、奴はもう二度とこちらを近づけさせないはずだ。かりにでもまた鍔迫りあいなどに持ちこまれたとしたら、魔法剣を解かざるを得ない。おのれの風でおのれまで傷つけてしまうからだ。それはさきほどのやりとりからもわかる。

 ──つまりそこが狙いめ。

 あえて接近を試みる。それがユティの結論だった。こちらが近づこうとすればする程、相手の注意は自分にむく。

 ユティは果敢に前へと出た。その気配にグリオンのほうが面食らった。

 ──やつは馬鹿か。この俺の剣相手に間合いを詰めるだって?

 よっぽどこちらの援護を恐れているということか。いや、そうか。また間合いの内に踏みこんで俺に魔法剣を解かせようってハラだな! ナメやがって!

 狂ったように猛る風が、唸りをあげて周囲のものをことごとく斬りきざむ。だが、どういうわけか、グリオンの鋭利な剣撃は、ユティの身体をかすめこそすれ、決定的にとらえることはできないでいた。

「なぜだあ! なぜ当たらない! こんなヘロヘロの奴に、この俺の剣をかわし続けることなんてやれるはずかないんだ!」

 当たれば一撃必殺。人の身体などまっぷたつにできようものを、それがいっこうに当たらない。その空虚感がグリオンの焦りに拍車をかけた。

 アイツのように、一瞬で編むことはできなくとも、これくらいなら俺にだって···

 ユティはまた法玉からみなぎらせていた魔法を解き、闇のなかへとけ込みながらグリオンの死角へと走った。

 それはあのとき、あの地下空間で、鼻もちならぬ天才的魔法士がやってのけた離れ業の模倣。おそらく自分のような『ニセモノ』がとれる、もっとも魔法剣にちかい戦法。


 ──限りなく魔法の放出速度をたかめ、剣技との融和をはかる。その第一歩がこの方法だった。

 この暗闇のなか、奴は俺の炎をさんざん見て、暗闇に目がなかなか順応できていない。そこをついてこちらの誤った位置を悟らせ、疲弊させ、すこしずつ近づく。

 そのために、さきほどからわざと魔法を手元でとどめて、さも狙いを定めているかのようなフリをしているのだ。ときおり緩急をつけながら本当に攻撃を加えていれば、さらに注意を散らせる。

 あえて接近しつつも、長期戦に持ちこむ。ユティの選択は、いわば現状に即した戦法とは真逆のものだった。古今どのいくさ語りをみても、持たざるものが強者にうち勝つ方法はこれしかない。たとえ馬鹿のひとつ憶えだと言われようとだ。

 そして妙なことに、その狙いは、敵であるグリオンの狙いとも一致していた。

 もし彼が口にしたとおり、一瞬でカタをつけるつもりなら、全力で周囲に滅多やたらと剣撃を放てばいいのである。あるいは不可避なほどの大規模な一閃を横薙ぎにでも放てば、一撃とはいかなくても、次撃で確実にしとめることができるだろう。

 だがグリオンにはラシャを捕らえるという目的がある。

 もし万が一、乱射した剣撃にラシャをまきこんで殺してしまってはなんにもならないし、自分の乗ってきた馬も逃がしはしたがそのあたりにまだいるのだ。それに、先日とはうって変わった動きをみせるユティ。その変化に、彼の戦士としての勘が、無意識のうちにも警戒をして、力を抑えていたのだった。

 だが、それもいつまでも続くわけではない。ここでグリオンの脳裏に閃きがはしった。

 馬······いや、ラシュアリア・アウルフロ······あのオンナはどこにいる?

 ふとグリオンの頭にそんな考えがよぎったのだ。

 そうだ。これだけ暴れているのに、あの女の気配がまったくしない。一騎討ちに同意はしたが、だからといってあちらが大人しくしている義理はない。むしろこれだけ部下が押しまくられているのだ。

 割って入るだにしないのは、なんというか、らしくない。

「まさかどさくさにまぎれて逃げたか!」

 一瞬そう気づいて焦ったが、待てよと思いなおした。

 奴等の馬だってとっくに逃げているか死んでいるかしているはずだ。かりに徒歩で逃げていたとしても、チビの足ではそこまで距離は稼げまい。周囲の山中にでも逃げこまれればまだ厄介ではあるが、陽がのぼりさえすれば、人員でも犬でもつかって探せばいいのだ。

 つまりそうではない。逃げたのでないとしたら······

「! 後ろをとる気か!」

 そう考えると、先程からのヤツの時間稼ぎのような、まだるっこしい魔法の使い方も筋が通る。そら、いまもまるでこちらの気を引きつけるような流れで、挑発するように炎をはなった。

「小賢しい!」

 グリオンなひと薙ぎでそれを掃うと、ユティの動きを牽制するように剣先を突きつけ、背後をふり返った。

 直後にはただ真っ暗な夜の山道がひろがっているだけにみえた。だが、自分の放つ風の音にまじって、確かになにか聴こえる。

 馬の蹄の音! 真っすぐこちらに近づいてくる!

「おのれ、そういうことか! 策に窮してこの俺の馬を!」

 刹那、グリオンの意識がユティからそれた。いまだ!

 ユティは自分の籠手に剣を突きたてると、はまっていた法玉を強引にえぐり出した。それを己の剣の鍔付近におしあてて素早く言霊をとなえ、炎を呼びだす。

 そして何と、あろうことか、その熱されていく法玉を指でおし当てたまま、魔法を維持しつづけた。

 いくら放出前の魔法だとて、とてもじかに触れていられるようなものではない。すぐに指先が熱くなり、じりじりとグローブを焦がしていく。そのとてつもない熱さに、自らの指が焦げつく臭いに、ユティはそれでもなお、歯を食いしばって抗った。

「なっ!」

 グリオンはその狂気に目を見張った。とても正気の沙汰ではない。奴はいったいなにがしたいのだ。

「馬鹿な奴だ! おのれの罪で灼かれるとはまさにお前のことだな!」

「ぐうううううッッッ!」

 グリオンはせせら笑い、ユティに狙いをさだめた。

「何のつもりかしらんが自決は許さん。お前に引導をわたすのは俺だ! いま楽にしてやる······!」

「ユティ!」

 グワッ。その瞬間、まるで岩が宙を飛んだかのような気配が頭上をかすめた。グリオンがおもわず頭をひっこめると、その上を、闇夜にとけ込むかのような漆黒の馬が、土塊をふらせ華麗に飛び越えた。その背には、もちろん朱金の髪をひらめかせるひとりの少女。

「······隊長!」

「ほらつかまって!」

「行かせるかァッ!」

 グリオンがやらじと剣をふり、血走った眼をカッと見開く。ユティはその一瞬の空隙をついて、持っていた剣を投げつけた。それにより、踏みこもうとしていたグリオンはひと呼吸たたらを踏む格好となった。その間にユティは背をむけ、ラシャが空けたあぶみに足をかけ、馬の背によじのぼる。

「死ね────ッ!」

 激昂したグリオンが全力の魔法剣を振り下ろしたその時だった。



 それは、まるで悪童のいたずらのような計略。馬の尾にはなった、ふわふわと漂うような小さな火球。

 それはまるで、無邪気な少年の虫捕りのような罠。遠く離れた谷底に落ちていくランタン。そしてにわかにともる赤い炎──すべてを支配していたのは、まるで歯車のように正確に編みこまれた時間。ただそれだけだった。



「ヴォルケンフィストッ!」

 後ろをふり返ることもなく、ユティはおのれの焼けた左手のひらに右拳をうちあてた。グリオンの足元に刺さった剣が唸りをあげる。その鍔元には、いまにも破裂しそうな紅い輝きをぎりぎり押しこめた法玉がたしかに光っていた。その玉が砕けるとともに抑えていたものを解き放った。

「あっ!」

 グリオンが気づいたのと、ユティの剣が魔法を解き放ったのはほとんど同時だった。すぐ目前の地面が爆発し、剣から炎の柱が噴きあがる。

「なんで! あんな奴にィィィッ!」

 至近距離からの一撃に、グリオンはたまらず魔法剣で防いだ。だが、その圧倒的な爆炎の圧力に、さしもの魔法剣をもってしても押しとどめるのが精一杯だった。さらにそれだけでは収まらなかった。まるでユティの念が通じてでもいるかのように、剣のはなつ炎は相手の剣にまとわりつく風の勢いに加勢をうけ、逆にどんどんその熱を増してグリオンを呑み込みはじめた。

「なっ······くそぉぉぉっ······!」


 呆気ないほどに、それで最後だった。一瞬でグリオンをのみ込んだ炎は、ユティの剣も、まわりの樹々も、山道の半分さえものみ込んで大きく爆ぜた。

「きゃっ」

 意外にもおもえるかわいい悲鳴をあげたラシャにおおいかぶさるようにしてユティがその身を護った。爆炎は勢いの激しさそのままに、わずかな風を残してあっという間に消えた。

 ラシャは逃げるのを忘れでもしたかのように馬の背を降りると、その残照の中心をぽかんとみやった。

 そこにはなにもない。山の斜面にへばりつくように造られた山道はおおきくえぐられ、なぎ倒された木々や焦げた地面には、思いのほか小さな火が、まだ消えずにちらほらと燻っている。いかに爆発が一瞬のことで、それも凄まじい威力だったかがわかる。

「死んだ······かな」

 ポツリとつぶやかれた言葉に、おなじく馬の背から降りたユティは答えた。

「······どうでしょう。とっさに魔法剣でガードしていたなら、どこかにふきとばされただけかもしれません」

 しばし無言のときがおとずれた。落ち着きをとり戻しはじめた夜道に、ただ風が流れた。

「行こっか」

 ラシャはすこし寂しそうな笑みをみせて振りかえった。





 けっきょく、中継基地にたどり着くのには五日かかった。

 三日を馬の背のうえで過ごしたふたりは休みたくてしかたがなかったが、追手が先んじて待ち伏せているかもしれないと、用心のために乗合馬車に乗った町を素通りし、ちょくせつ軍府のある都市へと乗りつけたためだ。

 実際には、セレスフィア軍も公にはできない任務なうえ、指揮系統も思わしくなかったので、そこまで気のまわる手はうてなかったのだが。

 こころよくミレニア軍の基地に迎え入れられたふたりは、あたえられた救護室のベッドでさらに二日間、泥のように眠った。






 目を覚ますと、ユティはベッドのなかにいた。

 ここはどこだ。

 一瞬ほんとうにそう思った。起きあがって見まわす。どうやらきちんとした建物のなかのようだ。

 なにやら右手に違和感を感じてみると、仰々しいほどに包帯が巻かれていて、そこでやっと、ここは兵舎のなかなのだったと思い出した。

「隊長···隊長はどこだ?」


 救護室をでてややうすぐらい廊下を、ラシャの姿をさがしてあるいた。さいわい、体はすっかりよくなっており、歩くのになんの苦もない。まだ時間の感覚はぼやけてこころもとないが、すくなくとも身体がなえるほどにはたっていないらしい。

 廊下は石造りで等間隔に窓があり、そこからすこしむっとした風とまっしろな外の光が差しこんでくるおかげで、陰鬱さはまったくなく、むしろここちよい日陰といったあんばいだ。人の姿もすくなく、勝手に出歩いているのをとがめられることもなかった。

 どこかふわふわとした調子で歩をすすめると、外へとつうじる出入り口があった。そこをくぐったとたん、ユティははっと目をおおった。まばゆい太陽の光がいたいたしいほどにふりそそぎ、ものの輪郭をあいまいにしていた。



 かすかな物音にふと目をやると、すこしはなれた壁ぞいの木陰に、二脚ほどベンチがおかれているのに気づいた。その長椅子のうえで、ラシャがこっくりこっくり舟をこいでいた。

 そこに休むものをいたわるようにたつ樹の、葉々のこまかな間からさし込む木漏れ日が、彼女のゆるやかな朱金色の髪にキラキラと照りかえってゆれている。

 よくとおる風がその趣きをたのしむように、光の模様をきまぐれに変えてみせた。

 どこでだったろう。あれは柄にもなく入った教会でだっただろうか。似たような光景を描いた画を観たおぼえがある。

 初めて会ったときにも感じたが、こうしてみると、やっぱり似ている、とユティは思った。

 もちろん髪の色や声なんぞはまったく違う。だが、その顔立ちや、全体の雰囲気からくる印象といったものはずいぶん似かよっている。

 いまはあどけないラシャの顔が、おそらくは美しく成長し、かの魔法剣士インブリット・グレイスマンになる───そんな妄想めいた幻がユティの頭に浮かんだ。

 ラシャのひだりの二の腕にも包帯が巻かれているのに目がいった。やはりあの闇のなか、かわしきれぬ刃害もあったのだ。さすがにグリオンは凄腕だった。いま思うと、かなり無茶な策だったような気がしてゾッとする。

 ふたりで無事生還するという目的は果たした。それでも、恩人であるこの人を護りきれなかったことにかわりはない。

 ユティは苦い気持ちを隠して、その横に腰をおろすと、静かにラシャの名を呼んだ。

「隊長······ラシュアリア隊長」

「んん···?」

 呼び起こされると、まずあわてたように居ずまいをただし、それでもこらえきれず、ひとつ大きなあくびをして目をこすった。

「おっ···? ユティ、気がついたんだね?」

 となりに座るユティに気づくと、ラシャはあの美剣士とは唯一はっきりとちがう、なつっこい茶色の瞳をキラキラさせて鼻面を近づけてきた。そうして彼の顔色をたしかめると、ひと息ついたように唇を尖らせる。

「キミは意外と寝坊助だね。ボクなんて昨日にはもう起きだしてたよ?」

「子供の体力と一緒にしないでくださいよ。これでも俺、全力をふりしぼったんで」

 爺くさいなぁ、と、幼児扱いされたことは特に気にもせず、ラシャは可笑しそうに笑った。

「それより隊長···その」

 ユティはすこし言葉をつまらせながら、チラリと彼女の腕にまかれた包帯に目をむけた。

 その視線に気づくと、とたん、ラシャはわざとのような大仰なそぶりではね起きて、ぶんぶんと左腕をまわしてみせた。

「こんなのヘーキヘーキ。切り傷なんてしょっちゅうでしょ? ちょっとかすっただけだよ。治療士さんに大ゲサにされただけ!」

 ラシャはぽんっと包帯をたたいてみせると、ふたたびユティのとなりにちょこんと座った。背もたれに身体をあずけ、足をブラつかせながら、ラシャはあの後のてんまつを語ってくれた。

「みんなには連絡しといたよ。今日あたりにはこっちに着くってさ。あと、聴いて?

 あの山岳ゲリラのマント男──ドルマ・ディゲイロっていうらしいんだけどさ、ソイツも砂漠で捕まって、いまここの牢にいるんだよ」

「え、アイツも?」

 意外だった。思ったより簡単に捕まったな。もっと図太そうに感じたのだが。

「どうやら彼らも雇われの身だったらしいよ。やっぱり黒幕はウェラヌスキアだったって。そこになんでセレスフィアがからんできたのかは解らないけど·······ウェラヌスはセレスフィアと同盟関係にあるし、そのへんのことで貸しでも作りにきたかな?

この国ともとくに良好な関係ってわけでもないしね」

 お偉いさんの話では、どうもウェラヌスキアが本格的な作戦行動を準備してたみたいでさー、とラシャは憂いの色がまじった吐息をはいた。

「まさか······とうとう戦が···」

「まだそうとは決まってないよ。すくなくともミリニアは望んでない。だからいま、広範囲で間者の摘発作戦が進んでるってハナシ。暗部の諜報機関も動いてるってさ。滅入るよね」

「そう···ですね」

 まったく気のつかぬ間に、ああしてディゲイロとかいうらしいアイツに、あれだけの組織をかまえられていたのだ。神経過敏になるのも無理はない。

 だがそのミリニアの徹底ぶりがウェラヌス側に伝われば、彼らもすこしは慎重になるだろう。わずかなりと戦端のひらく時期を先に延ばせるかもしれない。

 そうやってしばらく考えこんでいたのを誤解したのだろうか。黙りこくったままのユティに、ラシャはちらちらと気遣うような視線を投げかけた。どうやってきりだそうか、そんな感じでもぞもぞとしている。

 やがて、意を決したように、若干照れくさそうにしてラシャは唇をひらいた。

「あ、あのね? ユティはよくやってくれたよ? 今回はおかげで助かったし、いちばん善い選択をしてくれたとボクは思う。···やっぱりキミを信じたことは間違いじゃなかった」

「───」

 ユティはまじまじとラシャをみつめた。彼女はそうなんだよ? お世辞なんかじゃないからね? といった想いを視線にのせて、それでもたりないのか自分でも

うんうんとうなずいている。

 しばしそうやってみつめ合うこと数秒。ハタと気づいてどちらからともなく視線をそらした。

 ラシャは照れかくしにそっぽを向きながら、ごまかすように言葉をつづけた。

「ホ、ホラ、ボク達の隊ってさ、前に出て身体をはれる人って意外とすくないでしょ? ボクは槍が好きだから前に立ちたいけど、みんなは指揮官は後ろにいろって叱るし。でもでも、あのときからユティがウチに入ってくれて、ボクの前に立ってくれて、なんていうか···それがすごく頼もしいっていうか」

 まったく。この人は···。

 ユティは静かに、心中で笑んだ。

 あの日、ティルゾームの酒場で自分の前にたったときからそうだった。子供のくせに、たまに、妙に年端にあわぬところをみせてくれる。そう思う自分はどうなのだろうか。あのときから、すこしくらいは変われたのだろうか。

「隊長」

「ん」

 すこし不機嫌そうにみせた顔がこちらを向く。ユティは、隊の仲間たちがよくそうするように、その丸味ののこる両頬を、指でムニッとはさんだ。

 ラシャは最初、意表をつかれて目をパチクリさせていたが、ジタバタともがいてベンチからころげ落ちるようにして立ちあがる。

「ななっ···なにすんのさもう! ボク、いますっごくいいこと言ってたよ?」

「隊長」

「······な、なにさ」

 今度はしてやられるものかと身がまえるラシャをまえに、ユティは自然と、ほんとうに自然とそれを言葉にできた。

「ありがとうございました、俺を仲間にしてくれて」

 初めてきいた気のするユティからの素直な感謝のことばに、ラシャは頬の朱の色をさらに濃くしながら、それでも表面上は怒っているんだぞといった姿勢をくずさず、両腕をくんで立った。

「ま、まー? わかってればいいんだよ。──とにかく! キミはウチが選んだ最初の公募メンバーなんだから、それを忘れないようにっ」

 笑ってうなずくユティに、ラシャもやっと相合をくずし、歩みよろうとした。

「ちょっと奥さん、あれどう思いますぅ? チビっ娘によしよしされて喜んぢゃってますわよ、マァ」

「まったくね。とても見ていられないわ。どこに通報すればいいのかしら」

 ドキリとしてみると、木陰から顔半分だけのぞかせてこちらをうかがう隊員のマウルと、その樹によりかかってたつサキアの姿があった。いつのまに来たんだろう。というか、どこから見ていた。

「やっ、違っ······これは雇い主としての当然のアレで、ただ隊員をはげましてただけっていうか···!」

 揶揄されているのはユティのほうなのだが、なぜかラシャが慌ててとりつくろっている。マウルはおかしそうに破顔し、それを皮切りに、ふたりとも再会をよろこび彼女をかこんだ。そのあとに、ボナパルトやコーネル、ニコル、ジュリエッタといった面々がつづいて挨拶をかわす。

「それよりなに? 隊長のとなりにたってまえに出る人材なら、ここにちゃんといるんですけど? 彼よりも、前に、ね」

「わ、わかってる! サクにはいつも感謝してるよォ」

「まったく。なーにふたりだけで仲良くなってんのさぁ。こんなことなら私だけはやく来てればよかったなー。そしたら色々してあげられたのに」

「うわ、俺だったら勘弁だわ。お前にそんなことされた日にゃ、後がどれくらい高くつくかヒヤヒヤもんでちいとも休まらねえ」

「は? ちょっともっぺん言ってみな?」

 めいめい勝手なことを言い合いながら笑う面々を、ユティは穏やかにみつめた。なぜだろう、いままでとすこし違うなと感じるのは。

 ただひとつ、たしかにわかることは、俺は勘違いをしていたということだ。

 俺が弱いのは、自身の在りようや、それが正しいかそうでないのかといったことが原因ではなかった。もっともらしいことを理由にして、いつのまにか自分にまで言い訳して、責任を押しつけていた。それは間違っていた。自身がもっと頭を悩まさなければいけなかったものは······そう、それがきっと、ここにある。

 ひとしきり語らったあと、隊長みずからによる任務報告会がおこなわれた。

「ホント大変だったよー」

 どうにも困難さがつたわらないような口調で、にこやかなラシャの口から語られる内容に、一同は顔を青ざめさせた。

 ユティはいちおうに、「お前、なにやってんだよ」といった視線がむけられるのだろうと観念していたのだが、さすがにこの小さな台風のごときチビ隊長を押しつけたかたちの隊員たちにも、そこまでの非難はできなかった。そもそも従者がひとりで、この危なっかしい頭領をお守りするということに無理があったのだ、ということになった。

 隊員でも指折りのシンパであるサキアでさえ、あっけらかんとするラシャにあきれ顔で溜め息をついただけで、ユティに制裁の張り手がとんでくることはなかった。





 蛇足を承知で、その後のことをすこし語ろう。

 二週間後。アミュレット騎士隊は、物資の搬入におとずれたアピシャノ砂漠において、ちょっとした暗殺部隊掃討作戦にいきあたり、隊ごとこれにかりだされるハメとなった。その尽力のかいもあってか、砦の司令部をねらった暗殺計画は未然に阻止された。ミリニア側の機敏な対応をみたウェラヌスキアもさすがに出直しせざるをえず、ひとまずは、一触即発の事態はさけられるかたちとなった。

 さらに余談となるが、この事件について情報を提供したドルマ・ディゲイロは、そのみかえりに恩赦され放免となった。


 そんな騒ぎの終息後。騎士隊はほんらいの治安維持任務にもどっていた。いまは分かれて、地理にあかるい地元の警備兵とともに街の周囲を巡回している。

 夜の番にあたったユティは、星空に静かにはえる砂漠をぼんやりとみつめていた。

「ずいぶんとみょうな恰好の剣だな。お手製かい?」

 後ろで大岩に腰をおろし、パイプをやっていた中年の警備兵が声をかけてきた。手になじませようと、振るうともなしにもてあそんでいた得物が気になったようだ。

 あらためて砂漠へと出発するという前日。ユティのもとに町の鍛冶屋から荷が届いた。そのながい木箱をあけてみると、そこにはひと振りの剣がおさまっていた。

 柄はやや長く、柄尻のところにはすこし大きめにもみえるバランスでまるい金属の飾りがしつらえてあり、そのなかに赤い法玉がはめこまれている。ユティが案をだし、隊の備品管理もつとめるボナパルトに相談して、図面に起こしてもらったものだ。

 あえて名をつけるのなら、杖剣──といったものになるのだろうか。これが、あの不運な偵察任務からえた自分なりの「在りかた」だった。

 相談をもちかけた時、ボナパルトに怪訝な顔をされた。

「なんだって使いなれた得物ふっとばしてこんなモンを」

 あまり乗り気ではなさそうだった。こと道具にかけてはピン一本すらも無駄にしないことが信条の彼にとっては、あまり面白い話ではないのだろう。

「で、こんなけったいなモン造ってどうすんだ。おまえ、魔法剣士やめんのか」

「逆だ。続ける──」

 そこでユティは言葉を切った。違うな、そう思った。

「近づくため」

 そう答えたときの自分がどんな顔をしていたのかはわからない。だがこちらをみるボナパルトの表情は、悪くないものだったように思う。


「···ああ」

 ユティは首肯した。警備兵はつづく言葉を待ったが、それ以上かえってこないとわかると肩をすくめてまたパイプをふかしはじめた。

 はじめて持ったときから手になじんだ。重みは以前のものとさほどに変わらない。鍛治師の腕がうかがえる。

「どうせ一生ニセモノだ」

 そう独りごちた。

 この先も、インブリットやグリオンのような連中からは認められることはないだろう。だがそれがなんだ。俺にだって護らなければ、いや、護りたいものがある。ニセモノにしかなれないのなら、それでいい。このままだって強くなってやる、絶対にだ。だってそれが······

「俺の在りかただ」

 こたえるように、あらたな道づれの鍔が涼しげな音をたてた。


 ここまで、つたなく長々とした話を読んでいただき、ありがとうございました。

 ほんのちょぴりでも楽しんでいただけたなのら幸いです。



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