プロローグ 星の子Vtuber
「流れ星に願い事を3回唱えると、願いが叶うんだって。」
誰もが一度は聞いたことのあるおまじない。
空にスッと筆を走らせたように光る一条の流星は、この世で最も儚く神秘的な自然現象だと思う。
空の遥か彼方からやって来た星屑が、ほんの一瞬、空で弾けて消える。
それはとても静かで、瞬きくらいの短い時間だけれど、星がそこに生きた証を確かにはっきりと空に刻む。
消えてしまうのは悲しいけれど、その軌跡は見上げる人たちに標を示す。
多くの人の願いと想いを乗せて、誰かの心に未来と生きる希望を灯す。
この日、星の降る夜空を見上げた日、空から降り注ぐ流れ星を見上げて、心がどこかざわついていた。
ワクワクと、ドキドキと、切なさと、不安と。
何かが始まりそうな、何かが待っているような、そんな予感に胸がふるえ、同時に武者震いもおぼえながら。
「わたし、流れ星見るの大好きなんだよねー!」
スマートフォンから声が聞こえてくる。
画面の向こうで、女の子が上を見上げている。
「今日はペルセウス座流星群の極大日だからね。あと1時間は粘って見るよ!配信も続けるから、お付き合いよろしくね!」
Vライバー……映像・撮影技術を用いて、キャラクターの姿を纏ってライブ配信を行う人たち、通称Vtuber。
“もう一人の自分”とも言えるアバターを通して、いろんな活動をしている。
お話をしたり、歌を歌ったり、ゲームをプレイしてみせたり。
多くの人たちに囲まれてキラキラ輝くあの人たちは、眩しかった。
わたしは今まで、何も持っていなかった。
夢も、大きな目標も、「何かをしたい」という意志も。
ただ普通に高校に通って、なんとなく生きてきただけ。
もちろん、それが嫌だったわけじゃない。
少し運動が苦手だったり、自信を持てるような容姿ではなかったりはするけれども、だからといって自分が嫌いになるほど生きづらいわけじゃない。
それでも、最近なんだかふと不安になることがある。
わたしは、今のように「何もない」ままでいいのだろうか。
大事な何かを、わたしにとって本当に大切な何かを、忘れているんじゃないだろうか。
そんな気持ちになったのは、きっとあの時。
あの「出会い」があったから。
「チヒロちゃんは、何か好きなこと、ないの?」
ある日、ふとしたきっかけで知ったスマートフォンのアプリで「彼女」と出会った。
まるでゲームやアニメの世界から出てきたような姿の女の子。
しかしそれは確かにわたしと同じ、今この世界に生きている「配信者」だった。
彼女にはたくさんのファンがいて、次々と色んなことをして、楽しそうにキラキラ輝いていた。
もちろん、その背景に多くの苦労と努力があるのだろうことも見てとれる。
トークや歌を練習したり、動画や画像を編集したり、SNSで情報を発信してファンと接したり。
そういった見えない努力も含めて、わたしには彼女がまさに星のように眩しく輝いているように見えた。
配信者は画面越しに“語り”、視聴者はコメントという形で応える。
バーチャル配信アプリIMAIRのライブ配信の本質は対話である。
彼女はわたしに対して問いかけ、わたしもそれに答えようとした。
わたしの好きなことって何だろう。
あの時、彼女の問いかけにわたしはじっと考え込んだ。
部活をしているわけでもなければ、趣味らしい趣味もない。
星や宇宙については多少詳しいけれど、それはたまたま知る機会がたくさんあっただけだ。
好きなものも、夢も、目標も。
もしかしてわたしには、何もない……?
そんな考えに思い至り、頭を抱えそうになったわたしに、彼女はこう言った。
「あなたも何か、始めてみたらいいと思うな!」
その言葉が、わたしをハッと目覚めさせた。
もしかしたらわたしは羨ましかったのだろうか。
わたしはいつも、キラキラと輝いて見えるあの人たちを、羨望の眼差しで眺めていた。
「わたしも、あんな風に」。
そんな思いが生まれたのも一度や二度ではない。
もちろん、「配信者になる」のは簡単なことではないだろう。
Vで在り続けることだって、並大抵のことではないはずだ。
それでも、始めないことには何も変わらない。
大事な何かを探している、「何もしていない」ことに不安を覚えている自分を変えるためには、まず「始める」ことからだ。
彼女の問いが、わたしの背中を押してくれた。
決して彼女自身にそこまでの意図があったのではないとしても、社交辞令のような、その場限りのありきたりな言葉だったのだとしても。
わたしにとってその言葉は、道を指し示す星しるべのように思えた。
そして、今日。
Vライバーとして配信する準備が整った。
配信アプリIMAIRは、バーチャルの身体さえ用意できれば誰にでもVライバーになることができる。
その日のうちに、依頼できそうな絵師さんを探して、お兄ちゃんにも協力してもらって依頼して。
絵師さんと、細かな修正や調整といったやり取りを交わすこと2ヶ月。
つい先ほど、わたしの「身体」の完成品のデータが送られてきたのだ。
わたしが、Vライバーになる……。
まだ実感はあまり無い。
けれどスマホ越しに話す彼女の声が、今日は今までよりも遥かに近く、現実感を持っているように聞こえた。
夜空を見上げると、真っ暗な空に星がまたたいている。
時折走る一条の線。
願いを唱えるには短すぎるほど一瞬だけれど。
空を横切るように過ぎ去る流れ星を見ていると、前にもこうして夜空を眺めたことを思い出した。
あれはたぶん、家族と一緒に眺めてた。
誰かの隣で、上手く願いが唱えきれないと泣いていたっけ。
「みんなはこの流れ星に、何をお願いする?」
わたしは、この空に見えるあの星のように輝くVライバーになる。
この人の言葉を聞いて、何かをせずにはいられなかった。
何かを始めないではいられなかった。
この不安が、焦りが、この言いようのない感情が何なのか、わたしには分からないけれど。
始めよう。
夢中になれるような、わたしにとってかけがえのない何かを見つけるために。
わたしの中にずっと燻っている、大事な何かを忘れているような、この胸のざわめきの理由がこの先にある気がするから。
何より、わたしもこの人のように輝きたいと思ったから。
「わたしは、星の子のVtuberになる!」
「星の子」という個性は今決めた。
Vライバーとしての名前も、相応しい名前を考えよう。
星が流れるのは一瞬で、3回唱えるには時間が足りないけれど。
これはわたしの決意表明。
この人のように、誰かの心を照らし誰かの背中を押す存在になるために。
あの流れ星のように、誰かの心に未来と希望を灯す、わたしはそんなVライバーになる。
わたしはこの日、彼女―――いや、先輩Vライバー「星隼ひかり」に向けて、ひとりそう宣言した。
「何もない」わたしに、前へ進むきっかけをくれた彼女に。
この日から、わたしはVライバー「宙路そあ」になった。
そう、確かにこの日、わたしは大切な何かを見つけていた。
―――あれは、「彼女」が旅立つ、5か月前のこと。
わたしは今、あなたに恥じないVライバーになれていますか?
「お姉ちゃん」。