シゲ先輩との出会い
ここ北国にも春が訪れ、草樹や桜の香りがただよう季節を迎えた。
この地域は山脈が近い事から雪が多い。雪が溶け出し土手の地面から顔を出すバッケ(フキノトウ)を見ると春の訪れを感じる。この爽やかな暖かさに、閉ざされた心までもが開放される。
桜並木も満開になり薄桃色のラインが川沿いに連なっている。時々、風と共に木々がチークダンスをして花びらを舞い散らせ、道路までもが薄桃色の絨毯と変わる。
風や雨が強い日は、桜並木がディスコ調で踊りまくる。その後、疲れ果てた桜たち、は、悲しいことに桜がすっかり無くなり、葉桜になってしまう事がある。
その姿を見た観光客は、とても残念そうな顔をしている。桜は、スローなダンスをしてこそ心豊にする木々だと思う。
私の名前は、北龍太郎(きたりゅうたろう・・通称、リュウ)もうすっかり中年になってしまった。頭の中身と心が若いのが自慢である。
毎年、春になると桜並木の自転車ロードを愛車のロードバイクで走り抜ける。
この自転車ロードは、市で造った道路で歩行者、自転車専用だ。天気予報は、日曜日はどうやら暖かく、晴になると報じていた。
その予報の通りか、空を見上げ確認する。自宅の前でロードバイクの空気圧、ブレーキ、ギヤの状況をチェックした。
桜並木までは直ぐ近くの距離だ。ゆっくりとロードバイクを漕ぎ観光客の集団を追い越す。桜並木の下で宴会をしている花見客を横目にして自転車ロードをゆっくりと走る。空気も暖かく、草花の上を蝶たちが舞い、桜の花が舞い散る中を走るのは気持ち良いもので、心のリフレッシュになる。思いっきりペダルを漕いで春の暖かさ、桜の臭い、土の臭い、木々草花の臭いを体一杯に浴びる。自然の春の祝福を感じる至福の時だ。
途中、桜の木の下でロードバイクにセットしているボトルドリンクを取りだして喉を潤す。
「うめえー。よし、あと隣町まで十キロか。行くか」
結局その日は、三十キロをロードバイクで走り汗を掻いた。このロードバイクでの汗は、疲れを感じず爽やかな気持ちになってくる。
「ああ、明日は、仕事か?こんな桜の咲く季節は、会社に行きたくなくなるよな」そう思いながらゆっくりとロードバイクを漕いで我が家へ向った。
会社も新しい年度の始まりだ。桜の花びらをボンネットに同乗させた車が多く見受けられる。
年度が変わっても仕事内容は同じだ。仕事も溜まっており、早めに会社に出勤した。席に着いて早々に資料作成を始める。
「さてと、これで作業指示の資料が出来たな・・」と、社外工場への作業指示内容を眺め誤字脱字が無いのか再確認する。
数十年前、社外工場への作業指示書は手書きで、組立方法のイラストを描き指示していた。今や時代が進みデジタルカメラ、通称デジカメにて写真を撮って、パソコンへ取り込みするなど、電子機器活用の時代に変化している。当然の如く、我が社でも社外工場に対する作業の指示内容に、デジカメを活用して、指示書の作成を行っている。私も、ようやく何とか出来るようになってきた。
先輩である重石健一さん(通称シゲさん)が、いつの間にか出社していた。
するとシゲさんは、私が手に持っている資料をヒョイと取り上げた。
資料の表裏を眺めてニヤッとして、その資料を机にヒョイと投げつける。
知らない人は、この態度に驚き『何するの。人のもの黙って取って・・投げるのかよ』と、ケンカになると思うのだが経験豊富の私は、『まあ、いつものシゲさんの事だ』と、慣れっこになっている。本当に慣れて、思考がマヒし「シゲさんだから、いいや」と、何とも思わなくなってしまっていた。
更にシゲさんは、私の机の上にあったせんべいの袋を破りボリボリと食べ始める。ちなみにこのせんべいは、出張の土産で配られたものだ。当然シゲさんも昨日配られたはず。
シゲさんは、人のせんべいを食べても何とも思っていない。また、この様な事は日常茶飯事。別に驚きも感じ無くなってきている。本当にこのままでは、私の性格もゆがんでしまうのでは?なんて、ときどき思ったりもする。
シゲさんは、何にも無かったようにセンベイをボリボリかじりながら指示書を目の前に差し出した。
「何?こいづ社外工場に出すのが?何たら立派だってや。写真も貼付けで立派だじぇな。俺、デジカメで写真撮ってもいっこど(まったく)貼付けでぎねくて、おもしぇぐねじゃな(面白くない)」
「シゲさん、人のセンベイ食うなって。シゲさんも昨日配られたべ。また何、デジカメの写真貼り付け出きねえってが?あとで教えてやるって。ところで、この作業指示の資料、この内容でわがるじゃなっつ」
指示書を指差して聞く。
「ああ、センベエな、昨日食ってしまった。ありゃそれ、リュウ君のセンベイだったのが。机さ置いてあったがら食っていいのがなと思ったがらよ。(机?それは私の机である)指示書が?写真も立派だじぇ!立派だ、わがるって」
シゲさんの口癖「立派だじぇ」のお墨付きを貰ったから安心?・・まあ、内容は大丈夫だなと思い発行者の欄に日付と“Ryu”のサインを入れた。
『後は、確認・承認のランに部長からサインを貰うだけだな』そう思いながら
部長の机まで歩いて行き、机上の受付書類入れに指示書を投げ入れた。
「この前シゲさん、指示書いていたけど社外工場に説明に行ったのが?」
振り返りシゲさんに言う。
「ありゃ。まだ説明してねえじゃ。うんだな、今日でも行って来るが」
目を細めてニヤケた顔を私に向ける。
「まだ行ってねえのが?あれ、今月からの対応だべ。それと、いっつも言うけど朝にウドン屋(讃岐ウドン店)に寄ってウドン食って行くなよ」
「んだってよ、あのウドンうめえじゃな。安くてうめえじゃ」
本当に嬉しそうに答える。
思わず「うんだな(そうだな)。あの麺の腰とダシがいいよな。関西風で。大阪に住んでいたとき良くウドン食ったけど麺はモッチとした歯ごたえと透明なダシが一番・・』と、思わず言いそうになるのを堪える。
「んだってが。リュウくん、今日は食って行がねえからよ。安心しろ」
思わず返事に思わず笑う。今日だけとか、そうゆう意味で言った訳では無い。ちなみに、一応、私が上司になっているので注意をしただけだ。シゲさんは全く理解していないか?分かっていて知らない振りをしているだけだ。意外と役者かも?そう思う時がある。
家で毎朝届けられる牛乳を飲みながら、シゲさんは、地元のローカル新聞を眺めている。「シゲさんイコール牛乳」がいつもの朝の風景になっていた。
シゲさんの持論
「だってよ、健康にいいんだべ。だがら、いっつも牛乳飲むのよ。まだ、これが俺の栄養源だがらなっつ」
酒飲みのわりには以外にシゲさんって健康オタクだなあと感心する一面がある。良く考えるとシゲさんは『朝・流動食』『昼・固形物』『夕/夜・米流動食=日本酒』と一日に固形物質は1回、流動食2回の食事だ。夜は同じ米を主食としている様だが、その米も流動食に変化している物を食す。二回の流動食の内一回は、栄養素を摂取しなければと言うシゲさんの持論だ。
パソコンのメールをチェックしている間に同じ部内の社員が出社して来た。会社全体にラジオ体操の曲が流れ始める。
もう朝礼の時間かと、腕時計を見て時間を確認する。あと数分で朝礼の時間だ。部員全員がぞろぞろと部長の前に集まって来た。会社の決まりで就業時間の始まりと同時に社歌が流れる。我が社は毎日朝礼で社歌を歌い、社訓を読んでから本格的な朝礼が始まる決まりになっている。(数年後、無くなった)
この会社に入社した時には、社歌を皆で歌うので驚いた。『朝から歌う会社もあるのだ。社歌と言えば、木立製作所の『このー木、この森なんのだろな?気になるなあ・・』の歌が思い出される。
また、社歌は全員で歌う。だから自分の周りの人の歌は自然と聞こえてくる。当然歌とは、上手な人と下手で音痴な人がハッキリと現れわる。
『あっ、○×△さん歌下手糞だな・・』なんて思ったり。
『なんで音程が上がる所で下がるんだ?』『最初から最後まで低音で音程が変わらない?勘弁してよ、可笑しくて顔が引きつってきたじゃ』なんて自分の歌唱力を棚に挙げて思う。
次に社訓を読み上げる。「製品販売の売り上げ達成だ!やるぞ!」の熱い雰囲気か?いや宗教界のマインドコントロールか?の如く・・洗脳された人間か?なんて毎日同じ事を繰り返して読み上げている為、自然と社歌&社訓は頭の中にインプットされている。
よく一部の宗教に対し「洗脳だ!洗脳・・」なんて言われるが、会社程に自分が洗脳される「宗教」はないのではないのかと考えてしまう。会社とは宗教より怖い存在かもしれない。そう、教祖様=社長様が宗教界と一般社会の区別であり、結局、同じ様なものであると感じる。そう思うのは、私だけなのだろうか?
部長の本日の報告が始まる。はあ・・今日も一日が始まるなぁ・。
朝礼で部長の話をボーッして聞いていた。ふとシゲさんを見ると、立ってはいるのだが、右手で新聞をめくって顔も下を向いている。どうやら新聞記事を読んでいるらしい。シゲさんは、中日ドラゴンズの落合監督同様「俺流」を貫いている。まったく、部長の話など聞いていないのだ。新聞記事に心を奪われている。
『子熊・・落とし穴に落下!捕まる・・・』の記事を読んでいるのが見えた。部長もそんなシゲさんを見ても注意する訳ではない。まあシゲさんだがら『いっつものごどだがらいいじゃな』と、思っているに違いない。
そうゆう私もシゲさんの行動に注目して、部長の話は全く聞いていないのだ。
朝礼も無事?終了し一日の仕事が始まった。
イスに座ったシゲさんが、いきなり新聞を指差して笑い出す。
「このぺっけ熊(小さい熊)穴っこさ落ぢで、ガリガリど穴がら上るけしたどや。でも登れねくて、鉄砲でバーンとうだれど(撃たれた)。こうやってぺっけ熊ガリガリどだじぇ」
本当に熊が穴からガリガリ昇る様子を、手を前にして穴から這い出す仕草をして見せる。それも、笑いながらだ。子熊が撃たれて何が面白いのか?そんな熊の上る真似をするシゲさんの方がずーっと面白い。
シゲさんと私は、同じくらいの入社で、年齢は九歳年上の人生の先輩だ。そんなシゲさんに色々な仕事を教わった。また、お酒の席で色々な事件に巻き込まれることが今でも多い。シゲさんは、TV番組の「いつみても人生波乱万丈」にでも出演出来る人物である事を、この私が太鼓判を押す。
そもそもシゲさんとの出会いは、私が数十年前、南上市の工場から出向で大阪支店に勤務していた頃の事だ。
シゲさんは新機種の担当者で、その新機種が導入されたお客様にトラブル発生した為、対策部品を持っての出張であった。その頃シゲさんは、南上市の工場に設計者として勤務していた。
そのトラブルも部品交換で順調に終わり、さて飲みに行こうと話がまとまった。こうゆう飲みに行く話は、数秒でまとまる。私の先輩である大島さん、重さん、私と会社から近くの安くて美味しい居酒屋に入った。大阪人は、安くて美味しい店を好む。だから一階が満席で二階に案内された。なんと二階もサラリーマンんで溢れかえり、たばこの煙、グラスがぶつかり合う音、喧騒な雰囲気の中ぽっかりと空いた一つのテーブルに座る。さすがにおいしく安い店は、サラリーマンで混雑する。形ばかりの立派な店なんて遠慮する。大阪人は、庶民派なのだ。
ここで私の場合はもう一つ他の人と違う理由が付け加えられる。「ほぼ毎月金欠病」の理由がトップに躍り出る。なにせ実家の親からの連絡で銀行から、「お金お貸しします」の電話があるくらいだ。恥かしくて人にも言ったことがない。
この店で有名な「とろとろの土手焼き」を貪るように食べ、ビールをグビグビ飲み手の甲で口を拭く。この頃、日昇ビールは、今のように「ハイスーパードライ」などの有名商品も無かった。大阪は、どこの店も日昇ビールだった感じがする。
大島さんとシゲさんは意気投合し、私もテンションが上がった。何せシゲさんは、思った事をそのままストレートに田舎弁で話す人で、そのスタイルを大島さんは、大いに気にいったのであった。
続・二次会編に続く