Cafe Shelly 笑顔の人生をあなたに
二十年前のあの日、私は目の前が真っ暗になった。その知らせがくるまで、幸せの中にいるとばかり思っていた。
「警察の者ですが…」
家に突然尋ねてきた制服の警官。最初は何かの冗談かと思った。いや、そう思わなければ心がおかしくなる。けれどそれは現実。
「ご主人が…事故で亡くなりました」
伏し目がちにそう言う警官。私は動くことができなかった。そして現実を受け止めた瞬間、私は三歳になる息子を抱きしめて泣いた。
それから二十年間、私は息子を育てることに必死になって生きてきた。
そして今、私は多くの人の前に立っている。おそらく千人以上はいるだろう。
心臓がドキドキする。けれどそれは緊張からのものではない。今から起こることに対しての楽しみと期待に対してから起こるものだ。
「それではご紹介します。本日は生きる、という勇気と楽しみについてご講演いただきます。ちづるさん、どうぞ!」
司会者が私の名前を呼ぶ。そして私はスポットライトを浴びながら千人以上の拍手を浴びながら壇上につく。これが私の舞台。そして私のやりたかったこと。今、まさにそれが実現していることを心から実感しつつ、この大舞台に立っている。そして私は語りはじめた。
「みなさん、はじめまして。ただいまご紹介いただいたちづるといいます。ちーちゃんって呼んでね」
舞台の上で年甲斐もなくちょっとだけ可愛らしいポーズを取る。すると観客席から「ちーちゃん!」ってコールが響く。まるでアイドルスターにでもなったような感じだ。もう五十歳を過ぎているのに。
けれどこれが私のお決まりのスタイル。舞台上で明るく振る舞う私にはそうしなければいけない使命があるから。
そう、私は幸せにならなければいけない。幸せにふるまわなければいけない。それは私にとっての義務であり、わたしにとっての役割なのだから。
心のなかでいつもそうつぶやく。けれどそれは無理やりそうしているのではない。事実、私は今幸せなのだから。あの日、あの時から私はそうなると心に誓った。あの人に出会ってから。
「今日はみなさんに、生きるってことの勇気、そして楽しみについてお話します。まずはこちらを見てください」
会場には大きなスライドで私の満面の笑顔が映しだされている。
「ねぇ、かわいいでしょ」
ここで笑いが飛び出す。五十も過ぎたオバサンが精一杯の笑顔を作っている写真だ。でも、私はこの写真がすごくお気に入り。みるからに幸せそうだもん。
「今でこそこんなに明るく振る舞える私ですが、以前はこんな顔していました」
次に映しだされたスライド。そこにはピースサインこそしているけれど、今と比べるとと信じられないほど暗い顔をした自分がそこにいた。今よりも四つも若いのに、間違いなくこの写真のほうが老けて見える。あの頃、それだけ私は英気のない毎日を送っていた。会場からも信じられない、というような空気が漂う。
「これが昔の私です。二十年前から四年前まではこんな顔をしてずっと生きていたんです。まずは昔の私のことを聞いてください」
ここから私の人生の話が始まった。
私は二十五歳で結婚し、当時は幸せな生活を送っていた。夫は普通のサラリーマン。裕福とは言えないけれど、特に何の不満もない、幸せな毎日を送っていた。しかし、なかなか子どもができずに悩んでいた時期もあった。が、三十歳手前にしてようやく子どもを授かることができ。そこから親子三人、幸せな毎日を送ることができていた。しかし、その幸せは音もなく突然壊れてしまうことに。
「ご主人が…事故で亡くなりました」
どうして? 頭の中がぐるぐるになり、何も考えられなくなった私。葬儀は周りの助けもあって無事に終わった。
葬儀が終わった頃、夫が事故にあった原因を知らされた。居眠りによるセンターラインオーバー。主人の疲労はピークに達していたようだ。さらに悩みを持っていたという話も耳にした。
私にはそんなこと一言も言わなかった夫。けれど会社の中では、夫はやばいんじゃないかという噂が広がっていたらしい。
「えっ、奥さん知らなかったの?」
夫の上司から言われた第一声がそれだった。当時は「うつ」なんて言葉はほとんど耳にしなかった時代。今ならばすぐに精神科に行ってうつの診断を下されるのだろうけれど。当時は精神科なんていうと偏見を持たれていた時代。夫は私達家族に迷惑をかけまいと、一人で悩み苦しんでいたに違いない。そんなことが徐々に明らかになるにつれ、周りが私を見る目が変わってきた。
「あの奥さん、ご主人のことを何も知らなかったんだって。まったく、お気楽な主婦だわね」
「きっと家庭では何も会話がなかったのよ」
「ご主人だけに稼ぎを任せて、自分は三食昼寝付きの生活をしてたんだって」
事実無根の話に、さらに尾ひれがついて。夫の死は徐々に私に対しての誹謗中傷の言葉ばかりになってきた。私だって知らなかったのに。けれどその声は誰にも届かない。
「どうして私がこんなふうに言われなきゃいけないの?」
夫の死だけでも悲しくて涙する日々を送っていたのに。それに加えて私への攻撃が精神への追い打ちをかける。もう耐えられない。
「私なんていないほうがいいのかな…」
ついぼそっと言ってしまったこの言葉。この言葉から、私は本気でそのことを考えていた。気がつけばどうやったら息子と二人して楽に死ねるのか、そのことばかりを考えていた。すると、私を見ていた息子が一言ぼそりとこんな言葉をつぶやいた。
「ボクも一緒に死ぬと?」
その言葉を聞いた瞬間、なんてバカな母親なんだろうと目が覚めた。わずか三歳の子どもにこんなことを言わせてしまうなんて。
「ごめんね」
私はそう言って息子を強く抱きしめた。死んじゃいけない、息子のためにも、そして私自身のためにも。もっと強くならなきゃ。これから親子二人で生きていくんだから。
そして決心した。私は泣いてはいけない。私は甘えてはいけない。私は人に頼ってはいけない。強くならなきゃ、強い女にならなきゃ。これからは私は母親であり父親でもあるのだから。その思いを持って、あらたな人生をスタートさせることになった。まずは職探しからはじめなきゃ。
幸いにして、私は商業高校を出ていたおかげで簿記の資格を持っていた。おかげで事務の仕事に就くことはできた。とにかくがんばらないと。私は人一倍仕事に打ち込んだ。息子は保育園に預けて。とにかく必死で働いた。男性に負けまいと、残業もこなした。その分、保育園からはお迎えの催促が職場にかかってくることもしばしば。当時は携帯電話も無い時代だったから、周りからは働き過ぎだと言われた。けれど、当時は女性だからということでまだまだ給料に格差がある時代。その分働く時間でカバーしないといけない。
「ちづるさん、そんなに無理しなくても」
「いえ、やらせてください」
そんな会話を何度繰り返しただろう。泣いてはいけない、甘えてはいけない、頼ってはいけない。私は一人で生きていく。そのための強さを身につけなきゃいけない。
しかし、心は何度も折れそうになる。遅い時間に保育園に迎えに行くと、すでに眠っている息子。気がつけば寝顔しか見ていない日々が続いている。苦しい、つらい、けれどそんなことは人に言えない。その葛藤を繰り返す毎日が続いた。そして気がつけば息子も小学校に上がり。私も仕事の上ではそこそこ責任を持つ立場になってきた。
そんなある日、今度は父が倒れたという知らせを受けた。私が一人になってから、父は私の心の支えとなってくれていた。泣いてはいけない、甘えてはいけない、頼ってはいけない。そう自分に言い聞かせていた中で、唯一その前で泣き、甘え、頼れるのが私の父であり母であった。その父が倒れた。
突然の知らせに心は動揺。今すぐ父のところへ向かわねば。けれど、それを言い訳に仕事を休むのは甘えになる。自分にそう言い聞かせて、父が倒れたことは会社の誰にも言わずにいた。
「ねぇ、おじいちゃん大丈夫なの?」
そのことを唯一知っているのは息子。
「大丈夫よ、あのおじいちゃんがそう簡単にくたばるわけないでしょ」
私は息子の前では気丈に振舞い、父のことは笑い話にしてしまおうとしていた。が、父の病状は予想以上に悪いらしい。週末になり私は息子を連れて父のもとへと走った。
病院に向かいそこで見た父の姿。それはほんのちょっと前まで私の前で冗談を言い、励ましてくれていたあの父とは別人になったものであった。頬はこけて、色も青白くなり、呼吸器をつけて昏睡している。
「もう三日も眠っちょっとよ」
母はハンカチを目に当てながら私にそういう。
「お父さんっ」
いくら叫んでもその声は父には届かない。そして翌日、父は静かに息を引き取った。
さすがにここは会社を休むことに。社長もあわてて葬儀に飛んできた状態。
「大変だったね、しばらくはゆっくり休みなさい」
そんな優しい言葉をかけてくれる社長。今回ばかりはその言葉に甘えさせてもらうことにした。が、突然の死だっただけに休んでいる間は母と実家を片づけたりさまざまな手続きをするので精一杯。
初七日も終わり、ようやく家に戻ってきた。家の灯りを付けた時、私の中で何かが壊れた。突然襲ってくる脱力感。何もやる気が出なくなってしまった。明日から仕事なのに。息子も学校に行かせないといけないのに。ただ部屋の真ん中に座ってぼーっとしている。私、どうしちゃったんだろう。
「おかあさん、どうしたの?」
息子が心配そうに寄ってくる。
「ん、大丈夫よ」
そう言って息子を抱きしめる。が、自分でわかる。全然大丈夫ではない。何もかもがもうどうでもいい、そんな気にすらなってきた。
明けて翌日、やっとの思いで身体を動かして久々の出社。周りからは大変だったね、ムリしないでね、の声。父が死ぬ前だったらそんな言葉に甘えることなく気丈に振る舞えたのに。今はダメ。
「ちづるさん、まだ本調子じゃなさそうね。お父さんのこと、よほど引きずっているのね」
最初は周りからそんな風に思われた。私自身もそう思っていた。けれど何かが違う、何かが。こんな調子で一週間も経つと、今度は周りからちょっと違う目で見られるよううに感じ始めた。
「気持はわかるけど、ちょっと引きずり過ぎじゃない」
「そろそろ仕事にちゃんと戻って欲しいんだけど」
そんな言葉が聞こえてくる気がした。周りの目がそう見えてくるのだ。
ここで甘えてはいけない。ちゃんと振舞わなければ。そう思えば思うほど、身体は空回り。階段を上がることすらしんどいと感じるようになってしまった。
「ちづるさん、ちょっと」
ある日社長から呼ばれてしまった。この数日間の勤務態度を叱られる、そう思っていた。が、社長は意外な言葉を私にかけてくれた。
「あまり気乗りはしないだろうが、この病院に行ってみなさい」
紹介されたのは精神科のある病院。社長は続けてこう言う。
「ちづるさんはおそらくうつにかかっているんじゃないかと思うんだよ。我社としても貴重な人材を失いたくない。そのためにも、病院に行って診察をしてもらいなさい」
私がうつ? 一瞬その言葉を疑った。
うつという病気は心の弱い人がかかるもの。当時の私にはそんな認識しかなかった。もちろんその認識は間違い。しかし当時は多くの人がそう思っていた。
私は泣いてはいけない、甘えてはいけない、頼ってはいけない、強く生きていかないといけない。だから私がうつにかかるなんてとんでもない。
「大丈夫です。ちょっと疲れが出ているだけですから」
「いや、ちづるさんは間違いなくうつだと思うんだよ。先日講習で聞いた症状そのものだったからね。無理矢理にでも病院に連れて行くよ」
社長の気迫に押されて、とりあえず病院には行くことになった。病院では今までのことをいろいろと聞かれた。夫が死んでからのこと、そして先日父が死んだこと。息子を一人で育てないといけない、そう思って強く生きていこうとしていること。
「なるほど、そうだったんですね。それは大変でしたね」
精神科の先生は私の話を全てしっかりと聞いてくれた。全てを話した時、心のなかの何かがワッと出てきて。私は泣きだしてしまった。泣いてはいけない、そう思っていたのに。
「いいんですよ、ここでは思いっきり泣いてもいいんですよ」
優しくそう言ってくれる先生に甘えて、私は声を出して泣き続けた。
そうして出された診断はうつ。薬を処方され、今後のことを社長と相談したほうがいいとアドバイスを貰った。さすがに社長に話さないわけにはいかない。精神科でのことを翌日社長に報告。
「そうか、わかった。ちづるさん、まずは溜まっている有給休暇を使いなさい。そしてしばらくのんびりするといい」
社長の行為に甘えて、私はしばらく休みをとることにした。本当なら温泉にでも行ってゆっくりと。そう思いたいところなのだが、その気力すら湧いてこない。これがうつという病気なのだ。
そこからうつと付き合う人生が始まった。ともすると「死にたい」という気持が湧いてくる。正直、何度ここから飛び降りたら楽になるか、と考えたことか。しかしそのたびに思い浮かぶのは息子の顔。今死んだら息子はどうなる。いけない、今はまだ死ねない。その繰り返しだ。
抗鬱剤を飲むことで前ほどの勢いはないが普通に仕事をするには問題ない程度にまで回復。けれど、一人になった時に襲ってくる何者かわからない不安。私はこの先一体どうしたらいいのか? そんな状態が何年も続き、気がつけば息子も高校生になっていた。この頃になると薬の量も減ってはいたが、完全に回復したわけではない。
「ちづるさん、今度一緒に買い物に行かない?」
同僚からはときどきそんなふうに誘われることがある。その瞬間は行きたいと思うのだが、ついこんな考えが私を襲う。
「息子を置いて一人だけ楽しむなんて」
だからいつも、息子のことをダシにして断りを入れてしまう。息子ももう高校生なのだから、一人でほったらかしにしてもいいのだけれど。というより、息子は勝手に自分がやりたいことをやっているし。私が子離れできていないのかな。
仕事の方はなんとかそれなりの勢いを取り戻し、周りからの信頼も回復できたと思う。が、プライベートの生活になると気がつけばいつも一人ぼっち。友だちという友だちがいない。そんな状態が続くある日、私にとって大きな、心を震わせる出会いがあった。
「今度、みんなでこの人の講演を聞きに行くことになったから」
会社で手渡されたパンフレット。
「自分を認めて人生を変えてみよう」
なんだか陳腐なタイトルだな。そう思ってみたものの、なんとなく心惹かれるものがある。
講演者は羽賀純一。地元でコーチングというのをやっている人らしい。講演会の主催が社長が所属する勉強会なので、その動員で社員を連れて行くことになったみたい。ほとんどの社員は社長が言うのだから、仕方なしに参加。けれど私はなぜか期待を持っている。
そして講演会。羽賀さんの話は私にとっては新鮮だった。何より心に響いたのは
「まずは自分が楽しいと思えること。そこから生まれる笑顔。これが周りを幸せにするんですよ」
という言葉。思い出せば夫が死んでから、私は何一つ楽しいと思ったことはない。笑ったことはあるけれど、心から楽しんで笑っていたわけではない。どうやったら楽しいと思えるのだろうか。そこで羽賀さんはさらに私に衝撃を与える言葉を伝えてくれた。
「まずは自分が夢をもつこと。そう、心からワクワクする夢をね。けれど、その夢がなかなか描けない人も多いでしょう」
うん、そうだ。私の夢ってなんだろう。そう思ったら何も言えない。
「だから人と会話をするんです。話をしていたら、心の奥にある夢が徐々に浮かび上がってきます。そして気づくんです。私はこういうことがやりたかったんだって」
人と会話。それも今まで避けていたところだ。仕事の話はするけれど、夢の話なんてしたことがない。でも、そんな話をする相手もいない。
いや、いた。この人だ。羽賀さんはプロのコーチだから、それを仕事にしている。その瞬間、私の行動は決まった。
講演会が終わり、私はパンフレットで羽賀さんのプロフィールをチェック。だが羽賀さんの連絡先までは書いていない。インターネットで調べれば出てこないかな。翌日、会社で早速検索を行った。あった、ここだ。私は早速羽賀さんにメールを送ってみた。
「昨日、講演会を聞いたものですが…」
突然のメールで失礼にならないだろうか。ちゃんと返事は来るだろうか。ドキドキしながら待つ私。まるでラブレターの返事を待っているみたいな感覚。
あれ、こんな感覚っていつ以来だろう。これがワクワクっていうものなのかな。もうずっと忘れていた感覚だ。そしてその日の夕方…
「きたっ!」
メールボックスを開いて思わず声を出してしまった。羽賀さんからの返事だ。
「講演会を聞いていただきありがとうございます。コーチングを受けてみたい、ということですね。まずは一度お会いしましょう」
ラブレターが通じた。これで私の一歩が踏み出せる。暗闇の中にいた人生に一筋の灯りが見えた。そんなことを感じた瞬間だった。
そして羽賀さんに会う当日。指定されたのは街なかにある喫茶店。
「カフェ・シェリーか…」
住所を頼りに検索した地図を片手に探す私。到着したのは街の中にある小さな路地。しかしその路地に入った途端、私の心は躍った。目の前にはパステル色に敷き詰められたタイルの通り。道の両側にはレンガでできた花壇があり、キレイな花が咲いている。道の両側はいろいろなお店が並んでいる。そんなに人通りは多くないけれど、かといって少なくもない。良い感じで賑わっている、そんな通りだ。
私、この街にずっと長く住んでいるけれど、こんな通りがあったなんて初めて知った。それだけ街なかに買い物なんて出ていないんだな。
通りの中ほどに黒板の看板を発見。
「ここの二階ね」
そうして階段を一歩一歩上がっていく。足を踏みしめるたびにドキドキ感が高まる。ホント、恋人にでも会いに行くような感覚。
カラン・コロン・カラン
扉を開くとカウベルの心地よい音。
「いらっしゃいませ」
同時に聞こえる女性の声。そして私はコーヒーの香りと甘いクッキーの香りに包まれる。心が休まる、そんな感じを受けた。
「こんにちは、ちづるさん、ですよね」
私を出迎えてくれたのはもう一人。長身でメガネをかけた、笑い顔が素敵な人。羽賀コーチだ。
「は、はじめまして、ちづると言います」
私は緊張でカチカチになってしまった。
「ははは、そんなに緊張しなくても。さ、こちらへどうぞ」
案内されたのはお店の真ん中にある三人がけの丸テーブル席。腰を落としてあらためてお店をぐるりと見回す。白と茶色でまとめられたシンプルな内装。カウンターにはこのお店のマスターが位置している。そのマスターと目が合う。むこうからにこりと微笑みかけられる。私も思わず会釈。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
マスターの低くて渋い声が私の気持ちを落ち着かせてくれる。
「さて、ちづるさん、でしたね」
「はい」
羽賀さんからそう声をかけられ、再び緊張。
「私にコーチングを依頼したい、ということでしたが。もっと詳しく教えていただけませんか?」
「はい、私、この前の講演会を聴きました。そこで羽賀さんがおっしゃってた、人と会話をすることで自分の夢がわかってくるっていうのにすごく感銘して。私ってこれっていう夢を持っていないんです。だから、ぜひ羽賀さんにその夢をはっきりさせてもらいたくて」
「なるほど、わかりました。夢をはっきりと、ですね。だったらまずはここのコーヒー、シェリー・ブレンドを飲んでみませんか?」
「コーヒー、ですか?」
夢をはっきりさせるのに、どうしてコーヒーなの? とりあえず言われるがまま、シェリー・ブレンドを注文。
「コーヒーが出来るまでに、もう少しちづるさん自身についてお聞きしたいのですが。今はお仕事は何をやっているのですか?」
この質問を皮切りに、私は今の自分のことを話し始めた。仕事のこと、夫が早くに死んだこと、今は子どもとふたり暮らしなこと。そしてこの前までうつと戦っていたこと。そういったことをひと通り話した時に、コーヒーが運ばれてきた。
「マイちゃん、ありがとう」
「はい、シェリー・ブレンドです。飲んだら感想をぜひ聞かせてくださいね」
マイちゃんと呼ばれた女性店員は微笑みながら私にそう言ってくる。コーヒーを飲んだ感想を聞くなんて、めずらしい喫茶店だな。そう思いつつ、カップを手にして最初の一口を運んだ。
コーヒー独特の香りがする。事務所では時々コーヒーを飲むけれど、こんなに香りを楽しんだことはない。そして熱いコーヒーを口に含む。舌の上で苦味と酸味が広がっていく。あぁ、おいしい。そう思った瞬間、私の目の前に息子の顔が浮かんできた。
その顔は満面の笑顔。そうだよ、息子のこの顔が見たくて今まで私は頑張ってきたんだ。その息子が何かを言おうとしている。
えっ、何? 息子が言いたいことが聞き取れない。何を言おうとしているの?
「ちづるさん、どんな味がしましたか?」
羽賀さんのその言葉で私は現実に引き戻された。あれ、今見たものは何?
「あ、えぇ、美味しかったです。でも不思議な体験をしました」
「どんな体験でした?」
「息子が出てきたんです。すごい笑顔でした。でも息子は私に何かを言いたそうな感じで。その言葉を聞き取ろうと思っても聞き取れなかったんです」
「ということは、ちづるさんは今息子さんに笑顔になってもらいたい、さらに息子さんの言葉を聞きたい。そう願っているんじゃないですか?」
「確かにそうだと思います。私は息子のために今まで頑張ってきました。でも、言って気づきました。息子のためだけでいいんだろうか。私は自分のエゴのために働いてきたんじゃないかって」
「エゴのため、ですか」
羽賀さんはちょっと悩んで、さらにこんな言葉を私に伝えた。
「じゃぁ、これから何のために頑張りたいのか。もう少し探ってみましょう。もう一度シェリー・ブレンドを飲んでみてもらっていいですか?」
「はい」
私は言われるとおりにコーヒーを口に運んだ。すると、また息子が見えてきた。が、今度は少し違う。今度は周りにたくさんの人がいる。会社の同僚、上司、親戚、まだ会ったことのない人たち。その人数はどんどん増えていく。そして、息子を中心としてみんなが笑顔になっていく。
そうか、そうなんだ。私が笑顔にしたいのは息子だけじゃない。息子を中心として、さらにその周りにいる人たち。そしてまだ会ったことのない人たち。多くの人たちを笑顔に変えていきたい。それが私が望んでいること。
でもどうして? そう思った瞬間、まばゆいばかりの光、いやエネルギーが私に注がれているのがわかった。
そうか、わかった。そういうことなのか。私はゆっくりと目を開ける。
「羽賀さん、わかりました。私が何のために頑張りたいのか。そういうことだったんだ」
「何かつかめたようですね。よかったら教えていただけませんか?」
「私、息子だけじゃなくもっと多くの人を笑顔にしたいんです。みんなに幸せになってもらいたいんです。どうしてそう思うのか。それは、みんなの笑顔を見ることで、私自身の力になれるから。私は今まで周りのみんなからエネルギーをもらっていたんです。でもそこに気づかなかった。一人で生きてきた気になっていました。でもそれは違うってことに気づきました」
「なるほど、ちづるさんは今までの生き方は違うってことに気づいたんですね」
「はい。でも、これからみんなに笑顔を与えて行きたいと思っても、具体的にどうすればいいのか…」
「それを今から探っていきましょう」
「はい」
ここから羽賀さんのコーチングがスタート。この日は自分が理想とする世界をもっと明確にすることで終了。次からは自分が何をしていくべきなのかを見つけると共に、私もコーチングに興味が出てきて、それをマスターしてみたいと思い始めた。そのことを羽賀さんに伝え、コーチングを受けると共にコーチングを使えるようにレクチャーをしてくれるとのこと。
それを初めて半年間が過ぎていった。
「ちづるさん、最近いいことあったの?」
「えっ、どうして?」
「だって、いつもにこにこしてるじゃない。それにこの前は珍しく私たちの飲み会にも参加してくれたし。ひょっとして彼氏でもできた?」
会社の同僚がそんなことを言ってくる。
「うん、わかる?」
私は冗談っぽく、にやりと笑ってそう言う。言いながら思った。半年前までの自分だったらこんな冗談も言えなかったのに。自分でもわかる。このところいつも笑顔だって。
そして息子の高校の卒業がやってきた。思えば息子が3歳の時に夫を亡くし、ここまで女手ひとつで育ててきた。あらためて感無量。
卒業式も終わり、今日はお祝いだからと奮発してレストランで外食。その席で息子がもじもじしている。
「どうしたの?」
「あ、えっと…」
そう言いつつ、息子はバックをゴソゴソ。そして
「はい」
手渡されたのは一通の手紙。
「何、これ?」
「あ、後で読んで」
「後でって気になるじゃん」
息子の言葉を無視してその場で手紙を開く。そこにはこんな言葉が書かれていた。
『今まで育ててくれてありがとう。
おれ、いつも思っているよ。あんたの息子でよかったって。お母さんの子どもでよかったって。
三歳の時、親父が死んでお母さんまで死んでしまうんじゃないかって思ったけれど。でも、あのとき生きてくれてよかった。そう心から思ってる。
だから、今度はおれがお母さんを守る番です。これからは自由に生きてください』
最後の方は涙が滲んでまともに読むことができなかった。息子がこんなに私のことを考えてくれていたなんて。
「あんた…」
「ったく、ここで読むなよ。照れるじゃねぇか」
思わず息子を思わず抱きしめたくなるところだった。
「母さん、これからは自分のために生きろよ」
そしてニコッと笑う息子。
あ、この笑顔だ。シェリー・ブレンドを飲んだ時に見た、あの息子の笑顔。これを見たくて私は今まで頑張ってきたんだ。その瞬間、私の中にあった殻が一気に破れ、中から光が溢れだした。
「うん、お母さん、がんばるよ」
そう言って大粒の涙が溢れだした。息子に思いっきり甘えようと思った。もっと息子に頼ろうと思った。
強くなくていい。できないときには弱い自分でいい。周りの人に助けられていいんだ、甘えていいんだ、時には弱音を吐いていいんだ。助けを求めれば、ちゃんと助けてくれる人はいるのだから。この日以来、私の中の価値観が大きく変化した。
「ねぇねぇ、これやってよ、お願い」
「それさ、どうするか教えて?」
ムリな時は素直に人に頼ってみる、わからない時は分かる人に聞いてみる。
「仕方ないなぁ、ちづるさんの頼みだからな」
みんなそうやって私のリクエストに応えてくれる。もちろんそればかりじゃない。逆に私ができることはみんなにしてあげる。そうか、これでよかったんだ。人って一人で生きているわけじゃないんだな。今更ながらそんなことに気づいた。そうして私は生きる気力を取り戻した。
羽賀さんのコーチングも習っている。コーチングの中で私はいろいろな気付きを得られた。私に今足りないもの。これから身につけなければいけないこと。そして、私が周りの人を幸せにするために伝えていくべきこと。
「羽賀さん、私、決めました」
ある日、突然ひらめいたことを口にしてみた。
「ちづるさん、何を決めたんですか?」
「私、講演家になろうと思うんです」
「講演家、なるほど、それはいいですね。今までちづるさんの話をいろいろと聞いてきたけれど。これをもっと多くの人に伝えるといいなって思っていたんですよ」
「ありがとうございます。でも、講演家ってどうやったらなれるんでしょうね?」
これは素直な疑問。なりたいと思っても、私の話を聞きたいって人がいないとなれるものではない。
「そうですね、まずは少人数の前でいいから話をしてみること。ここからスタートじゃないかなってボクは思うんですよね」
少人数の前かぁ。でも、その場をどうやってつくればいいのか。
「ちづるさん、じゃぁボクからひとつ提案」
「なになに?」
「ボクが月に一度やっている勉強会があるんです。まずはそこに参加してみませんか?
その中でぜひちづるさんのプチ講演会をやってみるっていうの、どうですか?」
「はい、やらせてもらいます!」
「じゃぁ、次は十日後なんだけど。それまでに準備できる? 時間は…そうだな、まずは三十分くらいで」
三十分か。それが長いのか短いのか、正直わからない。とにかくどんなことを話すのか、まずはまとめてみることにした。しかし、いざ話そうと思うとあれも、これもになってしまう。それじゃぁ、ただダラダラと話すだけになる。もっと話を絞らないと。これは羽賀さんとのコーチングの中で学んだこと。何を伝えたいのか、それを絞って話をしないと相手の印象に残らないらしい。
テーマは生きることの喜び。生きていること、それが大事だっていうこと。私が夫を亡くして、子どもと死のうかと思ったあのとき。あの体験を中心に話してみることにした。
そしていよいよ羽賀さんの勉強会の日がやってきた。この日は特別講演会と銘打ってくれて、二十人ほどの人が集まってくれた。そんなに多くないのに、いざとなるとその目線が私に注がれることに緊張してしまう。
「大丈夫、好きなように話してみて」
羽賀さんの言葉に私は思い切ってやることにした。
「みなさん、こんばんは」
まずは元気のいい挨拶。そして笑顔。最初が肝心だって、羽賀さんから習ったな。けれど、そこからのことはほとんど覚えていない。原稿にちらちらと目をやりながら、とにかく喋ってみた。
頭の中では三十分、いやそれ以上しゃべったつもりだったのだが。気がつけば二十分ちょっとしか時間が経っていない。三十分って意外に長いな。その後参加者から感想をもらった。
「ちづるさんの話、すっごく勇気をもらいました」
「なんか、もっと元気にならなきゃって、そう感じました」
「自分ってまだまだ甘いんだなって、それを強く思いました」
口々にいい感想を言ってくれる。講演の内容については問題ないようだ。反面、講師としてはいろいろと指摘を受けた。立ち振舞い方、話の構成、一つ一つの言葉が勉強になる。
これが私の講師デビュー。やってみての感想はこれ。
「一生懸命しゃべりました。もっと話をちゃんとつくって、新しいステージでチャレンジしてみたいと思います」
すると、参加者の一人からこんなリクエストが。
「学校の家庭学級で講演をやる講師を探しているんですよ。謝金はすごく安くて申し訳ないけど。ちづるさんの話を保護者の皆さんに聞かせてもらえますか?」
えっ、まさかの講師依頼? これは夢にも思わなかった。
「はい、ぜひやらせてください」
終わってから羽賀さんからこんな言葉をもらった。
「ちづるさん、やりましたね。これがちづるさんのスタートですよ。これから伝説をつくっていきましょう」
伝説、なんかいい響きだなぁ。羽賀さんの言葉に私は大きな声で「ハイッ」と返事をした。
よし、まずは家庭学級の講演のためにどんな構成にするのかをもう一度考えなおそう。これについては羽賀さんのコーチングを受けながら進めた。自分の悪いところも含めてもう一度羽賀さんに素直にフィードバックをもらい、直せるところから手をつけてみる。
そして迎えた家庭学級の講演会。私は元気を人に与えたい、笑顔を人に与えたい。その一心でしゃべった。
私は主人が死んでから今までのことしか話せない。あの頃は強くならなきゃ生きていけない、そう思っていた。泣いてはいけない、甘えてはいけない、頼ってはいけない。しかしそれが自分の心を締め付けて、生きていくのが辛いと感じていた。
でも今は違う。心のおもむくままに泣いていいんだ、できないことは人に甘えていいんだ、もっと人を頼っていいんだ。人は一人では生きてはいない。お互いに助けあって生きていくこと。そこに笑顔が生まれる。そのことを私の言葉で伝えた。
「ちづるさん、感動しました。この前聞いた話よりさらにグレードアップしていますね。みんなに来てもらったかいがありました」
私を呼んでくれた人はそう言ってべた褒めしてくれた。さらに、今度はそこに来ていたとある会社の社長が名刺交換にきてこう言ってくれた。
「ちづるさん、あんたの話を今度我が社でやってくれないか。これはぜひ社員にも聴かせたいんだよ。うちの会社では毎年講師の先生を呼んで講演をやってもらうんだけど。もちろん、謝金は出すから」
そういって言われた額は、私にしては破格の値段。私の話にそんなに価値をもってもらったなんて。そうなったら、今度はもっと話しの質を上げていかないと。そのことを羽賀さんに相談。するとこんな答が。
「稽古に勝るものはない、かな。とにかく回数をこなしてみませんか?」
「でも、そんなに講演の依頼がくるわけじゃないし」
「なにもむこうから依頼されるだけがチャンスじゃないですよ。さて、どうしますか?」
待っているだけじゃダメ。じゃぁどうするか? とにかくしゃべらせてもらう場を求めてみよう。
そこで私は簡単なチラシをつくり、自分のアピールをすることにした。まずはこれを職場の人に配ってみる。
「へぇ、ちづるさんこんなこと始めたんだ。ね、一度どんな話なのか聞かせてよ」
よく考えたら当然の反応だ。私がどんなことをしゃべるのか知らないのに、人に紹介なんかできっこない。でも、毎回説明なんてめんどくさいし。ここでひらめいた。
「じゃぁ、今度ミニ講演会を企画するから。ぜひそこに来てよ。もちろん入場無料でやるからさ」
「わぁ、楽しみ!」
思いつきで言ってみたミニ講演会。早速羽賀さんに相談。
「だったらここを使うといいよ。非営利なら無料で使えるところだし、三十人は入るから」
「そ、そんなに人はきませんよ。せいぜい十人くらいかな」
とはいえ、せっかくなら三十人くらい来てくれると嬉しいな。早速日時を決めて会場を予約。これで段取りはついた。翌日、早速職場の同僚にそのことを知らせてみた。
「わぁ、だったら友だちも連れてきていい?」
「もちろん」
気がつけばミニ講演会の話が一気に広がっていった。最近知り合った人にも声をかけて誘ってみる。すると、みんな同じ答が返ってくる。
「友だちも連れてきていい?」
そんなに人に紹介したい話かな? 自分ではわからないけれど、とにかくうれしいことだ。こうして一人、また一人と参加者が増えていく。
そして迎えたミニ講演会。なんと会場は満員御礼。それどころか立ち見が出そうで、あわててイスを借りに行ったくらいだ。
私は自分の話しかできない。けれど、一生懸命伝えた。生きることがどれだけ素晴らしいことなのか。生きているからこそ、楽しいこともある。もちろん、苦しいこともあるけれど、それは自分を成長させるために起きていること。一つ一つのエピソードを話す度に、私自身の感情が揺れる。そのことを素直に口にしてみる。中にはハンカチを手にしている人もいる。とてもありがたいことだ。私の話で人の心を震わせることができるなんて。
そして講演会終了。そこで私はお願いをする。
「この話を一人でも多くの人に聞いてもらって、そして一人でも多くの人が生きることを楽しんでもらいたい。そう思っています。ぜひ私に力を貸してください」
素直な叫びはすぐに反応を呼んだ。
「ちづるさん、こういう人がいるから紹介するね」
「今度、うちの社長にぜひ会ってみて。きっと気に入ってくれるから」
「講演の講師だったらこういうサイトに登録してみるのもいいよ」
「今日の講演、録音しているからCDにしてあげるよ」
私は一人じゃない。そのことをあらためて実感できた。
「そして今、私はここにこうやって立っています」
千人以上を目の前にして、私はあらためて自分の人生を振り返った話をしてみた。そして今、生きる勇気、素晴らしさ、そして多くの仲間に支えられていることを実感している。
「今、こうやって私の話を聴いてくれた人にお願いがあります。このことを自分の中だけで終わらせないでください。いい話を聴いた、じゃダメなんです。今、何か思ったことがあったのなら。今スグ行動に移しましょう。
人間は行動を起こしてこそ欲しい物を手にできるのですから。大丈夫、みなさんの周りには必ず仲間がいます。その仲間がちゃんと手を貸してくれます。
泣いていいんです、甘えていいんです、頼っていいんです。その代わり、あなたに手を貸して欲しいと言われたら。そのときはしっかりとその人を支えてあげてください。
以上で私の話を終わります。ご清聴、ありがとうございます」
会場は割れんばかりの拍手。
講演家ちづる。私の話で一人でも多くの人が支えあって生きてく行動を起こしてくれること。そして生きていくことの喜びを感じてくれること。これが今の私の夢。
そして私が取り組むべきこと。また今日も、その使命を一つ果たせた。
<笑顔の人生をあなたに 完>