03:それは唐突に
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何をトッピングしようか……と成海は暢気に考えながら、来た道を戻っていく。道すがら中等部の生徒たちと多くすれ違うが、吹っ切れた様子の自分は気にした様子がない。
今もスマホに映るドリンクの写真たちに心を奪われている。
ぼふん。
そんなときだった。スマホの画面に夢中になるあまり、前方不注意に陥っていた成海は何かにぶつかってしまう。
はじめは、壁か何かにぶつかったのかと考えた自分だったが、身体に伝わってくるほのかな暖かみや羽毛のように柔らかい感触により、それが間違いだということを感じ取った。
「……おいおい、まさか彼女とぶつかるか」
「カチコミに来た先輩対……我らが風紀委員長。いきなり最終決戦だな」
ヒソヒソと囁き声を交わす、初々しい後輩たち。成海は、また自分の瞳とか髪の色のことをあれこれ言われているのだろうか……と思っていたが、よく聞いてみるとそれが思い過ごしだということが分かった。
「中等部の命運をかけた一戦だな」
「ビッチ先輩に飲み込まれるか、我らの大和撫子がはじき返すか」
様子がおかしいことに気が付く。最終決戦、決闘、頂上戦争。そんな単語たちが成海の耳に入っていく。
自分が首をひねりながら、彼らの言葉を理解しようとした――その時。
「おい」
どこからともなく、芯のある静かな声が響いてくる。
たった二文字の言葉は、山あり谷ありの音で、でも頑張って何かを押し殺しているかのような奇妙な響きだった。
だけど、成海はまだその声の主を見つけられてはいない。
「聞いているのか?」
右を見て左を見る。それを繰り返していた成海のもとに、先ほどよりも情報が含まれた声が投げかけられる。
その源を求めて、自分は音のした方向に目を見やる。
「っ!」
成海は息をのんだ。今まで頭の中で踊っていた思考のすべてが、一瞬に、刹那さえも感じさせず、吹き飛ばされる。
道に迷ったことが悲劇だったのならば、この出来事は喜劇。成海はそう感じていた。
目の中に飛び込むように見えてきたのは、漆のような深い色をした髪の毛だった。桜吹雪の舞うこの空に、やさしくも暴力的なそれはよく映えている。
「高等部の先輩がこっちに何の用だ」
憎いほどに真っ黒で艶のある髪が、成海の興味を引き寄せるかのように揺れながら、透き通った声を発した。細長い糸の合間から、黒曜石の双眸が自分を見つめてくる。
その瞳は想像通りに冷たく、見た目以上に鋭利だった。
「別に用があったわけではないけれど。まあ、しいて言えば」
「しいて言えば……なんだ?」
ここまで言いかけて、成海は黙りこくった。
言い訳が思いつかなかったわけではない。道に迷ったという事実もある。――あるのだが、
「いや、やっぱり何でもない」
目の前にいる少女の先輩であるという面や迷った理由が情けないということなどが絡み合い、素直に言い出せなかった。恥ずかしかったのだ。
「何でもないことはないはずだ。高等部と中等部はそれなりに離れているのだから、ただただここに来てしまうことはないはずだ」
「過去を懐かしもうと思っただけだよ」
「確かにそういうこともあるかもしれないが、今じゃなくていいだろう。そもそも、もうすぐ始業の時間だ。こんな時間に来たなら、高等部の始業にも間に合わないと思うぞ」
文楽で使う日本人形みたいな無機質の瞳を成海に向けている少女。口から発せられるものは、自分のことを怪しく思う言葉ばかりだった。
ここにいる自分が一番の元凶だよね……と成海は分かっていたが、ぶしつけに放たれる言葉の数々に、少しずついら立ちを募らせていた。
「ここに来たのは道に迷っただけだよ。これは本当、それ以上の理由はない。これ以上問答しても時間の無駄だよ、後輩ちゃん」
「苦しい言い訳だと思うぞ、先輩さん」
「残念ながら真実だよ。恥ずかしいことにね!」
なかなか信じようとしない少女に向けて、ついつい成海は声を荒げてしまう。ビクッとなってしまう彼女だったが、逆にそれまでだった。それほどひるんだ様子はない。
「とにかく一緒に来てもらおうか。生徒会副会長である僕が、怪しい人物を見逃したら立つ瀬がないからな」
迷子になったことがばれたら、こっちも立つ瀬がないよ……と成海は叫びたかった。しかし、今までのやり取りからそれが無駄だと察し、半場諦めるように黙りこくる。
「俺は今から優雅なブレークファストが待っているんだ。通してくれないかい、後輩ちゃん」
「逃げるつもりか」
「いいや。逃げるも何も、俺は何も悪さをしていないよ。これは事実であり真実だ」
失礼するね……と最後に言い残して、その場を立ち去ろうとする成海だったが、目の前に自らの正義を実行しようとする若者に道を阻まれた。
「邪魔だよ、後輩」
「邪魔しているのだ、先輩」
バチッと両者の間で何かがはじけた。メンチを切る。その表現が一番正しいかもしれない。その証拠に、先ほどよりもドスの効いた黒い雰囲気が双方を包み込んでいく。
先ほどまで舞っていたピンクも、その後ろで彩を付けていたライトブルーも、今や塵芥と化している。春に似つかわしくないそのオーラに、悉くをもって塗りつぶされている。
「――ふんっ」
成海より少女のほうが二十センチほど小さかった。さらには、高校生と中学生という力の差もある。
だからこそ、それに頼って無理やり押し通ろうとした。
右手で彼女の身体を押さえつけ、少女が自分の前に出てこられないようにブロックする。そのまま、押しのけるように成海は歩を進めて、空いたスペースに身体を躍らせる。
自分の予想通り、少女は何もできずに、ただただ成海が通り抜けていくのを見ている。
そのまま、ただ指をくわえて見過ごしているんだね……と、成海と同じく私もそう思っていた。
「逃げられると思わないことだ」
次の瞬間を見るまでは。
成海の視界が流転した。まっすぐに整備されていたはずの遊歩道が突然歪んだのだ。道が左に曲がったように見えた自分は、一瞬のうちに混乱に陥った。
先ほどまでの驕りは消え、今は焦りが浮かんでいるのが分かる。どうにかしないと……という考えすら浮かぶ暇もなく、成海の身体は空中散歩を体験した。
「っと」
そのまま落ちていく身体。頭は、次に襲い掛かってくる衝撃に備える。
一、二、三、トスン。
ゆっくりと成海は瞼を開ける。徐々にクリアになっていく思考の中で、その備えが杞憂だったことを察した。
「あそこから受け身をとるなんて、いったいどういう神経をしているのだ。貴様は」
「……貴様呼ばわりはないと思うよ、小学生」
「うちは中学三年生じゃ!」
思考が混乱のさなか、成海の本能は正常に機能していた。どうにかして身体へのダメージを減らそうと努力した結果、どうにか受け身は取れたようだ。
それに加え、少女との距離も離れたこともあり、成海の思考は平常運転に戻りつつあった。
「いきなり人を投げるなんて頭がイカれているんじゃないかな、後輩」
「不審者には言われたくはないな」
どうやって投げられたかはわからないが、柔道かなんかだろう……と成海は目星を付ける。
そんな不明瞭な状況の中、ただ一つだけ言えることは、投げたのは目の前の少女ということだった。
「一般人にやったら暴行罪だよ。気をつけようね」
「正当防衛だから大丈夫だ」
ああ言えばこう言うように、成海の小言に対して少女はすぐに屁理屈をこねる。
それにうんざりしてきた自分は、どうやって逃げ出そうかな……とげんなりした様子で思考を巡らしていた――その時。
「千ヶ崎ッ。今回は何をしでかしたんだ」
どこからか怒号が飛んでくる。
成海がその声の主がいるであろう校門のほうを見ると、自分体育教師ですから……といわんばかりの格好をした男性がこちらに駆け寄ってきていた。
その声にびっくりした様子の少女は、慌てた様子で声を上げる。
「ち、違うんじゃ。校門の前に不審者がおったけぇ――」
「それが本当なら、なおのこと関わるんじゃない!」
成海は蚊帳の外にいた。先ほどまで相対していた後輩の生意気な態度は、見る影もなくなっていく。先ほどまでの好戦的な雰囲気もどこかに消し飛び、シュンっとなっていた。
一時呆然となる成海だったが、これが好機だということに気が付き、素早く、音沙汰を一切残さずに立ち去る。
後ろからは、あの少女の慟哭のようなものが響いてきたが、自分は意に介した様子なく駆けていった。
読んでいただきありがとうございました。
明日も似たような時間に投稿すると思います。