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05:やっぱり馬鹿な君


 計画は明快だった。


 仕事終わりの拳は、成海の家のバーにやってくることが多い。開店時間である二十時を少し過ぎたくらいに、彼はよく店を訪ねてくる。その時に、拳は必ずと言っていいほどバラライカをはじめに頼む。


「……という感じで、拳の好きなものを作るというのはどうかな。男の人に限った話ではないだろうけど、異性から好物を作ってもらえるっていうのは、とてもうれしい子っとだと思うよ」


 学校から帰ってきて仕事服に着替えた後、雅とともに開店準備をしつつ、次の計画を語る成海。三日前の事件のせいか、ここ最近元気のない少女を元気づけようと一生懸命に説明をする。


 その声を興味なさげに聞いている雅は、手持ち無沙汰な様子でツインテールになっている髪の毛の先をいじりながら、


「もういいんだ。あんなこと言われたんだから。死ぬしかないんだ」


 顔を俯かせて向かいの席に座る少女は、ネガティブな言葉の数々を発す。ねっとりと湿った雰囲気を感じさせる声音が、彼女の心情を表しているように見えた。ドロッとした重苦しい影が雅を包み込み、闇よりも黒く深い色を作り上げる。


 そんな様子の彼女に対して、成海はその煤けた肩に手を添えながら、


「大丈夫だよ」


 赤ん坊をそっと撫でるように、やさしく囁きかける。


「拳もあれくらいで君を見放したりはしないよ。そこまで器の小さい男じゃない。きっと、千ヶ崎に期待をしているから声を荒げただけじゃないかな」

「……嘘だ」

「嘘じゃないよ」

「ならば、証拠でもあるというのか」

「証拠、か」


 成海の口が閉じる。思案顔になりながら腕を組んで、むーんというように首をひねった。右、左。傾げる方向を変えながら、その問題の答えを導こうとしている。


「やはり、でないではないか」


 そういう仕草をとっている自分のもとへ、雅からの無慈悲な断末魔が届いてくる。深く青く、落胆の色に染まった響き。すべてを海の底に沈めてしまいそうになるくらいの鳴動は、成海の心を激しく穿つ。


「……たしかに明確な証拠はないかもしれない」

「そうだろ」

「だけど、それは君のほうも一緒だよね」


 ただ、ぽつりと、成海は言葉を紡いだ。事実を突きつけるようにして放たれた言葉に対して、真実を知らしめる言葉を返す。


「それは、そういうことだ。返答によっては……」

「そんなに難しいものじゃないよ。とても簡単なことだね。わかりやすく言うと、君が拳のことを好きな証拠はあるのかい」

「なん……だと」


 その言葉に固まった雅は、口と目を限界まで見開いた表情で成海を見やる。何を言っているんだ、貴様は阿呆なのか。そんな感情に似た雰囲気を身体から発していた。


 それに対して、成海はいたって変わらず、落ち着いた様子で自分と雅との間を行き来するように指を動かしている。


「証拠など簡単な話だろう。僕が拳のことを好きだということを自覚していれば、それは証拠足りえるのではないのか」

「それはただの自己申告で自供だよね。かもしれないの世界だ。IFだよ。論文では一切証明できない」

「そう言われれば、そうかもしれないが……」


 成海の力説に釈然としない雅は、眉間にしわを寄せながら険しい顔をしていた。言いたいことは分かるが、納得できない。そんな感情が流れ込んできているように見える。


 雅のその姿を確認した自分は、出来るだけ早くその疑問を晴らしてあげようと思い、矢継ぎ早に説明を続ける。


「でも、それは当たり前のことなんだよ。感情に対して、とある仮定を持って臨むことはできる。けれど、それもまた不確定な情報なんだ。人の気持ちを解明できることなんて、たぶんないと思うよ」

「それは分かった。それで、貴様は何が言いたいんだ」


 自らの中に渦巻く感情を整理できていないのか、少しずつ言葉の端々にいら立ちのようなものを匂わせている雅。青筋を立てた顔で成海に迫っている。


 それに対して、自分はストップをかける仕草を雅に向ける。もう少しだけ待て、すぐ分かるようになるから。そう彼女に伝えようとしていた。


「千ヶ崎が拳に抱いている感情を否定する気持ちはないよ。でも、自分で見えるだけがすべてではないことも知らないとね」

「喧嘩を売っているのか」

「そのつもりはないって言ったよねっ。もう、せっかちなんだから。わかりやすく言うと、君がこうだと決めつけていることも、すべてが正解とは限らないし、感情論の話だから正解もないってことだよ」


 今にもかみつかれそうになった成海は、逃げるような姿勢になりながらも、自分の言いたかったことをすべて述べた。


 思い込み。今、雅はそれに陥っていると自分は伝えたかったのだ。


 雅も、はじめは興奮状態が収まらず、成海のことをずっとにらみつけていたが、徐々に落ち着いてきた。


「正解は……ない?」

「そうだよ」


 自分の言いたかったことを理解したようだ。目の瞳孔が、少しずつ元の状態に戻っていっていることが見て取れた。


「じゃあ、拳が私のことを嫌いっていうのも」

「君の思い込みだね」


 多分という言葉を、成海は心の中で付け加える。もしかしたらそれが真実かもしれない。残酷なことにね。でも、今はそう思わせていたほうがいい。そんな打算的な考えのもと、成海は嘘を吐く。


 一方、雅はその言葉に安心したみたいで、先ほどまで纏っていたどす黒いを霧散させていく。代わりに、ピンクに近いお花畑の色を纏い始めた。


「そうか、思い込みだったのか。それはよかった。ということは、嫌いではないんだから好きということか」

「えっ、いや、それは……」


 元気になってくれたことには安堵した成海だったが、その口から漏れだした言葉に息を飲み込んでしまう。圧倒的なまでの思い込み、それを自分は感じ取っていた。


 そんな心配をよそに、一人妄想の世界に旅立っていく雅の顔は、にへらと情けない表情を作りながら、幸せそうに頬を赤らめていた。


 どきりと、いつもと違う雅の表情に、自分の心は少しずつ揺さぶられていく。


「……まあ、そういうことだから、今日も拳を堕とすための努力をしようか」


 希少な芸術に手を出すことのできないように、その光景を終わらせられなかった成海は、彼女にその重大な事実を伝えなかった。


 彼女のその顔をもっと見ていた。みんなが知らないであろう姿を目に焼き付けたい。そんなエゴによって、自分はさらなる嘘を背負い込むことになる。


 成海の悲痛な思いもつゆ知らずの雅は、なにをすればいい……と無邪気に聞いてきた。はじめは、人の気も知らないで……と考えていた成海だったが、ただ目標に一直線なその表情に惚れこんでしまう。


 ――惚れた弱みか。


 センチメンタルに、別に雅そのものに想いを寄せているわけでもないのに、そういうありふれた言葉を心の中で呟く。自分を正当化させようとした。


「別に難しいことではないよ。そもそも、今回作ろうと思っているのはお酒だしね。本当は拳の好物を完全把握できればよかったんだろうけど、さすがに知らなかったよ」


 前もって準備していた材料を雅の前に並べ始めた。一つずつ、成海は指をさしながら、それが何なのかを説明していく。ピナクルウォッカ、ホワイトキュラソー、フレッシュレモンジュース。


 ついでに、今回使う道具も教えておく。まあ、シェーカーくらいしか専門的道具はなかったのだが。


「うまい下手はあるけど、素人目に見ればよく分からないレベルの境地だからで大丈夫じゃないかな。小難しいことをするわけでもないから、最低でもおいしいというレベルにはなると思う」


 分量を守れば……と、雅が作ったクッキーの味を思い出しながらそう付け加える。念のためというように、でも、念入りに何度でもその言葉を投げかける。成海にとって、あの味はトラウマに似た何かになっていた。


「やることは簡単。混ぜる、注ぐ。以上!」

「そ、それだけなのか」

「うん。まあ逆に言うと、これだけだからレベルの高い味勝負になっているのかもね。いまだに、俺のカクテルよりも久遠のカクテルのほうがおいしいって、常連のお兄さんたちに言われるからね」


 そういいながら、デモンストレーションを始めた成海は、ちょっとした心がけたい部分を説明していく。


「本来は、なぜカウンターで作るのか見たいなところから説明するんだけど、今回は拳を狙い打ちだし、これで接客させる気もないからいいよね」

「あ、ああ。できれば手早く終わってくれると助かる」


 彼女に教えることを取捨選択する成海。時計を見て、時間がないことに気が付いたが故の行動だった。開店まで時間がない、拳のことだからすぐにここに来てしまうだろう。そんな考えが自分を焦らせていき、注意力を散漫とさせていく。

「一回作ってみようか」

「ああ」


 様々な説明が終わり、ついに雅の実践が始まる――が。


「その量入れるのはそっちじゃないよ」

「振り方が優しすぎる」

「次は強すぎ!」

「もうちょっとやさしく注げない?」


 前途多難だった。今回はスタイリッシュさを求めてはいないはずだったので、言うてすぐ終わると成海は考えていた。だが、雅の料理音痴っぷりは想像を絶するものだったのだ。


 慌てて注ぐから分量を間違える。恐る恐るといった感じで行うから、逆に失敗してしまう。そこを注意したら、次は無駄に力を入れてしまう。


 そんな感じで性格通りの塩梅の効かなさを発揮し、失敗作を量産していく。同じ失敗はしないものの、違う失敗はすぐ起こす。まさしく下手の横突きだね……と、成海は感じられずにはいられなかった。


「や、やっとできたぞ」


 圧倒的なまでのトライ&エラーに巻き込まれてしまい、成海の精神力はゴリゴリ削られていく。それは、心の底が透けて見えるほどだった。ここまで来るのに犠牲になったバラライカは幾億。開店まであと五分を切っていた。


 すぅーっという音を立てながら、雅の力作であり処女作でもあるカクテルが成海のもとに出てくる。その仕草だけは、はじめから様になっていたことに自分は舌を巻いた。たぶんだが、今までの俺たちの働きぶりを観察していたのだろうと、憶測を付ける。


 滑り込みセーフだね。


 そう煽るような気持ちで雅を見つめていた成海だったが、もしかしなくても間に合わないんじゃないか……と思っていたため、内心は安堵という言葉で埋め尽くされていた。


「じゃあ、一口もらおうかな」


 見た目は完ぺきだった。よく見るバラライカ、成海が作るものと比べても遜色ない出来だった。だが、見た目に騙されてはいけない。そう自分の心にささやきかけている誰かがいた。


 ごくりと、生唾を飲み込むような音を鳴らす成海。頭の中では、雅と関わることにもなった原因であるアレのこと思い返されている。


 色を見る、においをかぐ、グラスを鳴らす。あらゆる方法でその飲み物の安産性を確かめる。中には、しても意味のないことも含まれていたが、成海には知ったことではなかった。


「……よし」


 おかしなところはない、そう自分に言い聞かせるようにして、それを嚥下する決心を固める。


「――んくっ」


 一口だけと謡い、かぷりと、グラスの端に噛みつくように唇を添える成海は、少しだけそのグラスを傾けた。重力に負けた液体が、少しずつ自分の口内へと流れ込む。


 レモンの付き抜けた酸味と、ウォッカのほのかに香る甘みが、成海ののどから鼻腔にかけて迸る。知っている味、知っている感覚、知っている雰囲気。家に帰ってきたときのような安心感が、自分の思いを積もらせる。


「ど、どうだ」


 自らが作ったものに対して他人の評価が気になるのだろう、雅がそわそわした様子で自分に質問してくる。


 それに、成海は自信をもって口を開いた。


「とてもいいよ。初めてとは思えないね。俺が作った時もこんなにうまくはなかったから、少し妬けてしまうよ」


 偽りなき本心だった。ちゃんとした言葉で伝えようと思い、成海は難しい言葉で飾ろうとはしなかった。自らの言葉でしっかりと伝える。


「そ、そうか。貴様のような通がいうのなら安心だろう。いや、よかった。本当に良かった」


 はじめは緊張した面持ちで成海の言葉を待っていた雅だったが、‘自分の言葉を聞いていると、徐々に顔が弛緩していったように見える。当の本人は、成海以上に気にしていたのだろう。


 目下の問題が片付き、ほっこりとした雰囲気になる二人。今日の目的は達成したというような雰囲気が流れ始め、それに押し流されるように、二人の危機感もなくなっていくように見える。


「あっ。もう開店時間だ」


 だからこそ、そういうことが起ころうとする。


 二十時に迫ろうとしていたため、お店を開けようと思った成海は、席を外すことになる。かたりという音を立てながら立ち上がり、入り口に向かっていく。はじめは俺と雅だけだね……と考え事をしながらカギを開けようとする。


 そんなだからこそ、自らの後ろから発せられた声の意味を理解するように時間がかかってしまう。


「どんな味がするのだろうな。少しくらいはいいだろう」


 成海の足が止まる。何か大事なことを忘れている気がする。そんな虫の知らせを頼りに、雲隠れしている頭の中のパズルピースを埋め込み明瞭にしようとしていく。


「あっ」


 思い出した。


「ま、待って! 君は飲んだらダメ――」


 だが遅かった。


 成海が振り返った時には、目の前の少女は嚥下を始めており、止める間もなく、そのグラスに入っていた液体を吸収していく。その結果として訪れるものは――、


「おい……いつのまにかげぶんしんなんてしたんだ。きさまがふたりもいるぞ」


 泥酔状態の千ヶ崎雅だった。


 成海は失念していた、圧倒的に彼女がお酒に弱いことを。ウィスキーを被っただけでほろ酔いするような少女だということを。


 そんな人物がアルコールを口径摂取したならば、結末は決まり切っていたのだ。


 ぱたりと、おおよそ倒れた人間が出すとは思えないくらいに軽そうな音を生み出しながら地面に伏せる雅の顔は、先ほどのような可愛い赤ではなく、あからさまに身体に異常を来したときに発言する赤が見て取れた。


「あ~あ」


 間に合わなかったことを察したことにより、気が抜けて、成海は思わず背中を壁に預けた。なんて人騒がせでドジな奴なんだ……と、大きめのため息とともにそんな言葉を吐き出す。


 千ヶ崎雅。やっぱり馬鹿は君だよ。


 勝手な思い込みで落ち込み、簡単に俺の口八丁に騙され、不器用で失敗作はいっぱい作り、挙句の果てにお酒を試飲して倒れる。そんなドジの塊みたいな行動をされたら成海は、彼女に対してそういう評価を下すしかなかった。


 今から気を取り直しても、雅が通常運転に戻ることないことを自分も察していた。いまいち乗り気になれないでいる。


 せっかく想い人とお近づきになれるチャンスを、雅は棒に振った。この前の学習会と同じく、自分のミスでだ。これでは、死んでも死にきれないだろう……と成海は思いながら、雅の身体を家まで運ぶ。


 いまから拳に会うとき、いつも通りの顔でいられるか、成海は不安で仕方なかった。このの出来事で思い出し笑いする自信があったのだ。


 さらに同じような心配として、明日に雅の顔を見ても平常心でいられるかというものもあった。この間抜けな顛末を思い出して、噴き出してしまったりする未来しか見えなかったのだ。


「はあ」


 今後に待ち受けている憂鬱な状況に思いを馳せ、大きめの嘆息をする成海。店のカギを開け、客を迎える準備を澄ましているのにもかかわらず、自分の心はウォーミングアップすらすましていなかった。


「おう、来たぞ」


 チリンチリンと、心地よい音を響かせながら、この世界の入り口であるためのドアが開く。扇のように動く扉の向こう、現実と夢のはざまに、今一番会いたくない人物の顔が成海の目に映った。


「う、うん。いらっしゃい……はあ」


 どうしても笑ってしまうそうになった自分は、ため息を吐くことによって誤魔化していた。


 その仕草を不思議に思ったのか、拳は首をかしげながら成海の目の前に来る。いもの……と伝えると席に着いた。


 とりあえずひと段落。そう考えた成海は、気持ちを切り替えるようにして、一心不乱に注文された商品を作り始める。


 このようにして、自分が必死に笑いをこらえていくことによって、失敗続きの夜は更けていった。



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