05:事の顛末
「だから、お前に勉強は教えたくなかったんだ。なぜ、俺があの時家庭教師を辞任したのか、お願いだから考えてくれ」
引き締めていた空気を緩ませたせいか、成海は本当に尿意に襲われ、お花を摘みに行っていた。そのついでに、併設されているパウダールームで身だしなみを整えいたところ、静かに戻って二人の逢瀬を垣間見ることを思いつく。
思い立ったら吉日……と考えた成海は、さっそくそれを決行しようと、天下の大泥棒顔負けの忍び足で部室に戻っていた。
「ま、待ってくれ、拳」
「待つわけないだろ。お前、やっぱりおかしいよ」
成海が扉の前にたどり着いた瞬間だった、そんな罵声のような怒鳴り声が聞こえてきたのは。
何事かと思い、二人に気づかれないようにちょっとだけ隙間を開け、二人の様子を見やる。
「お、おかしいって」
「だってそうだろ。さっき成海も言ってたじゃないか。お前は感情移入しすぎだ、自分の価値観で物事を語りすぎ、お前の正解が世界の正解じゃない。あいつがお前に投げかけた言葉だ」
「あれは国語の――」
「そうだとしてもだ。それはお前自身に他ならない。その考えが、害のない誰かを傷つけていると何故自覚できないんだ」
「な、なんでそんなことを言ってくるのだ」
「それは…………」
言葉に詰まる拳の表情は苦渋に包まれていた。答えはある、だが言い出せない。そんな空気を成海は感じた。
「ともかく、お前を教えるのは俺にとって苦痛でしかないんだっ!」
最後にそれだけを言いきり、拳が出入り口のほうに歩いてきたため、成海は慌てて近くにあった柱の陰に身を隠す。
ガァンと、絶対にいら立っているとわかるほどに激しく扉を開けた拳は、先ほどの勢いを越えようとするかのように、再び扉を無碍に扱う。
金属が音を発したことによって現れる残響が、虚しく二人の空間に響いていき、感傷を謡うかのように、儚く消えていく。
「……うぐ」
甲高い金属音が消え、代わりというように成海の耳に聞こえてきたのは、か細いくらいに脆く、混濁するくらいに歪んだ音だった。
「ひっく。なんで……いつもこうなんだ、僕は」
違う、これは声だ。雅になんて声をかけようと考えていた成海は、扉に近づいたことによりそれを知った。空間を隔てる一枚の金属板の向こうには、悲愴にくれる一人の少女がいることに気が付いた。
しかし、それを認知できたはずなのに、自分は何もしようとしない。できない。
かける言葉が一切見当たらないのに、ここからいなくもなれない成海にとって、この状況は一種のファッションだった。
また次があるさ……と、そう声をかけられたらどれだけ素敵なことかと自分は考えている。だけど、そんな度胸がないことも知っていた。
押し殺した鳴き声が、成海の心を揺さぶっている。暴力的で、自己中心的で、頑固な少女の見たことない部分を直視して、激しい傷を負っていた。
虚しい、儚い、寂しい。そんな言葉で表せない痛みを刻んでいる。
嬉しい、尊い、楽しい。そんな矛盾を抱えた言葉を背負っていく。
「くそ……」
自分よがりのエゴでその声を聴き続ける成海は、ただ静かに、ゆっくりと、扉の前に腰を下ろした。まるで、この先に誰も入れさせないというように。
こぶしをぐっと握りしめ、俯いた状態で物思いに耽る。皮膚を引き裂かんとする勢いで爪を食い込ませ、歯を砕かんとする勢いで噛みしめる。
はぁああああ……と大きく息を吐いた成海は、何かを決意した紅色に染まる瞳を持って、扉に手をかけた。