03:持ちつ持たれつ
「なぜ起こしてくれなかったのだ。こんなギリギリの時間にはなっているし、いつの間にかぶかぶかの制服は来ている。どういうことだ」
「そう思うのならね、自分で起きてくれないかな。俺は何度も起こしたさ。それで目覚めなかった君の落ち度だ。そもそも、急げって君が起きた後にも俺は言ったよね」
「頼んでもいないのに、僕の丈に合わせようと、君が制服をいじっていたから仕方がないはずだ。僕はこのままでもよかったのだが、貴様がどうしてもと言うから、待っていたんだ。断ってはかわいそうだと思ってな」
「なっ……。そんなこと言うなら返してよ、僕の制服」
「そんなことをされたら、僕が確実に遅刻するだろうが。馬鹿か貴様は」
「きみぃ…………返せ! 俺のあの慈悲深い気持ちごと返して、今すぐに」
「黙れ。斬首するぞ」
「して見せてよね!」
中洲と福岡平野をつなぐ橋をスタスタと並んで走りつつ、人様には決して見せられない言い争いを、成海と雅は繰り広げていた。元気いっぱいの太陽と、これまた負けん気の強い北風が、自分たち以上に無駄な争いをしている二人をあざ笑うかのように撫でる。
「さむっ」
「あつっ」
「なに?」
「君こそ頭大丈夫?」
他者多様の考えが二人の間に広がる。片方はしっかりと防寒対策をしているからこそ、そのコートを脱がそうとしてくる妖怪の仕業により、そんなことを口走る。またあるほうは、制服以外の服はいらないといってしまったがために、コートを脱がす戦いに巻き込まれ、そんな言葉で罵ってしまう。
「ならば、そのコートを寄こせ」
「俺は聞いたよね、防寒具いらないのって。その時君はなんて答えたと思う、これ以上の施しはいらないって言ったんだよ」
「こんなに寒いとは思わなかったのだ! そもそも、バスで行くと思っていたしな。まさか西鉄を使うとは思わなかった」
「どこかの誰かのせいで、今からバスで言ったら遅刻なんだよ」
成海の大きな双丘を包み込んでいるチェスターコートを奪おうと、雅は後方から引っぺがそうと攻撃を仕掛ける。成海はそれをものともせず、生まれ持った恵体を生かして力づくというように雅ごと引っ張っていく。すれ違う人々は、かたや洋画に出てくる女優みたく美人な人に、もうかたや大河ドラマで見るような大和撫子みたいな美少女に、瞳も心も奪われ思わず足を止めて凝視してしまう。
「なんて恩知らずなんだ、君は。まだ走れば間に合うっていう状況は、俺の努力のたまものなんだよ。それをこんな感じで返すなんて」
「頼んではいない、と言っているだろ」
「なら、今日の学校はどうするつもりだったんだい。家出したところにノコノコと戻るつもりだったのかい」
「それは……」
「そうだろう。制服まで貸したんだ。文句を言うどころか、僕に感謝をしてもらいたいくらいだね」
ジャキッ! と指をさしてそんなことを言う成海だったが、まったく聞く耳を持たない雅は、その釣り上がった瞳で自分をにらみつけ、黙れと言ってくる。さらには、諦めてなかったのか、成海のコートを脱がしにかかる始末だ。
なんでこんなやつを助けてしまったんだろね。
後悔という二文字が成海に重くのしかかってくる。自分の自己責任みたいなものではあるのだが、こういうことは今に始まった話ではなかった。
成海は、一度内側に入ってきた存在にお節介を焼いてしまう性格だった。言ってしまえば、母とよく似ている。あれほどではないが、自分もまた、それに近しい何かを持っているということだ。今だから思うが、軽いお悩み相談のノリで行えるバーテンダーは適職だったように思える。私には無理かもしれない。そんな感じの人間が今の成海だった。だからこそ、出会いこそは最悪ではあった雅に対しても、ちょっと同情をしてしまったらこのざまだ。
これもまた、一つの成海の業だった。
「おい。そんなことよりもあの話は本当だろうな。僕のために……そ……その、拳とのハッピーエンドに協力してくれるというのはっっっ!」
くわっ、といったように成海に迫ってくる雅。その表情からは、これからの未来の妄想による喜びと、真偽を疑う必死さと、口に出してしまったという気恥ずかしさが見て取れた。
それに対して軽い嘆息をしつつ、頭を抱えながら成海は口を開く。
「本当は手伝いたくはないんだけどね、でも、久遠からのお願いだし」
面倒くさそうに――いや、実際はそうなのだろうが――後頭部を掻きながら、自分はそう答えた。まったくどうしてこうなった……と成海は深いため息を吐いた。
「そうだな。くーちゃんからの口添えがあったから、貴様は手伝うしかないわけだ。実の母にこれほど頭が上がらないとは情けない」
「どの口が言っているのかな」
普通であれば、成海がこのような事案を引き受けることなんてない。そもそも引き受けて欲しい側なのだ。だが、お願いされてしまったのだ。
みやびちゃんの恋路の手伝いをしてあげてね、なるみちゃん。
と。
「そういえば」
「ん?」
「貴様はくーちゃんのことを普段は『久遠』と呼ぶのだな」
「ああ。まあ、そうだね。人前だと『かあさん』と呼んでいるけど、そうじゃない時はそうかな」
欠伸をかみ殺しながら、暢気にそう答える成海。しかし、内心はヒヤヒヤしており、どうやって話題をそらそうかと考えていた。
「何かすごいじ――ォフッ!」
そのことに興味を持ったのか、雅がさらに言及しようとするが、急に足を止めた成海に追突する。おなかあたりに、その豊満なヒップを喰らい、
「いきなり止まるな、馬鹿者!」
嫉み交じりに暴言を吐いてしまう。だが、今までだったら返ってきたはずの買い言葉は返ってこず、成海はただ一点を見つめていた。
「あれ、ナル先輩。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「えーと、うん。まあ、いろいろあってね。現に遅刻しそうだよ」
「へえ、そうなんだ。いろいろって――」
しどろもどろになりかけるのを、間一髪のところで我慢できた成海は、決まり文句みたいな挨拶を投げかける。自分の視線の先、三車線くらいは走っている大きな十字路の片隅に、津上大和が立っていた。
全体的に日焼けした感じの肌だが、ところどころには日の当たっていない部位があり、本来の肌がこんにちわしている。顔には、くりくりとした真ん丸な目が光っており、天真爛漫な笑顔でこちらに手を振っていた。少しだけ色素の薄い黄金色の髪をキラキラと朝日で輝かせながら、スカートの裾を風と躍らせ、日焼けとそうでない境界線を、ちらりと、成海に見せつけている。
思いもよらない知人を見つけたことによって笑顔になっているのであろう大和は、また何かを見つけることになる。成海の時とは違い笑顔は消え失せ、かわりにそのくりくりした瞳が大きく見開かれた。
「雅じゃん。えっ、なんでナル先輩と一緒にいるの? そもそも、雅の家ってそっちじゃないよね。え、なんでなんで」
なんでがゲシュタルト崩壊しそうなほどに、大和は連呼する。その瞳は、成海の陰に隠れるようになっていた雅の姿に向けられており、風が吹いてスカートがめくれようが離そうとはしない。
そのままの表情で成海に近づいてくる大和。彼女から隠れるように、自分の身体を盾に使う雅。はじめはフェイントをかけあったりして高難度の駆け引きをしていたが、次第にただ力任せに追いかけっこをすることになっていた。その中心にいる成海もまた、強制的にそれのジャッジを務めさせられる。
「やっと捕まえた。ねえ、なんで」
バリバリの運動部に生徒会が勝てるはずもなかった。すぐにその勝負はついてしまう。
「な、なんでもないんだ。ただ、そこで出会っただけ。そうだろ、な!」
「そ、そうだよ。たまたまそこで会っただけだよ。うん、そう。千ヶ崎が何をしてたかはわからないけど、そういうことなんだよ」
愛想笑いを浮かべながら、苦し紛れの言い訳を繰り出す成海。焦点は、どうやって家の方向が違うはずの雅がこっちから来たかだった。
「……ふぅ~ん、本当に偶然なんだ」
「そ、そうだ、大和」
「じゃあ、なんで雅はこっちからきているの? 家、こっちじゃないよね」
突かれたくないところを質問されてしまう二人。しかも、成海にとって最悪だったのは、この状況の命運が雅に握られているころだった。
雅は一瞬だけ顔をそらし、これまた刹那の時間だけ思案顔になる。そして、
「た、たまには電車で行こうと思ったわけだ。そうしたら慣れないものなのか道に迷ってしまって、そこを助けられたというわけだ」
ナイスだよ。成海は心の中で、あふれんばかりの拍手とファンファーレを雅に向かって送った。
雅自身も、自分のなけなしの言い訳に自信があったのか、見ようによってはドヤ顔に見えなくもない不遜な表情をしている。
「なぁんだ、そうだったのか。このおっちょこちょいめ」
二人の様子を確認した大和は盛大に勘違いしてくれたようで、またはじめに見せてくれたような天真爛漫の笑顔に戻る。正直言って、先ほどまでの顔には一種の闇を感じたので、元に戻って助かった。
安堵の息を成海が吐いている間に、二人はぴったりと寄り添い、スタスタと先を歩き始めていた。自分も急いで二人の影を追う。距離を近づけるチャンスを逃すか……と成海は思いながら、せかせかと歩いていていき二人の会話に混ざる。
「でさ、ナル先輩はどう思う?」
「俺はこう――」
「っ。そんなことよりも、一昨日すごいことがあったんだ」
成海の言葉に雅が覆いかぶさってくる。
「大和は部活どんな感じなんだい」
「えっとね、今はね――」
「僕もそろそろ運動を始めたいと思うのだが、何かおすすめはあるか大和」
成海の話題に雅が方向転換をしてくる。
「この前のホームランはすごかったね」
「ありがとう。次もどでかいの上げてやるから見ててよ」
「……」
成海は察した。雅が自分のことを蚊帳の外にしようとしていることを。何でかは明確に分かってはいない。ただ、予想はついていた。
もしかしたら、千ヶ崎雅という存在がいることによって、関係の進展があるかもしれない。そんなSFチックな妄想を抱えながら挑んだ勝負だったのだが、
「じゃあね、ナル先輩。私たちはこっちだから」
文字通りだと神に言われるかのように、ただの想像だけで終わってしまう。目の前でニヒルな笑みを浮かべる、突如自分の家に住み着いた悪魔によって、それはあえなく撃破される。
雅の瞳から、僕の大切の親友に手を出すなというメッセージを感じ取る成海。この
自己中の塊に心の底から嘆息する。
それでも、やはりといっていいだろうか、少女のか弱い部分を知っているようで、それが気がかりで、お節介を焼かずにはいられない。
「おい、千ヶ崎。ちょっと待って」
その言葉を聞いて不機嫌な顔になる雅。罵倒に似た文句を放っているが、成海は気にした様子もなく、その態度のせいで次第におとなしくなっていく。
「こっちに来て」
「……ああ」
成海の目力に屈したようで、とぼとぼと、自分のほうに歩いてくる雅。その顔は疑問に染まり、なぜかは分からないが、少しだけ怯えは雰囲気を感じた。
「ほら、バックを開けて」
「ぇ――――」
雅にだけ聞こえるくらいの囁き声で、彼女の持つバックを指さしながら、成海はそう呟いた。一瞬ポカーンとなる彼女だったが、渋々といったようにそれに従う。
ぱっくりと開いた雅のカバン。成海にとって見覚えがある中身。開いていると確信を持っていたカバンのスペースに、成海はあるものを自らのバックから取り出し、その中に詰め込む。
「な、なにをす――」
「弁当だよ、中等部も給食なんてなかったでしょ」
今日一番の驚きを見せる雅の瞳は、さきほどの大和に負けず劣らずの大きさで見開いていた。なぜなのか、なんで自分なんかにしてくれるのか。そんな疑問が頭の中を回っているように見える。
「頼んでなんていないぞ」
「頼まれてないよ。ちょっと多めに作っちゃったからサービス。どうせ久遠も食べないだろうし、食べる人間に渡したほうがいいよ」
「礼は言わないぞ」
「その言葉がお礼になっていると気がつこうよ」
絵本の中で何百何千と使われているであろう、ありふれた言葉に対して成海はそう苦言を呈す。視線を一瞬だけ雅に向け、再び自分は下に戻す。鈍く重いいぶし銀のような雰囲気で、そんなふうに語っていた。
年上のお姉さんであるロシア美女の言葉に、成海はもはや立ち尽くすしかない。自分の隠そうとした精一杯の感謝を見透かされたようなものだ。
そんな気持ちなど思ってもない……というように雅の顔は歪んでいたが、それを見透かしたような態度の成海に嘲笑されている。
「何がおかしい」
「いや、なんでも」
苦し紛れの言葉を吐く雅に対して、助け船の一つも出してやらない成海。自分はいま、ちょっとした嗜虐心に侵されていた。
先ほどの妨害の件もあり、少しだけ意地悪したくなった成海は、さらなる言葉を投げかけ優越感を得る。
「ほら、本当に遅刻するからもう行くね。名残惜しいだろうけど」
「そ、そんなわけあるか!」
楽しい時間も終了。ここまで自らをひけらかして話せる相手が初めてだった成海は、名残惜しそうな声を発した。それがバレないように、うまく言葉でカモフラージュしている。
それを聞いて憤慨した雅は、ずかずかと、成海に手を振られながら大和が待っているところに戻ろうとする。が、
「おい、貴様」
もう一度だけ、というように振り返った。
「な、なに?」
予想外の行動をされたことにより、びっくりしてしまった成海は、思わず言葉に詰まってしまう。目は軽く虚空へと泳ぎ、呼吸も少しだけ不規則になっていた。
そんなことお構いなしに、くわっと、雅は自分に詰め寄っていき、ある言葉を言うために口を開く。
「もしかして、大和に想いを寄せているのか」
「…………え?」
成海は呆然となった。頭はその言葉をうまくかみ砕けず、重大なエラーを吐いた後のようにショートした。
「いや、すこし思ってしまったのだ、大和がいるときの貴様の態度を見て。もしやこいつは、大和のことが好きなのではないか、と」
「な、なんでそうなるんだよ」
反射的に、秘密にしていたことをお母さんに見つかってしまった子供みたいに、ただ口が動くままに成海は声を上げる。その態度が、雅の考えをさらに確信に近づけることになった。
「拳といるときの僕と似ていたのでな、まさかと思ったが」
納得した感じで一人うなずく雅。その顔は、先ほどの持論が証明されたと思っているようで、ひどくご満悦だった。
「それにしても、貴様が大和を」
「だから違うって言ってるよね、聞いてる?」
成海の話を一切聞かない雅は、うーんと一人でうなりながら、自分と大和を見比べている。
「ないな。貴様と大和はない。なんと生意気なことだ」
「さっきからそうじゃないって言っているのが聞こえないの? そもそも、君だって人のこと言えないじゃないか。拳のことを狙っているくせに」
「……うるさい。良いんだ、僕は。いかなることが起ころうと拳と結ばれる運命には変わりない」
「なんて妄想を――」
「妄想ではないぞっ!」
時間がないにもかかわらず言い争い続ける二人を遠目から見守る大和は、早くしてくれないかな……というような顔をして念を送っていた。
「はあ、ともかく遅刻しては意味がない。まあ、貴様も私の手伝いをしてくれることには変わりないのだからいいだろう」
それが二人に通じたのか、雅が話を終わらせて大和のもとに歩いてくる。
「あ……おい」
「それじゃー、またねナル先輩。でさ、昨日テレビで面白いことがやって――」
大和との会話に興じる寸前、一瞬だけ雅が自分のことを見てくる。そこには、ある言葉が雄弁に書かれていた。
――僕の恋を成就させたら手伝ってやってもいいぞ。
と。
「ああ……」
悲愴に歪んだ声が成海の口から漏れた。自らが想像していたよりも最悪なタイミングで、自らが想定していたよりも最悪な方法で、自分の秘密を暴かれてしまった。その事実が深く成海を貶めてくる。
「くそ……」
遠ざかっていく二人の後輩女子の姿を見つつ、成海は両目を眇めた。上等だ、と言わんばかしにこぶしを強く握りしめる。叩かれて踏みにじられて、はじめて本気になれるものがあるのだと、自分は知ることになった。
――拳と雅をうまくくっつけて、晴れて津上大和とそれ相応の関係になってやろうじゃないか。…………だから、俺のためにいけにえになってくれ、拳。