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旅立ちのワスレナグサ


 まあ、そういうこと、だったよ──戻ってきた智光は、言葉少なに、そういった。そうして、ゴメンと謝った。

 二人がつきあうようになった、ということではないらしい。笹木佐恵からの一目惚れ、一方的な片思いで、智光だって口をきいたことすらなかったのだ。そういうのに憧れはするけど、オレは一目惚れとか信じないからさ──そういって、その話はそれで終わったとのことだった。

 正確には、良樹は振られていない。

 ぶつかっていないのだから。

 けれど、なんだか、もうどうでもいいような気になっていた。

 なにを一人で燃え上がって、突き進んでいたのだろう。想っていた愛しい人が、自分のすぐ近くの人間を、ずっと見つめていたことにも気づかないで。

「終わった、かあ」

 もう用がないことはわかっていたが、良樹は三階のフラワールームを訪れていた。午後の授業に出る気分ではなかった。民子のおかげで、少々サボり癖がついてしまったのかもしれない。グラウンドから笛の音が聞こえてくるだけの、いやに静かな室内で、ぼんやりと花々を見やる。

 民子がポケットマネーでそろえたのだという、春の花たち。最初はぜんぶ同じに見えたものだが、いまなら花の名も、花言葉も、栽培方法までいうことができた。本当は、そんなことがわかるようになったからといって、思い人の心を手に入れられるわけではないことぐらい、知っていた。

 それでも、動いていたかったのだ。

 立ち止まったまま、日本を発つのはいやだった。

 足下には、赤く丸い、クサボケの花。元気出せよ、というかのように、良樹を見上げている。

 美しいが、取り立てて華のない、平凡な姿。

 平凡な男が、一目惚れをして、平凡に恋を終える。

 笑えないぐらいに花言葉のままで、良樹は情けなく唇をゆがめた。

「こういういいかたは、どうかと思うけれど」

 ごくあたりまえにドアが開いて、民子がフラワールームに入ってきた。

 良樹の隣に腰を下ろすと、ピンク色の髪をかき上げる。

「わたくしは、楽しかったわ。クサボケと、花と、一緒に過ごした時間。お礼をいわないでもなくてよ」

 授業はどうしたんスか、と聞くまでもない問いが一瞬脳裏をよぎったが、結局良樹は口をつぐんだ。日頃から、こうして授業をサボっているのだろうか。それともまさか、良樹がここにいるだろうと察して、心配して来てくれたのか。

「俺も、楽しかったですよ」

 力なく、良樹もつぶやく。それは紛れもない本心だ。

 ただ漫然と過ごす高校生活。それはそれで楽しかったが、花博士への道を歩み始めてからの日々は、輝きが違っていた。方向性や結果がどうであれ、確かに、なにかに向かって進んでいた。あの、キラキラとした充実感。

「カトレアセンパイには、感謝してます」

 隣を見ることなく、淡々と続ける。

「クサボケ。あなたには、わたくしが、どのように見えていて?」

 話題を変えようというわけでもないだろうが、民子がそんな質問をよこしてきた。ほとんど心ここにあらずの状態ながらも、良樹は真剣に考える。

「……孤高の戦士?」

 まさに、そんな感じだった。いつ見ても一人。それでも、いつだって背筋を伸ばし、胸を張って、堂々としている。

 プライドの高い、しかしひとりぼっちの、優美な女性。

 それが、良樹の、田中民子に対する印象だった。

「そうね。そうなの。ご存じでしょうけど、わたくし、友人がいないの。ただのひとりも」

 昼食のメニューを話すかのような調子で、民子はいった。

 ハア、と良樹は答える。そんなことは改めていわれるまでもない。

 だれも近づきたがらないだろう。校則違反まっしぐらの風貌をしながらも、注意の一つもされない良家の令嬢。授業はサボるわ、趣味のためのフラワールームを確保するわ、世話係の黒服になにもかもやらせるわ、やりたい放題だ。

 良樹だって、目的がなければ、この教室のドアを開けることなどなかった。

「でも、俺、友だちですよね」

 そういって、良樹は民子の顔を見る。そうして、驚いた。目の前で、いつだってすましている民子の顔が、みるみる赤く染まっていったのだ。

「え、あれ? なんで赤くなりました?」

「あなた、わたくしの弟子なのでしょう!」

 どうやら憤慨させてしまったようで、スンマセン、とおとなしく良樹は謝る。弟子、という響きを胸中で反芻して、やはりなにか違うような気がして、叱咤されるのを承知で、食い下がった。

「でも、もう俺、学校来ないですよ。準備して、あっちへドロンです。もう会えないのに師匠と弟子ってのもあれなんで、やっぱり友だちってことにしてもらえませんか」

 自分でも、なぜそこにこだわるのかわからなかった。けれど、友だちなど一人もいないという民子に、友だちとして認めてもらえるのならば、それはなんだかとても嬉しいことのような気がした。

 この日々が楽しかったのは、良樹だって同じだ。

「……ゴールデンウィークまでには、まだ日があるでしょう」

 怒ったような声のままで、民子がいう。

「ですけど、ほんとは、親に無理いって来てるんです。父さんはもう向こうに行ってて、母さんが俺のわがままにつきあってくれてる形で。だから、おとなしく、もう行きます。いい機会だし」

「逃げるように?」

「逃げるんですよ」

 否定する意味などなかった。さらりと良樹は肯定した。

 逃げるのだ。

 告白もしないままで砕け散った恋に、傷ついたような顔をして。すごすごと、しっぽを巻いて。

 残りの数日を、取り繕うように学校で過ごす気にはなれなかった。

「……そう」

 民子は、ため息を吐き出した。

 最初に会ったときのように、まっすぐに立ち上がる。その白く細い指が、小さな青い花を摘んだ。鮮やかな青。その控えめな姿は、民子とは不釣り合いなほどであったが、良樹には、彼女がその花を手にした意味がわかった。

 差し出されたそれを、受け取る。

 囁くような、小さな花。

「ワスレナグサ……ですか?」

「そう。また会いましょう、クサボケ」

 花言葉は、『私を忘れないで』。

 良樹は苦笑して、いつか、と答えた。  






   ***





 アメリカ、カリフォルニア州。

 言葉も通じない、自分を知るものもいないこの土地で、新しい生活が始まる──はずだった。

 高いビルの類はない。広い広い世界。遠くには、花畑。カリフォルニアポピーが、新天地を祝福するかのように、咲き乱れている。花言葉は、『希望』。まるで、おまえならだいじょうぶだと、見守ってくれているかのように。

 しかし、良樹が目を奪われたのは、オレンジの花の姿ではなかった。

 ぼとりと、ボストンバッグを落とす。

 到着したばかりの、新しい土地。初めて見る、これから暮らす家。

 舗装されていない地面の上に、あるはずのないソファ。いるはずのない人物が、悠然と腰をかけ、待ちかまえていた。

「遅くてよ、クサボケ」

 ピンク色の髪を風になびかせて、彼女はにやりと微笑んだ。

「ど、どうしてここに……」

「ワスレナグサの花言葉、ご存じ?」

 さらに質問を重ねる。私を忘れないで、と答えようとして、良樹ははっとした。

 花には、複数の花言葉がある。書物によって紹介されるものが異なるほどだ。無駄かと思いつつも、慌ててボストンバッグを開け、『ポケット花言葉図鑑』を取り出した。

 ワスレナグサのページには、もう一つ、別の花言葉が記されていた。

 くらくらと、目眩。

 まさか、そのために、こんなところまで。

「花博士への道は遠くてよ。これからもよろしく、クサボケ」

 まるでピンクの花が開いたかのように、彼女は満開の笑顔を見せた。



 ──ワスレナグサの花言葉、『私を忘れないで』、『真実の恋』。











読んでいただき、ありがとうございました。

企画ものということで、さらりと読めるエンターテイメントをと思い、こういった内容になりました。


まだまだ力不足です。

精進致します。



企画サイトには、たくさんの書き手による花言葉作品が多数ございます。

そちらもぜひ。



***



【参考文献】 

『四季の花辞典』成美堂出版


【参考URL】 

花言葉物語 http://www.lat.co.jp/new_page_5.htm

花言葉辞典  http://www.hanakotoba.name/

明日の花と花言葉 http://ameblo.jp/kyounohanakotoba/page-5.html

花言葉ラボ http://hanakotoba-labo.com/

       http://www.rakuten.ne.jp/gold/tsukaguchi/hanakotoba.htm


※ 作中、明記されていない花言葉を以下に記します。

ムスリカ『ダンディ』、フリージア『純潔、無邪気』、デンファレ『可憐』、バラ『愛』、スイートピー『青春の喜び』、アガパンサス『恋の訪れ』、カスミソウ『切なる願い』、ムラサキツユクサ『一緒にいたい』


※ 書物やサイトによって、花言葉は異なる場合があります。


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