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クサボケが行く 1


 それは良樹の初恋だった。

 ふと見かけたうしろ姿。脳天直撃、恋の衝撃。

 まさにクサボケ(ヒトメボレ)。

 正面に回り込んで、顔を確認した。話しかける勇気まではなかったが、それから彼女の行動を入念に観察、彼女が花が大好きな優しい子で、最近は花言葉に凝っているということまでリサーチした。だからこそ、花博士になろうと思った。

 隣のクラスの、笹木佐恵。

 もう好きすぎて好きすぎて好きすぎて、

「たまらないんだ! わかるか、この、燃えさかる思い! 超かわいい! アイドル! 女神! 奇跡!」

 叫んで、良樹は購買で手に入れた牛乳の紙パックを、興奮のままに握りしめた。景気よく白い液体が噴き出す。

 それを器用に避け、自らの弁当も避難させつつ、良樹の良き友人であり、イケメンと名高い友田智光は、珍獣を見るような目で良樹を見た。

「そりゃいいすぎだろ」

「おま……! わかってないな! めちゃくちゃかわいいだろ!」

「いや、かわいいけど」

 あっさりと肯定されてしまえば、それはそれで胸にもやが残った。恋心というものは複雑なものだと、悟ったような気分で良樹は甘酸っぱさを堪能する。恋に乾杯。

「けどなあ」

 智光は箸で弁当をつつきながら、心配するような顔を見せた。とっくにパンを食べ終えた良樹に、真剣な声で忠告する。

「しゃべったこともないんだろ。彼氏とか、そうじゃなくても好きなやつとかさ、いるかもしれない。やめとけよ。共通の話題のために、あの田中民子に弟子入りなんてよ、やりすぎだろ」

 どうやら本当に良樹のことを思ってくれているようで、良樹は不覚にも目頭が熱くなった。なんて素敵な友人だろう。イケメンは性格悪いヤツばかりだと噂に聞くが、そんなことはない。

「いや、カトレ……民子センパイにはな、実は、もう弟子入りしたんだ。俺、花博士になってさ、絶対、佐恵さんに告白する。そうじゃなきゃ、悔いが残るだろ」

「向こうに行く前に、か」

「そうだ」

 言葉を濁した智光に、またもや優しさを感じ、良樹は苦笑した。この春、受験を乗り越えて、晴れて高校入学を果たしたものの、ゴールデンウィークには引っ越すことが決まっていた。父親の仕事の都合で、アメリカの、カリフォルニアへ。

 日本にいる間に、できるだけのことはしたい──後悔はしたくないという強い思いがあるからこそ、民子への弟子入りも、思い立ったら即行動だったのだ。良樹に与えられた猶予は、あと一ヶ月弱。なんとしても、最高の形で、憧れのマドンナに思いを告げたかった。

「まあ、そんだけの決意ならな。オレが止めることでもないけどよ」

「それだけの決意だ。止めてくれるな」

 自分にいいきかせるかのように、硬い声で良樹が繰り返す。たとえ彼氏がいたとしても、たとえ結ばれなかったとしても、そういう問題ではないのだ。この思いを、悔いのない形で伝える、それこそが彼の目的だった。

「──聞かせてもらったわ、クサボケ」

 不意に、ピンク色の長い髪が、窓から飛び出した。

 智光が声のない悲鳴をあげて、精一杯に身を引く。良樹もまた声を出すことができず、目と口を思い切り開けた。

 話題の人、田中民子が、窓から顔を出して二人を見ていた。

 一階とはいえ、あまりにも突然の出現だ。反応を返すより前に、良樹は窓の下を確認する。黄色の花が彩る、小さな花壇。民子は、花壇を形作っている煉瓦の上に立っていた。水やりでもしていたのだろうか。

「せ、センパイ……?」

 挨拶が先か、つっこむのが先かと、良樹は言葉を探す。なにを聞かせてもらったというのだろう。やはり、そんな不純な動機では許さないとでもいうのだろうか。

 しかし、民子は怒っている様子ではなかった。燃える瞳で、まっすぐに良樹を射抜く。

「クサボケ、いいえ、アストランチァ!」

 呪文が飛び出してきて、良樹は急いで鞄をあさった。しかし、目当てのものが出てこない。事情を察したらしい智光が、机においてあった本を慌てて差し出してくる。『ポケット花言葉図鑑』。昨日、学校の帰りに購入した、てのひらサイズの図鑑だ。

「アストランチァ……『愛の渇き』?」

「そう。愛を欲しているあなたには、クサボケよりもふさわしいわ。そんなタイムリミットがあるなどと、わたくし知らなくてよ。そういうことはいっていただかなくては」

 高圧的な声だったが、なにやら楽しそうだった。瞳が輝いている。ハア、と雰囲気に押されながら生返事をする良樹の隣で、予想以上だぜ、などと智光がうめいた。

 ほどなくして、予鈴が鳴った。帰らなくていーんスか、と声をかけようとする良樹の腕を、民子は窓の外からがっちりつかんだ。

「時間がないのでしょう。授業など受けている場合ではなくてよ。さあ、参りましょう、アストランチァ!」

 そのまま、ぐいぐいと引っ張る。

 良樹は信頼する友人を見た。助けてくれ、と目で告げる。しかし智光は、わざわざプリントの裏側を白旗に見立てて振っていた。わかりやすく降参の合図。

 教室内のだれもが、良樹に──正確には民子に──注目している。しかしだれひとりとして寄っては来なかった。当然だろう。自分でもそうする……そこまで想像が及んで、良樹はあきらめた。

 時間がないのは本当だ。

 それに、民子が協力してくれるというのなら、嬉しいことには違いなかった。

「じゃ、俺、修行してくるから」

 指をそろえて額にあて、敬礼。ものすごくかわいそうなものを見るような目で、がんばれよ、と智光がつぶやく。

 そうと決まれば、授業が始まる前に抜け出すべきだった。慌てて教科書のたぐいを鞄につめこんで、窓から飛び降りようと身を乗り出しながら、靴がないことに気づく。取りに行くのも億劫で、良樹は机の横から、どうせもうほとんど出番がないであろう、体育用のシューズを取り出した。

「さ、アストランチァ、早く行きましてよ!」

「覚えにくいんで、クサボケでお願いします」

 不本意ながらも願い出て、窓の外へ飛び出した。






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