参 男、身の上を語ること
「師匠、その刀、何処で手に入れたんだ」
ある時、小弥太はふと男に訊いた。男は刀の手入れをする手を止めた。
男は刀を殊の外大事にしていた。手入れは小まめに行っていた。古い刀で、銘などはない。見た限りでは、特に業物というわけではなさそうだった。
「戦場だ」
と男は答えた。
戦? 小弥太は首をかしげた。戦らしい戦など、小弥太は見聞きした事すらなかった。父も、祖父も、戦に行った事などないだろう。はて、師匠の言う戦とは、何時何処で起こった事なのか。
「儂は一介の足軽だった。儂らは簡単に敵に蹴散らされ、刀は折れ矢も尽き、仲間ともはぐれただ逃げ回るのみだった。──そんな時だ」
山中を一人逃げていた時。男の目の前が急に開けた。そこには、小さな社があった。
「隠れることが出来るやも知れぬ。儂はそう思い、足を踏み入れた」
その、中に。
四方八方から注連縄で厳重に括り付けられ、護符を貼られた一振りの刀があった。
──生きたいか。
刀と対峙した男の頭の中で、声がした。
「生きたい。生きて、妻の元に戻りたい」
それを不思議に思う前に、男は声に答えていた。声の主が目の前の刀だと、直感的に理解していた。
──ならば、我の主となれ。力をやろう。
「承知した」
最後に残った小刀で、男は張り巡らされた注連縄を切った。
「それが……その刀か?」
「そうだ」
目の前にある刀は、とてもそういった代物には見えなかった。何の変哲も無く、その場に有った。男は刀を黒光りする鞘に納めた。
「此奴の力もあり、儂は郷に戻る事が出来た。……だが、それが始まりでもあった」
男は生きて戻った。──否、死ねなくなった。何十年も経ち、周りの者が年老いても、男はそのままで生きていた。それでも連れ添っていてくれた妻を看取った後、男は刀だけを持って郷を出た。
「この刀で、数多の者を斬った」
男はそう言った。それは戦での敵であったり、襲って来た賊であったり、助太刀をした仇討ちの相手であったりした。
刀を目にした途端に執着を見せ、奪い取ろうと襲って来た者も何人もいた。男はその全てを斬った。自然、男の剣の腕は上がって行った。
男が見た処、己の欲の為に力を欲する者、何らかの鬱屈を抱えた者はこの刀に魅入られる事が多いように思えた。
そんな生活に倦んでいた頃、男は一人の修験者に出会った。
「その修験者に今迄の事を洗いざらい話した。すると、修験者は教えてくれたのだ」
「何を?」
「この刀を清める方法をだ」
曰く、この刀には人の血を欲する因縁や斬られた者達の怨念、力への執着などが淀み溜まっている。それを浄化するには、長い時間をかけねばならない。
斎戒沐浴して、山の清浄な気に刀を触れさせる。それを毎日続けると、少しずつ悪しき気が抜けて行くのだと言う。無論その間、人を斬ってはならない。その日から男は各地の山を転々として、刀を浄化して来たのだった。
それでは、小弥太が最初に見たあの光景も、刀を浄化している最中だったと云う事か。
「百年、続けた」
男はそう言った。
「この処、此奴も随分大人しくなった。──直に、悪しき気が全て抜けるのやも知れぬな」
……そうなったら。小弥太は思った。刀の魔性が失くなってしまえば、刀に生かされている師匠はどうなってしまうのか。
その疑問を、小弥太は言葉にする事が出来なかった。




