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バケモノと呼ばれた男  作者: 水沢ながる
2/5

弐 小弥太、男を師と仰ぐこと

 翌朝。

 目を覚ました小弥太は、男がいないのに気づいた。何処へ行ったのかと外へ出てみると、小屋の表には山を下る道、裏手には上りの細い道がある。

 少し迷った末、小弥太は上りの道を選んだ。しばらく登ると、水の流れる音が聞こえて来た。音のする方に向かって進んでみる。道を少し外れた所に、小さな川が流れていた。

 川のほとりは少し開けた河原になっていた。そこに、一人男が佇んでいた。声をかけようとして、小弥太は思いとどまった。邪魔をしてはいけない。そう感じた。

 男は川で身を清めたようだった。蓬髪から水が滴った。

 と。

 すらり、と男が刀を抜いた。

 刀身が朝日を反射し、光った。

 小弥太はその輝きに目を奪われた。

 男は。

 抜いたその白刃で、空を斬った。何もないその空間が、一瞬すっぱりと斬れたように思えた。

 上段から、下段から、斬り下ろし、斬り上げ、また横に薙ぐ。小弥太には剣の事など判りはしなかったが、男の動きは剛健にして力強かった。


 ──美しい。

 そう感じた。


 じっと見ていると、輝く刀身から、ゆらり、と黒い靄のようなものが立ち昇るのが見えたような気がした。

 その時。男が不意に動きを止めた。鋭い眼で小弥太の方を見る。小弥太は思わず身をすくめた。

「童か」

 男は刀を鞘に納めた。

「足はもういいのか?」

 男に言われ、小弥太は足の痛みが引いている事に気づいた。

「歩けるのなら、里に戻れ。小屋の方に、山を下る道がある。そこを行けばすぐに戻れる」

「……ありがとう」

 小弥太はやっとの思いで言葉を口にした。

「礼などいい。早く行け、童」

「童じゃねえよ。……小弥太だ」

 厳つい見てくれに見えるが、この男はどうやら人であるようだ。一度ひとたびそう思えると、言い返す事も出来た。

 男は小弥太の事など最早興味を失ったかのように、眼をそらした。小弥太は男に背を向け、里に向かって降りて行った。

 一晩帰って来なかった事で、母には泣かれ父には拳骨を食らったが、小弥太は何故か平気だった。


 数日後、小弥太は再び男の元を訪れた。

「何をしに来た」

 男は無愛想に言葉を投げかけた。

「俺に剣を教えてくれ」

 小弥太はそう言った。

「百姓が剣を学んでどうする」

「この前、あんたが剣を鍛錬しているのを見たんだ。何て言うか……凄く、強くて綺麗だと思った。俺もあんな風になりてえと思った」

「……美しい、か。所詮は人を殺めるすべでしかないぞ」

 男は刀を抜いた。良く手入れされた刀身が顕になる。

「おまえが魅せられたのは、恐らくはこれだ。これは魔性のもの──人を惑わすものだからな」

 優美さと鋭さ、美しさを兼ね備えたそれは、しかし確かに人を殺める為の刃に他ならなかった。

「違うよ」

 だがきっぱりと、小弥太は言った。

「刀も綺麗だったけど……俺はその刀を使うあんたが凄いと思ったんだ。だから、あんたの弟子になりてえ」

 まっすぐに、小弥太は男を見つめた。そのまましばらく、沈黙が流れた。

「……好きにしろ」

 折れたのは、男の方だった。小弥太の顔がぱっと明るくなった。

「やった! よろしくお願いします、……えーっと、あんた、何て名前だ?」

 その時になって初めて、小弥太は男の名前も知らない事に気づいた。出会ってから、一度も名乗られてはいない。

「名などない」

 男はそう答えた。

「今の儂には、名など意味を為さぬ。好きに呼べ」

「そうか。……じゃあ、“師匠”だ。あんたは俺の師匠だから、師匠って呼ぶ」


 それから小弥太は度々男の元を訪れるようになった。

 剣を教わると言うが、そう言っているのは小弥太だけで、特に剣の持ち方だの型だのを教えられているわけではない。ただ男の真似をして、木刀に見立てた木の枝を振り回しているだけだ。親兄弟も村の者も、あるいは師匠と呼ばれている男本人でさえも、ただの遊びの延長だと見ているようだった。

 小弥太にまとわり付かれながら、男は淡々と己の生活を続けていた。山の木を切って薪とし、川の水を汲む。時には山で採った山菜や木の実、罠を仕掛けて捕らえた兎などを里の市に出して、わずかな米や野菜と交換する。

 その合間に、黙々と剣の鍛錬を続ける。山の空気の中で刀を振るうと、やはり刀からはあの黒い靄のようなものが立ち昇るのが見えた。それが小弥太の眼だけに見えるものなのかは判らない。男は何も語ろうとはしなかった。

 思えば、この男が何時からここに住み着いているのか、小弥太は知らなかった。村の者達も良く知らないようだった。何時の間にかふらりと現れ、山にいた。

 素性も判らぬ者ではあるが、たまに力仕事を手伝うこともあり、小弥太も助けられたことから、どうやら悪い者ではないようだ──と村人からは思われていた。

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