第82話 心強い味方
「大丈夫か、ローズ! おい、しっかりしろ!」
謁見の間に声質こそは齢を重ねて入るが、その覇気は年齢など感じさせない程の生命力溢れる力強さを持った声が響き渡った。
その声の主は白髪交じりの髪をオールバックに固め、顔に幾筋もの深い皺を刻んだ老人であった。
その老人の名はベルナルド・フォン・リューネブルク。
今彼は謁見の間最奥の玉座の前に臣下の礼を取って俯いている女性の肩を抱き頬を軽く叩いている。
彼女は過去の罪を懺悔した後、項垂れる様にその場で頭を下げたまま突然黙り込んで動かなくなってしまった。
国王以下謁見の間に居並ぶ国の重鎮達も女性が黙り込んだ当初は次の句を選んでいるだけかと思ったのだが幾ら待てど動かない。
一度『大丈夫か』と国王が声を掛けたが、その返事も無く身動き一つせずまるで時が止まったかのようにその場に居る者全てを錯覚させた。
その様子に酷く心配したベルナルドは、国王の許可も取らずに自らの座を離れその女性の元まで駆け寄りその肩を抱き締めたのだ。
国王の御前でこの様な振る舞いはご法度であるのだが、その行為を咎める者は誰も居なかった。
それは国王自身でさえ同じであり、もしベルナルドが飛び出さなければさすがに自らが動く事は無いにしても使用人を呼び女性の介抱を命じていたであろう。
この場に居る全員の心に罪悪感が芽吹いていた。
それは肩書きこそ伯爵家名代とは言え、その肩書きを背負ってから日も浅くまだ十代の娘に対して重鎮居並ぶ謁見の間にて尋問の如き圧を掛けた事への後悔の念である。
その尋問の目的に関しても、本来なら手を挙げて喜ぶべき事である筈であったのだ。
だが、ここに来て事態は急変した。
周辺国で起こる様々な事件のタイミングが合い過ぎている。
その中心に彼女が居る事は、昨日届いた砦からの伝書鳩による報告で確証が取れた。
ならば彼女の変心でさえ敵の計画の一部であったのではなかろうか?
その疑念がこの急な召喚と相成った。
よもや、当初からの計画であったとは言え、その悪女のままでいて欲しかったと思う日が来ようとは……。
国王以下、事情を知っている者達はこの現状に複雑な想いであった。
「……ん? あ……。べ、ベルナルド様?」
幾度かの呼び掛けにようやく女性が意識を取り戻したようで、虚ろであったその瞳の焦点がわずかにベルナルドの顔を捉えだした。
その言葉にベルナルド、それにこの場にいる者全てが安堵の溜息を吐く。
「ローズ! 良かった! 意識が戻ったか。すまぬ、そなたを追い詰める様な真似をして……」
ベルナルドは腕の中の女性……ローズに対して懺悔の言葉と共に頭を下げた。
その言葉にローズは否定する様に首を振る。
そして、肩に回されたベルナルドの手に自らの手を重ね、小さく「ありがとうございます」と声を掛けた。
「申し訳ありません陛下。陛下の御前でとんだ失態をお見せしてしまい、謝罪の言葉も有りません」
ベルナルドの手をゆっくりと外したローズは、もう一度臣下の礼を取りそう言って頭を下げる。
その態度に周囲の者は唖然とした顔で言葉も出ない。
「そしてベルナルド様。私の失態の為に陛下の許可を取らずに駆け寄って頂いたのではございませんか? 陛下、その責は私に有ります。重ねてお詫び申し上げます」
「な、ロ……ローズ……」
「ローゼリンデよ……。安心しろ。先程の件も、ベルナルドの事も責に問わぬぞ」
「有りがたき幸せにございます」
ローズはもう一度深く頭を下げた。
そのやり取りに周囲の重鎮達は息を呑む。
その大貴族もかくやと言うその堂々とした態度、それにその指先の動きまで優雅に流れる身の熟し、そしてその身から溢れんばかりの輝きにも似た波動とでも言うべき雰囲気。
これが先程までと同じ人物なのか?
まるでこの場に居る全てを飲み込む程の存在感。
皆がその眼を疑った。
突如目覚めたローズのこの態度。
それは今までの様に周囲を欺く為の演技ではない。
自らの意志とは違う過去の想いを吐露している自身の身体を俯瞰した意識から全てを見ており、それは身体の動きが止まった際も周囲の状況は把握していた。
この失態によって自らの立場は悪くなったかもしれない。
国王の御前で固まり意識を失うなど本来有り得ない事なのだ。
自身を取り巻く計画や周囲の想いを知らないローズにとっては、先程の行いは取り返しのつかない行為かもしれないと言う恐怖は確かにある。
しかし、今のローズは先程の様にそんな恐怖に負ける事は無い。
今やローズには彼女一人だけではなく、心強い味方達が居る。
いや、この場に居るベルナルドや控室で待つフレデリカ、それに屋敷の皆の事ではない。
本当の事を言えばこの場に居る全員が味方ではあるのだが、それはローズの知り得ない事。
だがしかし、今ローズを守護しているのはその者達の事ではない。
一人は元のローズの記憶の奔流に消えかけていた野江 水流の意識を掬い上げてくれた母であるアンネリーゼ。
彼女は消えそうな自分を優しく抱き締めてくれた。
その感触はとても懐かしい物だった。
母は死してなお自分を見守ってくれていたのだ。
そう悟った途端、激流に感じていた元のローズの記憶が今度は清流のせせらぎの様に身体に染み渡って来るのを感じた。
彼女の狂おしいまでの寂しさ、悲しみ、悩み、それに負けた自身への怒り。
それら全てを知る事となった。
そして、その奥に一人膝を抱えて泣いていた一人の少女の姿。
それは母の葬儀の際に見せる事が出来なかった涙を心の奥で流し続けていた幼き日のローズであった。
野江 水流の意識はそんな泣いている彼女を優しく抱き締める。
彼女はあの日からずっとここで泣いていたのだ。
自分は彼女を二度見捨てた。
一度は強くなろうと自分の弱さを捨てた時。
そして二度目は野江 水流としての記憶が戻った時。
自分の心の奥で泣いている少女に蓋をして新たな自分として生きようとしてしまったのだ。
知らなかったと言えば簡単だ。
その通り確かに野江 水流は知らなかった。
ただ、知ろうと思えば幾らでも手段は有ったのだが、知ろうとする事は今後の体裁の為の周囲の知識だけであり、自身の過去の想いなどには目を向けなかったのだ。
野江 水流は泣きながらその少女に謝った。
「許して、許して」と何度も謝った。
その懺悔が届いたのかは分からないが、少女も自分を抱き締めてくれた。
そして、その上から母が自分達二人を優しく包み込んでくれたのだ。
今のローズには心強い味方が居る。
それはアンネリーゼ、そしてまだ純粋であった頃のローズ自身の心だ。
その二人に守られていて、なにを怖がるものがあろうか。
いや、もう一人忘れてはいけない者が居た。
それは忘れてはいけない過去の罪。
そう、悪女のローズ。
これも強くなろうとしたもう一人の自分である。
間違った道を歩んでしまったとは言え、捨て去って良い訳が無い。
彼女もまた自分であり、これからの未来を手を取り合って一緒に歩いて行く同志なのだから。
だから、今のローズには怖い物など何もなかった。
「ローゼリンデよ、済まなかった。そなたを責める様な真似をしてしまった。本来なら喜ばねばならぬ事なのに……」
国王はそう言って立ち上がり、信じられない事にローズに対して頭を下げた。
本来国王が自ら非が有ろうと年端も行かない令嬢に対して公式の場で頭を下げるなど有り得ない事なのだが、周囲の重鎮達はその事に驚きはしない。
そうする事が必然であると理解していたからだ。
「そんな恐れ多い事、頭を上げて下さい陛下。全て私の失態に有ります」
「いや、そう言うなローゼリンデよ。父であるバルモアが不在の中、一人伯爵家名代として慣れぬ事を強いられている居る所にこの様な場で尋問紛いの事を行ってしまった我らの方こそ責が有るのだ」
やはり尋問だったのかと、ローズは国王の言葉を反芻する。
これはエレナのオーディックとの交際許可イベントではなく、間違いなく『王城からの召喚状』イベントであったのだ。
だが、ゲームとは全て状況が一致しない。
そこは不思議であったが、もはやそんな事に心を惑わされるローズではなかった。
「陛下! 僭越ながら私から一つ具申させて頂きたい事が有ります。発言のお許しを」
その時、横でローズの事を心配そうに見守っていたベルナルドが国王に向かって声を上げた。
突然の事に周囲は驚き皆がベルナルドに注目する。
「……いいだろう。ベルナルド。申してみよ」
国王はベルナルドを咎める事も無く、静かな言葉でそう発言の許可を出した。
その眼はベルナルドが何を言うか分かっているようだ。
「有りがたき幸せ。では申させて頂きます。……もういいではないですか。先程のローズの改心の言葉。あれは本心の言葉でありましょう。これ以上この子を責めるのは酷でありましょう」
ベルナルドの言葉に、国王だけでなく周囲の皆もコクリと頷いてる。
この皆の反応は、ローズの心の中で起こった新たなる奇跡の発現をしらないので、先程のローズの異変は心労による失神と解釈している為なのだから仕方が無い。
国王はベルナルドの言葉通りこの謁見を打ち切ろうと口を開いた。
しかし、それを止める者が居た。
「私なら大丈夫です。もう先程の様な失態は致しませんので全てお申し出ください」
それはローゼリンデ本人であった。
皆が言葉を選んでいる様子からすると今の所自分が知るべき事ではない事案が含まれているであろう事は想像に難くないのだが、それでもこのイベントをこんな形で終わらせる訳にはいかない。
イベントのクリアも失敗ももう怖くはないが、このまま帰ってしまうと自分だけではなく周りの皆も巻き込む程の取り返しのつかない事態が起こるのではないか?
そんな予感がしたからだ。
書き上がり次第投稿します。




