第119話 偽りの自分
「ねぇオズッ! 聞きたいことがあるの」
かつて拝謁したこの国の王子の姿を思い出したローズは、思考の海から弾かれたように覚醒した。
そして、部屋の隅でフレデリカと話しているオズを見付けると声を掛ける。
「おや、お早いお目覚めですね。お嬢様」
「話の途中であったが、お主なら大体のところは把握出来たであろう」
「えぇ、傷付けられたプライドはそのままですが……」
覚醒したローズに話を中断された二人は少しため息を吐きながら近づくローズに顔を向けた。
言葉の通り互いが隠し持っていた思惑の要点だけは交換し終えていたので、後はそれと衝突しない様に思考を巡らせながら。
「どうしたのだローズ。我に聞きたい事とは?」
隠している過去が多過ぎる。
それも全てローズが深く傷つく事実ばかりだ。
真剣な面持ちで自身に迫ってくるローズの姿に内心激しく動揺しながらも、オズはそれを悟られまいといつもの自信溢れる少し尊大な態度を演じる。
そう……幼き日、ローズに泣き虫オズと言われたその日から己の弱き心を隠すために磨き上げたその仕草を。
ちらりと横のフレデリカを見る。
抱えている闇は自分と似たようなものなのに、全くそれを悟らせない粛々と仕えるメイド然とした佇まいに少し嫉妬を覚えた。
「あたし、最初あなたをこの国の王族と思っていたのよ。だって小さい頃に王宮で会ってたんですもの」
もしかして隣国の王子だとバレた?
今まで自分の事を思い出すように促してきていたが、ローズのあまりにもドストレートな言葉に激しい焦りに襲われ、大きく狼狽しそうになったが横に居たフレデリカがスッと前に入ってきたお陰で何とか踏み止まる。
「お嬢様、我が国の王族に関してはお教えしましたでしょう」
「えぇ、実際に会った事もあるしね。そうよ、この国の直系の王族は国王様に王妃様、そして王子様の三人のみ。そして王子様と会ったのはまだ赤ちゃんだった頃。あれから五年しか経ってないし、王族としてのお披露目もまだだからオズが直系の筈がないわ」
過去の記憶が蘇る前に王子との面会した際の事についてフレデリカがぽつりと言った言葉。
『無事に謁見が済んで、ほっと胸をなでおろした』
当時は性悪我儘令嬢であったローズが、まだ赤ん坊である王子に何か粗相でもしないかと気が気でなかったバルモアが安堵のため息を吐いていたらしい。
さすがの性悪令嬢でも王族のましてや赤ん坊に害をなす筈はないじゃないと思う野江水流であったが、その頃のやらかしていた記憶を思い起こすとバルモアの心配も何となく頷けるものではあった。
「お嬢様、成長なされましたね。そうです、この方は王族は王族でも2代前に少し離れた国に嫁がれた王妹君ステファニー様のお孫様であるオージニアス様であらせられます」
「え? そ、そうなの? オズ?」
自信満々にそう言い切ってオズの事を紹介したフレデリカに少し圧倒されながらオズに尋ねる。
何故かと言うと自身の考えていた答えと違っていたからだ。
「え? いっつ!!」
突然オズが変な声を上げた。
慌ててローズはオズに駆け寄った。
「どうしたのオズ? 大丈夫?」
「な、何でもないローズよ。ただちょっと持病の癪が……」
そう言うとオズはわき腹辺りを擦りだした。
そして何故かは分からないがいつのまにかオズの後ろに戻っていたフレデリカの方をチラリと見て舌打ちしながらローズの方に向き直った。
少しばかり頬が引きつってはいるが笑顔を浮かべていた。
ローズはその笑顔を見て『まだどこか痛むのだろうか?』と心配になりながらも、生まれて初めて『持病の癪』と言う言葉を吐く人間を見て『本当に居るんだそんな人』と興味はそちらの方に移っている。
よもやこの一連の流れをローズがオズに出自を確かめようと顔を見上げた瞬間に、状況が理解できず呆けた顔をしているオズを見兼ねたフレデリカが、サッとその背後に周りわき腹を思いっきり抓ったと言う事は全く気付いていない。
だが当事者であるオズは痛みに耐えながらもフレデリカの考えを理解して、後で覚えていろよと思いながらも話を合わせる。
「コホンッ、ローズ自身に思い出してもらおうと思っていたが知られてしまったら仕方がない。そうだ我こそは遠いながらもこの国と縁のある南に位置するオークシャー王国王子の一人であったオージニアスだ」
「そ、そうなんだ」
オズは少し大袈裟な手振りでローズに正体を騙った。
ローズは訝しげな顔をしながらも一応信じているように見える。
背後から小さい声で『うんうん』と頷くフレデリカの声が聞こえてきた。
そのまるで出来の悪い生徒を見守る教師かの様な態度にムカつきながらも、今はまだ語る勇気がない本当の正体を隠せた事には感謝するしかない。
「で、聞きたい事とはこの事なのか?」
「それもだったんだけど……」
ローズは今オズが言った国の名前も、そしてこの国と縁があり更に子だくさんな王が治めていると言う話もフレデリカの授業で聞いていので自分の憶測が外れていた事にがっかりしながらもオズの言葉を信じる事にした。
『その国の王子が行方不明だったって知らなかったけど、将来誰が王位に就くか裏で王子同士が血を血で洗う争いをしてるなんて子だくさんな王族あるあるネタよね。オズの存在が秘密だったのも、同じ傍系王族のオーディックが匿っていたのもこれで一応の説明はつくか』
そう心の中で納得したローズは聞こうと思っていた『二人のオズ』について聞くべきかを悩んだ。
二人がそっくりだったのは、年近い兄弟たとしたら似ている事も有り得るだろうし、もしかするとあの場面こそ、その暗闘現場だったのでは? と思ったからだ。
だとすると、その事はオズにとって非常にデリケートな話ではないだろうか? うっかり聞いてオズを傷付けたりはしないだろうか?
前世では姉弟仲がとても良かったローズにとって、兄弟で殺し合うなど想像しただけで背筋が凍った。
「ううん、何でもないわ。何があっても私はオズの味方だからね。それが言いたかったの」
ローズはそう言ってオズに笑顔を向けた。
出自については騙されたローズだが、その気遣いの本質はオズにとってローズの口から聞きたかった言葉であり、まるで光が心の中に溢れたかのようにしみ込んで行くのを感じていた。
あまりの愛しさに身体の奥から激情が込み上げる。
そして、そのままローズを思いっ切り抱きしめようと……。
「ローズッ! いっつ!!」
「大丈夫っオズ!?」
「あ、あぁ大丈夫だ。また持病の癪が……」
オズの手はローズを抱きしめる事なく、突然チクリとした激しい痛みに襲われた自身のわき腹へと向かう。
心配するローズに先程の言い訳をしながら、この痛みを与えた主であろうフレデリカの方にチラリと顔を向けると、なにやら手に持った細い金属棒をスッと結い上げている髪へと差し込む姿があった。
どうやら今度は少し大きめのヘアピン……いやもうあれは暗器と言えるのでは? と呼べる代物でわき腹を突かれた様だ。
『いきなりそんな物で刺すとか、如何に王権を奪われたとは言え王族に不敬過ぎないかこいつ? さすがはかつてその頭脳だけでこの国の貴族達を恐怖の淵に落としめた神童と言う事か。しかし……』
心の中で悪態を吐きながらも、やはり今回も自身の暴走を止めてくれたフレデリカに感謝するしかないとため息を吐く。
何しろあのまま抱きしめていたら、イクとこまでイキそうな程の劣情の暴走だったのは否定出来ない。
もしそうなったなら敵の策略によって正気を失ってしまっている親友に申し訳が立たないではないか。
しかし、もう少し穏やかな方法を……とは思うオズだったがグッと飲み込んだ。
「ありがとうローズ。もっと話していたいのだが、そろそろ戻った方が良いだろう。 今頃屋敷中お前の事を使用人達が探し回っている事だろうからな」
「あっ! いけない! 大変だわ、この場所の事やオズの事がバレちゃうかも」
オズの言葉にローズは少々長居した現状を思い出し焦りだした。
フレデリカに向かって「早く帰りましょ」と声を掛けている。
全ては奪われた物を取り戻してから。
まるで無垢な少女の様に慌てているローズの姿を見て、頬を緩ませながら決意を新たにした。
「ローズ、奥に有る扉は裏庭の離れに通じている。そこを通って裏庭に抜けると人知れず戻れるであろう。あとは花壇に隠れていたとでも言えばいい」
オズはそう言って部屋の奥を指差した。
その先に有るのは一見するとただの壁にしか見えなかったが、よく見ると人が通れるくらいの継ぎ目が有る事が分かった。
ローズは『まるで忍者屋敷みたい!! カッコイイ!!』と心の中ではしゃぎながら隠し扉まで駆け寄って行く。
「ローズ、一応言っておくが我の事は内緒で頼む。この屋敷の使用人と言えどこの場所を含め知っているのは極僅かであるからな」
「えぇ、分かったわオズ。それよりこの扉ってどうやって開けるの?」
かなり重要なことを言ったのだが、ローズは目の前の扉に夢中のようだ。
オズは噴出すのを堪えながら歩き出す。
そして、自分の横で同じ様にローズに向かって歩くフレデリカに小声で話しかけた。
「我が表に出るまで、我の代わりにローズを護ってくれ」
「貴方様の代わりなど御免被りたいですが、お嬢様を護るのは私の使命ですので当然です。貴方に言われるまでも無いですわ」
王族に返す言葉とは思えない辛辣な物言いに呆れながらも、悪名高い神童ならば任せて安心だろうと言い返すことはしなかった。
……だが、言いたい事はある。
そう思いオズは口を開いた。
「……先程聞いた計画。それを実行するとローズが悲しむぞ」
「……大事の前の小事です。それに一時は辛くともお嬢様なら必ず乗り越えてくれるでしょう」
恐るべき計画を小事と言い捨てたフレデリカにオズは苛立ちを覚える。
分かっている。
そう……その計画がローズだけじゃなく、この国にも、そして自分自身にも必要な事だとちゃんと理解している。しかし……。
一時だろうとローズが悲しむ事を思うと胸が張り裂けそうになる。
なにより、既に一度同じ悲しみをローズに与えてしまっているのだから。
オズは痛む心に耐えるべく唇を噛んだ。
「ちょっと~オズ~。早く教えてよ~」
オズは振り返って自身を呼ぶローズに自身の苦悩を悟られまいと、強い男としての仮面を被り直し、笑顔で走り出した。
久し振りの投稿ですみません。
ゆっくりですが最終回に向けて連載を再開したいと思います。