表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

92/103

軍人さんと望郷

…………………


 ──軍人さんと望郷



 アレクサンドリアは告げた。


『多元宇宙を旅する手段を我々の文明は開発していました。もうひとつの可能性がある世界へと旅する方法です。恐らくはその手段を使えばあなたは元の世界に帰ることができるでしょう』


「俺はこことは異なる宇宙から来たというのか?」


『その可能性が極めて高いです。この惑星は高濃度のエーテル汚染の名残から空間が不安定になっており、外部から他の世界の住民が迷い込むことがあります。既にそれらの痕跡は見つけているのではないですか?』


 ……確かに俺は昔のアメリカ軍の兵士がこの世界に紛れ込んでいるのを確認している。この世界には別の世界から人々が迷い込むのか、迷い人という単語すらある。俺もまた同じように違う世界から迷い込んだのだろう。


「では、どうすれば元の世界に戻れる?」


『ワームホール型転移装置を作らなければなりません。機材はここにあるものである程度は足りるでしょう。エネルギーも地下の核融合反応炉からの供給で賄えます。あなたを元の世界に帰還させることは不可能ではないでしょう』


「帰れるのか、元の世界に」


 俺はついに帰還の術を見つけた。


 あの戦争か、戦争に準じたことを繰り返しているあの世界に。インターネット通販とファストフードと電子書籍の世界に。


 だが──。


「それにタイムリミットはあるのか?」


『ありません。機材が揃い次第行えます』


 そうか。材料さえ揃えばいつでも帰還できるのか。


 しかし、本当に帰還するべきなのだろうか。


 それを悩む。


 少し前の俺ならば即座に帰還することを選択しただろう。だが、今の俺はそうとは断言できない。俺はこの世界を離れることを躊躇っている。


 リーゼ君、エステル、レーズィ君やユーリ君、ミーナ君。そう言ったこの世界で出会い、そして俺を助けてくれた人々をあっさりと見捨てて、自分の世界に帰還するのが本当に正しいことなのかを迷っている。


 彼らにはどこまでも世話になった。俺がこの世界で生き延びることができたのは彼らのおかげだ。それを見捨てるということは正しいのだろうか。


 そして、俺は本当に自分の世界に帰りたいと思っているのだろうか?


 あの世界に俺はそれほどの愛着を抱いてはいない。俺はただ軍人の義務と祖国への忠誠という理由だけで元の世界に帰ろうと考えている。


 それが本当に正しいことなのだろうか?


 祖国日本は俺を探しにきてくれなければ、俺のことをもう心配しているとも思えない。MIA扱いで、既に俺の情報を戸棚の奥にしまっているだろう。


 エステルは言っていた。忠誠や義務は相手からの恩恵が受けられるからこそ、成立するものだと。無償の忠誠や義務は意味がないのだと。


 ならば、俺は無理に帰還することはないのではないか?


 そう考えたくもなる。


 だが、俺は忠誠と義務の名においてあまりに多くの人間を殺してきた。そう、あまりにも多くの人間を。民間人も子供兵もあらゆるものを殺してきた。だというのに、今になってその忠誠と義務を放棄しても構わないのだろうか。


 俺はそのことに何も感じない。感じないのだ。ナノマシンの感情のフィルタリングは俺に罪悪感など抱かせなかった。


 ただ、常識的に導き出される“不快感”を“認識”するのみである。痛覚マスキングが実際の痛みを感じさせないように。


 自分がこのような場所でのんびり過ごすことを許されるような清い身ではないことは俺にも分かっているつもりだ。だが、それでもできるならばこの世界に残りたかった。この世界で初めて人間の温かさというものを知った。


 なるべくならばこの世界に残り、そのまま新しい世界に馴染んでいきたい。しかし、俺に本当にそんなことが許されるのだろうか。


「俺は……」


 俺はどうしたらいいのだろうか。


 軍人としての義務と祖国への忠誠を捨て去り、何も知らない顔をしてこの世界に居着いてしまっていいのだろうか。


 分からない。


「どうして、ヒビキ。渋い顔をして」


 俺が自室の窓際で考え込んでいると、エステルがやってきた。


 この光景は以前にも見た覚えがある。そう、俺が最初にこの世界にやってきた日のことだ。その時もこうして俺はどうするべきかを悩んでいた。そこにエステルがやってきたのだった。


 エステルはあの時と同じように酒瓶を持ってやってきた。


「いや。本当に帰還するべきなのかと考えてな」


「もう決めてたんじゃないのかい?」


「軍人としての俺は帰還するべきだと告げてる。だが、そうでない俺は考えている」


 エステルが尋ねるのに、俺がそう返した。


「あんたは今でも軍人のつもりなんかい?」


「分からない。1年もの間、俺は軍人として生き残ることを義務としてきたつもりだ。だが、1年も経つと日本への望郷の念も薄れるし、自分が軍人だという意識もなくなってくる。未だに俺は軍人なのだろうかと」


 俺はまだ軍人なのだろうか。1年間、祖国日本からの情報も途絶え、現地に馴染んでしまった俺は自分が軍人だという意識が薄れ始めている。


「あんたは気難しく考えすぎさね。もっと気楽に考えればいい」


「というと?」


「そうさね。自分が帰りたいのか、そうでないのか、と」


「自分が帰りたいのか、そうでないのか、か」


 俺は帰りたいのだろうか? そうでないのだろうか?


 それすら俺には分からない。


 元の世界にもいい点はあった。インターネット通販、ファストフード、電子書籍。それらは便利なものだった。この世界にはない手軽さを与えてくれた。あの世界はそれはそれでいいものだった。


 だが、こちらの世界も悪いものではない。


 和気あいあいとした雰囲気。時間がゆったりと流れる空気。人と人との結びつき。何より自分が戦争以外のことで必要とされているということ。


 満たされている。この上ないほどに。


 あの地球での戦争と戦争に準じた行為でも、俺は必要とされていた。ただの殺し屋として。日本に不利益な存在を暗殺するための存在として。他国に不和の種をばら撒くための道具として。


 それは決して満たされぬものだった。感情のフィルタリングが脳から不快な感情をこしとっていき、その後には何も残らない。満たされることなど決してない。


「自分が帰りたいかどうかも分からないかね」


「分からないんだ。気軽に行き来ができればいいのだが、残るか、戻るかは1回きりで決めなければならない。残るべきか、戻るべきか。それが人生を大きく左右することになるだろう」


「まあ、だろうね。人間の人生でやり直しがきかないことなんてざらにある」


「君も経験があるのか?」


「あるさ。あの馬鹿弟子をフラスコの中から取り出すときとかね」


 俺が告げるのにエステルが肩を竦めてそう返す。


「馬鹿弟子をあのフラスコから取り出して、育てていけるかどうかは分からなかった。教会に攻撃されて火あぶりにされるかもしれなかった。あるいはフラスコの中でしか生きていけずに死なせる羽目になるかもしれなかった。分からないことだらけだったが、あたしは決断した。こいつを連れて帰ろうと」


 エステルはいろいろと話してくれた。


 リーゼ君は最初から3歳児の状態でフラスコの中に死んでいるかのように横たわっていたのだと。それを見た冒険者の仲間は、恐怖を抱きこれを破壊するべきだと告げたと。だが、エステルはそれを無視してフラスコの中からリーゼ君を取り出したということ。


「大胆だったんだな、君は」


「なに。ただ、あそこに放置しているのも可哀想だと思ってね。あそこは墓場みたいだった。そこに子供を放置していくのは可哀想だと思ってね」


「可哀想か」


 リーゼ君は俺が去ったら悲しむだろうか。


 レーズィ君、ユーリ君、ミーナ君たちは俺がいなくなってもパーティーを続けていけるだろうか。


 俺はあまりのこの世界に痕跡を残しすぎた。今になって手を引くには遅すぎるかのように思える。今になって手を引くには無責任のように思われた。


「俺がいなくなって、この村はどうなるだろうか?」


「冒険者がいなくなるのはよくあることだ。だが、あんたがいなくなったらみんなが寂しがるだろうね。あんたはどの冒険者よりもこの村に馴染んでいたからね。パーティーの連中も、冒険者ギルドの連中も寂しがることだろう」


「そうか……」


 やはり俺はこの世界に──いや、この村に長くいすぎた。もっと各地を放浪していればそこまでの執着を得なかっただろうが、俺はいろいろと理由があって、この村に長居しすぎてしまった。


「そういえば、新聞に載せた広告に反応はあったのかい?」


「ない。どうやらこの国には俺の仲間は存在しないらしい。ひょっとするとこの世界そのものに来ていないのかもしれない」


 新聞に公告は載せたものの、それに対する反応はなかった。


 やはりこの世界に迷い込んだのは俺ひとりだけのようだ。


「そうなると本当にひとりぼっちだな。仲間の下に戻りたいかい?」


「仲間はあの状況では恐らく戦死している。他にも仲間はいるが、結局は仕事上の付き合いに過ぎない。そこまで親しい関係ではなかった」


「そうかい。なら、今のパーティーに対してはどうだ?」


「……レーズィ君たちとは仲良くやっている。仕事上の付き合い以上だろう」


 俺は日本情報軍にこの世界よりも長らく在籍していたが、あそこでできた友人というのは仕事上の域をでない仲間だった。結局は互いが情報要員という秘密を抱えたものたちで、そして皆が他と同じ殺し屋だった。それで親しくなれるはずがない。


「しかし、便利さは向こうの世界の方が上、と。仲間と生活の質、どちらを取る?」


「分からない」


 俺はどうするべきなのだろうか。


「まあ、こういう話は素面でするものじゃない。酒でも飲みながら考えようぜ」


「そうするか」


 俺は酒で酔うことはないが、気分だけでも酔った気分になりたいものだ。


「さて、あんたの新たなる門出を願って乾杯。あんたがこの村に残るにせよ、この村から出ていって帰還するにせよ、それは新しい門出だ」


「そうだな。どうあれど俺にとっては新しい門出だ」


 ひたすらなサバイバル目的の生活から、本当のこの世界の住民になるか。それとも元の世界に帰還して、また日本情報軍の任務に復帰するか。


 どちらにせよ、それは新しい決断だ。


 俺は残るべきか、去るべきか。


 いずれは決めなければならない。


…………………

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ