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軍人さんと夏祭り

…………………


 ──軍人さんと夏祭り



 その日の夕方から夏祭りは始まった。


 これを機会に住民との距離を縮めておこうという俺の考えはそこまで間違ったものでもないはずだ。現地住民との間に距離があると、それはいざという場合に命取りになる。もし、この地方で犯罪が起きた場合に“異邦人である”という理由で疑われるなど。


 この間の聖ペトロ祭でもそれなりに協力したつもりだが、今回はご馳走用の肉の採取から、会場の設営にまで関わった。これで住民との距離が縮めばいいのだが。


「今年も無事夏祭りを迎えることができました。皆さんご存知のように今、村を結ぶ街道が工事中です。この村も街道で結ばれ、物流の流れの中に組み込まれる日も近いでしょう。これもゴーレムの開発者であるレーズィ君のおかげです。この場で彼女にこの村への貢献に対して感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います」


 オスヴァルトが告げるのに、レーズィ君が照れたように頬を掻いた。


 レーズィ君は上手く村の中に溶け込んでいる。彼女は遠い年月が経っていたとしてもこの国の住民であり、そこまで異邦人としての扱いを受けない。彼女の出自がどうであれ、明らかな異邦人である俺よりも馴染みやすいのだろう。


「次にエルンストの山のお化け魔狼騒ぎが終焉しました。今はハティと名乗る魔獣はエルンストの山の生態系を維持し、エルンストの山の観光開発を手助けしています。この功績を成し遂げたヒビキ君と、そしてハティにこの場で感謝の言葉を」


 村人たちの視線が俺の方を向いたが、それはすぐに逸れた。


 村人たちの視線は会場の隅から姿を見せたハティの方に向けられたからだ。


「お、お化け魔狼!」


「出たっ!」


 ハティの出現に村人たちがパニックに陥りかける。


「うろたえるな、人間たち。我は貴様らに害をなすつもりはない。我はそこにいるヒビキとの盟約に基づき、エルンストの山を守護することになった。よって、人間に危害を加えるつもりはない。もっとも昔から我は人間たちには無関心だったのだがな」


 ハティがゆっくりとそう告げて周囲を見渡すのに、村人の動揺が収まっていった。


「本当に魔獣が俺たちのことを……?」


「魔獣ではない幻獣だ。魔獣という呼び名は好かん」


 村人のひとりの言葉にハティがそう告げる。


「まあ、そういうことでこれから村の一員としてハティを扱おうではないですか。それは我々の村の更なる発展につながるでしょう」


 オスヴァルトがそう告げるのに、村人たちが静かにハティを眺める。どうしていいのか困っているようなリアクションだ。確かにこのような巨大な狼を前にして、平常心を保っていられるのは訓練されていなければ不可能だ。


「そこにいるヒビキに感謝するといい。我が貴様らと一緒に働くことになったのは、そこにいる勇敢な男のおかげだ」


 ハティがそう告げるのに、村人たちの視線が再び俺の方を向く。


「彼があの魔獣──幻獣を倒したんだって?」


「そうらしい。凄いことだよな」


「A級冒険者でも難しいだろう」


 村人たちは俺を窺うよう言葉を交わす。些かむず痒い気分だ。


「では、今年も無事夏祭りを迎えることができたことに乾杯!」


「乾杯!」


 オスヴァルトが手渡されたジョッキを掲げ、村人たちも酒の飲める年齢のものたちはエールのジョッキを掲げて乾杯した。酒の飲めない年齢の子供は果実飲料のグラスを掲げている。俺としてもアルコールはあまり摂取したくはないのだが、場というものに合わせなくてはならない。まあ、ナノマシンの働きがあれば大抵の有害物質は無害化される。


 村人たちが乾杯すると同時に空に花火が上がった。


 前回の聖ペトロ祭では赤色だけだったが今回は色とりどりの花火が打ち上げられている。流石はエステルが作っただけはあるというわけだ。


「ここでファルケンハウゼン子爵閣下の名代として今回の夏祭りにやってこられたフィーネ嬢から一言お願いします」


「……はい……」


 今回の祭りでもフィーネ嬢は挨拶をすることになっているようだ。


 彼女の抱えているだろう障害を考えれば、決して望ましいこととは言えない。あの手のコミュニケーション障害は単に場馴れすればいいというものではなく、成功した例を認知させて自分にもできるのだと自信を付けさせる必要がある。


 今の状態の彼女をこのような場に放り込んでも恥をかいたという意識の方が強く、余計に人前でのコミュニケーションが難しくなるだろう。俺は精神科医ではないが、ここ最近の精神医学に関する教育は受けている。この世界でも人の心というのは違いあるまい。


「……ラインハルトの山のレッドドラゴンが討伐され、エルンストの山の幻獣が味方となった今、今年は飛躍の年となりそうです……。……これからもこの村の発展を祈っています……。……以上です……」


 やはりフィーネ嬢は萎縮するだけだ。あれではいつまで経っても障害は克服できまい。かといって、俺がどうこうできる話でもないのではあるが。


「お言葉ありがとうございます、フィーネ嬢。では、これからはバーベキューパーティーもありますので、どうぞ皆さん夏祭りを満喫していってください」


 こうして夏祭りが始まった。


 この場を利用して何とか村人との距離を縮めておきたいところだ。


「よう、英雄さん! こっちに来て飲みなよ!」


 早速村人の方からコンタクトがあった。断るわけにはいかない。参加しよう。


「やあ、ここ最近困ったことなどはないか?」


「ないとも! 街道は順調に伸びていってるし、エルンストの山には冒険者の護衛なしでも入れるようになった。これもあんたのおかげだ。感謝してるよ、英雄さん!」


 ふむ。村人からの印象は悪いわけではないようだ。


「だが、あんたが他所に行ってしまうんじゃないかってみんな心配してるよ。そろそろA級冒険者に昇格するかもしれないと言うし、こんな田舎村を捨てて、もっと稼げる都会に行くんじゃないかってな」


「それにあんた迷い人なんだろう? 故郷に帰る方法が見つかったら帰ってしまうんじゃないか? そこら辺はどうなんだ?」


 村人たちは口々にそう告げる。


「今のところどこかに移住することは考えていない。これからもこの村にいるつもりだ。だが、元の世界に戻る方法が見つかれば元の世界に戻らなければならない。俺は軍人だ。祖国に忠誠を誓ったし、軍人としての義務もある。それを放棄するわけにはいかない」


 まだ俺は忠誠と義務を放棄できる段階には至っていない。


 それを理由にして俺たちは何人殺してきた? それを理由にして俺たちは何をしてきた? 結局のところ、俺が犯した行為の言い訳としてまだ俺は忠誠と義務を必要としているのだ。それがなくなればナノマシンは大仕事だろう。


 そして、俺は未だにあの日本での狂った生活に恋い焦がれている。仕事の時は完全にフラットの状態でまだ10歳ほどの子供兵たちを殺し、仕事が終わればハンバーガーで腹を満たし、電子書籍を読み漁るような生活を。


 この村の生活も悪いものではないが、今でも俺は日本での生活を夢見る。


 そんなに俺は人殺しに飢えているのだろうか。そんなに俺はジャンクフードに飢えているのだろうか。


 何故、俺はここにいると落ち着かないのだ。


「そうか。そりゃあ、残念だな。だが、故郷への帰還の方法が見つかるまではいてくれるんだろう? いや、いてくれ。あんたのような凄腕の冒険者がいてくれないと、これから何が起きるか分からないからな」


「ああ。いるつもりだ。よそに行く予定はない。安心してくれ」


 それでいて俺はこの村にこだわっている。


 部下たちがここにいないことはもう確実であるというのに。3ヵ月だぞ。3ヵ月もあって、この山々のあちこちを見て回ったのに俺は輸送機の残骸も、部下の痕跡も、部下の死体も、見つけられなかったんだ。


 部下たちは一緒にここには来なかったか、あるいは別の場所にいるかだ。


 次にトールベルクに行く機会があれば、部下たちの消息を求める広告を新聞社に出すつもりだ。だが、それが上手くいくかは分からない。俺は上手いこと身元引受人になってくれるエステルと出会えたが、部下たちが揃って同じように成功したとも思えない。


 彼らは身元不詳の異邦人となって、犯罪組織にでも加わっているのかもしれない。俺だってエステルがいなければ、その手の組織で働くことも考えたのだから。


「何を辛気臭い顔をしてるんだい、英雄さん。ささ、飲んで景気つけな!」


「ありがとう」


 幸いにして今日はアルコール度数の低い酒ばかりだ。酔うには大量に飲まなければならない。支障なくナノマシンが分解してくれることだろう。


「ヒビキさん、ヒビキさん! さっきの爆裂魔術は何なんデス!? あんなの帝都でも見たことないんデスけど!」


 俺が村人たちと雑談をして過ごしていたらミーナ君がやってきた。興奮した様子だ。花火を見るのは初めてなのだろう。


「あれは爆裂の魔術ではないよ、ミーナ君。花火というもので錬金術師のエステルが作ったものだ。爆裂ポーションを加工してるらしい。見事なものだろう?」


「あ、あれが錬金術で作られたものなのデスか……。世の中は想像もつかないことで溢れているのデスね……」


 ミーナ君は納得したようながらも、戦慄しているのが窺えた。花火ひとつにそこまで警戒心を持たずともいいと思うのだが。


「しかし、そのエステルという女性は素晴らしい錬金術師のようデスね。今度紹介してくれませんか?」


「ああ。ちょうど、向こうで飲んでいる。紹介しよう」


 俺はミーナ君を連れて、エステルの下に向かう。


「エステル。最近うちのパーティーに加わったミーナ君だ」


「ヴィルヘルミーナ・フォン・ヴュルテンベルクと申します! ミーナとお呼びください! そちらは凄腕の錬金術師さんのようデスね。どうかお見知りおきを」


「あー。はいはい。心の隅でも止めておくよ」


 酒をかっくらっているエステルはあまり興味なさげた。目の前のグリフォン肉のバーベキューと酒の方に興味あるという具合である。


「あれ? エステルさん。ちょっとお聞きしますけれど、昔“太陽の子”とパーティーを組んでダンジョンの探索を行っていませんでしたか? どこかで見たような覚えがあるのデスが……」


 ミーナ君がそう告げるのに、エステルの手が止まった。


「さてね。知らんね。あたしは帝都の外れから越してきて、ずっとこの村に住んでいるからね。冒険者のパーティーになんて加わった覚えはないよ」


「そうデスか。他人の空似デスね。失礼しました」


 俺の観察によるとエステルは嘘を吐いている。


 だが、何故嘘を吐かなければならなかったのかは分からない。知られたくない過去というものがあるのだろうか。


 俺はエステルのことをあまりにも知らないな。


「それはそうと、ヒビキも肉を食わないとすぐになくなるよ。見な。あの馬鹿弟子とレーズィの食いっぷりを。もうすぐグリフォン肉は食い尽くされてしまうぞ」


 そう告げるエステルの視線の先には一心不乱にバーベキューを貪るリーゼ君とレーズィ君の姿があった。彼女たちはどうしてそこまで飢えているのだろうか。


「……ヒビキさん……」


 俺もバーベキューをいただこうと思ったとき、背後からか細い声が聞こえた。


「フィーネ嬢? 何の御用でしょうか?」


「……その、冒険の話を聞かせていただきたくて……」


 参ったな。これからバーベキューという頃に呼び出されるとは。


「いいでしょう。何がお聞きになりたいですか」


「……あの幻獣を従わせたときの話をお願いします……」


 さて、困ったことになった。


 義肢の性能を窺わせる発言は慎まなければならず、かといって現地の有力者の機嫌を損ねないように接しなければならない。だが、もう既にレッドドラゴンの件と新生竜の件で憶測は付けられるようになっているだろう。


 俺の義肢はメティス・メディカル製だが、そのスペックは日本情報軍の特注となっている。同等のスペックの義肢を使っているのはアメリカ軍、対抗馬はロシア軍の使っているものだ。俺はロシア製の義肢に何ができるのかを知らない。


 ここでの情報がロシア人に流れないのを祈るばかりだ。ロシア人がここでのことを知ったならば、自分たちの義肢のスペックと比較して、技術格差を知ることになるだろう。それが優れている方であれ、劣っている方であれ。


 ここは軍機に触れない範囲で話すしかあるまい。


「1対1の戦闘ということでしたので、今回は青魔術は使えませんでしたが──」


 俺は義肢のスペックを悟られないように、かなり苦戦した戦況であったことを強調しておく。後で誰かがこの事実を聞いたとしても、義肢の正確なスペックを想像できないようにしておいた。相変わらずのパラノイア染みた被害妄想だとも思う。


「……相当苦戦されたのですね……。……それでも勝利してしまわれるとは……」


「運がよかったのですよ」


 そう、運がよかったのだ。ひとつ間違っていれば俺はハティの爪と牙で八つ裂きにされていただろう。簡単な戦いではなかった。それなり以上に苦戦したのだ。


「……ヒビキさんの勇気は讃えられるべきです……。……我が家からも特別に褒賞などを差し上げたいかと思います……」


「それはありがたく思います」


 騎士だの何だのでなければいいのだが。


「しかし、勇気を示されたのはフィーネ嬢もです。先ほどのスピーチにはそれなり以上の勇気が必要でしたでしょう。素晴らしいスピーチでしたよ」


「……そんなことは……」


 あのスピーチを成功だと認識すれば、フィーネ嬢のコミュニケーション障害も多少は改善すると思うのだが、付け焼刃の精神療法はあまりいい結果にはならないだろうな。


「……ですが、褒めていただいて嬉しいです……」


 フィーネ嬢はそう告げて顔を真っ赤にして小さく微笑んだ。彼女が笑うところを見たのは初めてのことだ。


「……では、これからの活躍に期待させていただきます、ヒビキさん……」


「なるべく期待に沿えるよう、努力します」


 しかし、エルンストの山のお化け魔狼の一件が片付いた今、そこまで脅威になるものは存在しないのではないだろうか。


「ヒビキ。あんたが早く食わないから美味いところはあらかたなくなっちまったぞ」


「ああ……。まあ、仕方ない。また今度の機会に期待するとしよう」


 フィーネ嬢が去るのにエステルがそう告げてきた。バーベキューの台の上で焼かれていたグリフォン肉は既になくなり、僅かな肉と野菜が焼かれているだけになっている。


 しかし、また今度、か。


 俺はまだこの世界に、この村にいるつもりなのだな。


 俺は日本に帰還するつもりなのに、心のどこかではここに愛着を覚え始めているのかもしれない。海外の基地に配属されたときのような疎外感はここにはなく、ここに住民たちは俺のことを仲間として歓迎してくれているためだろうか。


 だが、それでも俺は帰らなければ。


 忠誠と義務を果たさなければならない。


…………………

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