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軍人さんとお化け魔狼

…………………


 ──軍人さんとお化け魔狼



 その日は夕暮れ時になるのを待って、リーゼ君の家を出た。


 お化け魔狼──ハティと名乗った巨大な魔狼と交渉を行う。


 こちらの要求はエルンストの山の観光地としての開発に同意してもらうこと。そして、引き続きエルンストの山の生態系を維持してもらうということ。


 その対価が何になるかは分からない。途方もない要求を突きつけられる可能性もあった。一応、こちらが譲歩できる範囲については開拓局と話し合って決めている。観光地の開発は自然に配慮し、なるべくハティの自然な生活が脅かされないようにすると。


 最悪、交渉が決裂したら、討伐するしかない。だが、それでも交渉を一切せずに討伐に踏み切るよりも、交渉を行ってから可能性を模索した方がいい。


 ラインハルトの山のレッドドラゴンはリーゼ君曰く、会話は可能でも意思疎通は不可能な危険な魔獣で、襲われた人が何十人もいるそうだが、ハティについてはそのような情報はない。それはハティが無思慮に人を襲わないということだ。


 この間の遭遇でもハティは俺たちが山を荒らしていないと分かると、向こうから身を引いた。これは交渉の余地がある証拠ではないだろうか。


 もちろん、これが楽観的な考えなのは理解している。所詮は人と獣。本当に交渉ができるかどうかは極めて怪しい。


 それでも、やってみる価値はある。


「本当にお化け魔狼と話し合いにいくのかい?」


 家を出ようとしたとき、エステルが顔を見せた。


「ああ。そのつもりだ。互いの妥協点が見つかれば、エルンストの山の生態系は維持でき、無用な殺生を避けられる」


「無用な殺生ね。魔獣を殺すって言うのは本当に無用な殺生かい? こっちに来て随分と殺しただろう?」


「話し合いの余地がある魔獣とそうでないものを混同するのはいけない。ゴブリンや魔狼とは話し合えないが、あのお化け魔狼──ハティには交渉の余地がある。言葉で争いを避けるのも人間の叡智というものではないか」


「魔獣は魔獣さね。連中も歳を重ねると賢くなるが、本質はゴブリンや魔狼と変わりない。人間同士で話し合うようにはいかんさ。その人間同士でも殺し合っているってことは軍人だったあんたならよく知ってるだろう?」


 エステルの言っていることは正しいのかもしれない。同族である人間同士で醜く殺し合っているのに、全く別種の生き物である魔獣と上手くやれるのか?


 人間同士の殺し合いについては嫌になるほど思い知っている。俺たちは敵対する勢力ならば何だろうと殺し、どんな非道にも手を染めた。人間とは分かり合えない生き物なのだろうかと思うほどに争いあってきた。


 リーゼ君の言う会話は可能だが、意思疎通は不可能という言葉が思い浮かぶ。俺たちは人間同士でそのような関係にあったのだ。互いをレッドドラゴンとして殺し合ったのだ。時代は慈悲と寛容の精神を謳った21世紀だったというのに。


「だが、やってみる価値はある。これは何も慈悲の心からではない。この村のためだ。ラインハルトの山が魔獣で荒れている今、エルンストの山の生態系まで崩壊し、魔獣で溢れかえるならばこの村は危機に晒されるだろう。それは望ましくないはずだ」


「それはそうだがね。冒険者どもも今はラインハルトの山にかかりっきりのようだし」


 俺は何も博愛主義者ではない。ただ、これ以上村の周囲の環境が変化すると、この小さな村が存続の危機に晒されると思ってのことだ。


 ラインハルトの山のレッドドラゴンが倒れ、ラインハルトの山が魔獣で溢れ、麓に魔獣が下りてくるようになったように、エルンストの山まで同じようなことになることは決して望ましいことではない。


「まあ、健闘を祈るよ、ヒビキ。間違っても話し合いに夢中になって食い殺されるな」


「最善は尽くすつもりだ」


 エステルが手を振り、俺は家を出る。


 交渉に赴くのは俺とレーズィ君とユーリ君、そしてミルコ君たち“黒狼の遠吠え”のパーティだ。他は危険なので除外している。本来ならば開拓局からもひとりぐらいは参加してもらった方がよかったのだろうが。生憎、他人の世話ができるかどうかは怪しい。


「ああ! ヒビキさん! こっちですよう!」


「ヒビキの兄ちゃんも来たな」


 待ち合わせ場所には先にレーズィ君とユーリ君がいた。レーズィ君は街道の工事のために先に家を出ており、ユーリ君はお姉さんであるユリア君と同じ宿に泊まっている。宿と言っても、民宿のようなものだが。


「ミルコ君たちは?」


「ええっと。あっ! 今来られたようですよう!」


 俺の言葉にレーズィ君がきょろきょろと周囲を見渡し、向こうからやってくるミルコ君たちを見つけて声を上げた。


「すみません、遅くなりました。準備に手間取ったもので」


 そう告げるミルコ君は真新しい鎧を纏っていた。装備を新調したのだろう。


「構わない。では、向かうとしよう」


「……ヒビキさん。本当に魔獣と交渉できると思うのですか?」


 俺がエルンストの山の方を向くのに、ミルコ君が背後からそう告げた。


「全くの不可能だとは思っていない。交渉の余地はある。もっとも、交渉が決裂する可能性も極めて高い。そのために君たちに来てもらった。いざという場合には頼りにさせてもらうがいいだろうか?」


「ええ。任せてください。討伐とはいかなくとも、脱出くらいの手助けはしますよ」


「助かる」


 ミルコ君たちへのクエスト報酬は開拓局が出す。これもまたクエストだ。エルンストの山のお化け魔狼の懐柔というクエストだ。俺たちにも成功した暁には報酬が支払われることになっていた。討伐しても報酬はでるが、可能ならば懐柔したいところだ。


「それにしても、なんでこの時間帯しか姿を見せないんでしょうね」


「何もこの時間帯だけとは限らない。夜に山に入る人間はいない。夜にも姿を見せているのかもしれない。特定の時間帯にだけ活動する魔獣というのも存在すると、図鑑では読んだことがある。その類の可能性はあるだろう」


 俺たちが山を登りながら会話するのに、視線を感じた。


 殺気は帯びていない。ただ、こちらの動向を静かに監視している視線だ。


「ハティ。いるのか? 今日は話し合いに来た。姿を見せてくれ」


 俺は視線の方向に向けてそう告げる。


 すると、何も存在しなかった空間がぐにゃりと歪み、巨大な狼が姿を見せた。まるで地形追従迷彩を装備したオペレーターが、その効果を解除したときのようだ。


「人間。この間も会ったな。話し合いとはどういうことだ?」


 ハティは重低音の声で、俺に向けてそう問いかける。


「エルンストの山を観光地として開発する計画が持ち上がっている。ここが君のテリトリーだろうことは理解しているが、こちらの村の経済のために開発が必要だ。そして、君がエルンストの山の生態系を維持していることも知っている。それは俺たちのためにもなっている」


「ふん。あの小さな村が欲をかいたか。我にここを出ていけと言いたいのか?」


「そうは言わない。ただ、開発を容認し、今まで通り生態系を維持して欲しい。わがままな提案だとは分かっているが、こちらとしても必要なことなのだ」


 ハティは意外にも冷静に俺の語る話を聞いていた。すぐに怒り狂ったりはしない。やはり話し合いができる相手なのかもしれない。


「本当にそれが必要なのか? 生きていくために? 生きていくためならば、畑で作物を作ればいい。観光地など必要ないだろう。観光地がお前たちが生きていくうえでどのように必要になると言うのだ?」


「村は経済的に脆弱だし、いつまでも完全な自給自足が行えるとは限らない。ある年、凶作となって作物が全く取れなくなるかもしれない。そのような場合には外部から作物を買い付けなければならない。そのためには金が必要になる」


「金、か。人間たちはそれに固執するな。神のように金を崇める」


 俺が告げるのにハティが嘲笑するようにそう告げた。


「いいだろう。そちらの言い分が理解できた。だが、ここは我のテリトリーであり、自然の支配する場所だ。そちらの申し出をそのまま受け入れるつもりはない」


「ならば、何を譲歩すればいい?」


「譲歩など必要ない。自然のものを支配しようとするならば、やるべきことはひとつだ。強者が弱者を支配し、食らう自然の掟に従い、強者であること示せ。さすれば、我はそちらの言い分を認めようではないか。つまりは我をあっと言わせてみろ」


「ふむ。自然のやり方というわけか」


「その通りだ」


 些か厄介なことになった。俺たちは確かにハティと交戦する可能性を考えていたが、それは交渉が決裂した場合だ。このように交渉の過程で交戦するようなことになるとは。


「では、どのように戦えばいい?」


「1対1だ。貴様が我と戦え。我を納得させる力を示したならば、それでよしとする」


「理解した。1対1だな」


 俺が頷くのに、レーズィ君とユーリ君、そしてミルコ君たちが動揺の声を漏らした。


「ヒ、ヒビキさん! それは不味いですよう! ヒビキさんだけであのお化け魔狼と戦えるんですか!? 食い殺されちゃいますよう!」


「そ、そうだぜ、ヒビキの兄ちゃん! いつも言ってたじゃないか! 生き残れたのは俺たちが連携した結果だって! それなのにひとりであんなでかい魔獣と戦うなんて!」


 レーズィ君とユーリ君がそれぞれそう告げる。


「確かにその通りだ。俺たちが生き残れたのは連携してきたからだ。だが、相手が1体1の戦いを要求しているならばそれに応じるしかないだろう。幸いにして勝算が皆無というわけではないし、俺が負けてもハティは君たちを食い殺したりはしないだろう」


「だけど……!」


 ユーリ君は必死そうに俺を止めようとする。


 だが、時として味方の援護なしに戦わねばならない状況もある。いつも友軍の支援が受けれると考えるのは楽観的だ。俺は何度か全く友軍の支援が受けれない状況での戦いを経験している。今もある意味では日本情報軍という友軍の支援が受けれない状況だ。


「大丈夫なのですか、ヒビキさん」


「やってみせよう。無様に負けるつもりはない」


 ミルコ君たちにはわざわざ来てもらって悪いが、ここは俺だけでやるしかない。


「準備しろ、人間。その前に名は何という?」


「響輝。日本情報軍大尉だ」


「ヒビキか。異邦人だな。面白い。異邦の技を見せてもらうとしよう」


 俺がコンバットナイフを抜いて構えるのに、ハティがその4本の足で地面をじりっと硬く踏みつける。これで俺たちはいつでも戦える。


「では、行くぞ、ヒビキ。力を示せ!」


「いいだろう!」


 ハティが大きく跳躍するのに、俺はすかさず前方に飛び込んだ。


 ハティと俺の位置が逆転し、ハティはその身を捻って素早く後ろを向いて牙を剥き出しにした顎を突き出してくる。


「動きは俺より素早いな」


 俺はハティの動きを用心深く観察しながら、その攻撃をいなした。


 ハティは軍用義肢で強化された俺の動きより素早い。その動きは狼そのものだが、魔狼などの動きより遥かに洗練されている。己の武器である牙と鋭い爪の並ぶ腕を、その洗練された動きで攻撃に繰り出し、俺の打撃を与えんとする。


 今の時点は俺は防戦一方だ。ハティは隙を見せない。こちらは攻撃のタイミングがつかめない。辛うじてその攻撃をいなしながら、隙を窺うも、ハティは己の弱点を晒すような真似はしない。俺は不用意に攻撃に出れば、すかさずカウンターを受けて八つ裂きにされるだろう。


「どうした? 逃げてばかりでは力は示せないぞ」


「全く以てその通りだな」


 ハティが挑発するのに、俺は僅かに笑う。


 楽しいわけではない。こちらに余力があることをハティに伝えるためだ。ハティがこちらに余力なしと判断して、本格的に食らいつきに来たら両者ともに深い傷を負い、俺の目的は果たせずに終わる。


 そう、ただ倒しても意味はないのだ。こちらが力を示し、ハティには可能な限り無傷でいてもらわなくてはならない。不用意に大けがをさせれば、それは討伐しに来たのと変わりない。俺は交渉に来たのだ。


「そちらから来なければ、こちらから行くぞ!」


 ハティが大きく跳躍する。


 俺はその動きを見定め、瞬時に体を捻って回避に回る。ハティの空振りに終わった攻撃は巨大な樹木を押し倒し、根っこから引き倒した。あれはちょっとしたトラック並みの衝撃だ。あれをまともに受ければ八つ裂きでは済むまい。


「まだだっ!」


 ハティはこちらに攻撃の機会を与えることなく、反転して再び跳躍する。


 だが、この跳躍こそ攻撃の機会だ。


「ふんっ!」


 俺はハティの攻撃をギリギリまで引き付けると、衝突寸前に身をかがめ、同時に突っ込んできたハティの腕を掴む。ハティの腕がそのままの勢いで飛んでいきそうになり、俺の義肢の人工筋肉が悲鳴を上げるが、それを押し殺して俺はハティの腕をつかみ切った。


「はあっ!」


 そして、俺は背負い投げの要領でハティをぶん投げた。


 ハティの重量はミノタウロスの比ではなかったが、人工筋肉と人工骨格は全てに耐えきり、ハティの体を宙に浮かせ、地面に叩きつけた。


「……やるな、ヒビキ……」


 地面に叩きつけられたハティは唸るような声でそう告げると、素早く起き上がった。


「まだやるか?」


「当然。この程度では音は上げん」


 全く、面倒な。


「遊びは終わりだ。本気で行かせてもらう!」


「こちらも本気でいくぞ」


 ハティが低い姿勢から牙を突き出すのに俺は義肢でそれを受け止めた。ハティの牙は俺の人工皮膚を傷つけはしたものの、俺の軍用義肢を噛み千切るには至らなかった。流石は50口径のライフル弾にも耐えられる性能があると言われているだけはある。


「これは……鋼の義肢だと……!」


「気付くのが些か遅かったな」


 ハティが呻くのに、俺はハティの頭を蹴り上げ、懐に飛び込む。


 そして、コンバットナイフをその喉元に突き付け、そこで止まった。


「まだやるか?」


「……いや、よかろう。我の負けだ。これ以上の無様は晒すまい。貴様は力を示した。そちらの言い分を認めよう。弱者は強者に従うものだからな」


 俺の問いにハティはそう告げるとその体から発していた殺気を抑え込んだ。


「開発でもなんでもやるといい。だが、獲物が全くいなくなるのは困る。そうすれば我は他所の土地に移るだろう」


「開発は君の生活に可能な限り影響を与えない範囲で行われる。まあ、これは開拓局が約束したことなのだが」


「文句は言うまい。我は負けたのだからな」


 ハティが思いのほか、こちらの意見を素直に受け入れてくれていることに驚いている。これが人間同士の争いだったならば、こうも簡単に決着はつかなかっただろうから。


「ところで、ハティ。どうして君は日暮れにしか姿を見せないんだ?」


「我は月を追いし神獣。我の活動時間は主に夜だ。昼間の間に姿を見せることはほとんどない。用事があれば昼間でも応じないとは言わないがな」


 月を追いし神獣、か。魔獣とはまた異なるものなのだろう。月が見え始める夕方から夜にかけてハティは行動するわけだ。


「では、これからよろしく頼む、ハティ」


「任された」


 こうして、エルンストの山のお化け魔狼の一件は解決した。


 開拓局では早速山道を整備し、エルンストの山の頂上に展望台を作るという計画が持ち上がっている。観光客を見込んで宿を増やすということも考えているらしい。そこまで上手くいけばいいのだが。


 何にせよ、エルンストの山のお化け魔狼──ハティについては解決した。これからは彼もヴァルトハウゼン村の一員として、村のために仕事をしてくれるだろう。


 交渉は上手くいくか正直なところ怪しかったが、結果よければそれでよしだ。


 観光地の開発が進めば、村の経済も活性化する。そして、拡大した経済圏はこの村に恩恵をもたらしてくれるはずだ。もっとも、治安の悪化や景観を損ねるような問題がないとは言い切れないが。


 だが、この村も可能な限り発展しておかなければいざという場合に困ることになる。凶作というのはいつ訪れるか分からないのだから。


 観光客を誘致して、経済を活性化させ、金を貯めなければ。


 全く、ハティのいうように俺たちは金の亡者だな。


…………………

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