錬金術師さんと子爵家令嬢
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──錬金術師さんと子爵家令嬢
聖ペトロ祭の翌日。
エステル師匠は痛み止めを飲んで渋い顔をしている。あんなに飲むからだよ。
「昨日はとっても美味しかったですねえ! あんなに美味しいお肉を食べたのは数百年振りですよう!」
レーズィさんもお祭りは堪能したみたい。
聞くところによれば、ハンスさんに紹介されて村の人々とも顔なじみになったとか。レーズィさんが村に溶け込んだようでよかった。レーズィさんは明るいし──胸も大きいので友達はたくさんできると思うな。
「あの爆発も綺麗でしたねえ。見入ってしまいましたよう」
「あれってエステル師匠が作った奴ですよね?」
レーズィさんも花火を褒めるのに、ボクがエステル師匠に尋ねる。
「ああ? ああ、あれか。開拓局の若造に頼まれて、何か目玉になるものができないかって聞かれたから作っただけだ。ヒビキが前に爆裂ポーションを安定化させる方法というのを提案してくれたからね」
エステル師匠、頭痛のせいか不機嫌そう。
けど、やっぱりあれってヒビキさんの提案だったのか。ヒビキさんってば物知り。
「ところでヒビキさんは?」
「開拓局で新生竜の件について報告にいってますよう。開拓局としても、ラインハルトの山がどういう状況になっているのか把握しておきたいとかで」
「そうなんですか」
昨日ボクたちが美味しくいただいた新生竜も一歩間違っていれば、ボクたちの方が美味しくいただかれるところだったんだよな。開拓局としては聖ペトロ祭の準備で今までは忙しかっただろうけど、お祭りも終わって落ち着いたから事情を聞こうってことなのかな。
トントンと玄関がノックされたのはそんなときだった。
「はーい」
誰だろう。今はエステル師匠が物凄く機嫌が悪いから依頼とかじゃないといいけど。
「……おはようございます……」
「フィーネさん?」
扉を開いた先にいたのはフィーネさんだった。お付きの騎士の人は見当たらない。
「まさかひとりで?」
「……はい……」
子爵家のご令嬢がひとりで出歩いていいのかな?
「ここじゃなんですので、中にどうぞ」
「……はい……」
何というか吹けば飛んでいってしまいそうな人だ。
「ん? ファルケンハウゼン子爵のとこの娘っ子がこんな辺鄙な村に何の用だい?」
ここでエステル師匠がフィーネさんに気付いた。やっぱり頭痛のせいで機嫌が悪いのか、もの凄く目つきが悪い。まるで殺気立ってるみたいだ。
「…………」
「えっと。ヒビキさんに会いに来たそうです」
何故かお付きの騎士の人の役割をやる羽目になるボクである。
「ヒビキに? ヒビキは今いないよ。開拓局に行ってるんだ」
「まだまだ帰ってこないと思いますよう」
エステル師匠がつっけんどんに返し、レーズィさんが首を傾げる。
「…………」
「しょんぼりしたそうです」
これって通訳しなくちゃいけないことなの?
「それよりあんたの親父はあんたがここにいるって知ってるんだろうね?」
エステル師匠があの目つきでフィーネさんを見る。
「…………」
「書置きはしてきたそうです」
書置きでいいのかなー?
「全く。厄介ごとはごめんだよ。さっさと出ていきな」
エステル師匠がいつにもまして冷たい。
「…………」
「ヒビキさんが帰ってくるまでここで待ってたいそうです」
そこまでしてヒビキさんに会いたい理由って何だろう?
はっ! まさかヒビキさんを騎士にするのをまだ諦めてないとかっ!? ありえそうだ……。いざとなれば貴族の特権とかでどうにかしてしまうに違いない。
「エステル師匠もああいってることですし、帰った方がいいと思いますよ!」
「!?」
ボクがそう告げるとフィーネさんがこの世の終わりのような顔をした。すまない。ヒビキさんを渡すわけにはいかないんだ。
「じゃあ、開拓局まで直接行ったらどうですか? 暫くはヒビキさんも開拓局にいると思いますし、入れ違いにはならないと思いますよう?」
レーズィさんー! ボクがさりげなく遠ざけようとしたのにー!
「……案内してください……」
「ううっ。仕方ないですね……」
フィーネさんが潤んだ目に見つめられてボクは折れてしまった。
「私も一緒に行きますよう! 今日もクエストを受けたいですからねえ!」
レーズィさんは暢気だなあ。もしかしたらヒビキさんがパーティーから抜けちゃうかもしれないんだよ?
「じゃあ、行きましょうか」
そんなわけで、ボクたちはヒビキさんに会いに開拓局まで向かうことになった。
…………………
…………………
ボクたちが開拓局に向かうのに、フィーネさんは馬に乗った。
どうやらここまでは馬で来たらしい。街道もないから大変だったと思うけど。
「フィーネさんは馬に乗るのが上手いんですか?」
「……少しだけ……」
ボクが尋ねるのにフィーネさんが控え気味にそう告げる。
「ここまで街道がないから大変じゃありませんでした?」
「……少しだけ……」
フィーネさんは本当に控えめだ。
「早く街道ができるといいんですけどね。街道がないから不便ですよ。飛行船だけじゃ運べる荷物の量にも制限がありますし、行商人の人たちもなかなか来てくれませんし。子爵閣下にも言っておいてくれませんか?」
「……はい……」
……ちゃんと伝えてくれるのかなー……?
「街道を整備するなら私のゴーレムに出資を! 私のゴーレムなら街道工事を昼夜問わずに行えますよう! 子爵閣下には是非ともこのレーズィの研究に出資を検討するようにご検討してもらえるようにしてくださいっ!」
「……は、はい……」
レーズィさんがぐいぐいいくのに、フィーネさんは押され気味だ。
「そろそろ開拓局ですよ。ヒビキさんはまだいますかね?」
トテトテと村の小道を進むと開拓局の建物が見えてきた。
「失礼しまーす」
「あれ? リーゼちゃん? それに……フィーネ嬢?」
ボクが開拓局の扉を開くのに、ハンスさんが困惑した表情を浮かべる。
「ヒビキさん。まだいます?」
「いるよ。今、局長とカルラさんと話してる」
「お邪魔ですかね?」
「さあ。もう話は概ね終わったと思うけど。会議室にいるから見てきなよ」
「では、失礼します」
ボクたちはぞろぞろと開拓局に入る。
「レ、レーズィさん。昨日は楽しかったですか?」
「ええ! とっても楽しかったですよう! お肉も美味しかったですし、いろんな人と話すことができましたから! これでようやく村の一員になれた気分です!」
「そ、それはよかったです。では、これからも頑張ってくださいね。ゴーレムとか冒険者とか。大変なときは是非とも相談してください」
「はい!」
レーズィさんにハンスさんがデレデレしている。もう、ハンスさんはさあ。
「会議室は確かこっちでしたよね。ヒビキさんはどこかなー」
ボクは開拓局に来ても会議室とかには用がないので、この間新生竜討伐作戦会議が開かれた場所を探す。あった、あった。ここだ。
「失礼します。ヒビキさん、いますか?」
「リーゼちゃん? どうぞ、入ってきなさい」
ボクが扉をノックするのにオスヴァルトさんの声がした。
「ヒビキさん。お客さんですよ」
「お客?」
会議室の中にはヒビキさんとオスヴァルトさん、そしてカルラさんがいた。カルラさんはなにやら筆記しているようで、カリカリと筆を動かしている。
「はい。フィーネさんです」
「……こんにちは……」
ボクの後ろからフィーネさんが顔を出す。
「フィーネ嬢。どのようなご用件でしょうか?」
「……約束した話を……」
「ああ。それでわざわざ?」
え? 用件ってそれだけ? そのためにお城からわざわざここまで来たの?
「……話、聞きたいです……。……異世界の話とか、レッドドラゴンの話とか……」
「構いませんが、もう少し待っていただけますか? まだオスヴァルトさんに新生竜の件について話しているところなので」
「……はい……」
フィーネさんってばそんなにヒビキさんの話が聞きたかったのか。お城の方がいろいろと面白い話がありそうだけどなあ。
「では、オスヴァルトさん。続きを」
「ええ。それで新生竜は最初は3体で後から4体が加わったのですね?」
「それで間違いない。3体を倒したタイミングで4体が来た。だが、知性としてはどちらも同程度だった。いや、後者の方が高かったかもしれない。後者の4体は火炎放射を連携して放ってきたので」
「ふむ。新生竜がふたつのグループに分かれていた、という可能性ですね。ドラゴンは通常群れることはありませんが、ラインハルトの山の新生竜はどうも違ったようだ。親であるレッドドラゴンがヒビキ君に討伐されたことも影響しているのかもしれませんな」
「やはり軽率な真似は慎むべきだったか……」
「いえいえ。レッドドラゴンが討伐されていなかったとしたら、レッドドラゴンが新生竜たちのために餌を確保しようとしたでしょう。それこそレッドドラゴンが麓に下りてきた可能性すらあります。なので問題はありませんよ、ヒビキ君」
ヒビキさんは隙あらば責任を負おうとするからなー。困りものだ。
「それで4体以降は新生竜が現れるような気配はなかったのですね?」
「なかった。その点はユリア君に確認してもらってもいい。俺たちが4体を討伐した時点ではもう敵の気配はなかった。だが、山のどこにももう新生竜がいないとはいいがたいのではないだろうか?」
「レッドドラゴンが通常産む子供数は普通4体程度です。7体でも多すぎるくらいだ。用心のために暫くは冒険者を雇って見回りをしてもらいますが、もう心配はいらないでしょう。むしろ、新生竜に怯えて逃げてきた魔獣が麓に居着くことの方が問題です」
「そうか。それはよかった」
新生竜が7体も現れる時点でちょっとおかしいんだよね。
「では、聞き取りは以上です。ご苦労様、ヒビキ君」
「いえ。協力できてよかった」
オスヴァルトさんが立ち上がり、ヒビキさんは一礼する。
「では、フィーネ嬢。ここで話すと言うのはちょっと問題なので、リーゼ君の家に戻ってからでいいですか?」
「……ここがいいです……」
「いや。ここは開拓局の会議室ですので……」
「……あの家には怖い人がいます……」
……エステル師匠のことだ。
「ヒビキ君。暫くならここを使っても構わないよ。当面使う予定もないし、忙しい時に時間を割いてもらったことだしね」
「助かる、オスヴァルトさん」
オスヴァルトさんもやっぱりいい人だな。
「では、何から話しましょうか?」
「……異世界の日本とはどんな国でしたか……?」
「ふむ。その話題をするにはもう少し対象を絞ってもらわなくてはなりません。日本と言えど話題はいろいろとありますので」
ボクも日本のことを知りたいけど、日本って言っても話題がいろいろあるよね。食事とか、お祭りとか、例のナノマシンとか。
「……ヒビキさんの生活について聞かせてください……」
「自分の生活について、ですか」
ヒビキさんは日本にいたときはどんな生活を送っていたのかなー?
「自分は軍人ですので、ほとんどの生活を軍務に尽くしてきました。ただ、そうですね。休日には安い食事をし、インターネット──高度な情報伝達手段で買い物をし、電子書籍を読み漁っていましたよ」
ヒビキさんのいうインターネットの感覚がいまいちつかめない。
「……安い食事というのはどういうものですか……?」
「ハンバーガー、牛丼、ピザなどのジャンクフードです。ハンバーガーというのはミンチにした肉を焼いたものを挟んだパンのことで、牛丼は牛肉を調理して乗せたご飯、ピザは小麦粉の生地の上にチーズなどのいろいろな具をのせたものです」
「……興味深い、です……。……実際に作ってみてはくれませんか……?」
「生憎、料理には酷く疎いもので」
ヒビキさんの答えにフィーネさんがしょんぼりする。
ミンチにした肉を焼いて挟むぐらいならボクでも作れそうだな。今度試してみようかな? ヒビキさんも故郷の味が食べられたら嬉しいと思うし! ボクってば気が利いてるね!
「……それで、インターネットというのはどのようなものですか……」
「説明は難しいですが、端末と端末をつなぐネットワーク──通信線です。世界中の情報が手に入り、それを介して買い物もできます。それから道案内や、遠くの人との連絡、日記のこうかいや宿の予約などもインターネットを介して行えます」
「……とても便利ですね……」
便利すぎだよ、インターネット! ほとんど何でもできちゃうじゃん! この村にもインターネットがあれば毎日が楽しかっただろうにな!
「……しかし、それだけ便利だと使用料は高いのでは……」
「そうでもありません。普通の市民も使える額です。今の日本ではほぼ国民全員がインターネットを利用していますよ」
「……国民全員がそのような便利なものを……」
「とはいっても、インターネットを使った詐欺や個人情報の盗難、インターネット依存症などの悪い面もあるので決していいことだとは言えませんが」
「……そうですか……」
うーむ。インターネットも万能ではないってことなんだね。
「……それでは、電子書籍というのはどのようなものですか……? ……名前からすると本のようですが、本とは異なるのですか……?」
「実質は本です。ただ、これぐらいの端末に何百冊もの本を格納できるという点で異なります。本は先ほどお話ししたインターネットを介して購入することができ、電子書籍ならば場所も取りません。自分はあまり部屋にいろいろとものを置きたくないので、本を読むのはほとんど電子書籍で済ませていましたよ」
「……それは、凄いです……」
そんなに小さな端末にそんなに本が収納できるの!? エステル師匠の本棚の本全部収納できそうじゃないか! それって凄いことだよ!
「さて、日本での生活についてはこれぐらいでいいでしょうか。他にお聞きになりたいことは?」
「……仕事はどのようなことを……?」
「仕事、ですか……」
ヒビキさんの表情が僅かに歪む。
「軍隊としての仕事をしていましたよ。つまりは敵を殺すという仕事を。それを延々と繰り返していました。それだけですよ」
ヒビキさんはそれ以上語らなかった。
「…………」
「今日はこれぐらいでいいそうです。また今度話を聞かせて欲しいと」
そして、何故かまた伝達を任されるボクである。
「ええ。また今度お話ししましょう。では、お気を付けてお帰りください」
「……それではまた……」
ヒビキさんの言葉にフィーネさんが頷くと、彼女は開拓局からトトトと出ていった。
「ん? まさかひとりで来たのか?」
「みたいです。危ないと思うんですけどね」
「危険だろう。街道はまだないから武装強盗や誘拐犯がでることは少ないと思うが、その反面魔獣に襲われる可能性がある。あそこはまた森を切り開いただけだからな」
やっぱり貴族のご令嬢がひとりでうろうろするのって危ないよね。
「追いかけよう。馬はあるだろうか?」
「うちにはないですね。開拓局になら郵便用の馬があるはずですよ」
「確認してみる」
ヒビキさんはそう告げるとハンスさんと話してみて、馬があることを確認するとフィーネさんを護送するという目的のためにそれを借りた。
「ヒビキさんは馬には乗れるんですか?」
「キルギスとアフガニスタンで乗馬経験がある。あまり気持ちのいいものではなかったが、少なくとも振り落とされてないようにするには十分だ」
ヒビキさんはそう告げると馬にまたがり、鐙で馬の腹部を押さえて駆けだした。
馬は嘶き、勢いよくかけていく。
「ヒビキさーん! レーズィさんも待ってますから早めに帰ってきてくださいねー!」
「理解した! 可能な限り急いで帰る!」
ヒビキさんはそう告げて、馬で颯爽と出ていった。
だが、その日の夕方になってもヒビキさんは帰ってこなかった。
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