軍人さんと異世界の夜
本日3回目の更新です。
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──軍人さんと異世界の夜
響輝。日本情報軍第101特別情報大隊第4作戦群所属。階級は大尉。
簡単な任務のはずだった。
B-21AJ“レイダー”爆撃機を改造した特殊作戦仕様の輸送機でキルギスの奥深くに入り込み、キルギスに潜伏する“あの戦争”の名残である過激で敵対的なイスラム原理主義勢力の指導者の暗殺を行う。ただそれだけの仕事であった。
親日的なキルギス政府にも内密に行われた作戦で、ディエゴガルシア島を離陸した輸送機はキルギス空軍の防空レーダーをすり抜け、動員された特殊作戦部隊のオペレーターたちを投下する寸前まで進んでいた。
だが、突如として地上からレーダー照射を浴び、地対空ミサイルの攻撃を受けた。
攻撃を行ったのがテロリストだったのか、キルギス軍だったのかは分からない。テロリストといっても俺たちは“あの戦争”の間に高度なSAM(地対空ミサイル)を扱えるように訓練していたのだから。もはやあれはひとつの軍隊だった。
俺は墜落に向かいつつある輸送機の中で、なんとか離脱しようと必死だった。何とか手動でハッチを開き、尾翼を失って落下していく機体から飛び降りようとしていた。
実際に飛び降りられたのかどうかは分からない。
気付けば、俺は銃とパラシュートを失って、あの森の中にいた。
俺は輸送機が墜落したが奇跡的に助かったのだろうと考えて、墜落した輸送機と部下たちを探しに森をさ迷い歩いた。だが、どこをどうみても撃墜されただろう輸送機の気配はない。煙が上がっているわけでもないし、インカムには誰も応答しなかった。
そして、段々とこの非常事態の深刻さを実感していたときに、あの爬虫類と少女──12歳ほどだろうか──に出会った。巨大な爬虫類は少女を丸のみにする寸前で、どう考えても助けが必要だった。
本来ならば極秘作戦であるこの作戦で現地の民間人に関わるのは、グレーに近い。誰とも接触せず、目標だけを殺し、迎えのヘリでキルギス内の日本軍基地に脱出するというのが、あの作戦だった。日本情報軍の関与を知られないようにするために。
「どうしてこうなったものか」
目の前で殺されそうになっている少女を見捨てることができなかったのは、それが初めて出会う現地住民だったからだ。俺は一昨日から警戒を解くこともできず、ナノマシンがそれを緩和させていたとしても疲れていた。
命を助ければ、恩義を感じてくれれば、少しばかりの休息が手に入るだろう。
そう考えて、俺はあの爬虫類と戦った。見た目の派手さと違って大した相手ではなかった。唯一の武装であるコンバットナイフで片目を抉り、視覚を潰したところで、頭に蹴りを入れてやればそれでお終いだ。
軍用義肢は非常に優れている。通常の人間の数十倍もの力を引き出し、その表面は複合装甲で覆われている。これを破壊したかったら、対戦車ロケット弾でも持ってこない限りは無理だ。義肢の装甲は50口径のライフル弾にも耐える性能がある。
もちろん、詳細なスペックはあのアンネリーゼと自己紹介した少女にも明かすことはできない。軍用義肢の詳細なスペックは軍機だ。何ができて、何ができないということを相手に知られるわけにはいかないのだ。
その点では俺は迂闊なことをした。
いくら少女の命を助けるためとはいえど、軍用義肢のスペックを窺わせる行為を行うなど。本来ならば始末書ものの案件だ。
だが、あのエステルと名乗った女性の言うことが正しければ──。
俺は日本情報軍と日本政府から完全に隔絶した場所にいることになる。
俺は始末書を要求してくる上官とも、各種兵站支援を行ってくれる基地とも、医療支援を行ってくれる病院とも隔絶した空間にいることになる。
これは間違いなく“孤立”した状態だ。
兵站支援がなければ俺の戦闘力は限定される。医療支援がなければ迂闊に怪我をすることもできない。上官がいなければ、俺は何を目的として行動すればいいのか分からない。軍隊で孤立するということはその戦闘力の大幅な低下を意味する。
一刻も早く日本政府ないし、日本情報軍と連絡が取りたい。
だが、それが徒労に終わる可能性は節々から窺える。恐らくここの住民たちはキルギスを知らなければ日本のことも知らないだろう。
俺は何をすればいい?
俺は宣誓した軍人だ。日本国を守るために命を捨てる覚悟もあると宣誓した軍人だ。
俺には軍人としての義務がある。祖国への忠誠がある。その祖国への忠誠が形ばかりのものだったとしても、忠誠は忠誠だ。
その忠誠と軍人としての義務を果たすためにはどうすればいい?
「元の世界に戻る、か」
エステルもアンネリーゼ君もはっきりとは言わなかったが、迷い人とやらが元の世界に帰ったという例はないというのは彼女たちの態度の節々で窺えた。帰還する術とやらはどこにあるのか分からない。
となると、俺はここに骨を埋めなくてはならない。
「そうなれば俺の義務と忠誠はどうなる?」
俺は義務と忠誠の名の下に大勢を殺してきた。民間人も、年端も行かない子供兵も、日本の敵と見做されたもの全てを殺してきた。
脳で働くナノマシンは俺のストレスをなくし、俺は人を殺しているという自覚もなく、人を殺し続けてきた。だが、いくらナノマシンがストレスをなくしても、人間としての根本の考えは変えられない。
民間人を殺すのは戦争犯罪だ。子供兵を、それも“自分たちが育てた”子供兵を殺すのは倫理的に異常である。そういう思いを俺は“認識”してはいる。だが、それを感じてはいない。罪の意識に苛まれて、自分の頭を吹き飛ばそうと思うまでには至っていない。
罪悪感を“認識”する。それは痛覚をマスキングするのと一緒だ。俺たち特殊作戦部隊のオペレーターは痛覚があることを“認識”しても、実際に痛いと苦しんだりはしない。俺が四肢を吹き飛ばされたときも、俺は痛みを感じなかった。
俺はそんな罪悪感を“感じて”みたかった。自分が悪い行いをしていると他人に罰してほしかった。そう考える半面で、俺は罪悪感を祖国への忠誠と軍人としての義務の言い訳で有耶無耶にしてしまおうとしている。
どうすればいいのか答えはいまだに出ない。
それはともかく、今は日本政府と連絡を取り、生き残ることが大事だ。
アンネリーゼ君とエステルはよくしてくれている。身元の証明できない俺を家に泊めて、食事まで振る舞ってくれた。だが、いつまでも彼女たちの厚意に甘えているわけにもいかない。もし、日本政府と連絡が取れなかった場合は、自分で生き延びていく術を見つけなければ。
「異世界でも月はひとつか」
少し離れて見える月は闇夜にうっすらと輝いていた。
「まだ眠れないのか?」
俺が窓から外を眺めていたとき、エステルがやってきた。
「少し考え事をしていた」
「そりゃ考えたくもなるだろう。いきなり異世界です、なんて言われて平然としている方が気持ち悪い。あんたの反応は正常だ」
エステルはそう告げると、何かの瓶とコップを窓辺に置いた。
「眠れないなら飲み明かそうか。悩んでいること、ちょっとは話してみ。完全な解決策にはならないかもしれないが、ちょっと役に立つことが分かるかもしれないぞ」
「酒か……」
恐らくは赤ワインだろう酒をなみなみとグラスに注ぐエステル。
本来ならアルコールは厳禁なのだが。まあ、裏技がある。
「異世界の夜に乾杯。我らが迷い人が我が家に到着したことに乾杯」
「ああ、乾杯」
俺とエステルはグラスを鳴らして、酒を呷る。
「それで何について悩んでたんだ?」
「祖国への忠誠と軍人としての義務についてだ」
俺は俺の考えていたことを軍機に触れない範囲でエステルに打ち明けた。
「そりゃ、そこまで義理堅く考える必要はないだろう。これまでは忠誠を示してきた。軍人としての義務も果たしてきた。それでいい。これからは祖国は遠いどこかに消えたのだから、好きに生きればいいんだよ」
「そう簡単に義務や忠誠を捨てていいものなのか?」
「いいか。世の中の物事は双方向だ。あんたは軍人としての義務を果たし、祖国への忠誠を示したことでこれまで恩恵を受けてきただろう。それがなくなったんだから、もう祖国への忠誠や軍人としての義務にこだわる必要はない。だろう?」
「一理あるな」
俺の祖国への忠誠も、軍人としての義務も、見返りがあってのことだ。それがなくなった今、祖国に忠誠を示すことは俺の薄暗い過去の言い訳程度にしかならないものだ。
ならば、もう忠誠だの義務だのに縛られる必要はないのかもしれない。
「他人に話して少し気が楽になった。礼を言うエステル」
「これぐらいはお安い御用だ。ささ、今度はあたしの話を聞いてもらおうか」
エステルはそれからアンネリーゼについていろいろと聞かせてくれた。抜けているとか、馬鹿だとか、騙されやすいだの罵詈雑言が飛び出してきたが、それでいて弟子であるアンネリーゼを語る彼女は嬉しそうだった。
「いいお弟子さんだ」
「まだまだだよ。あたしがみてないと何をしでかすか分からない」
そう言いながらもエステルはとても嬉しそうだった。
祖国への忠誠がどうであれ、軍人としての義務がどうであれ、今はこのお世話になった錬金術師の師弟のためにできる限りのことをしよう。軍人としても現地住民から友好的な関係を築ければ、それは現地でのサバイバルに繋がると何度も教わった。
サバイバルのためであれ、恩義のためであれ、借りは返す。
俺はそう考えて、赤ワインを呷った。
赤ワインの味は豊潤で、実に美味かった。
だが、俺が酔うことはない。
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本日21時頃に次話を投稿予定です。