錬金術師さんとあの敵再び
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──錬金術師さんとあの敵再び
ボクがあらかたラインハルトの山の山の薬草の苗を集めて終わったころだ。
ボクはそれを見つけた。
「テンキュウ草!?」
広々とした平原の中に僅かに群生するのは、その名の通り天球のように光り輝いている薬草だった。花が咲いており、その花がまた美しい。白い花弁は天球にかかる雲を思わせるものであった。
そして、このテンキュウ草。なんと上級ポーションの素材のひとつになるのだ。上級体力回復ポーションのレシピのひとつではテンキュウ草を使ったものがある。レッドドラゴンの素材を使ったものには及ばないけれど、抜群の薬効がある。
これは何としても採取しなければ!
「ヒビキさん、ユリアさん! あの薬草を採取したら終わりです!」
早く苗を確保して、うちの裏庭に埋めなければ。これで上級ポーションの素材まで自給自足で賄えるようになってしまうぞ! 夢が広がるー。広がっていくよー。
「リーゼ君! 危ない!」
テンキュウ草に駆け寄るボクをヒビキさんが押し倒した。
そして、魔獣の唸り声が響いてくる。この唸り声は魔狼やゴブリンなんかじゃない。
「新生竜っ!?」
卵から孵って、自分で狩りを始めるようになった竜のことを新生竜と呼ぶ。成竜ほどの大きさも戦闘力もないが、竜は竜だ。それなり以上の脅威になりえる。
しかし、よりによってテンキュウ草の群生地に現れるだなんて!
「ユリア君。リーゼ君を連れて安全な場所へ。これは俺が相手をする」
「了解した。来い、お荷物錬金術師」
ボクはユリアさんに引き摺られるようにして岩陰に隠れた。
「さて、再び竜と相まみえるか」
ヒビキさんはいたって冷静に羽ばたく新生竜を見る。
「オオオオォォォォッ!」
「君は喋らないのか。安心した」
新生竜が炎を口内で蠢かせる中、ヒビキさんが新生竜に向けて駆ける。
新生竜は炎を放った。レッドドラゴンほどではないが、炎は絨毯のように地面を覆い尽くし、ヒビキさんの影が一瞬消える。
いや、消えてはいない。ヒビキさんは大きく跳躍して新生竜の放った火炎放射を回避し、そのまま新生竜に突撃していった。
「オオオォォォッ!?」
「悪くは思わないでくれ。我々を襲ってきた君が悪い」
ヒビキさんはそう告げると、跳躍した勢いをそのままに新生竜に打撃を叩き込む。いつものように回し蹴りだ。ヒビキさんの踵が新生竜の腹部に叩き込まれた。新生竜は鈍い悲鳴を上げると、地面に落下していく。
ヒビキさんも炎が残る地面に降り立ち、まだのたうちながら炎をまき散らす新生竜に慎重に近づいていく。
「これで終いだ」
そして、ヒビキさんは新生竜の頭に一撃の蹴りを叩き込むと、新生竜はビクリと痙攣し、そのまま動かなくなった。
全てが一瞬の出来事でボクもユリアさんも声ひとつ発せられなかった。
「片付いたぞ、リーゼ君。全て燃えてしまう前に採取して方がいいのではないか?」
「あっ! はい!」
地上は新生竜が浴びせた火炎放射で火の海になっている。一刻も早くテンキュウ草を回収しなければ! この機会を逃すようなことがあってはならないっ!
「お前……。その小刀すら使わずに新生竜を屠ったのか?」
「うむ。今回は使う必要はなかったな」
ユリアさんが告げるのに、ヒビキさんがそう返す。
レッドドラゴンの時も持っていたナイフは右目を潰すときにしか使ってなかったっぽいし、基本的に武器には頼らない人なのかもしれない。義肢というか、体そのものが武器って感じの人みたいだしね。
「お前は本当に強い。気に入った」
ユリアさんが尊敬の眼差しでヒビキさんを見ている。
「義肢が強いだけだ。俺本来の力ではない」
「いや。あの新生竜の火炎放射も恐れずに突っ込めただけで称賛されるべきだ。普通ならば盾を構えて、亀の子のように立て籠もるだけになる。それを攻撃の機会に変えることのできたお前は本当に凄い奴だ。戦士と呼ぶに相応しい」
「やめてくれ。敵の脅威を知らず、無鉄砲なだけだ」
ヒビキさんは褒められるのに慣れてないみたい。ユリアさんが称賛するのにくすぐったそうにしている。ヒビキさんが成し遂げたことは称賛されてしかるべきことなんだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのになー。
「お前から教わることは多そうだ。これからもクエストに誘ってくれ」
「だが、君は“黒狼の遠吠え”のパーティーメンバーなのだろう。そちらの方を優先するべきではないのか?」
「ああ。確かにそれはそうだが、最近は大したクエストもなく、私たちのパーティーは暇をしている。私も暇だ。だから、付き合えるときは付き合う。お前もパーティーを作れとあの鉄仮面──クリスタに急かされているのだろう?」
「その通りなのだが、他のパーティーメンバーを奪うようにするのに些か躊躇われる。君が手すきの時は誘わせてもらうとするが、君は“黒狼の遠吠え”の方を優先してくれ。俺は冒険者ギルドで揉め事を起こしたくはない」
「お前は意外に小心者だな。パーティーからメンバーを奪うなどよくあることだぞ?」
「この村のような小さなコミュニティーでは不和は致命的だ」
ユリアさんは不満そうだったが、ヒビキさんの言うようにヴァルトハウゼン村のような小さなコミュニティーでは、ちょっとした不和がいつまでも残る。農家の間でもちょっとした喧嘩を何年も引き摺っている人たちがいるのだ。
「だが、了解した。私が暇をしているときには誘ってくれ。まだまだお前から学ぶことは多そうだ。私は得るものを得ておきたい」
「軍隊で教わるような基本的な体術についてならば教えられるが、それ以外は君の方が優れていると思うのだが……」
ユリアさんはすっかりヒビキさんに懐いたようだ。最初の無口で不愛想だったのが嘘のように明るくなっている。表情の方は相変わらず無表情だけれど。
「リーゼ君。この竜からも素材は採取できるのではないだろうか?」
「もちろんです! 実を言うとレッドドラゴンより新生竜の方が薬効の高い部位があったりするんですよ。鱗とか胆石とか年月を有するものはレッドドラゴンの方が上ですが、内臓の類は新生竜の方が栄養分が豊富で、薬効が強かったりするんです!」
「ふむ。新鮮な竜というわけだ」
新生竜の素材もゲットできるなんてラッキー!
「し、しかし、今のボクたちではこれを持って行くことは難しいですよね」
「無理をすれば運べないこともないが、いろいろと傷んでしまうだろう」
既にボクたちはラインハルトの山の薬草の苗の数々と魔狼の素材を抱えている。そこにこの新生竜──重量にして牛5頭分──の素材まで運ぶのは無理っぽいです。
「肉は食べないのか? 新生竜の肉は美味いぞ」
「寄生虫などは心配しなくていいのか?」
「竜は病気になったり、寄生虫を宿したりはしない。こいつらは守られている」
ユリアさんは腰から鉈を抜いて新生竜に近づく。
「他の魔獣に獲物を取られる前にここで食べてしまおう。お荷物錬金術師、調味料や香草の類はあるか?」
「塩ぐらいならありますけど」
「それでいい。新生竜の肉はシンプルに焼くに限る」
そう告げてユリアさんは新生竜を解体し始めた。
太ももの肉を解体して、脂の乗った新生竜の肉を前にユリアさんが舌なめずりする。確かに美味しそうではあるけど、新生竜の脂肪は錬金術の素材になるから食べないで欲しいと思うんだよなー……。
「こうして火を起こして」
ユリアさんはそんなボクの無言の抗議も虚しく、焚火を始めた。
「ふむ。この世界では誰もが魔術で火を付けれるのか?」
「そうですね。日常で使う魔術ぐらいはみんな子供の頃に教えられますよ」
ヒビキさんの世界は魔術が存在しなかったらしいけど、そんな世界でどうやって生活してたんだろう?
「新生竜の肉はレアがいい。表面だけ焼いて、後は血の味を楽しむんだ。寄生虫や病気の心配をしなくていい竜ならではの食べ方だ。美味いぞ」
「レアの肉か。確かに美味しそうだ」
ユリアさんがじんわりと焚火で新生竜のもも肉を焼いていくのに、ヒビキさんが興味深そうにその様子を眺めていた。
「ほら、焼けた。食ってみろ」
「いただこう」
あー。脂肪がもったいないけど美味しそうー。
「美味いな。もっと獣臭いものかと思ったがそうでもない。血がソースになっているようだ。シンプルでいい料理だな」
「そうだろう。新生竜が獲れたらその肉で祭りをするのが私の故郷の風習だった」
お、美味しそう……。ボクにもくれないかなー……。
「お荷物錬金術師、お前の分だ。食べろ」
「いっただきまーす!」
待ってました!
ボクは差し出された新生竜のもも肉にがぶりと食らいつく。
「お、美味しい……。噛めば噛むほどお肉のお味が……。お肉に飢えているボクにはたまらない一品ですよ!」
脂は口の中でとろけ、赤身はジューシーなお肉のお味。血がほんのりとしょっぱくて、お肉のお味を引き立てている。とにかく肉が好きな人は絶対に食べた方がいい品だ。これを食べずに肉好きは語れない!
「やはり美味いな。新生竜の肉は美味い」
ユリアさんもいつの間にか食べている。というか、凄い量を食べているな……。
でも、これだけ食べるのに背はちっちゃいのか。お肉ばかり食べても身長は伸びないと言っていたエステル師匠の言葉を思い出す。
「なんだ、お荷物錬金術師。言いたいことがあるのか?」
「い、いえ。ユリアさんはいっぱい食べるな―と思って」
「山育ちはこれぐらいは普通に食べる」
山育ちって本当に何なんだろう。
「台車があれば麓まで運べるのだがな」
「錬金術師たちが使う素材は内臓などだろう? 魔獣除けポーションをふりかけておいて、後で取りにくればいい。レッドドラゴンの素材もそうしただろう」
「ふむ。いや、無理をすれば運べないことはない。試してみよう」
ヒビキさんはそう告げると、新生竜の頭を掴み無造作に引き摺った。
って、おお!? 牛5頭分ほどの重量がありそうな新生竜の死体がずるずると動いている!? どうやってるの!? それも義肢のおかげなの!?
「運べないことはなさそうだが、これだと表面の鱗などが痛むな」
「あっ。大丈夫ですよ。新生竜の鱗にはそこまで薬効はないので」
鱗に薬効があるのは何度も脱皮を繰り返して年月を重ねた成竜だ。生まれて狩りを始めたばかりの新生竜は内臓や脂肪などは使えるが、鱗には微々たる薬効しかない。
「では、このまま持って行ってもいいのだろうか?」
「お願いします!」
というわけで、新生竜の素材もお持ち帰りー。
「いやあ。テンキュウ草に新生竜の素材まで手に入れられるなんてラッキー! これはエステル師匠も満面の笑みですよ」
「それはよかった。しかし、また家が内臓だらけになりそうだな」
「あー……」
案の定、帰ってからボクはそうそうにエステル師匠にため息を吐かれた……。
それからはヒビキさんと一緒に素材を洗って油漬けにする作業に追われ、その日はくたくたになってベッドに入ったのだった。
裏庭の拡張は明日からでいいやー。
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