遭遇
…………………
──遭遇
ボクことアンネリーゼ・アンファングは人生最大の危機に直面していた。
ボクはしがない錬金術師(最近ようやく見習いという肩書が取れた)。ボクの暮らすヴァルトハウゼン村で錬金術師はボクとお師匠様だけだ。開拓村ということもあって、冒険者たちが訪れるヴァルトハウゼン村ではポーションの需要はそれなりに高い。作れば作っただけ売れると言ってもいいほどだ。
それで今日は腰痛が酷いというヴァルトハウゼン村開拓局局長のオスヴァルトさんの依頼を受けて、腰痛に効く痛み止めのポーションを作るため、その材料探しにラインハルトの山に入っていた。キタノスズメ草をある程度採取すればそれで山での仕事はお終い。
簡単な仕事だ。夕方までには終わる。
そう思っていた──。
「人間風情が我が領地を荒らそうというか。面白い」
そんなボクの目の前に君臨するは大人でも丸のみにできそうなほどの口を持った巨大なレッドドラゴン。これまで冒険者ギルドに幾度となく討伐依頼が出されたが、全てを返り討ちにしてきたこの山の覇者。
その名の通りに真っ赤な鱗に覆われ、左目はこの間の討伐隊が辛うじて打ち込んだ矢で潰れている。だが、それでもその迫力と殺気はまるで衰えていない。レッドドラゴンの全身から炎のような熱気が浴びせられ、今にも卒倒しそうなのを辛うじて耐えている。
対するボクは体力には自信があるけど、戦闘力は皆無のしがない錬金術師の小娘。ボクの持っている魔獣除けポーションじゃ、この山の覇者をどうこうするなど考えるだけでおこがましい。このままパクリと食べられて、それでお終いだ。
だが──。
だが、ひとつだけ希望があった。
「面妖な……。キルギスにはいつからこんな怪物が住んでいたのか……」
ボクとレッドドラゴンの間に立ち塞がるひとりの男性。
見たこともないまだら模様の衣類で体を覆い、冒険者風のポーチがいっぱいあるベストを羽織った大柄な男性。かさばった装備の上からでも鍛えられているのが窺える。その手には一振りのナイフが握られ、男性はそれを構えてレッドドラゴンと対峙していた。
「人間。我とやり合うつもりか。後悔することになるぞ」
「ふむ。いつからトカゲが喋るようになったのかは知らないが、そちらが穏便に立ち去ってくれるのならば、やり合わずとも済むだろう。どうだろうか?」
わわっ! レッドドラゴンを相手に挑発している! 正気なの、この人!?
で、でも、ボクが助かるにはこの人に賭けるしかないっ!
「我を侮辱するか、人間ごときが! ならば、後悔させてくれる! 我はラインハルトの山の主ジークフリート! 貴様に死を与えるものだっ! その名を臓腑に刻み込みながら死に絶えるといい!」
「あいにくだが、まだ死ぬつもりはない」
今だっ!
「ていっ!」
ボクはレッドドラゴンが咆哮と共に大口を開くのを見て、ありったけの魔獣除けポーションを投げ込んだ。
「ぐぬっ! 小娘っ! 貴様!」
魔獣除けポーションは非常に苦い。そもそも飲むものじゃないし。だが、レッドドラゴンを怯ませられるだけの苦さはあったようだ。やったっ!
「感謝する、お嬢さん」
まだら模様の服の男性は一言ボクに礼を言うと、果敢にもレッドドラゴンに向かって挑んでいった。あんなナイフでどうにかなる相手ではないというのに!
ボクは男性が時間を稼いでくれた隙に魔獣除けポーションをレッドドラゴンの口に投げ込み、男性と一緒に逃げるつもりだったのだ! まさか、そのままレッドドラゴンと戦いに行くなんて想定してないよっ!?
「ちょっと待って! それは無理だから──」
ボクが必死になって止めようとするのも無視して男性はレッドドラゴンに飛び掛かる。まだレッドドラゴンは口の中に叩き込まれたボクの魔獣除けポーションで混乱してるけど、すぐに態勢を整えなおしてくるよ!?
「人間っ! 死ぬがいい!」
やっぱりだー! レッドドラゴンはほんの数秒で態勢を立て直し、口の中に炎をうごめかせ始めた。あれが放たれたら、男性は一瞬で黒焦げの焼死体になってしまう!
「なかなかユニークな生態をしているな。研究論文にはよさそうだが」
「死ね!」
男性がそう告げた瞬間、レッドドラゴンが炎を噴射した。
「みぎゃーっ!」
ボクは大慌てで近くにあった岩の影に隠れる。炎が間近に通過していき、その熱気が火傷しそうなほど感じられる。
そして、そろそろと陰から男性を見やる。
「があああっ!」
悲鳴が上がっている。だが、それは男性の悲鳴じゃない。
レッドドラゴンの悲鳴だ。
「貴様、貴様、貴様、貴様っ! どこだ! どこにいる!」
レッドドラゴンの右目は潰されていた。あの巨大な瞳から血を流しながら、レッドドラゴンが狂ったようにのたうっている。
まさか、あの人が? あのレッドドラゴンの瞳をナイフで潰したの?
そんなのあり得るはずがない。あの炎を回避し、そのうえ攻撃を加えるなんて人間のやれることじゃない。きっと何かの間違いだ。
そう思っていた。
「ここだ、トカゲ君。そう子供のように泣き叫ばずとも近くにいる」
男性は生きていた。ナイフには真っ赤な血が滴り、踊るようなステップを踏んで、暴れまわるレッドドラゴンの攻撃を回避していた。
「生かしてはおかんぞ、人間! バラバラの八つ裂きにして、焼き殺してやる! 焼き殺してやる! 焼き殺してやる!」
ああ。レッドドラゴンはもう逆鱗に触れたなんて状態じゃなくなってる。でも、視界が潰れた今なら逃げられるのに、男性は逃げようとはしない。
「そろそろ終わりにするか」
男性はそう告げると、大きく跳躍した。
大きく、なんて表現でこの驚きが伝わるのか分からない。何せ、男性は民家の家屋の三倍はあるレッドドラゴンの背丈まで軽々と跳躍したんだから。
肉体強化の魔術を使っている人でもあんな狂ったような跳躍はできない。まさに人間離れした動きだ。どうかしてる。
だが、本当にどうかしてるのは次に起きたことだ。
「人間っ! どこに──」
「少し静かにしたまえよ」
大きく跳躍した男性はそのまま体を大きく捻り、レッドドラゴンの頭部に一発の蹴りを叩き込んだのだ。グギリとレッドドラゴンの骨が折れる鈍い音が響き、レッドドラゴンの首があらぬ方に曲がると、それは痙攣しながら地面に崩れ落ちていった。
え? え? え?
この人、レッドドラゴンを蹴り殺した? あの重武装の討伐隊が幾度となく挑んで敗退してきたレッドドラゴンを蹴り殺した?
もう、これは神話の世界の話だ。現実なんかじゃない。きっとこれは夢だ。
むぎゅーっとボクは自分の頬を引っ張ってみたが痛い。つまり夢じゃない。
「これぐらいか」
男性はさしたる感情の変化も見せずに、倒れたレッドドラゴンの死骸を眺める。レッドドラゴンの首の骨がへし折れていた以外にも、頭蓋骨が明らかに陥没している。どんな威力のある蹴りだったんだろうか……。
「あの、ありがとうございました!」
ボクはそろそろと岩陰から出ると、男性の下に行って頭を下げた。
「いやいや。君が気にすることじゃない。俺は自分に降りかかってきた脅威を排除しただけなのだから」
男性はレッドドラゴンの恐ろしさを知らなかったのだろうか? 子供だってレッドドラゴンの恐ろしさは知っているというのに。それをちょっと煩わしかったから、適当にやっつけたと言われるとこちらとしてもどうリアクションしていいのか分からなくなる。
「ちなみに聞きたいことがあるのだが」
「何でしょう?」
男性が神妙な表情をするのに、ボクが首を傾げる。
「ここはキルギス、ではないのかな?」
「キルギス? 聞いたことのない名前ですね。ここはバヴェアリア帝国のファルケンハウゼン子爵領ヴァルトハウゼン村ですよ」
キルギス? どこか遠い異国の街だろうか?
「まあ、だとは思った。キルギスにこんな怪物がいるはずがないからね」
その怪物を蹴り殺したあなたも大概だと思いますけれど。
「ところでひとつお願いあるのだが」
「何でしょう?」
「少し休ませてもらえないだろうか?」
男性はそう告げるなり地面に座り込み、木を背にして目を閉じ始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください! これから夜になるのに魔獣が出没する森で寝るなんて危険ですよ! うちに案内しますから、そこに泊まっていってください」
「だが……」
「いいですから! お礼だと思ってください!」
というわけで、ボクはこの奇妙な人を家に案内することになった。
レッドドラゴンの死体からは様々な素材が手に入るのだが、今は解体する道具を持っていない。幸いにして、ありったけの魔獣除けポーションを叩き込んでやったので、他の魔獣が食い荒らすことはないだろう。
後日、要回収。
それにしてもひとりでレッドドラゴンを、それも蹴り殺してしまうだなんて、とんでもない人だな。神話の神々みたいだ。実際に神話の神々だったりして。
「ボクはアンネリーゼ・アンファング。ヴァルトハウゼン村の錬金術師です。そちらのお名前とご職業は? いえ、よろしければ教えていただきたいのですが」
「……響輝。職業は日本情報軍大尉だ」
男性はヒビキ・ヒカルと答えた。変わった名前だ。
にほんじょーほーぐんというのもよく分からなかったが、ボクをレッドドラゴンから助けてくれたのだから、きっといい人だ。
「ヒビキさん。どうぞ我が家でゆっくりしていってください。まあ、お世辞にも住み心地のいい場所じゃないですけれど、森の中で寝るよりいいですよ」
「すまない。失礼させてもらう」
しかし、みんな驚くだろうな。レッドドラゴンを蹴り殺した人が村に来るなんて! この話は責任を持ってボクが広めないとねっ!
でも、お師匠様はいきなりお客さんを連れ込んだりして怒らないかな……。
…………………
本日19時30分頃に次話を投稿予定です。