第6話 先生も頭を抱え込んでいました
そんなふうに現場が頭を抱え込んでいるというのは、言うまでもなく海軍省や軍令部といった上層部の面々も把握しており、田中頼三中尉が怪気炎を挙げる前から、英海軍に日本海軍は援けを求めていた。
だが、英海軍の現状も芳しいものとは言い難かった。
勿論、英海軍にとって、日本海軍は近しい弟子であり、つい最近も「金剛」級(巡洋)戦艦の建造を依頼されて建造を行った間柄である。
更にガリポリ半島上陸作戦において、第一次上陸作戦が芳しい戦果を挙げなかったために更迭寸前だったチャーチル海相のクビがつながったのは、日本海兵隊が主導した第二次上陸作戦が大成功を収められたためだという(決して大っぴらには言えない)因縁もあれば。
第二次ガリポリ半島上陸作戦が成功裏に終結した後、チャーチル海相が直々に
「今後は日本海軍の要請に英海軍は最大限の配慮をするように。英海軍は日本海軍の恩義を忘れてはならん」
と英海軍内に命令を下したという伝説が、まことしやかにそれこそ世界中でささやかれるようになったのもむべなるかな、というものではあったが。
だからといって、この当時の英海軍と言えど、独潜水艦への対処には頭を抱え込んでいたのだ。
一般的にQシップという名で知られる擬装した囮特設艦艇を使用したり、炸薬を取り付けた掃海具でいわゆる潜水艦を「釣ろう」としたり、とか英海軍は様々な対潜兵器を考案して実戦に投入した。
(口の悪い同盟国の筈の仏海軍の軍人の多くから、英海軍の軍人は、対潜兵器に関しては、さすが英国面を発揮されていますな、と言われる有様だったという。)
だが、実際にはどうにも費用対効果の点から疑問が大きく、結果論から言えば、第一次世界大戦のこの当時の対潜兵器でもっとも役立ったのは、最終的には第一次世界大戦勃発以前から存在している機雷だったというのが笑えない現実だった。
もっとも全く役に立つ兵器が開発できなかったわけではなく、この後、様々な改良を施されつつも第二次世界大戦でも対潜兵器として活躍する対潜爆雷は、1916年1月に実戦投入可能な状態になっており、英海軍では早速、運用が始まっていた。
そして、対潜兵器を何とか開発したとしても、もう一つ問題がある。
海中に潜んでいる敵潜水艦を発見するという問題である。
このために期待されたのが、現代で言うところのアクティブソナーとパッシブソナー、当時で言えば音響探信儀と水中聴音機だったが、1916年に日本海軍が遣欧艦隊の編制を決断した当時は、音響探信儀は海のモノとも山のモノともいえない有様で(最終的に量産配備がされるようになるのには、第一次世界大戦が終結した後になる)、水中聴音機にしてもようやく試作段階を脱したばかりと言って良かった。
こういった状況から、日本海軍が遣欧艦隊の編制、派遣を決めて、英海軍に対して援けを求めても、英海軍としては対潜爆雷の提供は約束できたものの、それ以上のことは現時点では約束できない、開発が完了したら、順次、日本海軍への提供を検討するというのが現実だったのである。
こうしたことは、日本海軍の現場の不安をより高めるものでしかなかったが、とは言え、ヴェルダン要塞攻防戦への日本海兵隊や海軍航空隊の投入が迫りつつあり、そのためには遣欧艦隊の派遣、輸送船の護衛が必須と言う現実がある以上、遣欧艦隊は1916年春、遥々と欧州への旅路につかざるを得なかった。
その遣欧艦隊の一員の中には、後に日本海軍を背負って立つ逸材の姿もあった。
山梨勝之進と堀悌吉である。
二人ともに後に海相に昇りつめて、日本の舵取りを担う一人になるのだが、この頃はまだまだ佐官級で若手士官といってよかった。
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