エピローグ
エピローグになります。
「酒匂」に乗り組んでいるのが、海兵同期生の田中頼三提督のせいか、思わず第一次世界大戦時の悪戦苦闘の日々を木村昌福提督は、走馬灯のように思い返してしまっていた。
「矢矧」の艦長が、第一次世界大戦時の部下、森下信衛大佐というのもあったのかもしれない。
木村提督が、ふと森下大佐の顔を見ると、先程の「酒匂」と各駆逐艦とのやり取りから、森下大佐も第一次世界大戦時の悪戦苦闘の日々を思い起こしたのか、複雑な悲喜が入り混じった表情を浮かべていた。
「考えてみれば、あれから20年余りが経つのですな。あの時の苦労を知っている者は、軒並み大佐以上ばかりになりましたか。駆逐艦の艦長でさえ、あの時の苦労を知らない者ばかりだ。いや、私もようやく末席に座らせてもらえるだけで、こんなことを言える立場ではありませんが」
少し時が流れた後、ようやく心の整理がついたのか、森下大佐は口を開いた。
「そうだな。それだけの時が流れたな。本当に時が流れてしまったものだ」
木村提督は、そう答えながら想った。
あの時に乗り組んだ駆逐艦には、水中聴音機も音響探信儀も無かった。
そして、第一次世界大戦が終結した時までに音響探信儀は無く、水中聴音機は雑音が当たり前に入る、今では考えられない酷い代物だった。
最新の日本製水中聴音機を自身の耳で試した時、雑音がほぼ無いのに驚愕したものだ。
あの時は完全に英国製に頼り切り、日本製の水中聴音機等、夢物語にしか思えなかった。
だが、今では水中聴音機も音響探信儀も完全国産化され、日本の駆逐艦の標準装備になっている。
対潜兵器にしても雲泥の差だ。
第一次世界大戦時に遣欧艦隊が編制された時、砲撃か、体当たりしか、駆逐艦から潜水艦に対する攻撃方法は無かった、と新人の水兵に言うと、そんなバカな、そんな装備で対潜戦闘なんて出来ません、嘘は言わないでください、と真面目に言う者が多い。
確かに対潜戦闘となると爆雷が、当たり前に出てくる面々にしてみれば当然の話だろう。
今では、爆雷投下にしても爆雷投射機を使うのが当たり前だ。
爆雷投下軌条を使うしかなかった第一次世界大戦時とは全く違う。
爆雷の形状も改良されて沈降速度が増しているし、かつては水圧、時限式しか無かったが、音響、磁気探知式を組み合わせた複合式爆雷が、日本の駆逐艦では対潜戦闘に使用されるのが当たり前になっている。
そして、自分にとって、最も信じられないのが電波探信儀の登場と日本海軍への採用だ。
「闇夜の提灯」になるという批判もあったが、対潜戦闘には必要不可欠、目視には限界があるし、潜望鏡等の捜索、潜水艦本体への攻撃には必要なのだ、という声が海軍内では極めて強く、英米との技術交流まで断行した結果、今の日本海軍では闇夜に探照灯無しでの電探使用の対艦射撃が駆逐艦でも当然になっている。
勿論、対空戦闘でも電探使用が当たり前だ。
今の「雪風」や「冬月」が、必ずや守り抜くと豪語するのも、自分にしてみれば当然の話と言えた。
だが、それはかつて「雑木林」と味方の筈の日本海軍本体の一部からも揶揄された遣欧艦隊の苦闘の日々があったからで。
そこまで、思い返して、木村提督は、胸の中にかつての悔恨から来る痛みが広がるのを覚えた。
「それでは行きますか。今度は悔やむことなく還りましょう」
森下大佐は、木村提督の内心を察したのか、そう言葉を発した。
「そうだな、欧州へ行こう。今度は悔やむことなく還れるようにしよう」
木村提督はそう言った。
そして
「「酒匂」に発光信号を送れ。「酒匂」は必ず他の姉に逢えるから、とな」
「分かりました」
信号員の返答に木村提督は微笑んだ。
そうだ、今度は悔やむことなく還ろう。
これで完結します。
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