K
「次は防壁破りか……裏商人のとこに行く必要があるな」
次に買う予定の物は防壁破り――文字通り、防壁に穴を開けるウイルスだ。違法品なので、交差点に軒を連ねるまっとうな店で売っているはずもない。
「いつものでいいか?」
「Kでしょ? いいよー」
Kというのは、俺と詩織が贔屓にしている裏商人だ。年齢も本名も不明の少年で、ただKとだけ呼ばれている。怪しさ満点だが、揃えているウイルスの質はいいのでよく利用している。
「さて、今日はどこに居るやら……まずは通話してみるか」
Kは特定の場所に腰を落ち着けていない。物を売ってもらうには、通話してアポイントを取る必要がある面倒なやつだ。
俺はアドレス帳のホログラムを目の前に展開し、その中からKを選ぶ。数コールのあと、Kは通話に出た。通話にすら出ないことも多いので、今回は運がいい。
『はいはい。お久しぶりだね陸。ウイルスの購入かい?』
『ああ、頼む。今どこだ? 仮想か? 現実か?』
『仮想だよ。双道市の仮想空間に居るから、すぐに会えると思う』
『そりゃあ重畳。今から会えるか?』
『いいよ。集合場所は――』
Kが指定したのは、とあるフリー区域だった。俺も行ったことはない場所だ。
『わかった。すぐに行く。その区域に危険は?』
『ないよ。暴徒も娼婦も警察も居ない。安心していいから』
『双道市にそんな区域が残っていたとはな……。とにかく、すぐに行く』
『待ってるよ』
俺はKとの通話を切り、詩織にも場所を伝える。
「変な場所に呼び出したねKのやつ」
「いつものことだろ。そこら辺の喫茶店で違法ウイルス受け取るわけにもいかないしな」
「そだねー。んじゃ、早速行こうか」
前は密林区域なんて場所に呼び出されたことすらあるので、覚悟だけはしておこう。
結果は、少し拍子抜けすることになった。
「わー! すごい綺麗!」
「ああ……確かに」
そこは人の居ない海岸だった。
白い砂浜に青色の海がどこまでも広がっている。かなり広い区域のようだ。
さざ波と共に運ばれる潮風を全身に浴び、改めて周囲に双眸を走らせる。
白と蒼――その二色のコントラストに、しばし目を奪われる。それが例え、偽物だと頭ではわかっていても。
「綺麗……だな」
俺はこんな光景を現実で拝んだことはない。それはとなりに居る詩織も同じだろう。
今まで見たこともない――そして、これから見ることもないであろう目の前に広がるビジョン。だというのに、ここまで心が動かされるのは、母なる海の成せる業なのか……。
「かつての地球……失われた景色を再現した区域か」
仮想には、こういった自然を堪能できる区域も数多く存在する。
海で泳ぐなら仮想。
山に登るなら仮想。
川辺でキャンプをするなら仮想。
森を散策するなら仮想。
アウトドアを楽しむことすら、今の地球ではままならないのが現状だ。
「こんな景色、一度でいいから現実でも見てみたいもんだ」
「難しいだろうねー。でも、いつかタイムマシンでも開発されれば可能性はあるよ」
「どれだけ科学が進歩しても、結局タイムマシンなんて夢の産物だっての」
「そんなことないよ。机の引き出しに飛び込むとか、デロリアンで140キロ出すとか、ラベンダーの香りを嗅ぐとか……わたしは本気で信じてるからねー」
「チョイスが古いんだよお前は。今の時代で通じるやつ居ないぞ、それ」
詩織の古典SF好きにも困ったものだ。
「冗談はさておき――いい場所なのに人が居ないね。穴場なのかな?」
「人目に付かない場所からしか入れない区域だったからな……知っている人は少ないんだろう」
少し気になったので、この区域にアクセスし、開示されている情報を眺める。この区域を作ったのは、政府や企業ではなく個人らしい。よくぞここまで精巧な海を作り出したものだ。
「大富豪が道楽で作った区域か……Kのやつ、よくこんな目立たない区域を探し当てたな」
区域情報によると、この海を作ったのは暇をもてあました金持ちの老人らしい。
規模にもよるが、区域一つを作るにはかなりの手間と金が必要となる。俺も自分のプライベート区域を初めて作ったときは、色々と苦労させられたものだ。あの頃は、今よりもっと寂れた安い場所にプライベート区域を作っていた。しかも詩織と共同なので、俗に言う『仮想同棲』というやつだった。まあ、今でもお互いのプライベート区域には自由に出入りしているし、そこまで違いはないが。
「やあ、お二人さん。相変わらず仲よさそうだね」
詩織と二人で海を眺めていると、後ろから声がかけられた。聞き覚えのある中性的な声。つい先ほど、通話越しに聞いた声。
「待っていたよ、便利屋さん」
振り返ると、海にそぐわない黒いローブを身にまとったKが穏やかに笑っていた。あどけない少女のような顔立ちだが、正真正銘男だ。
「よおK。相変わらず魔法使いみたいな格好してるな」
「ボクが売っているウイルスはまるで魔法みたいと評判だからね。キャラ作りだよ」
「相変わらず面倒なことを……」
「でもまあ、楽しいから。――で、今日は何をお買い求めかな?」
「通話でも話したが、防壁破りをいくつかほしい」
「わかった。今ボクの電脳にある防壁破りは……こんなものかな」
Kは目の前に大きなホログラムウィンドウを展開させる。そこには数々の防壁破りが記載されていた。
今Kがしたように、空中にホログラムウィンドウを表示させるのは仮想ならではの技術だ。現実でのホログラムウィンドウは、自分の網膜に投影されるものなので、他人には見えない。例えば、現実で俺が見ているホログラムウィンドウを詩織が見ることはできないが、仮想なら俺と詩織が同じホログラムウィンドウを眺めることが可能だ。仮想でのホログラムとは、投影されたものではなく、まさしくそこに在るのだから。
「わたし七番と十五番」
「俺は四と六と九の三つを」
特に迷うこともなく購入するウイルスを即決。基本的に防壁破りはKからしか買わないので、どんな物がどんな効果を持っているのかは把握済みだ。
「毎度どうも。支払いはいつも通り有線でお願いね」
「わかってるっての。相変わらず面倒なやつだ」
俺は電脳からDケーブルを呼び出し、手中に出現させる。そのケーブルで、俺とKを有線接続。仮想なのでわざわざケーブルで接続しなくても、手を握り合うだけでもいいのだが……このKという男は、わざわざ仮想でもケーブルを使いたがる。
「うん、確かに」
ゴールドを送り、指定したウイルスが俺に送られてくる。当然パッケージ化されているので、俺の電脳を喰い荒らすことはない。
続いて詩織もウイルスを購入し、買い物は終了した。
「いつもありがと、K。これがないとお仕事に時間かかって仕方ないんだよねー」
「こちらこそ。陸も詩織も、ちゃんとお金払ってくれるし、いいお客さんだよ」
Kはゴールドで潤った頭を、嬉しそうに揺らす。
「……お前って、大人しい見た目の割に金の亡者だよな」
「何を今更。ボクが守銭奴なのは昔からだよ」
そういやそうだったな。出会った当初から、こいつはお金大好き人間だ。
「何でそうまでして金を集める? 人のこと言えた義理じゃないが、違法ツールやウイルスを売りさばくなんてかなり危険だろ。巡り巡って恨みを買うことだってある。何か買いたい物か、したいことでもあるのか?」
「陸がプライベートな質問をしてくるなんて珍しい。ボクに興味が出てきたの?」
「気持ち悪い言い方するなよ。男に興味持つほど生存本能捨ててない。……ただ、お前とはそこそこ長い付き合いだが、素性がまったく明かされていないのが気になっただけだ」
「わたしも少し気になるかも。Kってミステリアスっていうか、何考えているのかわからないんだよね」
Kが表情で『詩織には言われたくないかな』と物語っていた。
「うーん……ボクがお金を集める理由なんてたいしたことじゃないよ。別に秘密にしているわけでもないし、二人には教えてもいいかな……」
Kは童女のようにあどけなく笑い、一つ頷いて話し始めた。
「双道市って、世界的に見ても荒廃の度合いが強いじゃない? だから、どうにかしたかったんだよ」
「というと?」
「この海みたいな……失われた世界本来の景色を取り戻す……それがボクの目的だよ。例え、ポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎ去ったと言われても、ボクは取り戻したいんだ」
ポイント・オブ・ノー・リターン――その時点を超えると、どのような努力を行ったとしても元の状態に戻ることができないとされる時点のことだ。
「お前は……こんな状態で、まだ足掻くのか?」
「一応はね」
世界は今まさに死に絶えようとしている。人類は培った科学技術で、残された甘い蜜を吸っているに過ぎない。
地球はすでに取り返しの付かない時点を過ぎ去っている。もう手遅れだろう。もしかしたら、俺の寿命より先に地球の寿命が尽きるかもしれない。
「ボクの親は人類という存在を心から愛していたからさ……そこまで仲はよくなかったけど、その意思くらいは継ぎたいんだ」
Kは靴を脱ぎ、電子で構成された渚を、ゆっくりと歩き出す。海に向かって、ゆっくりと。まるで母なる海に惹かれる子供のように。
「知っているかい、陸?」
波がKの足下を飲み込み、足跡ごと全てを洗い流す。
「世界はこんなにも美しいんだよ」