仮想本屋
「んじゃ、仮想でね」
詩織は自分のコンソールに寝っ転がり、さっさと仮想へとダイブした。よっぽど舌に残ったソイレントの味を消し去りたいらしい。
「じゃ、俺も行くか」
慣れた動作でDケーブルを繋ぎ、詩織を追うように電子の海へと意識を落とした。
昨日と同じように、自分のプライベート区域へとダイブ。区域へアクセスし、異常がないことを確認する。ダイブのたびに区域を確認するのは、いつ犯罪者が攻めてきてもおかしくはないからだ。
「防壁に異常なし、侵入者の形跡なし、不正監視の気配なし……問題なし、と」
異常がないことを確かめ、詩織が待っているであろう交差点へと移動する。
「お、きたきた。さ、行くよ陸」
交差点の自然公園には、嬉しそうな詩織の姿。遊園地に来た子供のようだ。仮想での食事は久しぶりだから、はしゃいでいるのだろう。
「今日はどうする? 食事の前に、なんか買う物でもあるか?」
「適当に小説とかほしいなぁ。もう手持ちの本は全部読んじゃった。それと防壁破りも補充しときたい」
「んじゃ、その二つ買って、余った金でメシにしよう」
「おっけー」
とりあえずの方針を固め、俺たちはとなり合って歩き出す。今日も仮想は数多くの人間で賑わっている。今この瞬間も、人類の半数近くは仮想で時を過ごしているのだろう。
「相変わらず平和だな」
自然公園では、穏やかに時間が流れている。この一帯は比較的治安がいいこともあって、子供や家族連れの姿が目立つ。談笑する老人、和気藹々と何かを語り合う夫婦、活発に走り回る子供たち。
現実の惨状からは目を背け、人々は仮想で有意義な時間を使う。相変わらずの光景だ。
「さて、まずは本か……というか、お前はあんまり利口キャラじゃないんだから、本とか似合わないぞ」
「いいじゃん別に。八十年前のSF小説とか面白いよ? すごく変な方向に未来予測してたりして」
そう言えば、詩織がよく読むのは大昔のSF小説だったな。電脳ではなく、パソコンが主流だった時代のSF小説が好きらしい。
「創作だから、リアリティよりもエンターテイメント優先だったんだろ。――八十年前の人間で、世界がこうなることを予測していた人はどれだけ居たんだろうな……」
「こうって? 世界が荒廃したこと? 現実そっくりな仮想空間なんてものができたこと?」
「……どっちもだよ」
電子で形作られた青空は、昨日と寸分も変わりない色合いで、俺たちを見下ろしていた。
少し遠出して、仮想でもかなり大きな本屋まで足を運んだ。交差点の空きスペースで小さな露店を広げている人なんかもいるが、ここは店一つが区域として作られている大きな店舗となる。
「こんなとこ初めて来た……陸はよく来るの?」
「たまにな。本は時間を潰す娯楽にうってつけだろ。そこまで高くもないしな」
俺の身長より少し背の高い本棚が、何列にもなって奥まで続いている。棚には、無数の本がびっしりと陳列されており、カラフルな壁画のようだ。
客入りは上々で、子供から老人まで様々な年代が本を眺めている。この本屋には、絵本から時代小説まで、幅広いジャンルの本が取りそろえられているからだろう。漫画や参考書なども充実している。
「ふーん……まあいいや。わたしは適当に見て回るから」
詩織は早速、ふらふらと本屋を巡りだした。海を漂うクラゲのような動きだった。
「自由なやつだ。……さて、どんな本を買うか」
天井からつり下げられたオススメ小説の広告には、最新執筆AI『チャペック』が書いた小説がでかでかと宣伝されていた。
「人工知能の書いた小説ね……」
読んだことはないが、数十年前から流行り始めたらしい。なんでも、AIは一日か二日で原稿を書き上げるらしく、それから人間の推敲やら校正やらを行い、書き始めから出版まで二週間前後なんだとか。どの出版社も質より数で勝負のようで、様々なジャンルの小説が、稚魚を放流するかの如く世に出回る。
「……機会があれば読んでみるか」
今日は別の本を買おう。詩織に倣って、昔のSF小説とか買ってみてもいいかもしれないな。
「まだ電脳も仮想空間もなかった時代に書かれた小説……意外と面白いかもな」
俺はここの本屋に電脳からアクセスし、目的の本を探してもらう。検索のキーワードは『八十年前 SF小説』で適当に。いい加減な検索でも、AIがこっちの意図を汲み取ってくれるので問題はない。
「どれどれ」
すぐさま、俺の目の前にホログラムウィンドウが浮かび上がる。そこには条件に合う本の一覧が並んでいた。本のあらすじと、短いレビューも記載されている。
俺はその中から適当に一冊を選び、その本が置いてある棚――不人気だからか、奥の目立たないスペースだった――まで移動する。
「ええと……『未来の空の色』……これか」
文庫本を取り出し、ぱらぱらとめくる。ずいぶんと古い本だが、さすがに読めないということはなさそうだ。内容を完全に理解できるかは少し怪しいかもしれないが。
「とりあえず、これ買ってみるか」
俺は再びこの区域へアクセスし、この本を購入するための手続きを行う。手続きといっても、買いたい本が正しいかを確かめて、ゴールドを支払うだけだ。昔のように、商品を手に持って、レジまで運ぶ必要はない。
『詩織、俺は買い物終了。そっちは?』
持っていた本を棚に戻す。買った本の情報はすでに俺の電脳にインストールされているので、わざわざ本屋に置いてある本を持って帰る必要もない。ここに陳列されているのはあくまでも見本だ。
ここは電子で構成された異世界。並んでいる本は紙からできているように見えるが、その実、全てが電子書籍だ。紙でできた本なんて、ずいぶんと昔に死んだ媒体とされている。
『前からほしいと思っていた本を数冊買ったよ。陸は?』
『人間がまだパソコンやらケータイやらで通信を行っていた時代のSF小説を買った。古典と言ってもいいな』
『ふーん。わたしはよく読むからいいけど……陸、内容理解できる? 当時の時代背景とか知らないと、ちんぷんかんぷんかもよ』
『知ってるか詩織、俺は歴史の授業でB以下の評価を取ったことがない』
『それ、わたしと一緒に学園のデータベースにハックして、テスト内容を事前に知ってたからでしょ』
『……そういやそうだったな』
今にして思えば、学生の頃から俺と詩織はいつも一緒だった。いいことをするときも、悪いことをするときも、双子のように同じ方向を見て、同じことをしてきた。そのためか、考え方や嗜好なんかも割と似ている。
『ま、多少のジェネレーションギャップは感じるかもしれないが、問題ないだろ』
『陸は細かいこと気にしないもんねー』
『お前と同じでな』
たぶんこいつとだけは、死ぬまで腐れ縁が続くのだろう。
そのことが、うっとうしくもあり、嬉しくもあった。