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ゼロとイチのソラ  作者: 黒河純
第一章 仮想と現実
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仮想の空

『よし、開いた』


 なかなかに厳重なセキュリティーではあったが、俺と詩織の二人がかりならば、大抵の防壁(アイス)は問題なく破れる。グレンの防壁(アイス)も例に漏れず、だ。


『ふぅ、結構時間かかったね。んじゃ、あとはよろしくー』

 もう自分の仕事は済んだとばかりに、詩織との通話は一方的に切れる。文句の一つも言いたいところだが、どうせ馬耳東風だ。

「ったく……ま、いいか」

 俺は扉を開き、再度人に見られていないことを確認してから、ふらふらと入り込んだ。



 一言で言うと、ごちゃごちゃした区域(エリア)だった。

「汚い部屋だな……お邪魔するぞー」

 悪びれもせず、どんどんと部屋を物色する。


「あ? 誰だよてめぇ? オレの区域(エリア)に勝手に入ってるんじゃねぇよ、おい」


 素敵な汚部屋(おやへ)に、男が一人。年の頃は二十代後半といったところか。ボロボロのジーンズに白のタンクトップ。露出した腕には、炎のような形をした真っ黒な刺青(タトゥー)。こいつが犯人のグレン・リルバーンだろう。


「なかなか立派なセキュリティーだったぞ。最新の防壁(アイス)を何種類も使っているし、穴も少ない。素人が適当に防壁(アイス)を重ねたって感じではなかった。昔ネットセキュリティーの会社とかに勤めていたのか?」

「話を聞けってんだよ兄ちゃん、死にてぇのか」


 グレンは転がっていた金属バットを拾い上げ、ゆらゆらと俺に近づいてくる。


「そうそう、こんな世間話をするために来たわけじゃないんだよ俺は。あいにくそこまで暇じゃない。――話は変わるんだが、最近男から指輪を奪わなかったか? 場所はとある会社の休憩所として使われている区域(エリア)だ。この近くにある」

「ああ? それがどうしたってんだよ?」

 否定しないってことは、やはりこいつだろう。


「被害者の依頼でここまで来た。指輪を返せ。そうすれば手荒なマネはしない」

 一応最初は言葉で説得するが……まあ無駄だろうな。

「うるせぇボケが。殺されたいのか?」

 ほら無駄だった。


「その指輪は被害者の結婚指輪だそうだ。そんな物、お前が持っていてもしょうがないだろ? たいした金額にもならないだろうし、素直に返還してくれると助かる。その方がお互いにとっていい結果になる。きっとだ。あんたは傷つかないし、俺も無駄に疲れない……どうだ?」

 平和主義者で温厚な俺は、なおもおっかない不良を更生させようと喰い下がる。きっと将来は教師になれるな。


「お前よ……少しは状況見てもの言えってんだ!」


 グレンは素早くバットを振り上げ、俺目がけて振り下ろす。スイカ割りのスイカになった気分だった。


「おっと」

 小さくバックステップし、バットの攻撃を紙一重でかわす。仮想なので死ぬことはまずないが、案外痛みというのは現実(リアル)でも残る。幻肢痛(ファントムペイン)のようなものだ。あまりにも電子体をボロボロにされると、最悪強制的にアウェイクさせられる。


「ちょこまかと!」


 それからも縦横無尽に繰り出される暴力の嵐を、俺は全てぎりぎりでかわし続ける。現実(リアル)なら三度は死んでいるだろうが、ここは仮想――つまりは俺の(どく)(せん)(じょう)だ。


 あまり知られてはいないが、少しイカサマをすれば電子体のスペックを引き上げることは可能である。俺と詩織は、現実(リアル)に比べ倍速で動くこともできる。脳に負荷がかかるので長時間はできないが、五感や反射神経の強化なんてこともできる。


「それじゃあそろそろ……正当防衛ってことで」


 俺は一度距離を大きく取り、電脳の中にある仮想兵器を呼び出す。仮想兵器とは、文字通り仮想でのみ使用できる武器だ。銃器や刃物、爆発物など種類は様々だ。昔はそれほど高価ではなかったのだが、人々の生活が仮想中心になり始め、価格が(こう)(とう)した。今では、データで作られた仮想のナイフと、鉄で作られた現実(リアル)のナイフでは、前者の方が高価だ。

 グレンの持っている金属バットも、仮想兵器の一種となる。スポーツ専用のバットでは、人を殴ろうとしても透過してしまうからだ。


「これでいいか」

 仮想兵器のリストの中から、俺は適当にメリケンサックを呼び出す。

 すぐさま虚空に出現する銀色のメリケンサック。俺はそれをつかみ、指にはめる。


「ちっ、物騒な物持ち歩いてやがる。オレの構築した防壁(アイス)も破りやがったし……警察……にしてはガラが悪すぎるか。なにもんだ?」

「双道市で便利屋をやっているナイスガイだ」

「便利屋……厄介ごとを片付けて金をもらう連中か」

「ああ。犯罪者(おまえら)の天敵ってわけ。んじゃ――行くぞ!」


 俺は姿勢を低くしてグレンへと肉薄する。俺の頭部を狙い、バットが横にスイングされる。直撃すれば、強制アウェイクのあと、二日はまともに動けないだろう。


「っ!」

 

 短く、強く、息を吸い込み、足に力を込める。頭をかち割られるより一足早く、俺は空中へと踊り出す。およそ二メートルは跳躍したため、バットはそのまま虚空を殴る。


「なっ!」


 バッタのようにジャンプした俺を、どうやらグレンは見失ったようだ。まあ、ほとんど予備動作もなかったから、目で追えないのも無理はない。


「よっ」

 曲芸師のように空中で縦に回転し、相手の頭頂部にかかと落としを喰らわせる。


「がぁあっ」


 攻撃を受け、奇声と共によろめくグレン。俺はその背後に着地し、地面を蹴って間合いを詰める。


「眠ってろ」


 メリケンサックを装備した拳を、グレンの脊髄に叩き込む。

「――」

 言葉もなく、スローモーションのようにグレン・リルバーンは気を失い、僅か数秒で勝負は幕を閉じた。




「存外あっけなかったな」

 気絶したグレンを床に転がし、俺は彼のプライベート区域(エリア)を勝手に(あさ)っていた。電子体のダメージがそこまでではなかったため、アウェイクまではしていない。


「盗品の山だな。――お、年代物のリボルバーか。ロマンがあるな。もらっておこう」

 適当に使えそうな物だけを拝借し、本来の目的である指輪を捜索する。小さいから見つけるのに時間がかかりそうだ。


「ちゃんと整理しておけってんだよ……ええと……お、これだな」

 盗賊のように家捜ししていると、机の引き出しに盗まれた指輪を無事発見。まだ売られてはいなかったようだ。もしどこかの質屋に持っていかれていたら、拷問という手間が増えていただろう。


 時計や宝石など、他にも高価そうな物はあったが、さすがにそれらを奪うのはやめておいた。高価な仮想アイテムは持ち主が登録されていることもあるので、それらを俺が持っていたら最悪警察のお世話になる。


「任務完了……さ、帰るか」

 指輪を電子データ化し、俺の電脳へ移す。


 もう用事はないので、さっさとグレンのプライベート区域(エリア)を抜け出す。面倒なので、グレンは放っておくことにした。ログはささっと消したので、俺の正体がバレることもないだろう。仮想か現実(リアル)でばったり会わないことを願おう。


「一応、詩織に成功の報告はしておくか……」

 電子体が再び交差点(スクランブル)に舞い戻ったと同時に、現実(リアル)に居る詩織へと通話をかける。


『詩織、任務完了。これから戻る。依頼者はまだアジトに居るのか?』

『うん。どうせすぐ帰って来ると思っていたから、アジトでおしゃべりに付き合ってもらっていたよ』

『わかった。あと三分で現実(リアル)に戻ると伝えろ』

『うーい。明日は豪勢にいこう』

『賛成だ。たまにはうまいもの喰わなきゃ、舌が退化しそうだしな』

『どっちにしろ、舌が肥えるのは仮想だけなんだけどねー』

現実(リアル)で満漢全席なんて頼んだら、五年は借金生活が続くからな』

『世知辛い世の中だね』

『だな』


 雑談は適当に切り上げ、自動販売機を探す。少し動いたからか、気分的な喉の渇きを覚え、何か飲もうと考えたからだ。


「飲み物くらいなら詩織も怒らないだろ」


 少し歩き、巨大な公園に設置された自動販売機で炭酸飲料を購入。舌と喉で炭酸を楽しみながら、俺は仮想での景色を眺める。

「こっちは平和だ」

 一陣の風が絨毯のような芝生を小さく揺らす。遠くから届く笑い声が、穏やかな気持にさせてくれる。現実(リアル)ではもう見られないであろう柔らかな世界に、鈍い(せき)(りょう)(かん)を覚える。感傷に浸るなんて柄ではないんだがな……。



「……ん?」



 景色を眺めていると、視界の端に何かを捉える。

 (ひと)()のない公園。偽物の新緑の下。そこに、ぼんやりと空を眺める少女が佇んでいた。十六歳ほどの小柄な少女だ。腰まで伸ばした雪のような銀髪。中世のお姫様みたいな、真っ黒いヒラヒラのドレスを身にまとっている。


「……っ」


 その少女を視界に収めた瞬間、俺は金縛りにあったかのように身体が動かなくなった。

 まるで、どこか別の世界に迷い込んだ気分だった。現実(リアル)でも仮想でもない、神聖な世界に片足を突っ込んでしまったような……そんな感覚が全身を包む。


「珍しい格好だな。なんかの催しか?」

 物憂げな表情で、仮想の空を眺める少女。その眼はまるで、偽物の空を通して、別の何かを透視しているかに思えた。


「……」

 気がつくと、俺は無意識に一歩踏み出していた。誘蛾灯に集まる虫のように、彼女に惹きつけられた……らしい。


「……帰ろう」


 思春期のガキでもあるまいし、俺も何を考えているんだか。

 気にはなったが、声をかけるほど軟派な性格もしていない。それに、現実(リアル)では依頼者が俺の帰りを待っている。

 少しだけ後ろ髪を引かれながらも、俺はその場でアウェイクした。



 空に向かって手を伸ばしている少女の姿が、仮想で見た最後の光景だった。

一章はここまでです。

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