指輪奪還
俺がここ――双道市で便利屋を始めてから数年が経った。
犯罪の温床であるこの街で、様々な依頼をこなし、報酬をもらい、悠々自適に生活している。きっとこれからもそうだろう。
星崎詩織という破天荒な相棒にも恵まれ、騒々しいながらも有意義な人生を楽しんでいる。
毎日毎日、違う仕事の繰り返し。初めての連続だ。昨日と同じ今日なんて、双道市に来てから一度もない。
大多数の人間は変化を嫌う。未知の経験はしたくない。やり慣れたことをしていたい。いつものメンバーで遊んでいたい。その方が気楽だから――わからなくもないが、俺には合わない。
便利屋での日々は多事多端を極めるが、停滞は死と同義だ。人生は山あり谷ありの方が、生きている実感が持てる。
だからこそ俺は、なんだかんだ言いながらも、便利屋をやめられないでいるのだろう。
「依頼こないねー」
猫のようにソファーでごろごろしながら、詩織はそんな不満をもらす。楽はしたいが何もしないのは退屈、というのが詩織の価値観だ。
「やかましいぞ詩織。暇なら仕事しろ」
「いや、だからその仕事がこないんだって。無茶言わないでよ」
「だったら、他に有意義なことでもしてろ。ごろごろして不平不満を言うだけで金がもらえるほど、人生は甘くないんだぞ」
「はいはーい。じゃあ、ネットで使えそうな情報集めておくよ」
「そうしておけ。何か面白い情報があれば俺にも回してくれ」
「うーい……まったく、陸はホント口うるさいんだから……オカンかっての」
ぶつくさ文句を言いながら、詩織は虚空に向かって視線を左右に動かし始める。電脳者が、ホログラムウィンドウを投影しているとき特有の仕草だ。
「……喉渇いたな」
アジトの一階にある冷蔵庫から、買いだめしてあるミネラルウォーターを取り出し喉を潤す。ミネラルウォーターを常備しているのは、水道水が飲めるレベルにないためだ。この地域は環境汚染も激しく、建物自体も古い物が多い。綺麗な水は大金を払ってまで入手する必要がある。
「もっと綺麗な土地に、立派な家を建ててみたいもんだ」
築五十年になるこのオンボロアジトにも、そろそろ限界を感じてきた。至る所が薄汚れ、部屋の隅にはカビやら蜘蛛の巣が遠慮なくはびこっている。フランチャイズでもしてるのかこいつら。
「そのうち掃除するか」
しばらくはここで貧乏暮らしの予定だし、暇を見つけて綺麗にしよう。なんだかんだ、ここの生活も悪くはない。住めば都だ。
「んー……まあこんなもんかな」
数分後、情報収集を終えた詩織が、ポケットからDケーブルを取り出す。その片方を自分のうなじ――人間型接続子に差し込む。
「色々集めてまとめておいたよ。容量大きくなっちゃったから、有線で陸の電脳に送るよ」
「お疲れさん」
Dケーブルの反対側を受け取り、俺も自分の人間型接続子にケーブルを差し込む。すぐに詩織から様々なデータが送られて来た。
電脳者同士では、こういったデータのやりとりが頻繁に行われる。データ容量が少なかったり、送る相手が遠方に居る場合などは、無線通信を行う場合が多い。逆に、容量が大きかったり、誰かに横取りされると困る重要なデータ(企業の極秘情報や大金など)を送る場合は、有線通信が主だ。
全てのデータをコピーし終え、俺はDケーブルを引き抜く。
「あとで目を通しておいて。オススメは、八番目の記事。機械部品の製造で天下を取ったホサカが、なんと自己破産だって。世も末だね」
まるで他人事のように、詩織はへらへらと笑っていた。
◆ ◆ ◆
人間型接続子――人間用の入出力インターフェース。有線で情報のやりとりを行う場合などに使われる。電脳化した人間はうなじにジャックが埋め込まれているため、電脳処置を受けているかどうかを判断するにはうなじを確認するのが早い。機械的な見た目になることを嫌い、人工筋肉で人間型接続子を隠す人も少なくない。
Dケーブル――電脳と電脳・電脳と機械などを有線接続するために必要なケーブル。有線で接続した方が無線に比べ安全性が高くなるため、重要なデータを取り出すときや機密性の高い通話をしたいときなどは、Dケーブルを使用するのが一般的である。
◆ ◆ ◆
「あの……すみません」
真昼の日差しが弱まってきた頃、アジトに一人の男性客がやって来た。三十代ほどの、温厚そうな人だった。短く切りそろえた髪をゆらしながら、こちらを窺うように頭を下げる。この街にしては珍しく、スタンダードな黒いスーツ姿だ。一応双道市にもまっとうなサラリーマンは存在するが、ギャングに比べれば少数だ。
「お、仕事きたじゃん陸。これで飢えなくて済みそうだね」
「だな。――依頼だよな?」
「はい。月霧陸さんの便利屋はここですよね?」
「いかにも。で、用件は?」
茶を出すことも世間話もせず、さっさと本題へ入る。双道市で礼儀やら作法やらにうるさい人間などほとんど居ない。ずっとこの街で育ったため、俺に礼節を重んじろというのは無理な話だ。
「実は……結婚指輪を探してほしいんです」
「結婚指輪……これはまた大層な物をなくしたなあんた」
「なくしたというよりは……仮想で男に襲われてしまい……」
「奪われたわけか。まあ、いかにも真面目そうなあんたが、結婚指輪なんてなくさないか。双道市の治安を考えれば、奪われる方がしっくりくる」
犯罪が絶えず発生する嫌な街だが、便利屋としては、仕事がどんどん舞い込むので助かるところではある。現に、俺以外の便利屋や個人探偵も、他の街より多い。
「おっしゃる通りです。急に襲われたもので、指輪を電子データ化して電脳にしまう前に、奪われてしまったんです。これを見てください」
彼は左手の薬指を俺と詩織に見せる。そこには、白銀の結婚指輪。
「これが現実での結婚指輪です。妻も僕も、よく仮想に行くので、少し特殊な指輪を買ったんです」
「現実と仮想がリンクするようなやつだろ。稀にそういった装飾品があるのは知ってる。要するに、仮想で奪われたあんたの指輪も、この指輪とまったく同じ形をしているんだな?」
「お話が早くて助かります。お願いできますか? 警察に行っても相手にされず困っていたんです」
「警察まで行ったのか。ご苦労なことで」
何年も前から、双道市の警察は完全に形骸化している。仮想で指輪一つを探すために、重い腰を上げるとは思えない。『見つかったらご連絡します』とか言われて追い返されたのだろう。警察の上層部と地元ヤクザが繋がっていることなど、初潮も来てないガキでも知ってる。
「引き受けた――と言いたいが、その前にあんたのプロフィールを送ってくれ。無線でいい」
「僕のプロフィールですか?」
「ああ。疑っているわけじゃないが、一応な。堅気の人間か確かめるために」
基本的に、俺と詩織はヤクザやら犯罪組織やらの依頼は受けない。任務を終えたあとで消されるパターンが少なくないからだ。知り合いの便利屋が暴力団の依頼を受け、達成したと同時に消されたことも何度かある。組織の内情を知ってしまったから殺されたのだろう。
現実で複数の男から銃を突きつけられれば、さすがの俺も逃げられない。現実では、いかにしてリスクを避けるかが肝要だ。
「わかりました。そういうことでしたら」
依頼者は小さく頷き、自分のプロフィールを送ってきた。
プロフィールとは、昔で言うところの名刺だ。名前や年齢といった基本情報から、電脳アドレスや家族構成、国籍などを記載した、個人情報の詰まった『データ集積体』と言える。
「どれ……」
俺は受け取った彼のプロフィールをホログラムウィンドウとして展開し、網膜の裏でざっと眺める。不審な点は特に見当たらない。一応ハックツールを起動して調べてみるが、情報が改竄された痕跡もない。見た目通りの一般人だな。
「オーケーだ。で、肝心の報酬は?」
「前金で二万ゴールド、成功すればその倍をお支払いします……いかがでしょう?」
合計六万ゴールド。俺と詩織で三万ずつ。かなりの額だ。遊ぶなら数日、慎ましくなら数週間は生きていける。
「問題ない。――話は変わるが、あんたこの街の人間じゃないだろ? 最近引っ越しでもしてきたのか?」
「え? はい……その通りです。一ヶ月ほど前から、仕事の関係でここに転勤となりまして。……なぜわかったんですか?」
「スーツ着て結婚指輪はめてて、なおかつ真っ先に頼ったのが警察だからだ。どれもこの街には似つかわしくない」
「なるほど……」
「一つアドバイスだ。双道市に来たのなら、他人を疑い、常に罠があると警戒して動け。特にあんたは、全身からいい人オーラ出してるんだからなおさらだ。すぐカモにされるぞ」
依頼主は、怯えた様子でこくこくと首を縦に振る。今回の一件で、多少は危機感が増しただろう。警察が頼りにならないので、自衛能力は必要不可欠だ。
「信じるのは自分と嫁さんと……あと俺くらいにしておけ」
「よく言うよ。意地悪で乱暴者のくせに」
「やかましい。――それより詩織、俺はすぐに仮想へ行くから、現実でサポートしろよ」
「はいはーい。気をつけてね陸」
前金をもらうため、男性客と有線で接続し電子マネーを受け取る。その後、事件の起きた場所や時間のデータが送られてきた。
「詳細は今送ったデータに書いてあります。では、お願いします月霧さん」
「あいよ。コーヒーでも飲んで待ってろ。すぐに終わらせる」
気合いを入れ直し、俺はコンソールの置かれた部屋へと移動した。
◆ ◆ ◆
コンソール――生命維持装置の完備された大型コンピュータ。基本的には横になれるベッド型が主流。カプセルのような見た目になっている。
仮想空間へ行くために必要な機械。
元々コンソールとはコンピュータの制御卓のことだが、今ではこちらの意味で使われることが多い。
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アジト一階の奥――二つのコンソールが並ぶダイブ専用の部屋に、俺は足を踏み入れる。チカチカと今にも切れそうな電球が目に痛い。
「今時フィラメント電球って……LEDですら一昔前扱いされてるってのに」
アジトの所々がアンティークなのは詩織の趣味だ。一時期、本気で黒電話を導入しようとしていたのだから恐ろしい。
「とにかく、さっさと潜るか」
嗅ぎ慣れたマシンオイルの匂いを感じながら、コンソールへ寝っ転がる。
鼻歌を奏でながら、コンソールから伸びるDケーブルを人間型接続子に差し込む。ガキの頃から変わらないダイブ前の儀式。これだけで仮想空間へ飛び込む準備は整った。
「それじゃあ、さっさと解決してくるか」
瞳を閉じ、俺は電脳からダイブプロセスを走らせる。脳裏に青白い炎のようなものが灯り、意識が真っ暗な空間へと落ちていく。入眠するときのような浮遊感が全身を包み、微睡みの世界が広がっていく。
深海へと潜るような感覚から『ダイブ』なんて言葉が使われているのだろうな――そんなことを混濁した頭で考えつつ、仮想空間へと旅立った。
◆ ◆ ◆
仮想空間――人工知能が管理するバーチャルの世界。現実世界を模倣して作られた電子の空間。犯罪防止のため、自らの外見を偽ることはできない。仮想空間へ行くためには電脳化が必須となる。
ダイブ――現実から仮想空間へ行くこと。
アウェイク――仮想空間から現実へ戻ること。
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