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ゼロとイチのソラ  作者: 黒河純
第三章 願いと憎悪
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非電脳者

 陸と別れたわたしは、現実(リアル)でとある場所を目指していた。


「あのじいさんの家ってここだっけ?」

 わたしの目の前には、双道市の郊外にぽつんと建っている、木造の一軒家。時代から取り残されたようなこの飾り気のない家には、一人の風変わりな老人が住んでいる。まだ死んでいなければの話になるが。


「ご近所さんも居ないから、生存しているかもわからないよ」

 周囲には、この家以外には何も無い。荒れた荒野がどこまでも続いているだけだ。よくこんなところで生活できると関心させられてしまう。

「ではでは……」

 わたしはとりあえず家に設置された古めかしいインターホンをプッシュした。音の高い電子音が辺りに響く。


「…………」

 それっきり、場が凍り付いたかのような沈黙がじわりと広がる。応答はなし。

「……これは死んでるかな? 腐敗臭はしないけど……」

 扉の前で合掌しようとしたところで、小さなノイズと共に家主の声がスピーカーから聞こえてきた。


『誰じゃ?』

 眠たそうな声。数年ぶりだが、相変わらずやる気のない声だった。

「あ、生きててよかった。わたしだよ、覚えてる? 星崎詩織」

『詩織? 詩織……おお、陸の腰巾着か、なんの用じゃ?』

「わたしは陸のオプションかい。相変わらず失礼なじいさんだなぁ……ちょっと頼みがあるんだよ、入れておくれ」

『ふむ……まあいいじゃろう。知らぬ相手でもないしの。話くらいは聞いてやろう』

 扉のロックが外れ、わたしは家の中へと入り込む。今ではほとんど嗅ぐことのない線香の香りが、なぜだか懐かしい気分にさせた。



 外観を裏切ることなく、じいさんの家の内装は古風だ。床も壁も歴史を感じさせる木製で、テーブルや椅子などの家具も木でできた物が多い。リビングには巨大な本棚(これも当然木製)が並んでおり、今では死んだ媒体(デッドメディア)とされている紙製の本がずらりと並んでいる。テレビや冷蔵庫などの電化製品もあるが、どれも一世紀ほど古そうな代物だ。よく動いていると関心させられる。前に来たときから何一つ変化がないのは、関心を通り越してもはやホラーだ。

「うへー。タイムスリップしたみたい。今でも変わりないみたいね、じいさん」

「ふん、余計なお世話じゃい」

 奥から姿を現したのは、黒い杖を手にし、ボロボロのローブを着込んだ老人。わたしと陸の知り合いでもある。なぜか頑なに名前を明かそうとはしないので、未だに本名は謎のままだ。しょうがないので、わたしはシンプルに『じいさん』と呼んでいる。


「今でも、電脳化してないの?」

「愚問じゃな。死ぬまでせんよ」

「だと思った」

 この八十を超える老人は『非電脳者』だ。体がナノマシンを受け入れない――というわけではなく、自分の意思で電脳化していないそうだ。宗教上の理由だとかなんだとか言っていたので、自分の意思というよりは神の意志だろうか。


「天然記念物みたいな老人だこと。まあ、元気そうでなにより」

「お前さんもな。んで、どうした? 何か必要なもんでも?」

「うん。ちょっと依頼でね。どうしても必要なものがあってさ、ここならあるかもしれないから、陸が探してこいって」

「ほう……お前さんら、今度はどんな依頼を受けたんじゃ?」

 わたしと陸が便利屋を営んでいることは知っているので、じいさんは早速話を進める。こちらとしても、呑気に雑談をしている場合でもないので助かるところだ。



「詳しく話すと長くなるんだけど……双道市の『ヴァーチャルロード』に潜入したいんだよ」



 わたしの発言を聞いて、じいさんは僅かに頬を引きつらせた。

「これまた……すさまじいところに潜り込もうとしておるな。現実(リアル)でか?」

現実(リアル)だからこそここに来たの。どう? いけそう?」

「うむ……」

 じいさんは難しい顔をして、テーブルの周りを熊のようにグルグルと回り出した。頭を回すと体も回るようだ。


「ヴァーチャルロード……仮想の管理会社か……一筋縄ではいかんぞ。今や世界規模の企業じゃ。双道市に置かれている支社も、簡単には入れん」

「そんなことはわかってるよー。ただ、今回の依頼者が特殊でね……陸が言うには、どうにかして仮想の管理AIにダイレクトコネクトしたいんだって」

「社内に入り込み、そこからダイブするつもりか……」

 サンタクロースのように伸ばされたヒゲを指でなでつけながら、じいさんは小さくうなる。困難だと言うことはわかっていたし、やはり厳しいようだ。


「無理そうなら他の手を考えるけど……」

「いや待て……方法がないわけでもない」

「ホント!? さすがじいさん、伊達に年取ってないね!」

「余計なお世話じゃ。――しばし待っておれ」

 じいさんはリビングを抜け、奥の部屋へと引っ込んだ。何かを取りに行ったらしい。


「うーむ……時間がかかりそうだし、少し部屋の中を物色してよー」

本当にこの家には色々な物がある。鹿の剥製、薪のストーブ、猟銃まで……この辺動物なんか居ないでしょうに。……インテリアかな?


「――待たせたのう」

「お、きたきた」

 博物館に来たような気分で部屋を眺めていると、のそのそとじいさんが戻ってきた。手に何か握っている。


「何それ?」

「ワシの家にある物じゃから、大体想像つくじゃろうが。過去の遺物じゃよ。うまく使えば、中に入れるかもしれん」

 じいさんが渡してきたものは、プラスチック製のカードだった。小さな傷と汚れが目立つ、ずいぶんと使い込まれているカードだ。

「なにこのカード?」

「何十年も前にヴァーチャルロードで働いていたやつがおっての。そやつの従業員証明書じゃ。本来は会社に返すはずなのじゃが、手違いで手元に残ったらしい。それをワシが買い取ったのじゃよ。いつか使える日が来るかと思ってな。そやつも、どうせもう使わない物だからと、喜んで売ってくれたわい」

「ふーん……これって今でも使われてるの?」

「まさか。まだ仮想空間が試験採用されたばかりの時代に作られたもので、今では使われておらん。コスト削減で、何でもかんでも電子化の時代になったからの」

「なるほど……これ使って頑張ってみますか」

 やはりここに来て正解だった。怪盗のようにこっそり侵入するのは、今の時代ハードルが高い。


「物というのは何事も使い方次第じゃ。お前と陸の悪知恵を働かせれば、きっとうまくいく。そういうことは昔から得意じゃろ」

「褒められてる気がしないんだけどー」

 受け取ったカードをポケットに押し込み、目的はとりあえず完了した。


「ありがとね。んじゃ、わたしは早速行ってくるよ」

「気をつけてな。捕まるでないぞ」

「もちろん。――でもよかったの? このカード、結構貴重な物だったんじゃない?」

「お前さんが来なければ、二度と使わない運命だったじゃろうし構わんよ。それに、ワシも老い先短いのでな、今のうちに少しでも善行を重ねて、極楽に行きたいんじゃ」

「善行ねぇ……自分で言うのもなんだけど、わたしたち、まっとうな企業に不法侵入しようとしてるんだよ? その手伝いをするのは善行なのかな?」

 状況だけを見れば、十人中十人が悪行だと判断するだろう。


「お前と陸が悪事を働くことはないと信じておるからの……どうせ、深いわけがあるのじゃろ?」

「そーなのよ。可憐な少女を悪の魔の手から救おうとしているの。偉いでしょ、わたし」

「それは難儀じゃの。……詩織、しくじるでないぞ」

「もちろん。ありがとね」

 じいさんの瞳をまっすぐに見据えながら、感謝の言葉を告げる。この人には何度も助けてもらっているし、そのうちしっかりした恩返しをしたい。


「じいさんの寿命があるうちに、また遊びに来るよ」

「うむ。できるだけ早く来い。この老いぼれ、いつ死んでもおかしくはないからの」

「またまたー。あと二十年は軽く生きるでしょ」

 ピンと伸びた背筋といい、しっかりとした足取りといい、冗談ではなく、このじいさんは百歳まで生きても不思議ではない。年齢が三桁になったら、モノクロのテレビでもプレゼントしてあげよう。きっと喜ぶ。


「そいじゃー、行って来るねー」

「ああ。行ってこい」

 孫を見守る好々爺みたいな笑顔で、時代に逆らう老人はわたしを見送った。



 じいさんの家を出た瞬間、狙い澄ましたかのようなタイミングで陸から通話が入る。


『詩織、そっちの首尾は?』

『とりあえずはなんとか。そっちは? ソラちゃん大丈夫?』

『ソラは無事だが、困ったことになった』

『あら珍しい。どったの?』

『少し前にAI撲滅班(アイギス)からハックを受けた。俺のプライベート区域(エリア)までは侵入されていないが、ジャマーを打ち込まれてな。他の区域(エリア)にも行けないし、アウェイクもできない』

『ジャマーの種類は?』

『わからん。見たことない種類だ。恐らく新型。解除には時間がかかる。――悪いが、俺の実体のDケーブルを抜いてくれ』

『強制アウェイクね。了解。すぐ戻るから』


 ジャミングされて現実(リアル)に戻れない場合の対処は主に二つ。ジャマーを解除するか、現実(リアル)で自分に接続されているDケーブルを引き抜くか、となる。

 仮想に意識が長時間縛られると、最悪実体が栄養失調で死に至ることもある。なので、二人のうちどちらかが現実(リアル)に残ることも少なくない。今回のように、危険な依頼を受けている間はなおのことだ。


『頼んだぞ相棒』

『任せなさいな相棒』


 通話を切り、小さく息を吸い込む。



「さ、帰ってねぼすけを叩き起こしましょうか」

第三章はここまでとなります。


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