非電脳者
陸と別れたわたしは、現実でとある場所を目指していた。
「あのじいさんの家ってここだっけ?」
わたしの目の前には、双道市の郊外にぽつんと建っている、木造の一軒家。時代から取り残されたようなこの飾り気のない家には、一人の風変わりな老人が住んでいる。まだ死んでいなければの話になるが。
「ご近所さんも居ないから、生存しているかもわからないよ」
周囲には、この家以外には何も無い。荒れた荒野がどこまでも続いているだけだ。よくこんなところで生活できると関心させられてしまう。
「ではでは……」
わたしはとりあえず家に設置された古めかしいインターホンをプッシュした。音の高い電子音が辺りに響く。
「…………」
それっきり、場が凍り付いたかのような沈黙がじわりと広がる。応答はなし。
「……これは死んでるかな? 腐敗臭はしないけど……」
扉の前で合掌しようとしたところで、小さなノイズと共に家主の声がスピーカーから聞こえてきた。
『誰じゃ?』
眠たそうな声。数年ぶりだが、相変わらずやる気のない声だった。
「あ、生きててよかった。わたしだよ、覚えてる? 星崎詩織」
『詩織? 詩織……おお、陸の腰巾着か、なんの用じゃ?』
「わたしは陸のオプションかい。相変わらず失礼なじいさんだなぁ……ちょっと頼みがあるんだよ、入れておくれ」
『ふむ……まあいいじゃろう。知らぬ相手でもないしの。話くらいは聞いてやろう』
扉のロックが外れ、わたしは家の中へと入り込む。今ではほとんど嗅ぐことのない線香の香りが、なぜだか懐かしい気分にさせた。
外観を裏切ることなく、じいさんの家の内装は古風だ。床も壁も歴史を感じさせる木製で、テーブルや椅子などの家具も木でできた物が多い。リビングには巨大な本棚(これも当然木製)が並んでおり、今では死んだ媒体とされている紙製の本がずらりと並んでいる。テレビや冷蔵庫などの電化製品もあるが、どれも一世紀ほど古そうな代物だ。よく動いていると関心させられる。前に来たときから何一つ変化がないのは、関心を通り越してもはやホラーだ。
「うへー。タイムスリップしたみたい。今でも変わりないみたいね、じいさん」
「ふん、余計なお世話じゃい」
奥から姿を現したのは、黒い杖を手にし、ボロボロのローブを着込んだ老人。わたしと陸の知り合いでもある。なぜか頑なに名前を明かそうとはしないので、未だに本名は謎のままだ。しょうがないので、わたしはシンプルに『じいさん』と呼んでいる。
「今でも、電脳化してないの?」
「愚問じゃな。死ぬまでせんよ」
「だと思った」
この八十を超える老人は『非電脳者』だ。体がナノマシンを受け入れない――というわけではなく、自分の意思で電脳化していないそうだ。宗教上の理由だとかなんだとか言っていたので、自分の意思というよりは神の意志だろうか。
「天然記念物みたいな老人だこと。まあ、元気そうでなにより」
「お前さんもな。んで、どうした? 何か必要なもんでも?」
「うん。ちょっと依頼でね。どうしても必要なものがあってさ、ここならあるかもしれないから、陸が探してこいって」
「ほう……お前さんら、今度はどんな依頼を受けたんじゃ?」
わたしと陸が便利屋を営んでいることは知っているので、じいさんは早速話を進める。こちらとしても、呑気に雑談をしている場合でもないので助かるところだ。
「詳しく話すと長くなるんだけど……双道市の『ヴァーチャルロード』に潜入したいんだよ」
わたしの発言を聞いて、じいさんは僅かに頬を引きつらせた。
「これまた……すさまじいところに潜り込もうとしておるな。現実でか?」
「現実だからこそここに来たの。どう? いけそう?」
「うむ……」
じいさんは難しい顔をして、テーブルの周りを熊のようにグルグルと回り出した。頭を回すと体も回るようだ。
「ヴァーチャルロード……仮想の管理会社か……一筋縄ではいかんぞ。今や世界規模の企業じゃ。双道市に置かれている支社も、簡単には入れん」
「そんなことはわかってるよー。ただ、今回の依頼者が特殊でね……陸が言うには、どうにかして仮想の管理AIにダイレクトコネクトしたいんだって」
「社内に入り込み、そこからダイブするつもりか……」
サンタクロースのように伸ばされたヒゲを指でなでつけながら、じいさんは小さくうなる。困難だと言うことはわかっていたし、やはり厳しいようだ。
「無理そうなら他の手を考えるけど……」
「いや待て……方法がないわけでもない」
「ホント!? さすがじいさん、伊達に年取ってないね!」
「余計なお世話じゃ。――しばし待っておれ」
じいさんはリビングを抜け、奥の部屋へと引っ込んだ。何かを取りに行ったらしい。
「うーむ……時間がかかりそうだし、少し部屋の中を物色してよー」
本当にこの家には色々な物がある。鹿の剥製、薪のストーブ、猟銃まで……この辺動物なんか居ないでしょうに。……インテリアかな?
「――待たせたのう」
「お、きたきた」
博物館に来たような気分で部屋を眺めていると、のそのそとじいさんが戻ってきた。手に何か握っている。
「何それ?」
「ワシの家にある物じゃから、大体想像つくじゃろうが。過去の遺物じゃよ。うまく使えば、中に入れるかもしれん」
じいさんが渡してきたものは、プラスチック製のカードだった。小さな傷と汚れが目立つ、ずいぶんと使い込まれているカードだ。
「なにこのカード?」
「何十年も前にヴァーチャルロードで働いていたやつがおっての。そやつの従業員証明書じゃ。本来は会社に返すはずなのじゃが、手違いで手元に残ったらしい。それをワシが買い取ったのじゃよ。いつか使える日が来るかと思ってな。そやつも、どうせもう使わない物だからと、喜んで売ってくれたわい」
「ふーん……これって今でも使われてるの?」
「まさか。まだ仮想空間が試験採用されたばかりの時代に作られたもので、今では使われておらん。コスト削減で、何でもかんでも電子化の時代になったからの」
「なるほど……これ使って頑張ってみますか」
やはりここに来て正解だった。怪盗のようにこっそり侵入するのは、今の時代ハードルが高い。
「物というのは何事も使い方次第じゃ。お前と陸の悪知恵を働かせれば、きっとうまくいく。そういうことは昔から得意じゃろ」
「褒められてる気がしないんだけどー」
受け取ったカードをポケットに押し込み、目的はとりあえず完了した。
「ありがとね。んじゃ、わたしは早速行ってくるよ」
「気をつけてな。捕まるでないぞ」
「もちろん。――でもよかったの? このカード、結構貴重な物だったんじゃない?」
「お前さんが来なければ、二度と使わない運命だったじゃろうし構わんよ。それに、ワシも老い先短いのでな、今のうちに少しでも善行を重ねて、極楽に行きたいんじゃ」
「善行ねぇ……自分で言うのもなんだけど、わたしたち、まっとうな企業に不法侵入しようとしてるんだよ? その手伝いをするのは善行なのかな?」
状況だけを見れば、十人中十人が悪行だと判断するだろう。
「お前と陸が悪事を働くことはないと信じておるからの……どうせ、深いわけがあるのじゃろ?」
「そーなのよ。可憐な少女を悪の魔の手から救おうとしているの。偉いでしょ、わたし」
「それは難儀じゃの。……詩織、しくじるでないぞ」
「もちろん。ありがとね」
じいさんの瞳をまっすぐに見据えながら、感謝の言葉を告げる。この人には何度も助けてもらっているし、そのうちしっかりした恩返しをしたい。
「じいさんの寿命があるうちに、また遊びに来るよ」
「うむ。できるだけ早く来い。この老いぼれ、いつ死んでもおかしくはないからの」
「またまたー。あと二十年は軽く生きるでしょ」
ピンと伸びた背筋といい、しっかりとした足取りといい、冗談ではなく、このじいさんは百歳まで生きても不思議ではない。年齢が三桁になったら、モノクロのテレビでもプレゼントしてあげよう。きっと喜ぶ。
「そいじゃー、行って来るねー」
「ああ。行ってこい」
孫を見守る好々爺みたいな笑顔で、時代に逆らう老人はわたしを見送った。
じいさんの家を出た瞬間、狙い澄ましたかのようなタイミングで陸から通話が入る。
『詩織、そっちの首尾は?』
『とりあえずはなんとか。そっちは? ソラちゃん大丈夫?』
『ソラは無事だが、困ったことになった』
『あら珍しい。どったの?』
『少し前にAI撲滅班からハックを受けた。俺のプライベート区域までは侵入されていないが、ジャマーを打ち込まれてな。他の区域にも行けないし、アウェイクもできない』
『ジャマーの種類は?』
『わからん。見たことない種類だ。恐らく新型。解除には時間がかかる。――悪いが、俺の実体のDケーブルを抜いてくれ』
『強制アウェイクね。了解。すぐ戻るから』
ジャミングされて現実に戻れない場合の対処は主に二つ。ジャマーを解除するか、現実で自分に接続されているDケーブルを引き抜くか、となる。
仮想に意識が長時間縛られると、最悪実体が栄養失調で死に至ることもある。なので、二人のうちどちらかが現実に残ることも少なくない。今回のように、危険な依頼を受けている間はなおのことだ。
『頼んだぞ相棒』
『任せなさいな相棒』
通話を切り、小さく息を吸い込む。
「さ、帰ってねぼすけを叩き起こしましょうか」
第三章はここまでとなります。




