比較対象
新藤ゆず shinndou yuzu
高校二年生。兄は有名選手。
清水誠一 simizu seiichi
高校二年生。ゆずの幼馴染。
無彩病で死んだ兄がいた。
当時五歳。まだ幼かった兄の事を、私はほとんど覚えていない。
母が言う限り、私は兄が大好きで、兄は私の親代わりだったらしい。
「ゆずね、蒼也につきっきりだったのよ。その頃私達二人とも仕事が忙しかったから、お迎え行けない日もあってね。だからいつも蒼也にお願いしちゃってた」
膝に貼った大きな絆創膏に血が滲んでいくのが分かる。母は目の前で紅茶を啜っている。
自宅のリビング、テレビ台の上に置かれた写真を見る。目の前の母は私の視線が自分から外れている事に首を傾げていたが、そのまま話を続けていた。
「そんなゆずも蒼也と同い年か。なんか感慨深いわね」
写真の中の母と今の母を見比べる。当時よりもずっと増えてしまった皺に薄くなった髪色。
私の髪色は母とそっくりだから、きっと歳をとった時、今の母と同じような髪色になるのだろう。
「何で珍しくお兄ちゃんの話題なの」
兄の話題を口にされる事は好きじゃなかった。私の知らない人の話をされているようだったから。憶えてもいない兄に懐いていたと言われてもいい気はしなかった。
だってもう私の知らない人だ。死んでから十二年が経ってしまった。少しでも憶えていたら、私のこのもやもやした気持ちが晴れていたのかもしれない。
「いやーお父さんと話しててね。蒼也の話」
飾られた写真立ての左から二番目、まだ幼い私を抱いている一番上の兄の写真。格好良いと思う。冗談抜きで。きっと同じクラスにいたらモテていたのだろう。彼とはまた違うタイプの人。
「ゆずの髪色、私よりも明るいでしょ?誰に似てたって話をしたのよ。そしたら、ああ、蒼也だって思って」
「そう」
私の髪色は兄とそっくりだったらしい。確かに、写真の中の私と兄の髪色は瓜二つだ。元々、栗毛色の髪を持っている我が家だけれど、その中でも私は一番明るかった。事あるごとに染めているのではと勘違いされるほどにだ。高校でも、それは変わらなかった。
今更いちいち否定するのも面倒だし、そもそも髪色を変えても何も言われない高校だ。最近ではもう弁解する事も諦めている。大人達は何も言わないけれど、派手な子だと思われているようだし、同級生達からはチャラついていると言われた。
もう面倒な事この上ないから黒に染めようと思った事もあったけれど、両親はそのままで良いと言い、頑なに反対してきた事を憶えている。その理由が今、分かったような気がした。
「私はお兄ちゃんじゃないよ」
ちょっとした反抗。けれどこの母にそれは効かない。
「そんな事分かってるわよー、性別違うじゃない」
違う。貴方達は私を通して兄を見ている。
私の髪色を懐かしむように見る視線に、気が付いてないとでも思っているのだろうか。
黒髪にしようとして反対した時の形相を、憶えていないとでも思っているのだろうか。
家には仏壇がない。それは兄が望んだ事だったらしい。
最後に残した言葉に、働いて貯めたお金は私やもう一人の兄の為に使ってやってくれと書いてあったらしい。両親は兄を大学に入れるため共働きをしていたらしいが、その言葉に母は職を止め、家にいるようになった。
よく出来た人だと思う。人間的に、まだ幼い私や兄の事を考えたのだろう。けれどそれも、他人の話としか思えなかった。
繰り返される兄の話に嫌気が差して自分の部屋へと上がる。ベッドに沈み込んで溜息をついた。
幼い頃から変わらない。両親は私を通して兄を見ている。きっと自覚はないのだろう。だからこそ、強く文句を言う事が出来なかった。
女の子らしくなろうと思った。バイト代を溜め、可愛らしい服を着て、髪を巻いて新作のメイク用品を買って、私は新藤ゆずだと意思表示をしてきた。そうじゃないと、私が兄に飲み込まれそうだったから。
不意にスマートフォンが鳴る。真っ暗な部屋の中画面を覗き込む。見れば誠一からのメッセージのようだ。
『お前がぶつかった子、三組の千草さん。軽く足捻っただけだったから特に問題なかったみたいだけど。明日にでも、もう一回謝っとけ』
「了解…です」
言葉をそのままに画面へと打ち込む。するとすぐに返事が返ってきた。
『あと、お前の友達たちから聞いた。膝擦りむいたって何で先に言わなかった。そしたらまとめて保健室連れて行ったのに』
「申し訳ございません」
『大丈夫か?』
その言葉に、どこか安堵した自分がいた。
「大丈夫です。ゆずちゃんはいつだって元気!」
『心配して損した』
返ってきた言葉に笑って画面を消す。先程まで感じていた心苦しさは、どこかに消えてしまっていた。
きっと、彼といて安心するのは、私を通して兄を見ないからなのかもしれない。兄の事を知っている人達は、私を通して兄を思い出して泣き出しそうになってしまったりするから。もう一人の兄を知っている人達は、私と兄を比べたがる。どうしてお兄ちゃんあんなに有名なのに。お兄ちゃん紹介してよ。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。彼だけはそれを言わなかった。私をただ一人の新藤ゆずとして見てくれた。だから。
「だから…好きなの?」
疑問が部屋に溶けていった。