バレンタイン
遅ればせながら、バレンタインギフトです。
カクヨムにて、新刊「このラブレターが、君の所に届くまで」のバレンタイン書き下ろしも載っています。よろしくお願いします。
消えるものにしたかったのは、きっと終わりが見えていたからだ。
「それでは、調理を始めたいと思います」
「はい」
見慣れぬキッチンの前、チェック柄のエプロンをつけた彼女は神妙な顔向きでこちらを見た。覚悟した私は同じように頷く。両手を上げ手の甲を見せる姿はまるで手術を始める前の医者のようだった。目の前にはいくつかの材料。
そう、ここは戦場である。
バレンタインデーというものを意識したのはいつからだろうか。子供の頃からテレビで流れる映像はチョコレートと愛で溢れ返っていた。お菓子会社の政策が浸透してしまったこの国で、女性から男性にチョコレートを贈り愛の告白をする文化は根強く残ってしまった。形を変え、お世話になった人に、友人同士に贈り合う文化も出来たがその全てに縁がなかった私は初めて恋人のいるバレンタインデーを迎えるにあたり酷く焦っていた。
そう、私は料理が出来ない。
困っていた私に手を差し伸べてくれたのは里香ちゃんだった。彼女は週末、家で一緒にチョコレートを作ろうと誘ってくれたのだ。まさに神からの救いだった。既製品を渡してもよかったのだけれど、せっかくだから手作りをしたかったのだ。
これが最初で最後だと分かっているから。
そんなこんなで週末、バレンタインデー前日、里香ちゃんの家にお邪魔してキッチンに立っている。冷静な振りをしているが目の前に並んだ材料を見て脳内はパニックを起こしていた。粉類が並んでいるが、何が何か、何のために使うのかすら分からない。十七年間、料理から逃げていた結果がこれである。
「大丈夫、全部混ざれば出来るから」
「ええ、そう信じてるわ」
「緋奈がそんな弱気なんて…」
何度も自分は出来ると頷く私の隣で準備を始める彼女は先生のようだった。いつもは私が勉強を教えているが、今日だけは反対だ。私は彼女の指示なくして美味しいお菓子を作ることは出来ないだろう。
「まず、卵を割ります」
「はい」
彼女の指示に従いながら調理を進める。不器用ながら一つ一つこなしている私を眺めている彼女は感慨深そうだった。
「緋奈も完璧じゃないんだねえ」
「全然完璧じゃないわ、出来ない事ばかりよ」
「料理以外には?」
「泳げない」
「そうなの?あ、だから夏休みにプール行こうって言っても用事があるからって言ってたの!?」
「本当に用事はあったわ。でも正直行きたくなかった」
「ええー!逆に連れて行きたかった!!」
何やら物騒な発言が聞こえたが無視をし材料をかき混ぜる。ココアパウダーを入れれば生地はチョコレート色に変わっていく。
「じゃあ今年は行こうね!」
その言葉に一瞬手が止まったが、瞬時に笑みを作り返事をする。
「行かない」
「すっごいいい笑顔……」
その約束は永遠に果たされないだろう。分かっているからこそ、約束する事も出来なくて、そんな酷い事など出来なかった私はお得意の笑みを浮かべこの場をやり過ごす。沢山嘘をついた。沢山嘘をついている。きっとこの先もつく。本当はもう、これ以上つきたくない。隠し事が増えれば増えるほど後悔は募っていく。
本当は全てを口にしたいのだ。けれどそれは、君から生きる希望を奪う事と同義である。私は君のために嘘をついていると言えば聞こえはいいけれど、本当はもうずっと前から自分自身のために嘘をつき続けているのだ。
「そしたら型に移してオーブンで焼きます」
彼女の言う通りに調理を進めていればあっという間に焼き上がるのを待つだけになった。後片付けをしながら二人で他愛もない会話をする。友人同士でバレンタインのお菓子を作る日が来るなど、去年の自分には思いつきもしないだろう。人生は相も変わらず何が起きるか分からない。
「上手にできるかしら」
「大丈夫出来るよ」
「先生が良かったから?」
「それもそうだけど、どんな出来であれ蒼也は喜ぶよ」
「そうかしら」
「そうだよ、だって蒼也、緋奈の事大好きだし」
笑えるくらいと言葉を付け足す彼女に、残った想いは薄れたようだ。今は本当に、私たちの事を応援してくれている。それが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
「だから自信を持って」
「ありがとう。里香ちゃんは、矢田くんにあげるの?」
「は?何で里香があんなのにあげなくちゃいけないの?絶対無理」
顔を歪め彼の悪口を言い始めた彼女の表情はどこか生き生きしていた。自分では気づいていないのかもしれないけど、彼女はずっと前から彼の話をしている時何よりも生き生きしているのだ。いつか、二人が納得出来る結末を選べればいいと思う。その瞬間を見たいけれど、決して叶わぬ願いだ。この先、二人がどんな道に進んでも幸せになる瞬間を見届けたかった。でも私たちにはそんな時間すら残されていない。もうすぐ訪れるさよならのために、色んな整理をしなければならないのにも関わらず、未来を信じたくなってしまうのは今がとても幸せだからだ。
焼き上がったお菓子の出来映えに二人でハイタッチをした日はもう二度と来ないだろう。
「緋奈帰ろう」
「ええ」
一足先に立ち上がった君が教室前で振り返りこちらを見る。私を待っていてくれる姿を見るたび、何度だって好きだと思い知らされ頬が緩む私は随分と馬鹿になったようだ。朝一番に渡すはずだったお菓子は未だ私の手の中にあった。校内はバレンタイン一色で浮かれているというのに、私は何故か渡すタイミングが掴めず放課後になってしまった。君も君で、私に対し催促をしてくる事はなかった。クラスの子たちに義理チョコを貰う姿を見たが、その全ては矢田くんに渡してしまっていた。嬉しいようで何とも言えない気分であったのは間違いない。
校舎を出て下り坂を歩く。冬の凍えるような寒さは少しずつ消えていく。視界をモノクロームが支配していく。もう、春の美しさを眺める事は叶わないだろう。街を眺めていた私に、突如衝撃が襲った。驚いて前を見れば君が立ち止まっている。どうやら突然止まった君の背に鼻をぶつけたようだった。
「蒼也くん?」
「あー、あのさ」
言うかどうか迷ったんだけど、と言い振り返って私の顔を覗く君に心臓が高鳴る。
「それ、バレンタイン、ですよね?」
私の手元に握られた紙袋を指さした君は控えめに問いかける。私は頷きゆっくりとそれを手渡した。
「タイミングを、逃しちゃって」
「待ってたんですよ」
「申し訳ないです」
「いいえ、よかったです」
何故か敬語になってしまった私たちはお互いを見た。君の頬が少しだけ赤くなっている。それを見ただけで自分の顔に熱が集まるのが分かった。
「知ってると思うけど、他のチョコ貰ってないんだ」
「貰ってたわ、一応」
「そうだね、貰ってはいた」
「でも矢田くんに全部あげてた」
「駄目だった?」
「ううん、でもせっかくくれたのだから自分で持っててもよかったと思う」
「嫌じゃないの?」
「嫌じゃないって言ったら嘘になるけど、人に渡すのもどうかなあと思ってた」
「反省します」
「でも、嬉しかったからいい」
ありがとう、と口にすればこちらこそありがとうと返事がくる。ああ、そういう所が好きだ。私の気持ちを考えて行動してくれる所。何十回だって愛されていると自覚するのだ。
「上手に、出来たと思う」
「うん里香から聞いてる」
「そうなの?」
「二人で作ったんだって自慢された」
「里香ちゃん先生みたいだったわ」
「普段は緋奈の方が先生なのにね」
微笑んだ君はやっぱり格好良くて、私の顔にも笑みが零れる。歩き出した君は私の右手を取った。
「嬉しかった大事に食べる」
「ええ、感想教えてね」
「うん、ありがとう緋奈」
好きだよと、さらりと呟かれた愛の言葉に私の頬が緩んだ。
ああ、もう時間がないというのに、それでも日に日に君を好きになっていく。どうしようもなく嬉しくて幸せで、一緒にいれば明日がずっと続いてしまうと思うくらい。
小さく息を吸った。
「私も」
最初で最後のバレンタインだった。




