僕と君の366日と嘘が消えた後で
僕と君の366日と嘘に関して見れなくなって悲しい。という声があったので簡易的にですが出しました。365シリーズ、最後の時間軸のお話です。ありがとう。そしてさよなら。
君が死ぬ夢をよく見ます。君が悲しむ夢をよく見ます。
君がいなくなる夢をよく見ます。君が泣く夢をよく見ます。
鮮やかに過ごした季節が記憶から消えていく現実を目の当たりにしています。
空に咲いた花が、盗み見た横顔が、もう色づいていないのだと言えない現実を目の当たりにしています。
君は未来を諦めています。君は明日を恐れています。
それに何も言う事が出来ません。ただ隣にいる事しか出来ません。
怖いのは当たり前です。辛いのも当たり前です。ただもう感覚が麻痺してしまったのかもしれません。
私は君以上に明日を信じていません。未来を信じてはいません。
でも君には言いません。一生嘘をつき続けます。
君は知らないままでいい。私は知らない振りをしたままでいい。
これは私のただのエゴ。そして君への想いでついてしまった、馬鹿みたいな366日間の嘘の話です。
最初に出会った日を今でも鮮明に思い出す事が出来るのは、それほど君の存在が私の人生に大きく変化を与えてくれた人物だからなのだろう。快活な男の子は自分と正反対で誰からも好かれるような人だった。周りの友人たちは皆、君の一声で動きを変えていた。それは嫌なものではなく、君が人をまとめる力を持つ証拠であったのかもしれない。
そんな一度しか会った事のない男の子に恋をした。自分でも馬鹿だと思う。寝ても覚めても、その子の顔が思い浮かんだ。これは、何か変だ。高鳴る胸も、熱くなる頬も、ベッドで天井を見つめ眠れなくなるくらいに興奮した。初めての感情だった。世界が男の子の髪色のように柔らかな色彩を放ち輝きを増した。図書館に入り浸って心理学の本を探しまくった。そして、これが恋だと知った。
初めて知った恋という感情は私をより難儀なものにさせた。もう一度会いたいと願うも、中々あの公園には行けず、友達も少ない私は人づてに聞くことも出来ずにいた。やがてその髪色が記憶から薄れていった時、君の名前をクラスメイトから聞いた。君は近くの中学でサッカー部に入っていたらしい。ここら辺では有名な選手のようだったが、怪我で部活を辞めたので、うちの中学校が今年は勝てたと、その人は意気揚々と話していた。
所詮、こんなものなのかと思ってしまった。どれだけ願った夢も現実は叶える事が出来ない。子供の頃の夢は所詮夢のままだ。人生は挫折と苦悩で出来ていて、何でも出来そうに見えたあの男の子も例外ではなかったらしい。
このままあの子は、意味も目的もないまま大人になるのだろう。今の私と同じように。あれだけ輝いていた瞳が写すのは空虚になるのだろう。それは何だか嫌だった。そうやって大人になっていくものだとも分かっていた。夢は叶わない事の方がほとんどだ。現に私はあの子に再会する事が出来ないし、記憶からも消えてしまっているのだろう。
そして高校一年生の時、その姿を見た。
始めは見間違いかと思った。しかし、陽の光に透けて輝く髪を私は知っていた。驚いて窓から顔を出す。君は校門の前で先生に止められていた。どうやら髪を染めているのだと勘違いされているらしい。近くにいる男子が君の首を掴んで毛根を見せていた。その手荒さにハラハラしたが君はため息をしながらその手をどかしていた。そして、君がこちらを見た。
一瞬、目が合った。私は驚いてしゃがみ込んでしまう。目が合った。目が合った。目が合った。何度も脳裏で今起きた出来事を反復する。顔に熱が集まり鼓動が高鳴っていくのが分かる。これは子供の頃に体験した、恋と同じ現象だった。ゆっくりと窓から顔を出し下を見るが、君は特に気にした様子もなく校舎に入っていった。
まさか、同じ高校だったなんて!表情に出さず席に着いたが脳内は有頂天である。今すぐ君の元に走って行きたいくらいだった。しかし、不安だった。あの日の出会いを君は憶えているのだろうか?きっと憶えてはないだろう。ずっと昔だ。しかも、一度しか会っていない。三十分も話したか分からないくらいの時間だった。
憶えていないと言われてしまうのが怖かった私は君に会いに行く事を止めた。好きだ。今も昔もこれからも。けれど、この感情は心の中で留めておけばいい。近づく勇気もない。遠目から見るだけで満足だった。久し振りに見た君はもう大人の男性で、あの頃よりもずっと精悍な顔つきになっていた。輝きを失った瞳は現実を受け入れていた。それでも君であることには変わりなかった。
そんな時だった。父のパソコンから無彩病患者のリストを見たのは。
始めは何を言っているのかが分からなかった。自分の名前がある。何よりもその上に君の名前がある。その時の私は間違いなく人生の中で一番絶望した表情を浮かべていたのだろう。死ぬ事は怖くなかったはずだった。いつ訪れてもいいとまで思っていた。しかし、いざ目の前にやってきた時、私は無様にも死にたくないと思ってしまった。
夢は叶わない事がほとんどだ。君と再び話す事も、その髪色を再び目に映す事も出来ない。私は何を思ってこれから一年過ごせばいいのだろう。死の影に怯えながら泣きじゃくって死んでいけと言うのだろうか。
そう思っていた時、君の笑顔が思い浮かんだ。この一年弱、君を目で追っていた。しかし、君が笑っている所には一度も出会う事が出来なかった。君は笑わない。君の友人もそう話していた。君は笑わない。あの日見た輝くような笑顔はもう見る事が出来ないと考えた時、私は今までの人生がどれだけ怠惰であったかを思い知らされた。
夢は叶わない。そんなものただの言い訳だ。少なくとも、私の夢は一つくらい叶うだろう。私が動かなかっただけだ。恐れていただけだ。話そうと思えば話せる、笑わせようと思えば笑わせられる。忘れてしまったなら、いつか思い出してくれればいい。私は涙を拭って父に最初で最後の我儘を言った。
新学期、新しい教室、見知らぬ人ばかりの空間で私はただ君を待っていた。扉が勢いよく開いて足音が聞こえてくる。久々に会った君は、まだ絶望を知る前の君だった。
私は笑った。これまでの人生で一番綺麗な笑顔で。そして君を見て言った。
「貴方の髪色、綺麗ね」
これが私のついた嘘と366日間の最期の人生だった。
『私はそのうち、空の色がわからなくなる。木々の色も花の色も。愛する人が照れ笑いした、その赤く染まった表情さえ見えなくなる』
『だから、私は最期まで愛する人が見る世界を隣で見ていたい。世界がモノクロームに支配されるその日まで。これが私のわがままだ』
娘が最初で最後に言った我儘を未だに忘れることが出来ない。
歳を取って、彼女の死から孫が成人するまでの長い時間が過ぎ去った。時間にして約三十年は過ぎただろう。気づけば髪は白くなり歩く速度は随分と落ちた。医師としての使命を終え、かつて娘の命を奪った無彩病は早期に発見すれば治る病気となった。無彩病で亡くなる患者は減り、致死率は全体の十パーセントにも満たなくなった。
今はただ、過ぎる時に身を任せ緩やかな生活を送っている。
下の娘は良き母となった。孫は娘に似ているようで似ていない。どちらかと言うと彼女に似ていた。現在大学生になった孫の恋人は高校生の時から付き合っている彼氏らしい。遊びに来た時その話を聞くが、まるであの頃の二人を見ているようで少し胸が苦しくなるのは自分だけではないのだろう。
生きていたら。二人のように仲良く過ごしていたのではないだろうか。同じ大学に通い、同じ部屋に帰り日々を共に過ごしていた事だろう。彼女と違い我儘をよく言う孫であるが、その我儘の全ては可愛いものであった。きっとその彼氏に対しても上手に我儘を言っているのだろう。その点は母親である下の娘にそっくりである。
三十年以上経った今でも、私は娘が言った最初で最後の我儘を忘れる事が出来ない。目を閉じれば鮮明に、彼女の凛とした表情が思い返される。自らも死の恐怖に直面していたというのに、それを微塵も感じさせない姿勢であった。我が娘ながら惚れ惚れした。
人が死に直面した時、真っ先に考えるのは自分の事だ。自分の利益だけを考える。彼女もそうだった。しかし、それは誰かを陥れるための嘘ではなく、相手のためについた嘘だった。結果として、彼女は最後までその嘘を口にしなかった。残された彼の日記は死の恐怖と彼女の事ばかりが書かれていた。それを見て私が涙したのは言うまでもないだろう。救えなかった命だった。彼も、彼女も。技術が進歩していれば救えたというのに。私が救わなければならなかったのに、二人の心すら救う事が出来なかった。これは永遠に残り続けるだろう。
彼女は愛されていた。親の私から見ても分かるくらい、愛されていた。死が迫っていたからなのか、最後の恋人だったからのか、それとも彼女だったからなのか、答えは分からない。私としては一番最後である事を願うばかりだ。
彼の人生最後の一年が図らずしも365日になったのなら、彼女の人生は366日だろう。自分が無彩病だという事を知った日をカウントするのなら、彼女は366日間自分は未来がある人間だと嘘をつき続けた事になる。彼はそれに安堵し、そして絶望しただろう。自分がいなくなった後の彼女の未来を想像しなければならない事、しかし反対に自分が生きていた証を遺せるという安堵を抱いただろう。彼女の記憶の中に永遠でなくても生きていられると思った。しかし、彼女がついた嘘はそれを全て捨て去った。
最低な嘘だと思う。私ならそう言うだろう。何故なら残されてしまった側だから。その嘘は誰も救わない、自分が苦しくなるだけの嘘だった。しかし彼女はつき続けた。自分のためではなく、一パーセントにも満たない未来を彼に信じさせるために。
献身的で酷く醜い愛情だ。彼女がもし生きていたらそう言うだろう。あれはそういう奴だ。人を愛する心が世界一美しく醜い感情であるという事を理解している。理解していて自らそこに溺れていったのだ。
生きていて欲しかったと皆思うだろう。私もそう思っている。死んでから何十年も経った今でも、不意に彼女が現れないかと思ってしまう。しかし、私は彼女の意思を尊重してやりたい。あの日、最後に言った我儘と共に自ら選んだ選択だ。
彼女の日記は家の押し入れの中に眠ったままだ。死後、一度だけ見たがもう一度読む気にはなれなかった。しかし、今見たら違うのかもしれない。胸が苦しくなるのも、目の奥が熱くなって読めなくなるのも変わりはないが、自らの死を目前にようやく彼女の死を飲み込めるのかもしれない。
薄汚れた分厚いノートは時間と共に色を変えてしまっている。ボールペンで書かれた整った字はあの頃のままで、時間が止まっていた。
一枚一枚、ページをめくっていく。彼女の最期に近づいていく。葛藤、焦燥、思慕、嫉妬、羨望、傲慢、謙虚。全ての感情がここに集約していた。目頭が熱くなってきた私の背に声がかかる。それは彼女の声のようだった。
振り向けばそこには孫が立っていた。
「何してるの?」
「ああ、何でもないよ」
私はノートを再び押し入れの中に入れる。孫はそれを見て彼女の名前を言った。彼女の物かと問いかける孫に私は首を縦に動かした。
「何が書いてあるの?」
「全て。日常であった取り留めのない事から愛する人の事まで全てだ」
孫は興味津々に目を輝かせた。昔から彼女の話を聞くのが好きだったのだ。しかし、ここで語るのはまた今度にしよう。私は話を逸らすように問いかけた。
「彼氏とは仲良くしてるのかい?」
「ええ。仲良くっていうか、もういるのが当たり前になってるわ」
孫は笑う。しかし、でも、と言葉を続けた。
「でもね、当たり前ってないでしょう?どんな形でいつさよならをするか分からない。だから私は可能な限り彼に言いたい事を言ってるつもり」
「例えば?」
「友達の話とか、今日見た夕焼けが綺麗だったとか、好きだとか。感じた事を出来る限り話してる。共有したいのもそうだけど、何よりあの時ああ言えば良かったなって思いたくないから」
「それは賢明な判断だ」
「嘘だけはつかないようにしてるけど」
そう言った孫は、前に言って酷く怒られたからと言った。エイプリルフールに驚かせようと思い軽い気持ちで言ったのだが、相手を怒らせて悲しませてしまったらしい。それ以来一度も言わないようにしているのだとか。
「それも賢明な判断だよ」
私には彼女がついた嘘が正解か不正解かは未だに分からない。しかし、それが二人を最後まで結びつけたのならば、それで良かったと思えるのだ。二人にとって最高の終わりを、我々は受け入れられずにいた。しかし、あの時受け入れられなかった周りが歳を重ね、あの選択を受け入れるようになった。彼の家族や友人、私達家族もそう思っている。
だからもし、死んだ後に会えるのであれば。その選択を今なら受け入れられるとでも言おう。その嘘を、笑って話そう。これはそういう物語なのだから。




