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地下七階に到達した僕はすぐに掲示板に駆け寄った。
『ちょー重要な掲示板! その6』
『今まで何度も倒れているであろう愛しの君へ。
地下七階、到達おめでとう!
下の階では、心地よい香りに惑わされてしまったかい?
胡散臭いものにはいきなり近づかない。これは地上で生き抜く上で特に大事な事だから、よく覚えていた方が良いよ。
まあ、そんなに苦労せずにここまで上がってこれたとは思うけどね。
じゃあ、この階に出現する敵の解説といきたい所だけど……実はここには目新しいモンスターはいないんだ。ゴブリンとスライムだけだよ。
あ、今少し安心したでしょ? うんうん、分かるよ。でも、ボーナスステージとはいかないんだな、コレが。
この階には、生きていない敵がいるからね。強行突破するのは至難の技だと思うよ。何しろ、物理的に倒すことが不可能なんだから。
ヒントは、少し頭を使う事だね。目の前だけじゃなくて、下の方にも気を配るんだ。気づいたら、後は簡単に進む事が出来るよ。
それじゃ、地下六階に到達出来るよう祈っているよ。
追記
今回は残念だけど、追記無しだよ。』
「追記無しなら、わざわざ書かなくても良いんじゃ……」
突っ込んでしまうのは、野暮というものだろうか。
「でも、なんだか気になるなぁ。『生きていない』敵って何の事だろう?」
空腹、という言葉が一番最初に脳裏をよぎったが、それは初めから僕を悩ませている問題だ。今更わざわざ立て札で警告するのは遅すぎる。
「物理的に倒すのは不可能っていうのも怖いなぁ……あ」
僕はある事実に気づいて、がっくりと肩を落としてうなだれた。意気消沈して息を吐く。
「そういえば僕、ネズミ以外は物理的に倒せてないや」
そのネズミにしたって、力の草というアイテムを使ってようやく攻略したのである。紛れもない実力とはとても言い難い。
「結局、今まで通りに何とかやっていくしかないよね」
無理矢理に自分を納得させて、僕は階段部屋から通路に出る。ゴブリンやスライムの姿は今の所、視界には映っていない。生きていない敵とやらも恐らく同様だろう。
――今までと同じように、慎重に進まなきゃ。
一歩一歩、確かめるように僕は歩みを進める。通路を左に折れる前に首だけ突き出して進行方向を確認する。よし、誰もいない。
安全を確認してから、左折する。ゆっくりと、神経を研ぎすませながら通路を歩いていく。
――その時だった。パカッという音と共に、僕の足下に存在したはずの地面が無くなった。
一瞬、宙に浮いた僕の喉からは、かなり間抜けな声が洩れた。
「……え?」
――落とし穴?
そして、僕の体は重力に逆らう事無く、足下にポッカリと空いた穴の中に落下していく。
「ええええええええ!?」
僕が発した驚きの叫びが、無人の通路にはひどく反響していた事だろう。
この時、僕にとって意外だった事は三つあった。まず、引っかかった落とし穴は比較的浅かったという事。二つ目は、盛大に尻餅をついた場所がとても柔らかかったという事。
最後は、僕のクッションになっていたのは地下八階に生い茂っている筈の植物だったという事だ。
勢いよく落下した僕を受け止めたせいか、夥しい量の花粉が辺りにまき散らされる。
「……うぁ」
前にも増して強烈さを増した悪臭に、僕が僅か十秒も持たずに意識を失ったのは、あまりにもしょうがなかった。
「……確かに、罠は生きていないよね」
意識を取り戻した際、僕は目も開かずに呟いた。気怠い感覚に逆らわず、しばらくは床に寝そべっておく事にする。
「でも、これは厄介だなあ。目に見えないんじゃ、対策の立てようが無いじゃないか」
一回引っかかれば次からは注意できるけれど、その度にあの強烈な悪臭を嗅がされながら、もしくは硬い土の地面に鞭打たれて強制送還されなければならない。確かに強行突破は精神的にキツいものがある。全部が全部、同じ罠では無いのではないかとも考えたが、今までのパターンから考えて、何となく落とし穴だけのような気がする。
「対策、対策、うーん……」
唸ってみても、何も思い浮かばない。
「……とにかく、もう一回頑張ってみよう」
しょうがないので、立ち上がろうと目を開く。
「……あ」
その時、僕はとある重大事実に気がついたのであった。
「立て札に触れておくの、忘れてた……」
うっかりミスをやらかしてしまったせいで、かなりの道草を食う羽目になってしまった。ゴブリンやスライムの邪魔を潜り抜けて再び地下七階へと足を踏み入れた僕は、今度はしっかりと掲示板に手を触れておく。これで、次は倒れても大丈夫だ。
「……なんだか、倒れる事前提なのが少し情けないや」
それから、僕は何度もダンジョン探索へ繰り出したが、どうにも上手くいかない。木の棒で足を踏み出す方向を突いてみるという策を取ってはみたが、どうやら落とし穴はしっかり誰かが上に乗らないと反応しないらしく、安全だと思って僕が足を踏み出し、結局植物の悪臭を嗅ぐ羽目になってしまうという事を幾度も経験した。
次に僕が考えた作戦は、出会ったゴブリンを囮にして通路の安全を把握するというものだった。しかし。
「うーん、どうにも上手くいかないぞ」
まず、安全を確認していない場所へは行けないので、自然と向こうの方からやってくるのを待ち続けなければならない。その上で、相手を上手に誘導して通路を歩かせる事が必要になる。それで運良く落とし穴を発見できたとしても、罠に引っかかった個体は下に落ちてしまうので、また新たな囮役が通りかかるのを待たなくてはならない。更にゴブリンは僕に気がつくと猛ダッシュしてくるから、早く逃げないと今度はたこ殴りで倒されてしまう。
ゴブリンを使って罠の位置を探るというのは、強行突破よりも非効率だという結論を、体中を棍棒で殴られ続けた僕は薄れゆく視界の中で導き出した。
ゴブリンが駄目なら、スライムならどうか。そんな事を僕は階段部屋で胡座をかいて腕組みをしながら考えていた。
「……でも、もっと使い道がないや」
まず、とても軽そうだから罠が作動しそうに無いし、そもそも僕が近づかなければ活発に行動しないのだから誘導する事自体がゴブリンと比べて格段に難しい。接近すれば僕の命も危うくなるし、有効利用は絶対に無理だろう。
「じゃあ、やっぱり引っかかりながらでも強引に探索した方が良いのかな……?」
通路に出る度、部屋に入る度に罠に引っかかったと仮定して計算すると。
「……五十回は落ちちゃうよ、確実に」
何十回も普通の人間なら死を味わうような体験をするのは、流石に頭が狂ってしまいそうでならない。まあ、今までの状況も十分に異質だし、既に二十回以上は強制送還を経験しているわけではあるが。
「やっぱり、死ぬのには慣れないよ……って、僕はまだ死んでないじゃん」
自分で自分に突っ込みを入れながら苦笑する。しかし、何故か違和感を覚えた。
「……あれ?」
何に対してかは分からないが、僕は確かに変だと思った。
「記憶が無いのと、何か関係があるのかな……?」
首を捻って目を瞑り、必死で先ほどの違和感の原因を突き止めようとしたが、結局は徒労に終わった。
「やっぱり、気のせいかな」
首を振って、気を取り直す。
「とにかく、現状で取れる最善の策は……」
しばらく経ってから、僕は深い溜息をついた。
「……やっぱり、ゴブリンを囮にして探っていくのが一番マシみたい」